1948年にデビューし、高い評価を受けながらも天城一名義の単著のなかった「幻の探偵作家」が2004年に発表した本書は、濃密な密室ミステリの作品と評論から成る、傑作と言えます。
本書は、3つのパートから成ります。
パート1とパート2は、「密室犯罪学教程」の「実践編」と「理論編」という照応した構成で、パート2で論説する9つの密室トリックの分類に対応したミステリ小説10作品が、パート1に掲載されています。
読者の側から見ると、パート1で密室ミステリ10作品を満喫した後、その小説が密室トリックのどこに分類され、位置づけられているのか、パート2で講義を受けられるという仕組みです。
パート2「理論編」の分類については、異論も多々あると思われますが、何と言っても、パート1「実践編」でそのトリックが「推理クイズ」ではなく、「小説」として成立していることを実証しているのが、実作者ならではの強みと言えましょう。
パート2を読むと、パート1の作品をもう一度読み返したくなり、その作品の質の高さに驚嘆することとなります。
パート3の「毒草/摩耶の場合」は、デビュー作【不思議の国の犯罪】を含む、名探偵・摩耶正の活躍する10の短編から成る章です。
この諸作のうち、最高傑作は、と言えば、やはり【高天原の犯罪】を挙げざるを得ないでしょう。
じつは、この作品については、パート2の中で、海外のある古典的名作を意識して書かれたものだ、として、トリックの核心部分に触れた記述があるのですが、それでも素晴らしい作品だと感じました。
日本人でしか書けない、極めて社会風刺に満ちた作品として、後世に残る傑作であることは間違いありません。
極力無駄を省き、ロジックに徹した独特の文体は、正直なところ、「難解」な部類に入るものと言えますが、ミステリをある程度読み馴らしている方には、是非とも読んでいただきたい、濃密な1冊です。
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天城一の密室犯罪学教程 単行本 – 2004/5/1
- 本の長さ455ページ
- 言語日本語
- 出版社日本評論社
- 発売日2004/5/1
- ISBN-104535583811
- ISBN-13978-4535583818
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
理論と実践で提示する「本格推理の真髄」がここにある! デビューから57年目にして初めて刊行される「幻の探偵作家」天城一の短篇集。摩耶正シリーズ全短篇も収録する。
登録情報
- 出版社 : 日本評論社 (2004/5/1)
- 発売日 : 2004/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 455ページ
- ISBN-10 : 4535583811
- ISBN-13 : 978-4535583818
- Amazon 売れ筋ランキング: - 907,173位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 248,091位文学・評論 (本)
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2010年12月6日に日本でレビュー済み
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2013年7月22日に日本でレビュー済み
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なかなか手に入らないと言っていた人にプレゼントしました!
とても喜ばれたので、私も大満足です。
とても喜ばれたので、私も大満足です。
2011年4月28日に日本でレビュー済み
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密室殺人ものの各種パターンを分析して、実際に作品を例示する体裁でかかれている短篇集である。天城作品は、アンソロジで2つほど(「不思議の国の犯罪」と「圷家の殺人」)読んだことがある程度だが、寡作で有名な密室もの作家として有名だ。
