小説を読むと、物語世界の虚構性にたじろぐことが多いが、ゼーバルトの作品には、作品中にモノクロの写真が多く多用され、現実と虚構との交錯が意図される。彼の遺作となった『アウステルリッツ』にも多数の写真が挿入されている。
幼年期の記憶を失い、本名すらも判然としない建築史家アウステルリッツは、ヨーロッパを自分探しの旅に出る。2001年の全米批評家協会賞をはじめ、欧米の多数の文学賞を総なめにしたこの物語は、このアウステルリッツの旅を通して、読者を20世紀最大のヨーロッパ悲劇・アウシュビッツに誘っていく。
「たとえば街を彷徨っているうち、何十年間と少しの変化もないひっそりした裏庭などをのぞきこむと、忘れ去られた事物のもつ重力場の中で時間がとても緩やかに流れていることが、ほとんど肌身で感じられるのです。すると、私たちの生のあらゆる瞬間がただひとつの空間に凝集しているかのような感覚をおぼえる。まるで、未来の出来事もすでにそこに存在していて、私たちが到着するのを待っているかのようなのです。」(p247)
ゼーバルト作品は、一人の女性翻訳家によって訳出されている。これらはゼーバルトの文学なのか、鈴木氏の文学なのか。日本文学そのものに漂う閉塞感には、抜き差しならぬものがある。ほとんど崩壊状態かもしれない。その一方で、翻訳作品には新しい新鮮な動きがある。グローバリゼーションのなかでの、日本の新しい文化的胎動が、これらの「他言語の日本化」を通して、活性化していくことに期待したい。
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アウステルリッツ 単行本 – 2003/7/25
建築史家アウステルリッツは、帝国主義の遺物である駅舎、裁判所、要塞、病院、監獄の建物に興味をひかれ、ヨーロッパ諸都市を巡っている。そして、彼の話の聞き手であり、本書の語り手である〈私〉にむかって、博識を開陳する。それは近代における暴力と権力の歴史とも重なり合っていく。
歴史との対峙は、まぎれもなくアウステルリッツ自身の身にも起こっていた。彼は自分でもしかとわからない理由から、どこにいても、だれといても心の安らぎを得られなかった。彼も実は、戦禍により幼くして名前と故郷と言語を喪失した存在なのだ。自らの過去を探す旅を続けるアウステルリッツ。建物や風景を目にした瞬間に、フラッシュバックのようによみがえる、封印され、忘却された記憶……それは個人と歴史の深みへと降りていく旅だった……。
多くの写真を挿み、小説とも、エッセイとも、旅行記とも、回想録ともつかない、独自の世界が創造される。欧米で最高の賛辞を受けた、新世紀の傑作長編。
歴史との対峙は、まぎれもなくアウステルリッツ自身の身にも起こっていた。彼は自分でもしかとわからない理由から、どこにいても、だれといても心の安らぎを得られなかった。彼も実は、戦禍により幼くして名前と故郷と言語を喪失した存在なのだ。自らの過去を探す旅を続けるアウステルリッツ。建物や風景を目にした瞬間に、フラッシュバックのようによみがえる、封印され、忘却された記憶……それは個人と歴史の深みへと降りていく旅だった……。
多くの写真を挿み、小説とも、エッセイとも、旅行記とも、回想録ともつかない、独自の世界が創造される。欧米で最高の賛辞を受けた、新世紀の傑作長編。
- 本の長さ289ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2003/7/25
- ISBN-104560047677
- ISBN-13978-4560047675
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商品の説明
出版社からのコメント
個人の記憶の迷路に迷い込むことが、 そのまま歴史の深い闇に降り立つことでもある。 狂おしいまでの切実さ。 底知れぬ憂いから生まれるユーモア。 W.G.ゼーバルトは、 20世紀が遺した最後の偉大な作家である。
(柴田元幸)
(柴田元幸)
内容(「MARC」データベースより)
建築史家アウステルリッツの欧州を巡る遍歴は、封印されていた記憶を呼び起こし、個人と歴史の深みに降りていく旅だった。欧米で絶賛され、多くの文学賞に輝いた世紀の傑作。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2003/7/25)
- 発売日 : 2003/7/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 289ページ
- ISBN-10 : 4560047677
- ISBN-13 : 978-4560047675
- Amazon 売れ筋ランキング: - 450,575位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
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2014年4月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
配送は早めで助かりました。
帯の一部が破れていたり剥がれていたり埃が挟まったりしていましたが、本文を読む上では全く問題はありませんでした。
帯の一部が破れていたり剥がれていたり埃が挟まったりしていましたが、本文を読む上では全く問題はありませんでした。
2017年2月18日に日本でレビュー済み
堀江敏幸氏の雑誌に掲載されていた氏の部屋の写真に遠目で写っていた本棚に目を凝らし、かろうじてタイトルを判読できた一冊。
静かな文体と、趣きのある写真にまつわる話たち。
どなたかも書いていたらしたが、私にもオールタイムベスト。
