公教育が150年前にスタートし、現在に至るなかでいかに変わらなさすぎか、これからも公教育はどういうあり方がよいのかをわかりやすく示唆している内容です。
公教育前の保育業界に身を置いていますが、小学校に進む
子どもたちのために保育もどういうあり方がよい保育なのかを考えるきっかけとなりました。
苫野先生の本は、どれもわかりやすくおすすめです!
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勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方 単行本(ソフトカバー) – 2013/8/21
苫野一徳
(著)
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「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」――この問いに、絶対的な「正解」はたぶんない。
「いい大学や会社に入るため」「忍耐力をつけるため」「論理的思考力をはぐくむため」……いろいろ答えは返ってくるだろうけれど、どれが正解というわけじゃない。どれもある程度正しいように思うけど、また同時に、どれもちょっと違う気もしてしまう。
こうした「正解」のない、でもなんらかの「答え」がほしい問題の数々をとにかくひたすら考えつづけてきたのが、「哲学者」と呼ばれる人たちです。哲学こそが、「正解」のないさまざまな問いに、「なぁるほど、そう考えればたしかに納得できるな」という「納得解」を与えてきたものなのです。
本書では、「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」という問いに、彼ら哲学者たちが(2500年もの長きにわたって! )積み上げてきたものをぞんぶんに駆使して、答えていくことにしたいと思います。(はじめにより)
「いい大学や会社に入るため」「忍耐力をつけるため」「論理的思考力をはぐくむため」……いろいろ答えは返ってくるだろうけれど、どれが正解というわけじゃない。どれもある程度正しいように思うけど、また同時に、どれもちょっと違う気もしてしまう。
こうした「正解」のない、でもなんらかの「答え」がほしい問題の数々をとにかくひたすら考えつづけてきたのが、「哲学者」と呼ばれる人たちです。哲学こそが、「正解」のないさまざまな問いに、「なぁるほど、そう考えればたしかに納得できるな」という「納得解」を与えてきたものなのです。
本書では、「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」という問いに、彼ら哲学者たちが(2500年もの長きにわたって! )積み上げてきたものをぞんぶんに駆使して、答えていくことにしたいと思います。(はじめにより)
- 本の長さ207ページ
- 言語日本語
- 出版社日本評論社
- 発売日2013/8/21
- 寸法13 x 1.8 x 18.8 cm
- ISBN-104535563292
- ISBN-13978-4535563292
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商品の説明
著者について
苫野一徳(とまの・いっとく)
1980年生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員(PD)、早稲田大学非常勤講師。専攻は哲学・教育学。著書に『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)など。
1980年生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員(PD)、早稲田大学非常勤講師。専攻は哲学・教育学。著書に『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)など。
登録情報
- 出版社 : 日本評論社 (2013/8/21)
- 発売日 : 2013/8/21
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 207ページ
- ISBN-10 : 4535563292
- ISBN-13 : 978-4535563292
- 寸法 : 13 x 1.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 23,049位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,131位教育学一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2024年3月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
子育てのなかで、誰しも子どもに「どうして勉強しなくちゃいけないの?」と聞かれると思います。
実際私もそうで、うまく答えられませんでした。
そこで本著を手に取りました。
勉強するのは〜だから!とズバッと書いてくれているのかと思いきやそうではありませんでした。
著者が伝えたかったことは、
どんな事象にも、自分なりの正解があるということ。
そして、自分なりの生き方を探そうとするとき
今まで学んだことや問題解決力、他者と学び合う中で培ったコミュニケーション能力が活きてくる、ということなのかなと思いました。
この本を読んでみて、タイトルに対しての
正解を書いてくれてなくてよかったと思います。
そうじゃないと、それこそ「一般化のワナ」にはまってしまいます。
勉強は役立つときがくるかもしれないし、役に立たないままかもしれない。
それでも勉強していれば、良かったと思えることが人生の中でひとつは必ずあるはず。
教養があるとは、「①が正解で②は不正解」と決めることではなく
「①が正解だと思う人もいるし、②が正解だと思う人もいる」と想像力を働かせることができる人、なのかもしれません。
実際私もそうで、うまく答えられませんでした。
そこで本著を手に取りました。
勉強するのは〜だから!とズバッと書いてくれているのかと思いきやそうではありませんでした。
著者が伝えたかったことは、
どんな事象にも、自分なりの正解があるということ。
そして、自分なりの生き方を探そうとするとき
今まで学んだことや問題解決力、他者と学び合う中で培ったコミュニケーション能力が活きてくる、ということなのかなと思いました。
この本を読んでみて、タイトルに対しての
正解を書いてくれてなくてよかったと思います。
そうじゃないと、それこそ「一般化のワナ」にはまってしまいます。
勉強は役立つときがくるかもしれないし、役に立たないままかもしれない。
それでも勉強していれば、良かったと思えることが人生の中でひとつは必ずあるはず。
教養があるとは、「①が正解で②は不正解」と決めることではなく
「①が正解だと思う人もいるし、②が正解だと思う人もいる」と想像力を働かせることができる人、なのかもしれません。
2020年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
答えなんてないんだろう?と疑いつつ読み始め、ついつい一気読み。分かりやすく、心にストンと落ちてきました。出会えて良かった一冊となりました。
2019年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
普段教えることを仕事としている身としては、
考えさせられる内容でした。
自由の相互承認という考え方、これはまさにこれからの社会においてベースになる考え方だと思いました。
考えさせられる内容でした。
自由の相互承認という考え方、これはまさにこれからの社会においてベースになる考え方だと思いました。
2022年1月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
勉強するの何のため?
