岡潔氏は人間生後32か月の間に将来何になるかの基礎が造られると仰っている。
昔の人物は、人格陶冶、集中力、閃き、忍耐力を鍛えることによって
何を成し遂げるか を常時考えていたようなところがあった。
本書 春の草を読んで岡潔氏の礎を垣間見れたような気がして、不思議な気分になれた。
幼児教育 から学生時代に掛けての教育が如何にその後を支えるかという事が良く解る。
数学は美学で、人間が神の真理に対座して解いていく行為は、さながら哲学、仏教である。
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春の草: 私の生い立ち 文庫 – 2010/7/1
岡 潔
(著)
- 本の長さ203ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2010/7/1
- 寸法10.6 x 1.2 x 15 cm
- ISBN-104532195497
- ISBN-13978-4532195496
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登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版; New版 (2010/7/1)
- 発売日 : 2010/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 203ページ
- ISBN-10 : 4532195497
- ISBN-13 : 978-4532195496
- 寸法 : 10.6 x 1.2 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 786,513位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 116,285位ノンフィクション (本)
- - 165,577位文庫
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2012年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今この時代に大事なことは、教育だと考えています。
岡先生は生涯、教育に情熱を傾けていました。日本の良さと日本人に生まれてきた幸せをかみ締めています。
岡先生は生涯、教育に情熱を傾けていました。日本の良さと日本人に生まれてきた幸せをかみ締めています。
2012年2月16日に日本でレビュー済み
本書は岡潔先生が、自らの基盤を形作ったという
幼年期から青年期を回想して著したものである。
したがって後年の壮絶な数学研究の様子は
本書からは窺い知ることはできない。その一生を
大河の流れにたとえるなら、山間に湧き出た清水が
谷間のせせらぎとなり、やがて春の野に出て小川と
なるまでの、何とものどかな風景が描かれている。
小学校では少年雑誌の読み物に熱狂したことが
情緒を形作り、一浪して入った旧制中学では
歴史や古典の丸暗記により集中力を養った。
病中に読んだ父親の蔵書からクリフォードの定理を
知って数学の神秘に感激したのもこの時代である。
そして旧制高校から大学では、野球の応援や
文学に熱中する多感な青春時代を送りながらも、
次第に数学の虜となっていく様子が描かれている。
後年の岡先生の研究業績は、同じ分野の世界的
権威であるアンリ・カルタンをして超人的と言わしめた
そうだが、その幼少期はガウスやガロアのような
数学の神童とは趣きが異なり、一言で表せば
「悠然」という言葉がふさわしい。
本書を一読して感ずるのは、その記述の実に鮮やかなことで
あり、岡少年の心に、聞いた言葉、読んだ文章、目に映じた
景色の一つ一つが深く刻み込まれていたことが分かる。
数学に限らず、何か一事に傑出した人物は、幼少期に得た
深い感動の体験がその原動力となっていることが多い。
しかしそれには悠然とした生活が必要ではないか。
岡先生は小学校時代、月に一度本屋に届く「日本少年」という
雑誌に熱狂したが、それしか他に読む物がなかったことが
読みたいという意欲に火をつけて良かったのだ、と述べている。
現代の子供のように、幼稚園からお受験に振り回され、
小学校では英語にIT教育、家に帰れば電子ゲームといった
忙しい生活では、一つのことに熱狂的な意欲を持って
集中し、玩味することなど到底できないように思われる。
それでは与えられた課題を器用にこなす人間はできても、
真に新しいものを創造する人間は出てこない。
現代の教育に対する岡先生の深い憂慮の念は本書でも
述べられているが、「春宵十話」においてさらに掘り下げて
論じられているので、そちらも合わせて読むことをおすすめする。
幼年期から青年期を回想して著したものである。
したがって後年の壮絶な数学研究の様子は
本書からは窺い知ることはできない。その一生を
大河の流れにたとえるなら、山間に湧き出た清水が
谷間のせせらぎとなり、やがて春の野に出て小川と
なるまでの、何とものどかな風景が描かれている。
小学校では少年雑誌の読み物に熱狂したことが
情緒を形作り、一浪して入った旧制中学では
歴史や古典の丸暗記により集中力を養った。
病中に読んだ父親の蔵書からクリフォードの定理を
知って数学の神秘に感激したのもこの時代である。
そして旧制高校から大学では、野球の応援や
文学に熱中する多感な青春時代を送りながらも、
次第に数学の虜となっていく様子が描かれている。
後年の岡先生の研究業績は、同じ分野の世界的
権威であるアンリ・カルタンをして超人的と言わしめた
そうだが、その幼少期はガウスやガロアのような
数学の神童とは趣きが異なり、一言で表せば
「悠然」という言葉がふさわしい。
本書を一読して感ずるのは、その記述の実に鮮やかなことで
あり、岡少年の心に、聞いた言葉、読んだ文章、目に映じた
景色の一つ一つが深く刻み込まれていたことが分かる。
数学に限らず、何か一事に傑出した人物は、幼少期に得た
深い感動の体験がその原動力となっていることが多い。
しかしそれには悠然とした生活が必要ではないか。
岡先生は小学校時代、月に一度本屋に届く「日本少年」という
雑誌に熱狂したが、それしか他に読む物がなかったことが
読みたいという意欲に火をつけて良かったのだ、と述べている。
現代の子供のように、幼稚園からお受験に振り回され、
小学校では英語にIT教育、家に帰れば電子ゲームといった
忙しい生活では、一つのことに熱狂的な意欲を持って
集中し、玩味することなど到底できないように思われる。
それでは与えられた課題を器用にこなす人間はできても、
真に新しいものを創造する人間は出てこない。
現代の教育に対する岡先生の深い憂慮の念は本書でも
述べられているが、「春宵十話」においてさらに掘り下げて
論じられているので、そちらも合わせて読むことをおすすめする。
2011年5月10日に日本でレビュー済み
終戦後しばらくたったころで、私は奈良女子大に
勤めていたのだが、国内の有様を見ると敗戦の
心のいたでは実に深く、ここから立ち直るには
二、三代はかかるだろうと思われた。にもかかわらず、
教育はアメリカからデューイーの教育学なんかを
そのまま取り入れて、人の子の教育とは思えないものを
やっている。とりわけ自我を真の自己だと
思い違いしてしまっている(「まえがき」p.4)。
これぞ、岡先生です。
数学者の枠におさまらない、哲学者 岡潔の面目躍如の一節だと思います。
勤めていたのだが、国内の有様を見ると敗戦の
心のいたでは実に深く、ここから立ち直るには
二、三代はかかるだろうと思われた。にもかかわらず、
教育はアメリカからデューイーの教育学なんかを
そのまま取り入れて、人の子の教育とは思えないものを
やっている。とりわけ自我を真の自己だと
思い違いしてしまっている(「まえがき」p.4)。
これぞ、岡先生です。
数学者の枠におさまらない、哲学者 岡潔の面目躍如の一節だと思います。