本を開けば一瞬で2000年の時をさかのぼり、帝政ローマ時代の空気の匂いまでも感じられるような気がする。
いくらセットを精巧に作った映画でも、ここまでのタイムスリップ感は出せないはず。まさに、読書でしか味わえない得難い体験だ。
帝政ローマ時代の空気感を、文章のみでこれほど濃密に醸し出せるのは、著者ユルスナールの深い教養と、細部へのこだわりがあってこそだろう。
読んでいるうちに、自分までもがローマ人として教育を受け、ローマ人の価値観を持って生きてきた人間のような気がしてくるから面白い。
一方で、ハドリアヌスという人物の思考は、極めて現代的だ。
強さと弱さが同居し、基本的には理屈を重んじるが、時に極めて感情的になる。過去の過ちを後悔したかと思ったら、やはり間違っていなかったと思い直す。
もちろん、著者ユルスナールが創造した人物像には違いないが、人間的でありながら一本筋の通った思考をする本書のハドリアヌスは、まさにローマ帝国の皇帝とはこういう人物だったのではないかと思わせる。
本書でも特に圧巻なのは、エジプトへの旅の描写だ。
ローマよりも圧倒的に長い歴史と濃密な文化を持ちながら、ギリシア文化が流入し、ローマ帝国に支配されることで徐々に変貌しつつあるこの時代のエジプト。
そんな独特な時代の、怪しくも魅力的なエジプトの夜の巷を、まるで自分が徘徊しているような気分になってくるのだ。
多くの人が勧めている名作ですが、やっと読めました。
そして、その評価にふさわしい、むしろそれをはるかに超える名作です。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。
OK
ハドリアヌス帝の回想 新装版 単行本 – 1993/8/1
- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日1993/8/1
- ISBN-104560044899
- ISBN-13978-4560044896
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 白水社 (1993/8/1)
- 発売日 : 1993/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 338ページ
- ISBN-10 : 4560044899
- ISBN-13 : 978-4560044896
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,027,680位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,557位フランス文学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2016年5月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ある著者が勧めていたので、購入しました。
時代は古代ローマ時代で、テルマエ・ロマエ(?)でも最近注目されるようになりました。
ハドリアヌスは五賢帝の3人目で、ローマ国家の現状把握と安定に努めた名君です。
本書では、二代後の後継者と定めたマルクス・アウレリウスに宛てた書簡というかたちをとって、物語が進んでいきます。
ローマ皇帝として、また、ひとりの人間として深い洞察をもって描かれた物語です。
すぐにその世界に入り込み、夢中で読んでしまいました。読後の充実感があります。
時代は古代ローマ時代で、テルマエ・ロマエ(?)でも最近注目されるようになりました。
ハドリアヌスは五賢帝の3人目で、ローマ国家の現状把握と安定に努めた名君です。
本書では、二代後の後継者と定めたマルクス・アウレリウスに宛てた書簡というかたちをとって、物語が進んでいきます。
ローマ皇帝として、また、ひとりの人間として深い洞察をもって描かれた物語です。
すぐにその世界に入り込み、夢中で読んでしまいました。読後の充実感があります。