ちゃんとした分量の単行本だけあって、中身は実に濃い。収録されている短篇作品も、説明的な文章が非常にシンプルなので、しっかり読まないと状況を読みおとしかねないほど。少なくともビールなぞ飲みながら読む本ではない。といって、黒死館…のような読者を煙に巻く系では決してない。ちゃんと論理的なのだ。
中盤の密室犯罪についての分析は、まあ、カーとか乱歩とかの延長線上ともいえる。ちなみにこの章には、古今東西の有名な名作密室もの作品のネタばらしがいくつか含まれているので、未読の人は注意が必要。(もっとも、有名な密室ものを多量に読み込んでいるような人じゃないと、この本を手に取ることは無いような気もしますが。)本書はそういう意味でも、それなりにマニアックな本とも言えるでしょう。
ちゃんとした分量の単行本だけあって、中身は実に濃い。収録されている短篇作品も、説明的な文章が非常にシンプルなので、しっかり読まないと状況を読みおとしかねないほど。少なくともビールなぞ飲みながら読む本ではない。といって、黒死館…のような読者を煙に巻く系では決してない。ちゃんと論理的なのだ。
中盤の密室犯罪についての分析は、まあ、カーとか乱歩とかの延長線上ともいえる。ちなみにこの章には、古今東西の有名な名作密室もの作品のネタばらしがいくつか含まれているので、未読の人は注意が必要。(もっとも、有名な密室ものを多量に読み込んでいるような人じゃないと、この本を手に取ることは無いような気もしますが。)本書はそういう意味でも、それなりにマニアックな本とも言えるでしょう。
2006年10月20日に日本でレビュー済み
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無駄が無いゆえに難しいという作品が多く、時代性の格差や強引な展開もある為、中級者以上向けの上に人を選びます。しかしそれでも、密室好きの方には絶対に一度は読んで欲しいと思います。
ただ残念なのは分類方法がまだ発展途上であることで、特に「機械密室」の「機械を使ったら機械密室」というような分類方法は強引です。「外から機械トリックで鍵を閉め密室を完成させる」のと「機械の遠隔操作で密室内の人物を殺す」のを同じタイプとして分類すべきではないでしょう。
「機械密室」の作例として挙げた作者自身の作品を見ても、分類的には抜け穴から凶器が入ってきて、そして出ていく(密室からの凶器の消失)という「抜け穴密室」且つ「逆密室(−)」であるはずで、作者もこの辺には混乱があるのでは。
また密室の最高峰「超純密室」を”意識下の密室”と定義したところまでは素晴らしいのですが、それを実際に小説に取り入れると自然と持ち上がる探偵側の問題に対しての、解決方法を提示できていません。
超純密室が”人の意識だけ”を利用したものである以上トリックを使った証拠などどこにも存在するはずはなく、従って推理で説明がつけられたとしても実際に逮捕することなど不可能なはずなのですが、作者自身の作例や後半に収録されているある作品では、強引に解決してしまいます。
もし犯人が「証拠を示せ」と言ったら、その時点で探偵側の完敗だったでしょう。
とは言え以上の不満な点は不出来な読者である僕がよい教程を受けたお蔭で抱くようになったもので、以前なら「へー」と言って終わりだったと思います。
ただ残念なのは分類方法がまだ発展途上であることで、特に「機械密室」の「機械を使ったら機械密室」というような分類方法は強引です。「外から機械トリックで鍵を閉め密室を完成させる」のと「機械の遠隔操作で密室内の人物を殺す」のを同じタイプとして分類すべきではないでしょう。
「機械密室」の作例として挙げた作者自身の作品を見ても、分類的には抜け穴から凶器が入ってきて、そして出ていく(密室からの凶器の消失)という「抜け穴密室」且つ「逆密室(−)」であるはずで、作者もこの辺には混乱があるのでは。
また密室の最高峰「超純密室」を”意識下の密室”と定義したところまでは素晴らしいのですが、それを実際に小説に取り入れると自然と持ち上がる探偵側の問題に対しての、解決方法を提示できていません。
