金融工学というキーワードはリーマン・ブラザーズが破綻してから
何度か目にし、気になっていました。
僕はお金の流れというものは、生物の行動や気象のようにあくまで
予想することしかできないような、自然科学にように法則性を発見
できる分野ではないと思っていました。
その点については金融工学というものは前提が不確実な場合が
あるらしいです。前提が崩れると理論が崩壊するそう。
この強度で工学と言っていいの?というのが正直なとこですが、
昨今巷を賑わせているビッグデータなんかも、前提と結果は
不確実さや曖昧さをはらんでいることを許容していることを考えると、
"使える"学問というものは科学的厳密性を捨て生物行動学などにより
近づいているのかなぁなどと思いました。
本書の内容ですが、まず著者の立場を読者に明確に伝え、金融工学
を取り巻いている状況、経済学者からの批判、金融工学の歴史、
公式の紹介、個別の金融商品の特性とリスクなどの説明などが記載
されており、順を追って読むと公式以外の部分はすんなりと
読み通せました。
著者も記されているのですが、リーマン・ショックが起こってから
金融工学を悪とする風潮が巷を包み、この分野の研究は停滞、志す
学生も減っているようです。
日本にはどこかお金の話をすること、金儲けをすることを未だに
善しとしないような、清貧を美とする思想が心底にあるように
思います。それは世界に誇れる美徳という部分もあるのですが、
アメリカのヘッジファンドや貪欲な機関、個人投資家、あるいは
中国や新興国の金融の世界での台頭に、日本が為す術がないまま
蹂躙されてしまうことは想像に難くありません。
国家が国策として金融工学という分野を発展させることは必須だと思います。
日本の学生が本書のような良書を手に取り、金融工学を志し、
世界でイニシアティブを取るべく活躍することを期待します。
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「金融工学」は何をしてきたのか 新書 – 2009/10/1
今野 浩
(著)
繰り返されるバブル崩壊。デリバティブに代表される金融工学を犯人に仕立てることは簡単だが危険な発想だ。市場崩壊の本当の原因をわかりやすく提示するとともに、現代経済に果たす金融工学の役割と重要性を説く。
- 本の長さ192ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2009/10/1
- 寸法11.2 x 1.3 x 17.7 cm
- ISBN-104532260604
- ISBN-13978-4532260606
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登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版; New版 (2009/10/1)
- 発売日 : 2009/10/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 192ページ
- ISBN-10 : 4532260604
- ISBN-13 : 978-4532260606
- 寸法 : 11.2 x 1.3 x 17.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 409,646位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 26,940位投資・金融・会社経営 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
金融工学に関して、いくつ解説があるが、難しい数式などは出てこないので初心者でも読みやすい。
本書にあるように、金融工学が発達したことによる恩恵も忘れてはならない。ヘッジをすることで、より安定的な収入を得ることができるようになったり、新しい商品の開発にも役立つ。
問題なのが、それを利用する人たちなのではないだろうか。目先の短期的な利益のみを求めて、自分達の投じたマネーが、どう世界を巡って、どんな影響を与えてしまうのか、ということまで考える投資家は少ないだろう。あくまでも金融工学はツールにしかすぎず、使い様によっては社会の訳に立つし、逆にネガティブな影響を及ぼす可能性もある、という考えには同感。
また日本において、「金融」「お金儲け」という言葉に対するアレルギーがあることについても書かれている。実際、私達の生活には金融が密接に関わっていることからも、今回の金融危機をきっかけに金融から遠ざかるよりも、より多くの人に身近に感じてほしい。
本書にあるように、金融工学が発達したことによる恩恵も忘れてはならない。ヘッジをすることで、より安定的な収入を得ることができるようになったり、新しい商品の開発にも役立つ。
問題なのが、それを利用する人たちなのではないだろうか。目先の短期的な利益のみを求めて、自分達の投じたマネーが、どう世界を巡って、どんな影響を与えてしまうのか、ということまで考える投資家は少ないだろう。あくまでも金融工学はツールにしかすぎず、使い様によっては社会の訳に立つし、逆にネガティブな影響を及ぼす可能性もある、という考えには同感。
また日本において、「金融」「お金儲け」という言葉に対するアレルギーがあることについても書かれている。実際、私達の生活には金融が密接に関わっていることからも、今回の金融危機をきっかけに金融から遠ざかるよりも、より多くの人に身近に感じてほしい。
2009年10月24日に日本でレビュー済み