2013年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古代ローマ帝国5賢帝のひとりで帝国の最盛期を築き上げたハドリアヌス帝の最晩年を皇帝本人の回想という形で描いた作品。
メランコリーっていうのでしょうか、とにかく鬱々として読みにくい本です。
実際のハドリアヌス帝は若いころから狩りに熱中し、50代で暴漢を自ら取り抑えたりと健康には自信があったようです。それが晩年はひとりで歩くこともままならなくなり、相当にストレスを溜めてしまい、癇癪を起こすこともたびたびだったようです。
そんな老皇帝の思い出語りですから、陰鬱なのも当然かもしれません。
作者のユルスナールは非常に良く歴史を調べてこの物語を書いているように思われます。
しかし、あくまでも「物語」でありひとりの老人の「人生の言い訳」を代弁している形です。史実そのままではない事を前置きします。
若い方には少々理解しがたい本だと思います。
私もあと20年してもう一度読んだら、今とは違う読後感を得られるかもしれません。
メランコリーっていうのでしょうか、とにかく鬱々として読みにくい本です。
実際のハドリアヌス帝は若いころから狩りに熱中し、50代で暴漢を自ら取り抑えたりと健康には自信があったようです。それが晩年はひとりで歩くこともままならなくなり、相当にストレスを溜めてしまい、癇癪を起こすこともたびたびだったようです。
そんな老皇帝の思い出語りですから、陰鬱なのも当然かもしれません。
作者のユルスナールは非常に良く歴史を調べてこの物語を書いているように思われます。
しかし、あくまでも「物語」でありひとりの老人の「人生の言い訳」を代弁している形です。史実そのままではない事を前置きします。
若い方には少々理解しがたい本だと思います。
私もあと20年してもう一度読んだら、今とは違う読後感を得られるかもしれません。
2017年2月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴代ローマ皇帝の中でも特に魅力のある皇帝だと思っていますので、楽しみに読んでいます。完全に読み切るにはまだ時間がかかります。
堀江敏幸氏の解説が添えられているのもとても良いですね。とても信頼のおける作家だと思っていますから。本の状態も良かったです。
堀江敏幸氏の解説が添えられているのもとても良いですね。とても信頼のおける作家だと思っていますから。本の状態も良かったです。
2022年2月24日に日本でレビュー済み
ユルスナールが、古代ローマの五賢帝の一人、ハドリアヌス帝の生涯について、本人の回想と言う形式で書いた小説。
ユルスナールはこの小説を書くにあたって、徹底してハドリアヌス帝について、当時の古代ローマ帝国について調べた上で、自らの様々な想像と合わせて、この本を書き上げた。
本人による覚書も最後に収録されているので、小説の理解を助けてくれる。
その中の一つでユルスナールは、ハドリアヌス帝が生きた時代のことを、最後の自由な男たちの世紀だったと述べている。
それにしてもユルスナールによるハドリアヌス帝の回想は濃厚を極めていて、いかに五賢帝の一人のハドリアヌス帝といえども、そこまで深く回想したのだろうか?と感じてしまった。
ユルスナールはこの小説を書くにあたって、徹底してハドリアヌス帝について、当時の古代ローマ帝国について調べた上で、自らの様々な想像と合わせて、この本を書き上げた。
本人による覚書も最後に収録されているので、小説の理解を助けてくれる。
その中の一つでユルスナールは、ハドリアヌス帝が生きた時代のことを、最後の自由な男たちの世紀だったと述べている。
それにしてもユルスナールによるハドリアヌス帝の回想は濃厚を極めていて、いかに五賢帝の一人のハドリアヌス帝といえども、そこまで深く回想したのだろうか?と感じてしまった。
2017年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
早速、交換後の商品が届きました。非常に状態がいい本が届きました。ありがとうございます。
2020年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本そのものには問題は無かったのですが、帯がずたずたでした。ちょっとがっかりです。面倒なので返品はしません。