超純密室が”人の意識だけ”を利用したものである以上トリックを使った証拠などどこにも存在するはずはなく、従って推理で説明がつけられたとしても実際に逮捕することなど不可能なはずなのですが、作者自身の作例や後半に収録されているある作品では、強引に解決してしまいます。
もし犯人が「証拠を示せ」と言ったら、その時点で探偵側の完敗だったでしょう。
とは言え以上の不満な点は不出来な読者である僕がよい教程を受けたお蔭で抱くようになったもので、以前なら「へー」と言って終わりだったと思います。
2013年1月11日に日本でレビュー済み
ようするに、密室トリックを崇拝するな、と天城はのべているのだ。
その在り方(構造)を把握すれば、いくらでも(粗)製(濫)造できる。そもそも戦前、不可能犯罪の様相をていすこのいちアイディアは、トリックとは称せられなかった。いまそれは探偵小説の神殿の最奥にすえられたかのようである。だがこれは、密室をトリックとして蒐集、分類を指揮した天才乱歩の宣伝によるのだ。さらにいえば、探偵小説はトリックが命、とテーゼをかかげた乱歩の罪というべきものである。そしてこのことは、大衆社会のいち文芸たる探偵小説の変遷(頽落)の一因ともなった。かような信念にもとづき、密室の作り方(作法)という観点から形式化、その分類を試みたのが、本書の「密室犯罪学教程 理論編」となる。
つまり「概ねその要領を会得させる」目的である「教程」の語の使用には、ある韜晦がひそんでいるのだ。端的にいえば密室「批判」である。特殊に祭りあげられた密室トリックは、諸形式の変奏、変種に還元できる。トリックを弄す(作り、解く)鋭敏な頭脳をもつものたちの特権神話(犯人、探偵、作家)は、ある構造に則ったものにすぎないとあかされる。聖別され特権化されたトリックの種をあかす(脱神秘化)。さらにいえば、その神話下では、読者はたんにトリックに操作(騙)されるものと見下されていたのだ。ほんらい読者は、不可解な謎を介して参加する、そこに意義をもつ大衆社会における自由な文芸であったはずだ。その参加とは、懐疑や批判(吟味)という自由な(科学的)精神の涵養につながっていなくてはならない。以上は「教程」の「序説」のさらに前段、乱歩批判たる「献詞」を参照すれば導きだせよう。
乱歩批判という意図にふれておけば、天才乱歩はかつてありえた、身を以て実践もした、読者の参加を構造化した、探偵小説の溌溂たる精神(科学性と文学性の止揚)を、トリック崇拝へと狭量化し、さらに趣味(美学)化したのだと断じられる。乱歩はこの堕落のなかでアイロニカルに耽美主義にすすむ。むろんこの事態は、ベンヤミンのいう政治の美学化と軌を一にしている。大衆をサド・マゾ的に操作(煽情)するファシズムの趨勢と同じゆうしていたのだった。
本書はかような文脈における密室批判である。このことをぬきに読めば、ぎゃくに読者は密室(という美学)の無意識の囚人となるだろう。この強烈な、チェスタトン流の逆説に気づかなければ、密室崇拝の「高天原」のなかで、そのメルヘンに遊ぶ=弄ばれることになる。そういう意味での「批判」なのだ。
天城によれば、本文の諸分類を越える密室トリックはもはやありえないということになる。その臨界が「超純密室」である。以上で証明終わり。語りえぬものは沈黙を。このようなロックされた密室時空をかれはメルヘンとよぶ。明晰な頭脳をもつなら手間のかかる密室殺人など犯さない。だがそんな頭脳がなければ密室殺人は犯せない。社会性とは隔絶したメルヘン(小さな物語)としてしか、こんなパラドクスは存在できないという。
そんな密室批判として書かれた処女作のひとつが「不思議の国の犯罪」であった。だがその意に反してそれは密室物の秀作とされてしまう。この皮肉から、つまりこの苦い勝利から、天城の本格的な密室批判=実作がはじまる。そのアイロニカルな性格を体現したのが警句家たる探偵摩耶正となる。その道は、密室を崇拝する欲望をパロディ化し、メルヘンの児戯さがそのまま切実な、社会的にリアルな動機となる傑作「明日のための犯罪」を経由して、その頂点、超純密室たる「夏の時代の犯罪」及び「高天原の犯罪」となるわけである。明らかなものは見えない。空気は見えない。これは無意識の密室といってよいだろう。さらにいえばイデオロギーの密室である。ここにおいてメルヘンたる密室が風刺という社会性を獲得するという皮肉に、遭遇することになる。