「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を最近手に取り、写真が挿入されて話が進む形態にアウステルリッツを思い出し、レビューを書いてみた。
図書館で借りて読んだので、自身の手元に所有したいのだが、すでに絶版になってからしばらくたつ。再販望みまくり。
静かな文体と、趣きのある写真にまつわる話たち。
どなたかも書いていたらしたが、私にもオールタイムベスト。
「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を最近手に取り、写真が挿入されて話が進む形態にアウステルリッツを思い出し、レビューを書いてみた。
図書館で借りて読んだので、自身の手元に所有したいのだが、すでに絶版になってからしばらくたつ。再販望みまくり。
2008年8月15日に日本でレビュー済み
今年のベストはおろか、オールタイムベストの一つとなるだろう作品。茫漠と広がる灰色の、セピア色の、モノクロの景色の中に極彩色の点景。行き過ぎる場所としての駅舎。記憶を湛える器としての要塞、ゲットー、あばら家、図書館、墓場。空間と時間、生者と死者、自己と他者、それぞれの記憶が言葉と像とによって紡がれる物語。小説が扱う最も基本的な素材をもってして、20世紀の終わりにこれだけの作品を作り上げたというその偉大さには言葉が無い。参りました。
2012年1月18日に日本でレビュー済み
“私”が、旅先で偶然出会ったアウステルリッツという建築史の研究家から
彼の半生と、その奥にあるホロコーストという歴史を聞くという物語。
一番の特徴は「アウステルリッツ」というタイトルに見て取れるように
ホロコーストについて「直接的」ではなく、あえて「間接的」に語っている点だと思う。
建築史の観点に印象的な写真を添えて回想は進んで行く。
一般的な小説とは全く違う切り口を使うだけでなく、
アウステルリッツという友人の証言を、ときに彼の知人の証言(“私”の知り合いの知り合い)
を通して、しかも途切れ途切れに語っていくのは、言わば「遠回し」とも言える。
そしてその伝聞を通して語られることの奥にあるものは
「記憶」というもうひとつの重要なテーマだ。
本質に触れるようで触れないその距離感は見事という他はなく、
遠回しだからこそ、著者の暗黒の歴史に対する怒り、悲しみを
より深く感じることができるのかもしれない。
しかし、そういった手法の故、回想が淡々と語られるだけの静的な作品とも言える。
私はどちらかと言うと「ベタ」と言うかもっと動的な作品のほうが好みなので
ちょっと物足りないと感じてしまったので星を一つ減らさせてもらった。
(もちろんこの内容を動的に語ってしまうと、本作における奇跡的なバランスは崩壊し、
平凡な作品になってしまうだろうが)
素晴らしい作品だが、その点だけは好みが分かれるところではないかと思う。
彼の半生と、その奥にあるホロコーストという歴史を聞くという物語。
一番の特徴は「アウステルリッツ」というタイトルに見て取れるように
ホロコーストについて「直接的」ではなく、あえて「間接的」に語っている点だと思う。
建築史の観点に印象的な写真を添えて回想は進んで行く。
一般的な小説とは全く違う切り口を使うだけでなく、
アウステルリッツという友人の証言を、ときに彼の知人の証言(“私”の知り合いの知り合い)
を通して、しかも途切れ途切れに語っていくのは、言わば「遠回し」とも言える。
そしてその伝聞を通して語られることの奥にあるものは
「記憶」というもうひとつの重要なテーマだ。
本質に触れるようで触れないその距離感は見事という他はなく、
遠回しだからこそ、著者の暗黒の歴史に対する怒り、悲しみを
より深く感じることができるのかもしれない。
しかし、そういった手法の故、回想が淡々と語られるだけの静的な作品とも言える。
私はどちらかと言うと「ベタ」と言うかもっと動的な作品のほうが好みなので
ちょっと物足りないと感じてしまったので星を一つ減らさせてもらった。
(もちろんこの内容を動的に語ってしまうと、本作における奇跡的なバランスは崩壊し、
平凡な作品になってしまうだろうが)
素晴らしい作品だが、その点だけは好みが分かれるところではないかと思う。
2003年8月11日に日本でレビュー済み
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2003年12月4日に日本でレビュー済み
おもしろかった。アウステルリッツの時間の捉え方が特に。過去の遺物とは「過去」を現存させたまま「現在」という時間をも包含する。うーん、もう一度読もう。個人的には「蛾」を眺めていた思い出を語る場面が好きだ。
2003年12月20日に日本でレビュー済み
この手の、いかにも純文学という感じの本は苦手なのだが、わりにすらすら読める本だった。それは文体が難解でないこともあるだろうが、写真が多用されているせいだろう。私はこの写真が気に入ってしまった。白黒の、人のいない風景の写真が多く、写真を見ながら文章を読んでいると不思議な世界に誘われてしまう。
例えば、ヨーロッパの聖堂のように大きい駅の窓に清掃する人が二人、クモのように張り付いている。文章で指摘されていないと気づかないくらいの大きさなのだが、いわれてみると確かにクモのように見えて面白いと思った。
この小説はストーリーを追うというよりは、書かれているディティールを一つ一つ楽しむ種類のものだろう。たまに本を閉じて、空想の世界に遊びたくなる。ゆっくり時間をかけて読みたい作品。
例えば、ヨーロッパの聖堂のように大きい駅の窓に清掃する人が二人、クモのように張り付いている。文章で指摘されていないと気づかないくらいの大きさなのだが、いわれてみると確かにクモのように見えて面白いと思った。
この小説はストーリーを追うというよりは、書かれているディティールを一つ一つ楽しむ種類のものだろう。たまに本を閉じて、空想の世界に遊びたくなる。ゆっくり時間をかけて読みたい作品。