ソフィストというとソクラテスやプラトンに敵対してやり込められる印象があるが、まず十把一からげにすることはできず、それぞれに意味深長な哲学があり、さらに現代にはむしろしっくりくる思想であったりすることがわかる。ソフィストは主にプラトンの対話篇に登場するため、彼らの主張は現代に正しく伝わっていないという。本書はソフィストのプロタゴラス、ゴルギアス、アンティフォン、クリティアスなどの思想を見て、プラトンのフィルターを通さない姿を解き明かそうとする。またプラトンの著作の中にある文脈から、本来の姿を再発見しようとしたり、またアリストテレスの著作から彼らが再評価されていることを明らかにする。
ソクラテス、プラトンから派生する哲学者以外をすべてソフィストとしてまとめてきた歴史があるが、それぞれ違っているし、訳者解説によればそもそもイソクラテスやアリストファネスの文献では、ソクラテスもソフィストと呼ばれている。『古代ギリシアの民主政』(橋場)ではソクラテスやプラトンが寡頭派側の人物で、民主政に反対していたことが述べられるが、ソフィストであるプロタゴラスやゴルギアスはむしろ民主政を支持していたようだ。
この頃の民主政は直接民主政で市民の多くが参加していて(30000人の市民のうち5000人)、それだけいれば議場が荒れてしまうこともあっただろうか。ソクラテスも一年間議長を務めたことがあり、アルギヌサイ裁判で不慮の事故なのに死刑判決を下そうとする民衆に思いとどまるよう説得したことがある。そして死刑判決が実行されたために、この民主政は衆愚政治だとして後世に伝わってしまう(民衆も後に後悔する)。そしてこの頃の時代背景も30年続いたペロポネソス戦争とその敗北、滅亡の危機感により異様な状況であったことも民主政の混乱を助長していたという。
高校の教科書ではソフィストは詭弁家として悪名を馳せている。それはソクラテス、プラトンの哲学を尊重してきた西洋の影響から、プラトンの対話篇に登場するソフィストたちは詭弁家の扱いで日本でも同じような道筋をたどってきた。
ゴルギアスは確かに弁論術を生業にしていたようだが、弁論=言葉=魂に触れるための手段という意味合いが強かったようだ。これは言葉を用いて治療する精神療法、心理療法に近いものだろうか。ゴルギアスの著作『ヘレネ称賛』によれば「言葉は恐怖を鎮め、悲しみを取り除く力を持ち、喜びを生み、哀れみを増す力を持っている」と述べ、生きることは「アレスに満ち満ちている」として戦いや混乱ばかりの生に対して、言葉は魂を救う処方箋になるという。この主張は詭弁、つまり言葉を持って人を騙すのとは真逆の意味となる。アレスは軍神アレスのことで戦いや破壊の神で混乱を象徴する。
まさに言葉の解釈によって意味が逆転するのは由々しき問題である。プラトンによる『ゴルギアス』では、ゴルギアスやポロスとソクラテスとの対話の中で、弁論術の功罪が議論される(むしろソクラテスによる反証がなされる)。弁論術はその言葉の力によって身体や魂が良い状態ではないのに、良い状態だと思い込ませるだけに過ぎないという。ソクラテスによる論理は確かにそうも考えられるが、現代の視点で見ると言葉により治療する精神医学や心理療法のことを思えば、ゴルギアスの主張も的を射ている。ゴルギアス自身『ヘレネ称賛』の中で弁論術は恐怖を与えることもあれば喜びも与えられ魂に毒を盛ることもできると言って、その功罪を冷静に分析していて、何でも人々を説得すれば良いとは考えていないことがわかる。
また『ゴルギアス』では人間にとって最善のことを示さずその時々に快いことを言って無知な人々を釣って欺くこと、つまりゴルギアスの弁論術の性質について批判している。しかしこの相対主義について著者のデルベ氏はゴルギアスによる時間の概念から、ここでも意味の解釈を逆転させている。ゴルギアスは好機(カイロス)の考え方を導入して世界を見ようとしていたという。永久不変に存在するものはなく、そのために瞬間瞬間に正しいものを汲み取っていく知恵、正確性が必要だとする。そのため徳についてもそれぞれの立場によって定義するのが的確だとする。つまり敷衍して子どもの徳、老人の徳、戦争時の徳、平和時の徳があると述べる。これについては、プラトンは『メノン』において反論している。メノンは男の徳、女の徳、子どもの徳、老人の徳、自由人の徳、召し使いの徳、それぞれあるというが、ソクラテスは徳とはそんな風に蜜蜂のようにたくさんあるのかと問う。そして徳とはその蜜蜂であると言うように本質を述べるべきだと言って、メノンとの徳の模索が始まる。そこでゴルギアスの言う徳とは「人々を支配する能力だ」とするのが正しいだろうかと疑問を投げかけ、メノンは子どもや召し使いの徳として当てはまらないと答える。そして支配するにしても正義を持ってするべきだし、他にも節制や知恵、勇気、寛大なども徳の意味に含まれるという答えに行き着く。
ところで『古代ギリシアの民主政』(橋場)でソクラテスもプラトンも寡頭派に近く民主政に反対したというが、このように支配者の徳を説いていることを考えると、寡頭派が行った殺戮や暴虐については到底認めていなかったのは明白。
プロタゴラスはあらゆる言説が矛盾をまぬかれないと説く。ここから大多数の人が参加する政治の場、民会で意見が満場一致になることはないが、それは普通のことでこれこそ民主政の特性で、矛盾する状態を許容し、反対する意見が存在するものだとする。この矛盾の許容はヘーゲルも称賛していて、弁証法に通ずるものだとしている。プロタゴラスの『対立論法』では絶対者の存在を否定して人間中心主義をほのめかす。つまり見えないものを信じることはできないとして、神々の存在を否定している。当時としては科学的である。