理論と実践(実作)を止揚した論文=小説「盗まれた手紙」を参照するならば、この「密室犯罪学教程理論編」は「実践編」たる諸短編を対応させるまでもなく、理論編じたいで密室トリックを閉じ、かつその全容を明かし解いた実践といってよかろう。この批判精神を会得することが「教程」のアプリオリな目的というべきだから。おそらくそれは、事実確認的に閉じた密室を、パフォーマティブに開く道すじをしめしているといいかえてよいとおもう。そこでメルヘン密室は社会性をえて、もっと自由なアイディアとして再生するのだと、わたしはおもう。
たとえば風太郎『誰にでもできる殺人』や横山秀夫『第三の時効』の「密室の抜け穴」はパフォーマティブな密室を活用した傑作といえる。また中井英夫『虚無への供物』も、わたしにとってはそのような傑作となる。
さてさらに贅言すれば、密室というトリックの聖別をかように批判してのちの余儀としてだが、密室は次のように構造分析することもできる。犯人、被害者、目撃者、探偵という四つのファクターを抽出し、それぞれに作為と不作為の性格をあたえるのだ。各点を結んだ四角形から分析の地図が描けるかもしれない。
とまれ、天城一単独の実質的処女作品集がこの密室ものであり、そのトリックの理論的、実践的な精華であるかのように喧伝されているというのは、この徹底的で分厚き質実をもってしても、処女短編「不思議の国の犯罪」の苦い勝利、甘い敗北の域をでていないというべきであろうか。本書は密室批判に動機づけられた密室もの、であると繰り返しておく。この批判精神という目に見えぬ出口をみないと、ひとはふたたび密室に閉じこめられるだろう。
小説という点でみれば、第二巻アリバイものが圧倒的に優れている。それはアリバイトリックが、という意味ではない。探偵小説はいちトリックの新奇さ、偏屈さにだけ命をもつのではないのだ。むしろ天城が積極的にこだわったのは「動機」であり、その「権力への意志」であるといってよく、そこで頻出するのが「自殺」となる。そして探偵たちは平凡人であり、試行錯誤しながらときに偶然に、ときに皮肉なかたちで事件を解決する。そしてときに解決に頓挫する。鉄道の時刻表をたどるアリバイの、無数の数字の社会性を糸口にして、参加というアンガージュマンのさまざまな諸相を描いたのである。探偵小説はそのように開かれてなければならないのだ。
その在り方(構造)を把握すれば、いくらでも(粗)製(濫)造できる。そもそも戦前、不可能犯罪の様相をていすこのいちアイディアは、トリックとは称せられなかった。いまそれは探偵小説の神殿の最奥にすえられたかのようである。だがこれは、密室をトリックとして蒐集、分類を指揮した天才乱歩の宣伝によるのだ。さらにいえば、探偵小説はトリックが命、とテーゼをかかげた乱歩の罪というべきものである。そしてこのことは、大衆社会のいち文芸たる探偵小説の変遷(頽落)の一因ともなった。かような信念にもとづき、密室の作り方(作法)という観点から形式化、その分類を試みたのが、本書の「密室犯罪学教程 理論編」となる。
つまり「概ねその要領を会得させる」目的である「教程」の語の使用には、ある韜晦がひそんでいるのだ。端的にいえば密室「批判」である。特殊に祭りあげられた密室トリックは、諸形式の変奏、変種に還元できる。トリックを弄す(作り、解く)鋭敏な頭脳をもつものたちの特権神話(犯人、探偵、作家)は、ある構造に則ったものにすぎないとあかされる。聖別され特権化されたトリックの種をあかす(脱神秘化)。さらにいえば、その神話下では、読者はたんにトリックに操作(騙)されるものと見下されていたのだ。ほんらい読者は、不可解な謎を介して参加する、そこに意義をもつ大衆社会における自由な文芸であったはずだ。その参加とは、懐疑や批判(吟味)という自由な(科学的)精神の涵養につながっていなくてはならない。以上は「教程」の「序説」のさらに前段、乱歩批判たる「献詞」を参照すれば導きだせよう。