教育に関する議論がなぜ平行線を辿るのか、その”ワナ”に関する話からスタートする。
教育は誰もが経験しているからこそ、誰もが語れる
そして、過度な一般化によって、議論が平行線を辿る
また、二者択一の問い方によって、惑わされてしまう
これらの前提からスタートすることで、著者の教育、学校、勉強に対する提案がブレずに受け止められる。
著者が提案する”納得解”は、目新しさがあるわけではない。
一方で、なぜ勉強するのかの、の問いをはぐらかされてきた小中学生にとっては、救いになるかもしれない。
期待はずれというよりは、可なく不可もなく、でも小中学生には良さげだな、という印象。
もし、著者が示す”納得解”に関する問いをもう少し具体化して、読者自身が暫定解を作れるような展開になっていたら、★4つ、
その暫定解によって、これまでの自身の経験を捉え直す体験ができたら★5つ、などと想像してみた。
読みやすさと提案の受けとめやすさはあるが、刺激と目新しさは少なく、★3つ。
勉強するの何のため?
この問い・疑問を持つのはなぜか、
この問い・疑問を持つのはどんな人か、
個人的にはそこから掘り下げたい。
誰しもが問う疑問だろうか?
いつでも問う疑問だろうか?
どんなときにこの疑問を持つのか?
ここで言われる「勉強」は何を指すのか?
そんなツッコミを入れたら、この問い・疑問をもつ子どもたち(いや、大人を含んでものよい)と共に、一歩掘り下げて考えられるのではないかなと思う。
そうだ、この本を読んで、もやっとしたのは、著者が”納得解”を提示して、「それを納得してくれたら」と締め括っている点だ。
もちろん、度々「これは絶対的な正解ではない」と断っているが、なんだかそれが、敷かれた線路を進めてさせられるような感覚があり、もやっとしてしまった。
やはり「教育書」は苦手だ。
教育に関する議論がなぜ平行線を辿るのか、その”ワナ”に関する話からスタートする。
教育は誰もが経験しているからこそ、誰もが語れる
そして、過度な一般化によって、議論が平行線を辿る
また、二者択一の問い方によって、惑わされてしまう
これらの前提からスタートすることで、著者の教育、学校、勉強に対する提案がブレずに受け止められる。
著者が提案する”納得解”は、目新しさがあるわけではない。
一方で、なぜ勉強するのかの、の問いをはぐらかされてきた小中学生にとっては、救いになるかもしれない。
期待はずれというよりは、可なく不可もなく、でも小中学生には良さげだな、という印象。
もし、著者が示す”納得解”に関する問いをもう少し具体化して、読者自身が暫定解を作れるような展開になっていたら、★4つ、
その暫定解によって、これまでの自身の経験を捉え直す体験ができたら★5つ、などと想像してみた。
読みやすさと提案の受けとめやすさはあるが、刺激と目新しさは少なく、★3つ。
勉強するの何のため?
この問い・疑問を持つのはなぜか、
この問い・疑問を持つのはどんな人か、
個人的にはそこから掘り下げたい。
誰しもが問う疑問だろうか?