2017年10月18日に日本でレビュー済み
文学作品を読むことは、海の底に潜ってゆくことに似ている。
目の前に広がる未知の世界に心躍らせ、時に潮流に翻弄され、水圧にくじけそうになりながら、深みに眠る真珠を手に取ることができたなら。その人は幸福な読者だといえる。
ユルスナール作品はこれまで2,3作読んだが、この作家はいつも容易には深く潜らせてはくれない。本書にしても、浅瀬で不格好に手足をばたつかせた挙句、真珠どころかヒトデを握りしめているかもしれないと危惧している。
ローマ帝国皇帝、プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス。
西暦76年出生、138年没。在位、西暦117年~138年。
本書を手に取る前、この帝国五賢帝に数えられる男の生涯、事績についてはわずかしか知らず、あえて調べることもしなかった。結果的に、それでよかったと思う。この作品に限っていえば、年表や史料はあまり役に立たない。
これは歴史小説であると同時に、心理小説でもある。
「皇帝」というたぐいまれな地位についた男が何を成しとげたか、というより何を思い、感じていたかというほうに主眼が置かれている。
物語は死病に侵されたハドリアヌスが、養嗣子にした男の次に帝位につくよう指名したマルクス・アウレリウスへ残す私的な書簡という形で彼自身が語り進めてゆく。
野心を秘めた軍人としての日々、お定まりの権謀術数、先帝への複雑な思い、信頼と疑惑、希望と焦燥。皇帝となったのちの悪弊の廃止と改革、たびたびおこなわれた属州への巡幸、新しい街・神殿の建設、自負と誇り、傲慢と虚栄・・・。
私人としてはギリシアの神話的世界を愛し、自然と芸術を愛した。常に自らを律しつつ、快楽には素直に従い、放埓は嫌った。
これらは、史料があればいくらでも構築できる皇帝の姿だ。歴史小説は一人の人間を主役にするにしても、歴史そのものもまた主役であり、作家は俯瞰的な視点で物語を進めてゆくパターンが多い。
しかし、本書では史実はしばしば端役にまわされていた。
筆者はハドリアヌスの思考と行動の過程を丹念にたどり、その胸の奥深く、微妙な心のひだにまで分け入り語らせた。「神の眼」で世界を見おろすよりも、一人の「人間の眼」で世界と自分自身を見渡す方法を選んだのだ。
この物語でとりわけ哀憐の情を起こさせるのは、ハドリアヌスと彼が寵愛した美青年・アンティノウスとの一節だろう。
アンティノウスの死の原因は古来から様々な憶測がささやかれていたが、筆者は有名な伝説を巧みに取り入れ、ひたむきな若者の独善的なふるまいとも崇高な犠牲的精神ともとれる悲劇を描ききっている。彼の死は、ハドリアヌスを一生苦しめることとなった。
賢帝としてたたえられはしたが、聖人ではなかった。権力を権威と混同し、自らを「神」になぞらえたり、晩年には失策の最たるものであるユダヤ教徒たちの反乱を招いた。
彼のユダヤ教・キリスト教に関する見解はなかなかに面白いし、一理ある。だが、しょせんは自分本位の価値観の上に築かれたものであり、彼等との共存について何の解決策にも至らない行き止まりの思考である。
キリスト教が帝国内で公認されるのは西暦313年、国教となるのは392年。ハドリアヌスの死から250年以上が経ており、もちろん本書中において彼はその未来を知ることはない。
時に難解で、研ぎ澄まされた文章。哲学と瞑想に彩られた独白。筆者とハドリアヌスは完全に同化しきっている。読んでいる間、私はハドリアヌスの声を聴き、彼の魂に触れていると感じていた。
そして、それこそが筆者が目指し、読者に望んだことなのだろう。
「ひとつの声による肖像。わたしが『ハドリアヌスの回想』を一人称で書くことにしたのは、できるかぎり、たとえわたし自身であれ、すべての媒介なしにすませるためである。ハドリアヌスはわたしよりももっと確実に、もっと微妙に、己が生涯を語りえた。」
(『作者による覚え書き』より抜粋)
