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しずかに流れるみどりの川 単行本 – 2005/6/28
ユベール・マンガレリ
(著),
田久保 麻理
(翻訳)
- 本の長さ146ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2005/6/28
- ISBN-104560027269
- ISBN-13978-4560027264
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商品の説明
出版社からのコメント
静謐な中に不思議な力強さを秘めた中編小説『おわりの雪』(2004年12月刊)は、海外小説としては近年稀にみる大勢の読者を獲得した。刊行以来「ぜひ同じ作者の本を同じ翻訳者で」という声も数多く寄せられるなか、邦訳第二弾として刊行される本書は、児童文学作家として知られていたマンガレリの最初の一般向け小説で、こちらも、主人公の回想でつづられた父と子の物語である。
見渡すかぎりどこまでも「ふしぎな草」が生いしげる、原っぱのまんなかの小さな町。電気も止められてしまうような貧しさの中で寄り添う少年プリモと父親は、裏庭に自生する〈つるばら〉をそだててひと稼ぎしようと夢みる。
親子は、形のふぞろいな百個のびんに植えられたばらを、毎日丁寧に世話をする。水は1日2回。朝、びんを家の外に出し、決まった場所に正確に並べていく。陽が沈んだら、またびんを家の中に入れる。そしてふたりいっしょにいつものお祈り。来る日も来る日も、すべてはひそやかに、そして神聖なまでの厳密さで繰り返されていく。
ばらの世話をする以外の時間、プリモは歩く。ひたすら歩く。歩きながら雨や風、太陽の陽射しに親しみ、まわりの自然と対話しながら科学する。また自由な空想をくりひろげてひとり楽しむ。たとえば、記憶の中のみどり色でしずかだった川を思い浮かべてみたりして……。
そんな父と子のささやかな日常は、ほろ苦いユーモアに彩られながら、一切の装飾を削ぎとった抑制の効いた文体や驚くほど多くを語る著者独特の沈黙の作法によって、切ないほど美しい輝きを放ちだす。
見渡すかぎりどこまでも「ふしぎな草」が生いしげる、原っぱのまんなかの小さな町。電気も止められてしまうような貧しさの中で寄り添う少年プリモと父親は、裏庭に自生する〈つるばら〉をそだててひと稼ぎしようと夢みる。
親子は、形のふぞろいな百個のびんに植えられたばらを、毎日丁寧に世話をする。水は1日2回。朝、びんを家の外に出し、決まった場所に正確に並べていく。陽が沈んだら、またびんを家の中に入れる。そしてふたりいっしょにいつものお祈り。来る日も来る日も、すべてはひそやかに、そして神聖なまでの厳密さで繰り返されていく。
ばらの世話をする以外の時間、プリモは歩く。ひたすら歩く。歩きながら雨や風、太陽の陽射しに親しみ、まわりの自然と対話しながら科学する。また自由な空想をくりひろげてひとり楽しむ。たとえば、記憶の中のみどり色でしずかだった川を思い浮かべてみたりして……。
そんな父と子のささやかな日常は、ほろ苦いユーモアに彩られながら、一切の装飾を削ぎとった抑制の効いた文体や驚くほど多くを語る著者独特の沈黙の作法によって、切ないほど美しい輝きを放ちだす。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2005/6/28)
- 発売日 : 2005/6/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 146ページ
- ISBN-10 : 4560027269
- ISBN-13 : 978-4560027264
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,000,490位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,512位フランス文学 (本)
- - 1,560位フランス文学研究
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年10月15日に日本でレビュー済み
ユベール・マンガレリ、その存在を知ったのは『おわりの雪』をはじめて読んだことだった。そのときの衝撃はおどろくべきものだった。この文体は何なのだろう、どこに由来しているのだろう、とこの作家のことが気になって仕方がなくなったことをおぼえている。