いつでも問う疑問だろうか?
どんなときにこの疑問を持つのか?
ここで言われる「勉強」は何を指すのか?
そんなツッコミを入れたら、この問い・疑問をもつ子どもたち(いや、大人を含んでものよい)と共に、一歩掘り下げて考えられるのではないかなと思う。
そうだ、この本を読んで、もやっとしたのは、著者が”納得解”を提示して、「それを納得してくれたら」と締め括っている点だ。
もちろん、度々「これは絶対的な正解ではない」と断っているが、なんだかそれが、敷かれた線路を進めてさせられるような感覚があり、もやっとしてしまった。
やはり「教育書」は苦手だ。
2019年12月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学の考えを用いて、なぜ勉強するのか?ということだけでなく学校の必要性、なぜいじめは起こるのか?など教育論が書かれており非常に勉強になった
2023年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自由を相互承認する。学び方も違っていいし、選択枠が沢山あるような環境づくりは大切。我々大人が変わらなきゃ。
2021年12月26日に日本でレビュー済み
「教育」というのは、とかく対立の多いテーマ。
「いい大学に行っていい仕事につくためだ」という人がいれば、「そんな目的くだらない」という人もいる。
「社会に必要な人材を育てるという人がいれば、「社会のためじゃなくて一人ひとりの子どものためなんだ」という人もいる。
「結局学校の勉強なんて何の意味もない」という人もいれば、「いやいや、やっぱりしなきゃいけないものはしなきゃいけないものなんだ」という人もいる。
なぜそんなことが起こるのか。 全員がそれぞれの「教育」を受け、さまざまな感情を抱くからではないだろうか?
わたしたちは、「あちらとこちら、どちらが正しいか?」と問われると、思わず、どちらかが正しいんじゃないかと思ってしまう傾向がある。
「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」 には 「唯一絶対の正解」なんてない。
まずは徹底的に考えるべきは、「自分にとっての正解」。
「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」と問うよりは、「自分はどういう時に勉強する意味を感じられるんだろう?」と問うこと。
今の学校では、「何を勉強すべきかを、全部決められてしまっています。しかもそれを、評価までされてしまう⋯⋯。そんな受け身で強制的な勉強に、「意味がある」とか、「これで〈自由〉になれる」とか、なかなか思えるものではありません。」と筆者は指摘している。
「わたしが見ている青と他人が見ている青がまったく同じ色かどうか、わたしにはけっしてわからない。だって、わたしはほかの人じゃないから、そのとう見えているかなんて、どうがんばったってわかるわけがない。〜自分が見ているものが、この見えているままに存在しているか実はけっしてわからないのだ、と。一話一絶対の正一なんて(わから)ないのです。」
「ケンカしたり、馬の合わない仲間と問題を起こしたりした時に、すぐに、 親や先生が、「なんでそんなことしたのか!」、〜時と場合によっては、それは、子どもたちが〈自由の相互承認》 をみずからはぐくもうとする機会を、奪ってしまうことにもなるのです。」
「学校が〈自由の相互承認 の土台だからです。 子どもたちに、〈自由の相互承認 の感度をはぐくむ場所だからです。 〈自由の相互承認 とは、お互いがお互いに自由な存在であるということを、まずは いったんルールとして認め合うということです。 そのための最低条件は、お互いけっして暴力には訴えないということです。」
「でもどうでしょう。「グループを組む」とか「グループ学習」とか聞くと、 「うっ」と身構えてしまう人も多いんじゃないでしょうか? 〜この言葉がおそろしいのは、クラス内の人間関係が、その瞬間あからさま に目に見えてしまうからです。あの子とあの子は友だちで、あの子は友だち がほとんどいない、といったことが、 一瞬にしてみんなの目に見えてしまう のです。 」
イリッチ「脱学校論」
学校は、学ぶべきことや学びの方法、何に価値があって何に価値 がないかといったことなどを、全部独り占めにしてしまっている場所である、と彼は述べました。本来、学ぶべきことや価値のあることって、 一人ひとり違うはず。なんでみんながみんな、 一緒くたにされて同じことを同じようなしかたで学ばなけ ればならないんだろう?学校をなくしてしまおう! イリッチはそう主張しました。
そのアイデアは、「学習のためのネットワーク」とか、「オポチュニティ・ウェブ (機会の網の目)」とかいわれています。まさにインターネットの発想です。 学びの機会を、学校に独占させるのじゃなく、社会の中でネットワーク化するので す。そして子どもたちはそのネットワークの中で、自分に合ったもの、自分に必要な ものを、みずから学んでいく。
ネットだけでなく、YouTubeやKindleで身近に学べることが多い時代。そんな時代だからこそ、わたしたちは「教育」のあり方を考え続けなければいけないと思います。この本はその助けになります。私は教育者を志していますが、そんなことは関係なく、読むべき本だと思います。ぜひ読んでください。
「いい大学に行っていい仕事につくためだ」という人がいれば、「そんな目的くだらない」という人もいる。
「社会に必要な人材を育てるという人がいれば、「社会のためじゃなくて一人ひとりの子どものためなんだ」という人もいる。
「結局学校の勉強なんて何の意味もない」という人もいれば、「いやいや、やっぱりしなきゃいけないものはしなきゃいけないものなんだ」という人もいる。
なぜそんなことが起こるのか。 全員がそれぞれの「教育」を受け、さまざまな感情を抱くからではないだろうか?