悠久の時間の上に降り積もるあまたの想い、あまたの声。それらを取り除け、彼女はハドリアヌスと同じ世界に立ち、同じ地平を見た。声なき声をすくい、描いた肖像画にはまるで彼の影のように歴史が寄りそっていた。
目の前に広がる未知の世界に心躍らせ、時に潮流に翻弄され、水圧にくじけそうになりながら、深みに眠る真珠を手に取ることができたなら。その人は幸福な読者だといえる。
ユルスナール作品はこれまで2,3作読んだが、この作家はいつも容易には深く潜らせてはくれない。本書にしても、浅瀬で不格好に手足をばたつかせた挙句、真珠どころかヒトデを握りしめているかもしれないと危惧している。
ローマ帝国皇帝、プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス。
西暦76年出生、138年没。在位、西暦117年~138年。
本書を手に取る前、この帝国五賢帝に数えられる男の生涯、事績についてはわずかしか知らず、あえて調べることもしなかった。結果的に、それでよかったと思う。この作品に限っていえば、年表や史料はあまり役に立たない。
これは歴史小説であると同時に、心理小説でもある。
「皇帝」というたぐいまれな地位についた男が何を成しとげたか、というより何を思い、感じていたかというほうに主眼が置かれている。
物語は死病に侵されたハドリアヌスが、養嗣子にした男の次に帝位につくよう指名したマルクス・アウレリウスへ残す私的な書簡という形で彼自身が語り進めてゆく。
野心を秘めた軍人としての日々、お定まりの権謀術数、先帝への複雑な思い、信頼と疑惑、希望と焦燥。皇帝となったのちの悪弊の廃止と改革、たびたびおこなわれた属州への巡幸、新しい街・神殿の建設、自負と誇り、傲慢と虚栄・・・。
私人としてはギリシアの神話的世界を愛し、自然と芸術を愛した。常に自らを律しつつ、快楽には素直に従い、放埓は嫌った。
これらは、史料があればいくらでも構築できる皇帝の姿だ。歴史小説は一人の人間を主役にするにしても、歴史そのものもまた主役であり、作家は俯瞰的な視点で物語を進めてゆくパターンが多い。
しかし、本書では史実はしばしば端役にまわされていた。
筆者はハドリアヌスの思考と行動の過程を丹念にたどり、その胸の奥深く、微妙な心のひだにまで分け入り語らせた。「神の眼」で世界を見おろすよりも、一人の「人間の眼」で世界と自分自身を見渡す方法を選んだのだ。
この物語でとりわけ哀憐の情を起こさせるのは、ハドリアヌスと彼が寵愛した美青年・アンティノウスとの一節だろう。
アンティノウスの死の原因は古来から様々な憶測がささやかれていたが、筆者は有名な伝説を巧みに取り入れ、ひたむきな若者の独善的なふるまいとも崇高な犠牲的精神ともとれる悲劇を描ききっている。彼の死は、ハドリアヌスを一生苦しめることとなった。
賢帝としてたたえられはしたが、聖人ではなかった。権力を権威と混同し、自らを「神」になぞらえたり、晩年には失策の最たるものであるユダヤ教徒たちの反乱を招いた。
彼のユダヤ教・キリスト教に関する見解はなかなかに面白いし、一理ある。だが、しょせんは自分本位の価値観の上に築かれたものであり、彼等との共存について何の解決策にも至らない行き止まりの思考である。
キリスト教が帝国内で公認されるのは西暦313年、国教となるのは392年。ハドリアヌスの死から250年以上が経ており、もちろん本書中において彼はその未来を知ることはない。
時に難解で、研ぎ澄まされた文章。哲学と瞑想に彩られた独白。筆者とハドリアヌスは完全に同化しきっている。読んでいる間、私はハドリアヌスの声を聴き、彼の魂に触れていると感じていた。
そして、それこそが筆者が目指し、読者に望んだことなのだろう。
「ひとつの声による肖像。わたしが『ハドリアヌスの回想』を一人称で書くことにしたのは、できるかぎり、たとえわたし自身であれ、すべての媒介なしにすませるためである。ハドリアヌスはわたしよりももっと確実に、もっと微妙に、己が生涯を語りえた。」
(『作者による覚え書き』より抜粋)
悠久の時間の上に降り積もるあまたの想い、あまたの声。それらを取り除け、彼女はハドリアヌスと同じ世界に立ち、同じ地平を見た。声なき声をすくい、描いた肖像画にはまるで彼の影のように歴史が寄りそっていた。