【傑作の条件】思想・芸術・科学・実用の4条件の中から間主観性「思想・芸術」を語る
著者は、マキアヴェリ『君主論』に匹敵する、ヒンドゥー世界の政治思想『アルタシャーストラの都城論』を研究し、君主や聖職者は、民衆レベルの間主観性（ばらばら主観だけどみんな一緒）を統制する有効な手段として、支配地域の都市計画を表現する絵地図（宗教的世界観）を活用したことが分かった。本書は、中国・インド・イスラム・西欧のそれぞれ独自の宗教観の下で、間主観性意識の統制に貢献した絵地図の表現力・美しさ・想像性（傑作性）について、人文地理学的に考察している。
読者は、これら絵地図に組み込まれた、世界三大宗教の聖典（仏典・クルアーン・聖書）の用語、現代語の語源、世界観の類似点（バビロンに発する聖の数７）や相違点（南北の認識）の解説を大いに堪能することになる。しかし、著者の「傑作絵地図」論は、「思想・芸術」性が緻密に組み込まれた宗教絵画的芸術性に偏好する傾向があり、「科学＋実用」知識に疎いのか、イスラム商人がアジア交易によって伝搬させた印刷・羅針儀・三角測地・恒星航行・平面投影・造船などの技術解説が希薄だった。最終的に、傑作判定を『カンティーノ図』の未完成世界図レベルで濁したのが残念だ。
【思想+芸術】古代・中世：経験「内世界」と仮想「外世界」を、絵地図に同居させる表現方法
偉大なサルゴン王物語の粘土板に挿入された『BC600頃：古代バビロニア粘土板世界図』は、支配したアッカド帝国バビロンを円盤世界の中心に位置させ、聖なる7つの異界が外側環海を囲む構図だった。この世界観は、民衆の意識に刷り込まれ、その後のシュメール・古代ギリシャ・イスラム・ヒンドゥー、そして西欧に至る広範囲の宗教絵地図に継承された。特に西欧では、宗教的統制が続く14世紀ルネサンスまで、円盤世界観『マッパ・ムンディ／T-O図』を引きずることになった。70頁の紙面を割いて詳細解説したT-O 図『ヘレフォード図』は、「思想・芸術」性において著者のお気に入りの一つだったのだろう。『旧約聖書』と『アレクサンドロス大王物語』の地理情報を基に、経験世界・聖地・楽園の3領域を積み重ねて描いた傑作と評している。
一方、8世紀頃までの日本では、円盤ではなく、独鈷杵（大日如来法具：古代インド武具ヴァジェラ）に似た細長い形状で、中心に天皇所在地の山城国があるとする『行基式日本図』だった。金剛・胎蔵の両曼荼羅に君臨する「大日（如来）の国」、つまり「大日本国」が宇宙の中心であってほしかったのだが、仏典『倶舎論』に従った須弥山世界観の構図が伝播すると、外側に「天竺／インド」という異世界の聖地の存在を知らされ、世界中心が天竺へ移り、北に「唐」、更に外海に「日本」を配置する、三国世界観『法隆寺蔵五天竺図』へ変化した。読者は、仏典に由来する現代語、天竺の季節感（4月5月が猛暑）、極楽カシュミール、右繞（右回り礼拝法）、バビロンに発する聖の数７、玄奘『大唐西域記／西遊記』などの古代アジア異世界観に浸れる。
【科学+実用】近世：ポルトガルがオスマン帝国陸路を迂回する「インド海道」を発見
イスラム圏では、西欧に先駆けて9世紀末から、古代ギリシャ語文献のアラビア語翻訳が始り、アリストテレス地球球体説・プトレマイオス『地理学』の古代の知識を得た。また、インドから数学（十進法、0の概念）・造船技術、中国から羅針儀・印刷技術を学び、インド洋航海技術（羅針儀海図）を発展させた。12世紀、アラブ人地理学者イドリースィーは、ムスリム商人の持つ中国広東（絹の国）までのインド洋交易情報を得て、マラッカ海峡によってインド洋とシナ海（太平洋）が接続していることを世界地図『イドリースィー図』に反映させた。海水が循環することから、世界は球体であると確信し、極寒地、可住地帯（エクメネー）、酷暑地を気候帯緯度区分した、先進的世界地図であった。この航海技術（羅針儀海図）が地中海諸国へ伝わり、地中海羅針儀海図『ポルトラーノ図』が発展した。オスマン帝国侵略に対する救援をもとめたビザンツ帝国の特使は、プトレマイオス諸地図の写本を3世紀遅れてローマへ伝えたものを、イタリアジェノバ出身のコロンブスが研究し、オスマン帝国を迂回する「インド海道」の大航海を構想した。
もう一つの著者のお気に入りがポルトガル『カンティーノ図』であろう。『ヘレフォード図』と同様に70頁の紙面を割いて、エンリケ航海王子以来の大西洋航路、探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルの「ブラジル発見」、アメリゴ・ヴェスプッチらの「新大陸」探検、などを蓄積した航路情報を「科学＋実用」的に盛り込んでいる。ポルトガル最高緊密の世界地図であり、スペイン製地図の比ではない価値あるものだった。ところが、イスラムと西欧との中継貿易に危機感を抱いたイタリアのスパイ（名：アルベルト・カンティーノ）が、まんまと盗写に成功し北イタリアのモデナへ持ち帰った。原図がリスボン大地震によって焼失したため、写本がスパイの名前で呼ばれるようになった数奇な古地図である。
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