わたしたちは、「あちらとこちら、どちらが正しいか?」と問われると、思わず、どちらかが正しいんじゃないかと思ってしまう傾向がある。
「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」 には 「唯一絶対の正解」なんてない。
まずは徹底的に考えるべきは、「自分にとっての正解」。
「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」と問うよりは、「自分はどういう時に勉強する意味を感じられるんだろう?」と問うこと。
今の学校では、「何を勉強すべきかを、全部決められてしまっています。しかもそれを、評価までされてしまう⋯⋯。そんな受け身で強制的な勉強に、「意味がある」とか、「これで〈自由〉になれる」とか、なかなか思えるものではありません。」と筆者は指摘している。
「わたしが見ている青と他人が見ている青がまったく同じ色かどうか、わたしにはけっしてわからない。だって、わたしはほかの人じゃないから、そのとう見えているかなんて、どうがんばったってわかるわけがない。〜自分が見ているものが、この見えているままに存在しているか実はけっしてわからないのだ、と。一話一絶対の正一なんて(わから)ないのです。」
「ケンカしたり、馬の合わない仲間と問題を起こしたりした時に、すぐに、 親や先生が、「なんでそんなことしたのか!」、〜時と場合によっては、それは、子どもたちが〈自由の相互承認》 をみずからはぐくもうとする機会を、奪ってしまうことにもなるのです。」
「学校が〈自由の相互承認 の土台だからです。 子どもたちに、〈自由の相互承認 の感度をはぐくむ場所だからです。 〈自由の相互承認 とは、お互いがお互いに自由な存在であるということを、まずは いったんルールとして認め合うということです。 そのための最低条件は、お互いけっして暴力には訴えないということです。」
「でもどうでしょう。「グループを組む」とか「グループ学習」とか聞くと、 「うっ」と身構えてしまう人も多いんじゃないでしょうか? 〜この言葉がおそろしいのは、クラス内の人間関係が、その瞬間あからさま に目に見えてしまうからです。あの子とあの子は友だちで、あの子は友だち がほとんどいない、といったことが、 一瞬にしてみんなの目に見えてしまう のです。 」
イリッチ「脱学校論」
学校は、学ぶべきことや学びの方法、何に価値があって何に価値 がないかといったことなどを、全部独り占めにしてしまっている場所である、と彼は述べました。本来、学ぶべきことや価値のあることって、 一人ひとり違うはず。なんでみんながみんな、 一緒くたにされて同じことを同じようなしかたで学ばなけ ればならないんだろう?学校をなくしてしまおう! イリッチはそう主張しました。
そのアイデアは、「学習のためのネットワーク」とか、「オポチュニティ・ウェブ (機会の網の目)」とかいわれています。まさにインターネットの発想です。 学びの機会を、学校に独占させるのじゃなく、社会の中でネットワーク化するので す。そして子どもたちはそのネットワークの中で、自分に合ったもの、自分に必要な ものを、みずから学んでいく。
ネットだけでなく、YouTubeやKindleで身近に学べることが多い時代。そんな時代だからこそ、わたしたちは「教育」のあり方を考え続けなければいけないと思います。この本はその助けになります。私は教育者を志していますが、そんなことは関係なく、読むべき本だと思います。ぜひ読んでください。