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溶ける街透ける路 単行本 – 2007/5/1
- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2007/5/1
- ISBN-104532165954
- ISBN-13978-4532165956
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登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 (2007/5/1)
- 発売日 : 2007/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 262ページ
- ISBN-10 : 4532165954
- ISBN-13 : 978-4532165956
- Amazon 売れ筋ランキング: - 645,223位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 19,108位エッセー・随筆 (本)
- - 62,437位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
【著者紹介】
多和田葉子(たわだ・ようこ)
小説家、詩人。1960年3月23日東京都中野区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学大学院修士課程修了。文学博士(チューリッヒ大学)。
1982年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。1991年『かかとを失くして』で群像新人文学賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞を受賞。2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞、2002年『球形時間』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、2003年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、2005年にゲーテ・メダル、2009年に早稲田大学坪内逍遙大賞、2011年『尼僧とキューピッドの弓』で紫式部文学賞、『雪の練習生』で野間文芸賞、2013年『雲をつかむ話』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。2016年にドイツのクライスト賞を日本人で初めて受賞。2018年『献灯使』で全米図書賞翻訳文学部門受賞。
著書に『ゴットハルト鉄道』『飛魂』『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』『旅をする裸の眼』『ボルドーの義兄』『百年の散歩』『地球にちりばめられて』などがある。
ヨーロッパ、アメリカ、アジアでこれまで700回以上の朗読会を開いている。アメリカではスタンフォード大学、コーネル大学、マサチューセッツ工科大学など1999年以降多数の大学に招かれ、数日から数ヶ月滞在。著作は日本語でもドイツ語でも20冊以上出版されており、フランス語訳、英訳の他にも、イタリア語、中国語、ポーランド語、韓国語、ロシア語、オランダ語、スェーデン語、ノルウェー語などの翻訳が出ている。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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絶版になっているのが少し悲しかったです。
朗読や読書会などに呼ばれて行く先々の印象を、例によって卓越した完成と該博な知識をもって綴っていく。ドイツや東欧の小さな町の印象から、何かしらきらめく言葉がこぼれ落ちる。久々に読んでいて気持ちのよい書であった。
アメリカやバルト三国の小さな町のエピソードが、興味深い。
この書をもって旅に出よう。
日本人、あんまりかわってないねぇ!記憶はゆがみ、言葉だけが残る。今も昔も変わらん。これが爺の感想。
この人は書くことと旅が一体になっているのだ。
「世界は見えない糸でつながっている」と帯ことばにあるが、つないでいる糸が作者自身。
宝石ではない様々な半貴石をつなぎ合わせたネックレスを思わせる。(しかし、高価なネックレスではある。)
登場人物のほとんどが「 L 」さん「 M 」さん・・・現地人なのか日本人なのかもよくわからない。読者は実験室をあちこち彷徨っている感覚も覚える。
2005年の春から2006年末まで実際に行った街のはなし。日経新聞に連載された。
ほとんどが " 文学 " がらみの旅。
初めての街、思い出のある街。旅のうつろい、旅する者のさまよい、訪れる街のうつろい。
しかし、最初にワルシャワを訪れた時コトバは通じたんだろうか ?
本書は、著者が2005年春から2006年暮れまでに訪れた、主に欧州・北米の48の街について、日経新聞の土曜版に2006年1~12月に連載したエッセイをまとめ、2007年に出版(現在は絶版)、2021年に文庫化されたものである。
登場する街は、大半が、著者が作品の朗読会などの仕事で訪れた街であり、フランクフルト、ベルリン、チューリッヒ、パリ、ニューヨークなどの一部の主要都市は含まれるものの、(少なくとも日本人にとって)観光地として認識されている街は少ない。私は、1990年代にチューリッヒとフランクフルトに駐在し、本書に取り上げられた街の20ほどを訪れたことがあるが、初めて名前を聞いた街もいくつかある。
また、内容的にも、旅好きの作家らが書く旅行エッセイとは少々趣を異にし、「わたしの旅は言葉の旅でもある」と語り、言葉と文学に類稀な感性を持ち、『エクソフォニー~母語の外へ出る旅』のような硬質なエッセイ集も書く著者ならではのフレーバーを持ちつつも、(一般紙である日経新聞の読者を意識してか)硬くなり過ぎず、読み易いものになっている。
因みに著者は、文庫版のあとがきで、次のように書いている。「旅人としてのわたしの体験はマッチを擦った瞬間にその光でまわりが見えるようなもので、炎は数秒で消えて、あたりはまた暗闇に戻ってしまう。世界はなかなか見えにくい。旅をすることで見える範囲など限られている。・・・記憶の断片が光り、これまで見えなかったものが一瞬見え、それがステレオタイプになって凝固する前に消えていく。旅のエッセイはそれでいいのではないかと思う。」
多和田氏ならではの記憶の断片を読みながら、「旅」というか、知らない街、知らない文化、知らない人々との出会いはやはりいいなと思わせられるエッセイ集である。
(2021年8月了)
掲載されていたエッセーを1冊の本にしたものです。
各都市との接触を通して、女史の思考から次々と
研ぎ澄まされた言葉が生まれていきます。
その言葉たちが今という共通の時間において
地球という共通の空間のある地点を色付けしていきます。
多和田女史のエッセーは詩的でありまた水彩画的だと思いました。
人の移動とともに境界がずれていく(42頁)、
文化施設に生まれ変わったガスタンクの中の神秘(72頁)、
「ライネッカー三角地帯」の復活(190頁)、
そしてアウシュヴィッツ訪問時の日本人であるが故の気の重さ(196頁)。
多和田女史は「境界」(国境、言語、宗教など)を透明にし、
我々に「境界」の向こう側のことを語ってくれます。
多和田女史が紡ぎ出す言葉には“力”があります。
ブダペスト、チュービンゲン、ナント、パリ、ボルドー。書き出してみるとドイツとフランスが
多いが、トゥーソンやシアトルなどアメリカの都市にも触れられている。
アウシュビッツ滞在中に、日本人の旅行者の残した感想に
違和感を覚えるあたりにどきりとさせられる。
その旅行者は「靴の展示は間接的過ぎて残酷さが実感できない」と書いていたそうだ。
「日本には髪や靴とは関係ない『個人』があると考えるべきなのか、
それとも日本には戦後も、個人を尊重しない風潮がまだ残っていて、
また全体主義に侵される危険が大きいということなのか」。
淡々とした文章で語られる見聞記だが、ヨーロッパ生活の長い著者ならではの
視点が光っている。
1)ヨーロッパ共同体における、言語数の豊かさを弱みではなくむしろ強みとして再評価する動きがあること(121頁)。
2)異質な響きを許容しうる「寛容な耳」の重要性。「創造的な活動は、まず解釈不可能な世界に耳を傾け続けるところから始めるのではないか」という主張(166頁)。
3)「死者の数を挙げる自分自身に納得できないものを感じるのは、死者を数として捉える視線 そのものに、死なないですむ者の奢りが感じられるからかもしれない」(193頁)という見解。アウシュヴィッツをめぐるエッセイは、否応なくフランクルの『夜と霧』を想起させた。