金融工学なるものの定義ははっきりしません。したがって金融工学なるものの解説は本書にはありません。あっても素人にはわかりません。むしろ工学や数学を専攻していた日本の学者がどのようにして、この欲が渦巻く金融の世界に入り込んでいったかが、1980年代後半からの経緯を含めて当事者の口から語られます。それは、金銭欲とは別の衝動にドライヴされた一連の理科系の人々の姿です。もっとも人間の衝動をそんなに単純に割り切ってしまうことができるかどうかは別の話ですが。知的詐欺師が跋扈する国際金融市場へ精神論だけで乗り出していった80年代の後半の邦銀をどうやって、略奪的なプレーヤーの「金融工学」の「悪用」から守るのかが日本の金融工学者の一義的なドライヴァーだったというのです。どの程度その狙いに成功したのでしょうか。いくつかの理論的なブレークスルーは存在するそうです。しかし邦銀の実態はどうでしょう。国際分散投資なるものに乗り出したり、「投資銀行宣言」なるスローガンを打ち出した金融機関の現状は惨憺たるものです。またリテールの顧客に売り出された無数の投資信託の実績は、むしろ日本の金融機関の、日本の「穏健」な文脈の中での、リテーラーとしての詐欺師への変貌への努力とその寒々としたなれの果てを示唆するかのようです。案外、精神論のままの方が被害が酸くなったのかもしれません。著者は市場平均を1%を上回ることは可能だと考えており、そこにこそ日本の金融工学の役割があると考えています。たしかに製造業が衰退する中で、金融が新しい「エンジニアリング・製造業」としての役割を果たすであろうということは説得力のあるシナリオです。そしてそこでは工学的な世界、人間観が見事にフィットするであろうことは言うまでもありません。しかし日本の金融工学者にも、その世界観への根本的な疑念や懐疑はありません。強欲ではない日本のエンジニアにとっては数学はもっと「美しい」のでしょう。
2009年11月18日に日本でレビュー済み
世界的に有名な金融工学者は、実は強欲であるという事実に驚いた。アメリカでは、金儲けをしない金融工学者は歌を忘れたカナリアと同じだそうだ。
金融に関心があれば、数式がわからなくても十分楽しめる読み物である。
金融に関心があれば、数式がわからなくても十分楽しめる読み物である。
2010年10月12日に日本でレビュー済み
著者は2005年に金融工学の歴史とともに自らのあゆみを振り返った『金融工学20年』という快著を出し、そこで締めくくるやいなや、金融工学は今回の金融危機で悪役を担わされることとなった。
前著と重なる部分はかなり見られるが(『金融工学の挑戦』との重複もあり、新しいところはそう多くはない)、今回の危機でを踏まえたこの本では、MBAや彼らに代表されるアメリカ人のマインドが俎上に加わった。
金融工学、あるいは経済学がメディアや与野党から糾弾される昨今の状況において、「学」自体に対する擁護というところでは、多くの(普通の)経済学者が行っているものとこの本で金融エンジニアである著者のそれはそう変わらない(ただし、経済政策に対する考え方は大きく異なる)。それは至極まっとうなものである。しかし、批判があるのも当然だ。著者自身も、かつてのバブルであれ、今回の危機であれ、規制によって早めに手を打つべきだったと言っているのだから。
前著と重なる部分、今回の危機を説明した多くの本と重なる部分は多いが、どちらも既に読まれているのでなければ、なかなか表に出てこないエンジニアの手によるこの本を面白く読むことができる人は多いだろう。
前著と重なる部分はかなり見られるが(『金融工学の挑戦』との重複もあり、新しいところはそう多くはない)、今回の危機でを踏まえたこの本では、MBAや彼らに代表されるアメリカ人のマインドが俎上に加わった。
金融工学、あるいは経済学がメディアや与野党から糾弾される昨今の状況において、「学」自体に対する擁護というところでは、多くの(普通の)経済学者が行っているものとこの本で金融エンジニアである著者のそれはそう変わらない(ただし、経済政策に対する考え方は大きく異なる)。それは至極まっとうなものである。しかし、批判があるのも当然だ。著者自身も、かつてのバブルであれ、今回の危機であれ、規制によって早めに手を打つべきだったと言っているのだから。
前著と重なる部分、今回の危機を説明した多くの本と重なる部分は多いが、どちらも既に読まれているのでなければ、なかなか表に出てこないエンジニアの手によるこの本を面白く読むことができる人は多いだろう。
2009年10月21日に日本でレビュー済み
金融工学は何をしてきたのか、というタイトル通りの本。金融(ごとき)に崇高なる「工学」を称させることは不適切・・・という冷たい視線を浴びながら、金融工学と格闘してきた著者の金融工学論は、静かに熱く、一気に読める。いくつかよくわからないところもあったが、それを差し引いても「読ませる本」だと思う。金融工学の限界や、金融工学を使っている(と称している?)人たちの怪しさは、実に興味深い。
金融工学は、世間のトレンドによって大きくその必要性が喧伝されたり、蔑視されたりと紆余曲折である。その一方で、金融工学によってさまざまな金融商品があらわれ、利便性も危険性も倍増したことも事実。リスクヘッジのためのサイエンスという科学的な側面と、強欲へと人をいざなう魔力的な側面をあわせもつ金融工学の魅力を感じることができる。
金融工学は、世間のトレンドによって大きくその必要性が喧伝されたり、蔑視されたりと紆余曲折である。その一方で、金融工学によってさまざまな金融商品があらわれ、利便性も危険性も倍増したことも事実。リスクヘッジのためのサイエンスという科学的な側面と、強欲へと人をいざなう魔力的な側面をあわせもつ金融工学の魅力を感じることができる。
2010年2月22日に日本でレビュー済み
日本の金融工学のパイニア的存在である今野浩氏の最新著作。リーマンショック後に再び勢いを増した金融工学悪者論に対する今野先生の反論の書とも言えるだろう。前著『金融工学の挑戦』も構成と筆力の見事さに唸らされたが、本著もまた見事。物書きとしても一級の方だと再認識した。また、どのような分野であれ、第一級の研究者は語りには鋭くも豊かな知性が感得できる。本書を通して、金融工学研究に対するゆるぎない信念を披露しつつ、「これまでアメリカ的経営や市場万能主義の先頭に立ってきた人が、“ザンゲの書”なるものを出版している」(p.32)と、金融危機の余波で学問的危機にも陥る一部の学者の節操のなさを難じている。この一文を読んで「私は懺悔の気持ちをもってこの本を書いた」と臆面もなく宣伝してベストセラーをものにしたI.N氏を思い出した。無謀な投資を煽る似非投資指南本が氾濫する中で、一人でも多くの若者、ビジネスパースンに本書を読んで、投資の世界を冷静に見つめる眼を養ってほしい。