本著『しずかに流れるみどりの川』は田久保麻里さんが訳者あとがきでふれているように『おわりの雪』と対をなすようにも感じられるが、小説として最初に発表されたのはこちらの『しずかに流れるみどりの川』の方ということらしい。
つぶやくように淡々と語る散文の形式、このポエティックな文体はいいようのない“静けさと流れるような時間”とともに人間存在の“光と影”を感じさせるところがある。
トンネルを歩きながら、ぼくはいろいろなことを考えたけど、気持ちが暗くなるようなことはひとつも考えなかった。だれもが歩きながら頭のなかでくりひろげるような、ごくありふれたことだ。(p30)
プリモだけの場所、この不思議な草の生いしげるひろい草原をプリモは歩く。歩くことでつくられるトンネルでプリモは歩きながら考えつづけそしておとなになっていく。
本著は不安と隣り合わせで生きるやりきれない家族の現実を深々と雪が降りつづけるように描いた『おわりの雪』と同様けっしてドラマチックな出来事があるわけではない。
いうなれば生活力のない父とともに健気に生きる息子プリモの現実と空想のなかでゆれ動く内面世界をきびしい現実にかさねるようにその日常が淡々としてみごとに描かれていて感動的だ。
「金のことは心配するな、おまえがそんなことを心配するな」ぼくはなんて返事すればいいのかわからなかった。長椅子にもどり、父さんがあたらしく煙草に火をつけているあいだに床に落ちたコーヒー缶をひろって、となりの席に置いた。ぼくは悲しみでいっぱいだった。(p124)
貧しくもきびしい現実と空想のなかでプリモは父の言いつけを守り、気づかいながらも成長していく。だが、不思議なことに物語はだんだんと作品の主題を浮き彫りにしその重みを感じさせるようになっていく。
電気をも止められた貧苦の生活のなかで貯めた“なけなしのお金”をもって父子は街中へでかけ、レストランで食事する場面の描写は読者にすさまじい現実を突きつけ教会での最終章へとつづいていく。
その夜、ぼくは川の夢をみた。以前住んでいた町には川が流れていたから。水底に生えた藻のせいで、みどり色にみえた。みどり色のしずかな川だ。銀色の魚が流れにさからいながら水中にたたずんでいた。魚のからだが、藻のように波うっていた。町のことはすっかり忘れてしまったけれど、川のことはよく憶えていた。ぼくがその町をなつかしくおもったのは、そこに川が流れていたからだ。(p39)
プリモが歩く草のトンネル、マスを捕まえた父と子の会話、つるバラを育てるための決められた作業と祈り、現実と空想が錯綜するように時間だけが流れていく。
みどりの川の流れは何を意味するのか、「川の支流を手にする」とはどういうことなのか・・・・・。
プリモのようにやりきれない現実、究極的な状況のなかで前向きに成長をつづける子どもを描いた映画を想起させる。『泥の河』のノブちゃん、『ミツバチのささやき』のアナ、『ニューシネマ・パラダイス』のトトなど。
だが、ユベール・マンガレリは児童文学作家でありながらけっして児童文学作家ではない。むしろ、子どもから大人まで幅広い読者に問いかける社会派の作家といっていい。
著者のまなざしはその境界に位置し人間存在の真実を社会の底辺に生きる者たちの日常を描くことで浮き彫りにする。この現実に対してプリモはイノセントな光なのかもしれない。
ユベール・マンガレリの最初の小説「しずかに流れるみどりの川」にありがとう。ぼくはそう言いたい。
本著『しずかに流れるみどりの川』は田久保麻里さんが訳者あとがきでふれているように『おわりの雪』と対をなすようにも感じられるが、小説として最初に発表されたのはこちらの『しずかに流れるみどりの川』の方ということらしい。
つぶやくように淡々と語る散文の形式、このポエティックな文体はいいようのない“静けさと流れるような時間”とともに人間存在の“光と影”を感じさせるところがある。
トンネルを歩きながら、ぼくはいろいろなことを考えたけど、気持ちが暗くなるようなことはひとつも考えなかった。だれもが歩きながら頭のなかでくりひろげるような、ごくありふれたことだ。(p30)
プリモだけの場所、この不思議な草の生いしげるひろい草原をプリモは歩く。歩くことでつくられるトンネルでプリモは歩きながら考えつづけそしておとなになっていく。
本著は不安と隣り合わせで生きるやりきれない家族の現実を深々と雪が降りつづけるように描いた『おわりの雪』と同様けっしてドラマチックな出来事があるわけではない。
いうなれば生活力のない父とともに健気に生きる息子プリモの現実と空想のなかでゆれ動く内面世界をきびしい現実にかさねるようにその日常が淡々としてみごとに描かれていて感動的だ。
