お届け先を選択
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

著者をフォロー

何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。

フッサール—傍観者の十字路 (哲学の現代を読む 7) 単行本 – 2008/9/16

4.0 5つ星のうち4.0 1個の評価

あらかじめFremde(よそ者)な俺たちが立ち止まる、この十字路! 〈さいはて〉のWelt(世界)。終わりなき分岐と合流、在るか無きかも分からぬ〈純粋〉の探索。もはや救いは…要らぬ!

商品の説明

出版社からのコメント

オレたちに救いは要らない

レビュー

《オレたちに救いは要らない》
「生まれたときからよそ者さ」そういい続けてはばからない、なにやら鼻持ちならない野郎がいたとしよう。勝手にすりゃあいいだろう、そんなヤツはほっておけ、と普通なら誰もが思うだろう。そう思わない哲学者がいた。フッサールである。「なぜなら誰もが〈よそもの〉であるからだ」じゃあ、みんなバラバラに生きていくしかないの? そう。バラバラな人間たちの交差する十字路、それこそがこの世界なんだ。しかもその世界は終わることなく分岐と合流を繰り返す。たいへんだ、ワケがわからねえ、と動揺するまえに、フッサールは言う。「超越せよ」と。形なき十字路をどこまでも追いかける、終わりなき「旅」をつづけよ、と。〈わたし〉と〈世界=他者〉はときには交差するものの、絶えず分裂する。そのふたつの運動を「傍観者」として眺める位置に立つことができるか?
「生まれたときからよそ者さ」そう呟いてみることは、「行き着くことない〈さいはて〉の地点」を目指して旅立つ者たち(=オレたち)の出発のマニフェストだ。でも、もしかしたら、誰も気づいてくれないかもしれない……構いやしないさ。生まれたときから〈よそもの〉なんだから。 --出版社からのコメント

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 白水社 (2008/9/16)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2008/9/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 250ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4560024715
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4560024713
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 1個の評価

著者について

著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
岡山 敬二
Brief content visible, double tap to read full content.
Full content visible, double tap to read brief content.

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
5つのうち4つ
1グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2009年10月26日に日本でレビュー済み
オレたちに救いは要らない
「生まれたときからよそ者さ」そういい続けてはばからない、なにやら鼻持ちならない野郎がいたとしよう。勝手にすりゃあいいだろう、そんなヤツはほっておけ、と普通なら誰もが思うだろう。そう思わない哲学者がいた。フッサールである。「なぜなら誰もが〈よそもの〉であるからだ」じゃあ、みんなバラバラに生きていくしかないの? そう。バラバラな人間たちの交差する十字路、それこそがこの世界なんだ。しかもその世界は終わることなく分岐と合流を繰り返す。たいへんだ、ワケがわからねえ、と動揺するまえに、フッサールは言う。「超越せよ」と。形なき十字路をどこまでも追いかける、終わりなき「旅」をつづけよ、と。〈わたし〉と〈世界=他者〉はときには交差するものの、絶えず分裂する。そのふたつの運動を「傍観者」として眺める位置に立つことができるか?
「生まれたときからよそ者さ」そう呟いてみることは、「行き着くことない〈さいはて〉の地点」を目指して旅立つ者たち(=オレたち)の出発のマニフェストだ。でも、もしかしたら、誰も気づいてくれないかもしれない……構いやしないさ。生まれたときから〈よそもの〉なんだから。
===============

以上が、白水社HPに書かれている本書の紹介文。
とてもフッサールと現象学の入門書とは思えないwどんだけ厨二病なんだよw
「オレたちに救いは要らない」ってリヴァイアスかよ!

とんでもない紹介文では有るけれども、中身はまともな現象学の入門書です。
現象学の入門書にありがちと言えば、聞こえは悪いけど、最も大事な部分でもある、フッサールが現象学を起こした、問題意識から導入が始まります。
その後、心理学主義と論理学主義へのそれぞれの批判から、現象学がどういった方法論を用いて世界に迫るかを書かれている。
要は、方法論としては、最も基礎的な現象学的還元の話しを日常的な話しを交えながら示している。
次に、フッサール(現象学)における他者の問題についての説明。
フッサールが他者の問題を真正面から扱っているものはどうやら、『デカルト的省察』のみらしいが、本書では十分に紙幅が取られ、丁寧に説明されている。
還元の世界から、独我論、相対主義、懐疑論と戦いながら、私と他者、私と世界、他者と世界の関係を説明していく。
最後に『危機』書の解説。フッサールの最初の問題意識である、学問の基礎付けについての話し。
私、他者、世界の話しから、生活世界論に移り、学問の基礎付けに苦心する姿が描かれている。

ただフッサールという人は、本書でも言われているように、謎が謎を呼ぶような探求型、問題提起型の人であり、問題解決型の人では無いようです。
故に、本書で提示された問題の多くは、フッサールの方法では十分に解決されているようには、見えない。
なので、フッサール以降の現象学の本を読んだりして、この問題をどのように解決したのか、読んでみたいなと・・・

この本で描かれているのフッサール像というものは、常識の哲学者という側面。
他者を否定する狂気的な独我論を拒否し、かと言って、破壊的な相対主義も拒否する。
全てはモノであるという、唯物論も拒否し、フッサールは常識を支えようとする。
しかし、哲学者と言うものは常識を拒否する生き物、そういった視点から見るとフッサールは非常識な哲学者かもしれない・・・

全体的に非常に丁寧であり、一つの概念の説明が終わるたびに、X=Yだとか、X→Y→Zのようにわかりやすいまとめが書かれている。
逆を言えば、単純化のしすぎとも言えるけれども、ジャーゴンが多く、独特の言葉遣いをするフッサールや現象学の本を読むためには、いい辞書代わりになりそう。
個人的には、この本に匹敵する現象学の入門書は、谷徹の『これが現象学だ』しか知らない。
本当にいい本。紹介文はイロモノっぽいのにね。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート