茶道具に法外な値段がついていることを前から不思議に思っていた。この本を読んで、「茶道具の価値」のルーツが分かり、納得した。
今日からは想像が難しいが、茶の湯は室町時代から桃山時代にかけての乱世の時代、国家権力者たちの儀式だった。由緒ある茶道具には象徴的意味が付与され、一種、貨幣のような性格を持っていた。
作者は利休が秀吉によって抹殺されたのは、利休が推進した「平等主義の侘び茶」が乱世の終焉で時代に合わなくなったから、との仮説をたてる。そこまで、茶の湯は当時の日本の政治にとって重要な影響を及ぼすものだったのだ。
こうしたことは、知っている人は知っていて、当たり前のことなのかもしれない。が、普通にお稽古事としての茶道をやるだけでは分からないし、単に歴史書を読むだけでも分からないものである。
「国家儀式としての文化」「政治と文化のアンビバレントな関係」は世界的に普遍的であり、桃山時代の茶道に特有でないとする筆者の見方は興味深い。
地味だが好著。内容は難しそうだが、論旨一貫していて、わりと読みやすい。
基本的には、茶道に興味がある人が手に取る本と思うので、茶室、名物茶入や掛け軸の写真や、道具についての脚注があると、さらに良かったと思う。
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茶道と天下統一: ニッポンの政治文化と「茶の湯」 単行本 – 2010/4/1
ヘルベルト プルチョウ
(著),
篠田 綾子
(翻訳)
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- 本の長さ197ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2010/4/1
- 寸法13.5 x 1.9 x 19.5 cm
- ISBN-104532167469
- ISBN-13978-4532167462
登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版; New版 (2010/4/1)
- 発売日 : 2010/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 197ページ
- ISBN-10 : 4532167469
- ISBN-13 : 978-4532167462
- 寸法 : 13.5 x 1.9 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 146,558位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 31,373位ノンフィクション (本)
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2011年7月3日に日本でレビュー済み
ヘルベルト・プルチョウの「茶道と天下統一」を読了。外国人による戦国時代から江戸時代初期における「茶道」の社会的意味の考察。国家儀礼としての茶道の位置付けを考察した書。
古田織部を描く傑作漫画「へうげもの」にはまっていて、何故「茶道」がそこまで戦国武将たちを虜にし、何故、一介の商人であり茶人の千利休がそこまで政治的権力を手に入れられたのかが非常に疑問であった。そこに出会った本書は私の疑問に直接的に響く書であった。
筆者は「茶道」を国家儀礼として捉え、社会的政治的秩序を改める儀礼と秩序を維持するための儀礼の二つの側面があると指摘する。そして戦国時代から安定した時代への移行には、秩序を維持しながら社会的な秩序を改定する儀礼としてつかわれてきたと指摘している。つまり時の権力者によって権力維持のためのシステムとして「茶道」が作用した事実を様々な側面から明らかにしているのである。日本史の概要さえ押さえていれば、わかりやすい文章なので、理解しやすい。そして漫画「へうげもの」を読んでいればなおわかりやすい。そしてその時代の茶の道具を写真で観ながら読むともっと良い。私の疑問に直球で回答してくれる書であり、大変良い読書体験であった。
そしてエピローグでは権力と芸術の関係を、西洋の事例を中心に述べている。権力と芸術には密接な関係があり、お互いに影響を与えているという事実を再認識させてくれたのである。つまり「茶道」という芸術が時の権力者のシステムとして使われたということが理解できるのである。
古田織部を描く傑作漫画「へうげもの」にはまっていて、何故「茶道」がそこまで戦国武将たちを虜にし、何故、一介の商人であり茶人の千利休がそこまで政治的権力を手に入れられたのかが非常に疑問であった。そこに出会った本書は私の疑問に直接的に響く書であった。
筆者は「茶道」を国家儀礼として捉え、社会的政治的秩序を改める儀礼と秩序を維持するための儀礼の二つの側面があると指摘する。そして戦国時代から安定した時代への移行には、秩序を維持しながら社会的な秩序を改定する儀礼としてつかわれてきたと指摘している。つまり時の権力者によって権力維持のためのシステムとして「茶道」が作用した事実を様々な側面から明らかにしているのである。日本史の概要さえ押さえていれば、わかりやすい文章なので、理解しやすい。そして漫画「へうげもの」を読んでいればなおわかりやすい。そしてその時代の茶の道具を写真で観ながら読むともっと良い。私の疑問に直球で回答してくれる書であり、大変良い読書体験であった。
そしてエピローグでは権力と芸術の関係を、西洋の事例を中心に述べている。権力と芸術には密接な関係があり、お互いに影響を与えているという事実を再認識させてくれたのである。つまり「茶道」という芸術が時の権力者のシステムとして使われたということが理解できるのである。
2012年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
秀吉、信長、家康は、戦国時代の終焉とよく聞くけれども、
実際には彼らはまさに「覇王」とでも言うべき立場と生き様であったし、
わび茶が平等を志向していたら、そもそも彼らの根本的な存在意義自体が怪しくなってしまう。
私が思うには、戦国時代こそ平等ではなく、力による勝敗の時代だったように思う。
そこで利休が平等を主張するならば、むしろ邪魔であってその排除は予想の範囲にとは思うのですが・・・。
しかし彼の和歌を見ると「現人神」とある。しかもおそらくは道真に比して。
これでは、人の平等という精神のもので利休が生きていたとは私は思えないです。
平等主義を装っているものの、実態的にはヒエラルキー志向という宗教システムにありがちなものを感じます。
秀吉も利休も特に好きということはないのですけども、
秀吉の道具を許可なく使い、秘密裏に秀吉の潜在的な敵を茶会に招くというのは、
さすがに非難を免れ得ないとは思います。
筆者さんが軋轢の主な理由として指摘している美的センスの差異については、
違和感を覚えます。たしかに、二人のセンスは相当に食い違っていたように思いますが、
それだけの理由で秀吉が利休を排除するというのは説得力が欠けていると感じます。
少なくとも秀吉は武力により天下に手を伸ばし、達成したのであって、
秘書的な利休が対等に渡り合えるというのはとてもじゃないけど思えないです。
実際には彼らはまさに「覇王」とでも言うべき立場と生き様であったし、
わび茶が平等を志向していたら、そもそも彼らの根本的な存在意義自体が怪しくなってしまう。
私が思うには、戦国時代こそ平等ではなく、力による勝敗の時代だったように思う。
そこで利休が平等を主張するならば、むしろ邪魔であってその排除は予想の範囲にとは思うのですが・・・。
しかし彼の和歌を見ると「現人神」とある。しかもおそらくは道真に比して。
これでは、人の平等という精神のもので利休が生きていたとは私は思えないです。
平等主義を装っているものの、実態的にはヒエラルキー志向という宗教システムにありがちなものを感じます。
秀吉も利休も特に好きということはないのですけども、
秀吉の道具を許可なく使い、秘密裏に秀吉の潜在的な敵を茶会に招くというのは、
さすがに非難を免れ得ないとは思います。
筆者さんが軋轢の主な理由として指摘している美的センスの差異については、
違和感を覚えます。たしかに、二人のセンスは相当に食い違っていたように思いますが、
それだけの理由で秀吉が利休を排除するというのは説得力が欠けていると感じます。
少なくとも秀吉は武力により天下に手を伸ばし、達成したのであって、
秘書的な利休が対等に渡り合えるというのはとてもじゃないけど思えないです。