乱歩批判という意図にふれておけば、天才乱歩はかつてありえた、身を以て実践もした、読者の参加を構造化した、探偵小説の溌溂たる精神(科学性と文学性の止揚)を、トリック崇拝へと狭量化し、さらに趣味(美学)化したのだと断じられる。乱歩はこの堕落のなかでアイロニカルに耽美主義にすすむ。むろんこの事態は、ベンヤミンのいう政治の美学化と軌を一にしている。大衆をサド・マゾ的に操作(煽情)するファシズムの趨勢と同じゆうしていたのだった。
本書はかような文脈における密室批判である。このことをぬきに読めば、ぎゃくに読者は密室(という美学)の無意識の囚人となるだろう。この強烈な、チェスタトン流の逆説に気づかなければ、密室崇拝の「高天原」のなかで、そのメルヘンに遊ぶ=弄ばれることになる。そういう意味での「批判」なのだ。
天城によれば、本文の諸分類を越える密室トリックはもはやありえないということになる。その臨界が「超純密室」である。以上で証明終わり。語りえぬものは沈黙を。このようなロックされた密室時空をかれはメルヘンとよぶ。明晰な頭脳をもつなら手間のかかる密室殺人など犯さない。だがそんな頭脳がなければ密室殺人は犯せない。社会性とは隔絶したメルヘン(小さな物語)としてしか、こんなパラドクスは存在できないという。
そんな密室批判として書かれた処女作のひとつが「不思議の国の犯罪」であった。だがその意に反してそれは密室物の秀作とされてしまう。この皮肉から、つまりこの苦い勝利から、天城の本格的な密室批判=実作がはじまる。そのアイロニカルな性格を体現したのが警句家たる探偵摩耶正となる。その道は、密室を崇拝する欲望をパロディ化し、メルヘンの児戯さがそのまま切実な、社会的にリアルな動機となる傑作「明日のための犯罪」を経由して、その頂点、超純密室たる「夏の時代の犯罪」及び「高天原の犯罪」となるわけである。明らかなものは見えない。空気は見えない。これは無意識の密室といってよいだろう。さらにいえばイデオロギーの密室である。ここにおいてメルヘンたる密室が風刺という社会性を獲得するという皮肉に、遭遇することになる。
理論と実践(実作)を止揚した論文=小説「盗まれた手紙」を参照するならば、この「密室犯罪学教程理論編」は「実践編」たる諸短編を対応させるまでもなく、理論編じたいで密室トリックを閉じ、かつその全容を明かし解いた実践といってよかろう。この批判精神を会得することが「教程」のアプリオリな目的というべきだから。おそらくそれは、事実確認的に閉じた密室を、パフォーマティブに開く道すじをしめしているといいかえてよいとおもう。そこでメルヘン密室は社会性をえて、もっと自由なアイディアとして再生するのだと、わたしはおもう。
たとえば風太郎『誰にでもできる殺人』や横山秀夫『第三の時効』の「密室の抜け穴」はパフォーマティブな密室を活用した傑作といえる。また中井英夫『虚無への供物』も、わたしにとってはそのような傑作となる。
さてさらに贅言すれば、密室というトリックの聖別をかように批判してのちの余儀としてだが、密室は次のように構造分析することもできる。犯人、被害者、目撃者、探偵という四つのファクターを抽出し、それぞれに作為と不作為の性格をあたえるのだ。各点を結んだ四角形から分析の地図が描けるかもしれない。
とまれ、天城一単独の実質的処女作品集がこの密室ものであり、そのトリックの理論的、実践的な精華であるかのように喧伝されているというのは、この徹底的で分厚き質実をもってしても、処女短編「不思議の国の犯罪」の苦い勝利、甘い敗北の域をでていないというべきであろうか。本書は密室批判に動機づけられた密室もの、であると繰り返しておく。この批判精神という目に見えぬ出口をみないと、ひとはふたたび密室に閉じこめられるだろう。
小説という点でみれば、第二巻アリバイものが圧倒的に優れている。それはアリバイトリックが、という意味ではない。探偵小説はいちトリックの新奇さ、偏屈さにだけ命をもつのではないのだ。むしろ天城が積極的にこだわったのは「動機」であり、その「権力への意志」であるといってよく、そこで頻出するのが「自殺」となる。そして探偵たちは平凡人であり、試行錯誤しながらときに偶然に、ときに皮肉なかたちで事件を解決する。そしてときに解決に頓挫する。鉄道の時刻表をたどるアリバイの、無数の数字の社会性を糸口にして、参加というアンガージュマンのさまざまな諸相を描いたのである。探偵小説はそのように開かれてなければならないのだ。
2019年10月16日に日本でレビュー済み
出来不出来にむらがあり、面白いものもあれば
肩透かしなのもある。
簡潔な文体というが私には省略しすぎに思えた。
投げ遣りな謎解きが多い。
肩透かしなのもある。
簡潔な文体というが私には省略しすぎに思えた。
投げ遣りな謎解きが多い。
2015年7月15日に日本でレビュー済み
密室物を紹介した本を読んだときに天城一という名前が何度か出たのが印象に残りこの本を購入しました
天城さんの作品を読んだのはこの本が初めてですが、とにかく読みづらいってのが第一印象でした
というのも~主義だの(今となっては)昔の偉人を例に挙げたわかりづらいたとえ話、戦争時代ネタなどがかなり多くの割合で含まれていたり読んでいても全く内容が頭に入ってきません
昔風の文章なのか短編というので極力内容を削ったのか場面を想像するのがとても難しかったです
しかしトリックや解説に関しては実に面白かったです
天城さんの作品を読んだのはこの本が初めてですが、とにかく読みづらいってのが第一印象でした
というのも~主義だの(今となっては)昔の偉人を例に挙げたわかりづらいたとえ話、戦争時代ネタなどがかなり多くの割合で含まれていたり読んでいても全く内容が頭に入ってきません
昔風の文章なのか短編というので極力内容を削ったのか場面を想像するのがとても難しかったです
しかしトリックや解説に関しては実に面白かったです
2011年5月23日に日本でレビュー済み
著者の作品がまとめられ、商業出版されたということに、まず素直に驚き、また喜びたい。
とてもマニアックな、知る人ぞ知るといった作家なので、まさか21世紀になってこんな豪華な版で著者の作品を読むことができるとは、夢のようだ。
もともとが数学者の著者であるから、その論理的思考には定評があった。
だが、あまりに著者の頭が良すぎるため、商業作家のようなサービス精神が、特に文章に足りないところがある。
だから、しばしば説明不足で、何を言っているのか、何度か読み返さないといけないようなところがある。
登場人物のキャラクターもあまり説明されていない。
不必要なものは徹底して省く、という科学者のスタンスが作品にもよく反映されている。
そのあたりが、著者が一般受けされなかった理由であろう。
ただ、この理屈っぽさが、マニアにはたまらない魅力なのだ。
徹頭徹尾ロジックに徹した作品群は、読むのに時間と脳力をかなり必要とする。
だが、その解決に余剰のない、まぎれもない本格ミステリのひとつの見本である。
だいたい摩耶という名字からして、読者サービスをほとんど考えていない。
今回刊行された本書からはじまる作品群のなかでは、やはり最初のものだけあって、傑作ぞろいである。
どれもじっくり読むのに適している。
長編「圷家〜」も悪くなかったが、やはり本書は良い。
一押しである。
とてもマニアックな、知る人ぞ知るといった作家なので、まさか21世紀になってこんな豪華な版で著者の作品を読むことができるとは、夢のようだ。
もともとが数学者の著者であるから、その論理的思考には定評があった。
だが、あまりに著者の頭が良すぎるため、商業作家のようなサービス精神が、特に文章に足りないところがある。
だから、しばしば説明不足で、何を言っているのか、何度か読み返さないといけないようなところがある。
登場人物のキャラクターもあまり説明されていない。
不必要なものは徹底して省く、という科学者のスタンスが作品にもよく反映されている。
そのあたりが、著者が一般受けされなかった理由であろう。
ただ、この理屈っぽさが、マニアにはたまらない魅力なのだ。
徹頭徹尾ロジックに徹した作品群は、読むのに時間と脳力をかなり必要とする。
だが、その解決に余剰のない、まぎれもない本格ミステリのひとつの見本である。
だいたい摩耶という名字からして、読者サービスをほとんど考えていない。
今回刊行された本書からはじまる作品群のなかでは、やはり最初のものだけあって、傑作ぞろいである。
どれもじっくり読むのに適している。
長編「圷家〜」も悪くなかったが、やはり本書は良い。
一押しである。