「金のことは心配するな、おまえがそんなことを心配するな」ぼくはなんて返事すればいいのかわからなかった。長椅子にもどり、父さんがあたらしく煙草に火をつけているあいだに床に落ちたコーヒー缶をひろって、となりの席に置いた。ぼくは悲しみでいっぱいだった。(p124)
貧しくもきびしい現実と空想のなかでプリモは父の言いつけを守り、気づかいながらも成長していく。だが、不思議なことに物語はだんだんと作品の主題を浮き彫りにしその重みを感じさせるようになっていく。
電気をも止められた貧苦の生活のなかで貯めた“なけなしのお金”をもって父子は街中へでかけ、レストランで食事する場面の描写は読者にすさまじい現実を突きつけ教会での最終章へとつづいていく。
その夜、ぼくは川の夢をみた。以前住んでいた町には川が流れていたから。水底に生えた藻のせいで、みどり色にみえた。みどり色のしずかな川だ。銀色の魚が流れにさからいながら水中にたたずんでいた。魚のからだが、藻のように波うっていた。町のことはすっかり忘れてしまったけれど、川のことはよく憶えていた。ぼくがその町をなつかしくおもったのは、そこに川が流れていたからだ。(p39)
プリモが歩く草のトンネル、マスを捕まえた父と子の会話、つるバラを育てるための決められた作業と祈り、現実と空想が錯綜するように時間だけが流れていく。
みどりの川の流れは何を意味するのか、「川の支流を手にする」とはどういうことなのか・・・・・。
プリモのようにやりきれない現実、究極的な状況のなかで前向きに成長をつづける子どもを描いた映画を想起させる。『泥の河』のノブちゃん、『ミツバチのささやき』のアナ、『ニューシネマ・パラダイス』のトトなど。
だが、ユベール・マンガレリは児童文学作家でありながらけっして児童文学作家ではない。むしろ、子どもから大人まで幅広い読者に問いかける社会派の作家といっていい。
著者のまなざしはその境界に位置し人間存在の真実を社会の底辺に生きる者たちの日常を描くことで浮き彫りにする。この現実に対してプリモはイノセントな光なのかもしれない。
ユベール・マンガレリの最初の小説「しずかに流れるみどりの川」にありがとう。ぼくはそう言いたい。
2006年1月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
幼年期の「ぼく」と元気な頃の父さんとの生活ぶりを、43歳のマンガレリが淡々と書き示している。父子の姿が、生活がはっきりと伝わってくる。
小さな「ぼく」は、朝と午後、草むらのなかにつくったトンネルをつくり、歩きながら考え事をするのが大好きな少年。しっかりもので、心配はするが、悲しい考えをしない少年。
一方、父さんは勤めていたコンプレッサー工場、温室を次々に首になり、草むしりをしたり、芝刈りをして日銭を稼ぐその日暮らし。底辺でうごめくように生活する不器用な男だが、自分の不器用さを知っている。
小説は、この父親が思いついた一儲けの手段、ばらを育てる話が骨子となっているが、結果は...ご想像のとおり。しかし、ばらの花がもしうまく咲いたら...夢みる話は楽しく、ユーモラスでさえある。
不器用な父親との生活は、不安定で貧しい。少年は、自分にできることをして、父さんの失敗をふせごうともするが、うまくいかない。さすがの少年も悲しみにくれ、絶望に陥ったりするが、常にこの父子は、あわやというところで、ともに歩み寄り、現実の苦味をユーモアと空想で明るいものに転換する。絶望と希望がろうそくの灯のように揺れるなか、息をあわせ愛し合い乗り越えていく父子。父子の共通の思い出に、むかし住んでいた町に流れていた川がある。電気のとめられた暗い部屋で、父子はベッドで語り合う。「ねえ、父さん、前の町に緑の川が流れていたよね。しずかだったよね?」「そうだ。静かだった。おまえが覚えていてくれて俺もうれしいよ」タイトルにもなっているこの川は、強い。これさえあれば,子どもは生きていける。静かではあるが、いつまでも、子どもの心の底に流れ続ける川。「みどりの川、みどりの川」と唱えていると、わたしにも、なんだか勇気がわいてくる。親として、子どもを育てるにあたって、最も大切なものは何かを教えられた気がした。
小さな「ぼく」は、朝と午後、草むらのなかにつくったトンネルをつくり、歩きながら考え事をするのが大好きな少年。しっかりもので、心配はするが、悲しい考えをしない少年。
一方、父さんは勤めていたコンプレッサー工場、温室を次々に首になり、草むしりをしたり、芝刈りをして日銭を稼ぐその日暮らし。底辺でうごめくように生活する不器用な男だが、自分の不器用さを知っている。