トラシュマコスについては、プラトンによると権力者の擁護者と見なされるが、実は文脈をよく読むと権力者による事後的な正当化を告発しているのだとする。またトラシュマコスは法をも否定するが、これはプラトンが大いに批判したようだが、トラシュマコスにしてみれば法が権力者の都合の良い道具になっているために否定するに至った。彼は正義による統治がなされていないことを嘆いているのに、プラトンには理解されずに歪曲されて記録に残された。
アンティフォンの章も面白い。法は自然に反している。というのも正義はある都市の法を守ることであるが、それは人間の必然性に反することがある。自然にある真理には反することがあるという。都市(国家)の法は必ずしも人間の本質には沿っていない。
その他にもソフィスト、いやギリシアにいた様々な思想家は現代に誤って伝えられていることが明らかにされる。プラトン批判とまではいかなくとも、当時も絶対的な思想があったわけではなく、多様な考え方があったことが分かって新鮮であった。ギリシア哲学=プラトン哲学というのも、実は当時の一面しか捉えていないとすれば新たな探求心が湧いてくるというもの。
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ソフィスト列伝 (文庫クセジュ 862) 新書 – 2003/5/1
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プラトンやアリストテレスからの攻撃には、異議あり! 本書は、西洋形而上学のなかで「詭弁家」の烙印を押されてきたソフィスト8人の生涯と著作を紹介し、その復権へと導く。
【「訳者あとがき」より】
原著者・ロメイエ=デルベ氏は、一九五六年エコール・ノルマルを修了、一九五九年に哲学の教授資格を、一九七八年には博士号をそれぞれ取得されている。その後、ディジョン大学、ボルドー第三大学を経て、現在パリ第四大学(ソルボンヌ)の古代哲学の教授の職にある。あわせて、国立学術研究所のレオン・ロバン記念・古代思想研究センターの長として、アリストテレスの『魂論』や『ニコマコス倫理学』、エピクロス哲学などに関して、共同研究を組織し、その成果を編著の形でまとめるなど、現今のフランスの古代哲学研究の指導的役割を果たしておられる。
【「訳者あとがき」より】
原著者・ロメイエ=デルベ氏は、一九五六年エコール・ノルマルを修了、一九五九年に哲学の教授資格を、一九七八年には博士号をそれぞれ取得されている。その後、ディジョン大学、ボルドー第三大学を経て、現在パリ第四大学(ソルボンヌ)の古代哲学の教授の職にある。あわせて、国立学術研究所のレオン・ロバン記念・古代思想研究センターの長として、アリストテレスの『魂論』や『ニコマコス倫理学』、エピクロス哲学などに関して、共同研究を組織し、その成果を編著の形でまとめるなど、現今のフランスの古代哲学研究の指導的役割を果たしておられる。
- 本の長さ163ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2003/5/1
- ISBN-104560058628
- ISBN-13978-4560058626
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- 新書 : 163ページ
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2011年2月4日に日本でレビュー済み
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***
「西洋哲学全体がプラトンの脚注である」といわれていますが( ブライアン・マギー(中川純男訳)『知の歴史−ビジュアル版哲学入門』BL出版(1999) 24頁),その理由は,本書を読むことでよく理解できます。
なぜなら,プラトンの著作には,プラトンのライバルであるソフィストたちの言説を,あるときはそのままに,あるときはねじ曲げて紹介した上で構成されているものが多いため,プラトン以降の西洋哲学は,プラトンによって歪められたソフィスト像を,その「注釈」によって,元に戻す歴史でもあるという一面を有しているからです。
***
本書で紹介されるソフィストは,以下の8人です。
(1) プロタゴラス: プラトン『プロタゴラス』 で著名な最初のソフィスト。「人間尺度説」で知られ,政治的能力が万人に分与されているとして民主政治を擁護している(これに対して,プラトンは「神が万物の尺度である」( プラトン『法律』 716C))とし,しかも,政治の技術を専門家の技術と見なして,哲人政治を説いている)。また,真理はどこかに「ある」ものではなく,人間が作り上げるものであるとして,市民教育としての有料の公開授業および一般教養の創始者となった人物。