小説は、この父親が思いついた一儲けの手段、ばらを育てる話が骨子となっているが、結果は...ご想像のとおり。しかし、ばらの花がもしうまく咲いたら...夢みる話は楽しく、ユーモラスでさえある。
不器用な父親との生活は、不安定で貧しい。少年は、自分にできることをして、父さんの失敗をふせごうともするが、うまくいかない。さすがの少年も悲しみにくれ、絶望に陥ったりするが、常にこの父子は、あわやというところで、ともに歩み寄り、現実の苦味をユーモアと空想で明るいものに転換する。絶望と希望がろうそくの灯のように揺れるなか、息をあわせ愛し合い乗り越えていく父子。父子の共通の思い出に、むかし住んでいた町に流れていた川がある。電気のとめられた暗い部屋で、父子はベッドで語り合う。「ねえ、父さん、前の町に緑の川が流れていたよね。しずかだったよね?」「そうだ。静かだった。おまえが覚えていてくれて俺もうれしいよ」タイトルにもなっているこの川は、強い。これさえあれば,子どもは生きていける。静かではあるが、いつまでも、子どもの心の底に流れ続ける川。「みどりの川、みどりの川」と唱えていると、わたしにも、なんだか勇気がわいてくる。親として、子どもを育てるにあたって、最も大切なものは何かを教えられた気がした。
2005年8月28日に日本でレビュー済み
行間が文章よりも多くを語る作家、マンガレリ。
ガブリエル・バンサンの白地が、ともすると絵よりも多くを語るように
耳を澄ませばそのつぶやきが語りかけてくる小説だ。
少年は父親の置かれている本当の状況は知らない。
しかしその本質を本能的に嗅ぎ取っている。
ただそれを論理的に納得する大人の術を知らずに
何も語りえないからこそ、辛く、哀しいのだ。
親子の育てる「つるばら」は咲くことは無く、売れることはない。
それはつまり、過ぎ去ったあの時が戻ってこない事実と静かにシンクロしているのだ。
しかし、だからこそ胸の奥底で咲いた「つるばら」は、
甘く、確かな手触りを持って過ぎ去った追憶をつれてくるのだろう。
ガブリエル・バンサンの白地が、ともすると絵よりも多くを語るように
耳を澄ませばそのつぶやきが語りかけてくる小説だ。
少年は父親の置かれている本当の状況は知らない。
しかしその本質を本能的に嗅ぎ取っている。
ただそれを論理的に納得する大人の術を知らずに
何も語りえないからこそ、辛く、哀しいのだ。
親子の育てる「つるばら」は咲くことは無く、売れることはない。
それはつまり、過ぎ去ったあの時が戻ってこない事実と静かにシンクロしているのだ。
しかし、だからこそ胸の奥底で咲いた「つるばら」は、
甘く、確かな手触りを持って過ぎ去った追憶をつれてくるのだろう。
2005年8月5日に日本でレビュー済み
川の流れは、ゆるやかに見えます。
しかし、一歩足を踏み入れるとわかるでしょう。
その思いがけない力強さに驚くはずです。
人の心の中は、川底と同じく激流が渦巻いていることがあります。
読みながら、そんなことを感じました。
自分では言葉にできないでいることを、マンガレリが物語にしてくれたようです。
人は日々の暮らしにこんなに豊かな感情を持っているのかと、改めて感じ入る作品です。
しかし、一歩足を踏み入れるとわかるでしょう。
その思いがけない力強さに驚くはずです。
人の心の中は、川底と同じく激流が渦巻いていることがあります。
読みながら、そんなことを感じました。
自分では言葉にできないでいることを、マンガレリが物語にしてくれたようです。
人は日々の暮らしにこんなに豊かな感情を持っているのかと、改めて感じ入る作品です。
2005年7月20日に日本でレビュー済み
少年はひたすらに歩く。背丈より高い草のトンネルの中を何往復も。
そして空想する。つるばらが上手に育ったらご褒美に2瓶だけもらう。その代金で何を買う?
少年が思い描くのは、思い出の中のしずかなみどりの川。
貧しさという厳しい現実と向き合いながら、父親のダメなりの人間臭さも少年のまっすぐさも全てが静けさ、薄いガラスの膜で外界と隔てられているような、そんな静謐さの中で描かれていて、じーんとくる作品です。
そして空想する。つるばらが上手に育ったらご褒美に2瓶だけもらう。その代金で何を買う?
少年が思い描くのは、思い出の中のしずかなみどりの川。
貧しさという厳しい現実と向き合いながら、父親のダメなりの人間臭さも少年のまっすぐさも全てが静けさ、薄いガラスの膜で外界と隔てられているような、そんな静謐さの中で描かれていて、じーんとくる作品です。
2023年2月24日に日本でレビュー済み
こんなに易しい文章でこんなに静謐な物語って書けるんだって驚いたほどでした。
こういう幸せな世界の物語はとても良いですね。
こういう幸せな世界の物語はとても良いですね。