(2) ゴルギアス:好機(カイロス)という実践的な時間性を考えた最初の思想家であり,姦通の悪評からヘレネを弁護する『ヘレネ称賛』( 納富信留『ソフィストとは誰か?』人文書院(2006) 139−145頁に完訳がある),裏切りの嫌疑からパラメデスを弁護する『パラメデス弁明』( 納富・ソフィストとは誰か? 175−188頁に完訳がある),エレア派(パルメニデス『あるはある/ないはない』,および,メリッソス『自然について,あるいは,あるについて』)のパロディである『非存在について,あるいは自然について』( 納富・ソフィストとは誰か? 203−210頁にセクストス版の完訳がある)など,ソフィストにあって唯一,多くの著作物の断片が現存しており,プラトンの好敵手でもあった最も著名なソフィスト。
(3) リュコフロン:ゴルギアスの弟子であり社会契約説の先駆者とされる。
(4) プロディコス:プロタゴラスの弟子と見られている神話の哲学の最初の著述者。
(5) トラシュマコス:倫理と政治とを相反するものと見て,両者を分裂したままの状態で堅持したために, プラトン『国家』 の最初の登場人物として,「暴力崇拝者」に仕立て上げられている。
(6) ピッピアス:分析的であるために破壊的なものになるとしてソクラテスの問答法に反対し,プラトンとは異なり,美を抽象的な実在ではなく様々な事物に実在するものであるとし,アリストテレス主義の先駆者となった。
(7) アンティフォン:プラトンによって完全に無視されているが,本書の著者によって最も偉大なソフィストであり,精神分析学の先駆者として評価されている。
(8) クリティアス:神々というのは虚構であるが,有用な虚構であるという考え方によって,ニーチェの先駆者となった。
***
本書を読むと,いままで,ソフィストが悪し様に言われてきた原因は,ソフィストの著作が焚書(プロタゴラス)等によってほとんど消滅し,断片しか残っていないこと,ソフィストの学説を知る資料としてはは,これに敵対するプラトンまたはアリストテレスの著作に頼らざるを得なかったからだということ,しかし,残された断片の研究から,プラトンやアリストテレスの記述が必ずしも歴史的証言ではなく,反ソフィストの立場からの理論的証明に利用されていたということが次第に明らかになっていることを理解することができます。
本書の特色は,ソフィストと呼ばれた人々の考え方は,その学説がひとまとまりとなっているわけではなく,それぞれが,これまで西洋哲学の主流されてきた考え方を覆すような独自性のある理論であることを強調している点にあります(なお,わが国における優れたソフィスト研究としては, 田中美知太郎『ソフィスト』講談社学術文庫(1976) ,とその後の研究成果を踏まえた最新の研究書である 納富信留『ソフィストとは誰か?』人文書院(2006) があります)。
それぞれの人々が,ソフィストと呼ばれている理由は,理論の傾向にあるのではなく,単に,歴史上似たよう時期(古代ギリシャ)に活動し,また,社会的地位に似たような地位(職業的知的教育者)を占めていたという事実によるのだというわけです。
***
本書で紹介されているそれぞれのソフィストの考え方を読んでいくと,西洋における古今のほとんどすべての哲学思想の萌芽に出会うことができるだけでなく,民主政治における議論の重要性と,その脆弱性とをよく理解することができます。
本書は,従来の哲学の常識にとらわれない自由な発想を得られる点で,民主制における今後の議論のあり方,今後の市民教育のあり方を考える人にとって,「ソフィスト列伝」というタイトルからは予想できない,全く新しい発想法,または,発想のヒントを与えてくれる良書だと思います。
「西洋哲学全体がプラトンの脚注である」といわれていますが( ブライアン・マギー(中川純男訳)『知の歴史−ビジュアル版哲学入門』BL出版(1999) 24頁),その理由は,本書を読むことでよく理解できます。
なぜなら,プラトンの著作には,プラトンのライバルであるソフィストたちの言説を,あるときはそのままに,あるときはねじ曲げて紹介した上で構成されているものが多いため,プラトン以降の西洋哲学は,プラトンによって歪められたソフィスト像を,その「注釈」によって,元に戻す歴史でもあるという一面を有しているからです。
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本書で紹介されるソフィストは,以下の8人です。
(1) プロタゴラス: プラトン『プロタゴラス』 で著名な最初のソフィスト。「人間尺度説」で知られ,政治的能力が万人に分与されているとして民主政治を擁護している(これに対して,プラトンは「神が万物の尺度である」( プラトン『法律』 716C))とし,しかも,政治の技術を専門家の技術と見なして,哲人政治を説いている)。また,真理はどこかに「ある」ものではなく,人間が作り上げるものであるとして,市民教育としての有料の公開授業および一般教養の創始者となった人物。
(2) ゴルギアス:好機(カイロス)という実践的な時間性を考えた最初の思想家であり,姦通の悪評からヘレネを弁護する『ヘレネ称賛』( 納富信留『ソフィストとは誰か?』人文書院(2006) 139−145頁に完訳がある),裏切りの嫌疑からパラメデスを弁護する『パラメデス弁明』( 納富・ソフィストとは誰か? 175−188頁に完訳がある),エレア派(パルメニデス『あるはある/ないはない』,および,メリッソス『自然について,あるいは,あるについて』)のパロディである『非存在について,あるいは自然について』( 納富・ソフィストとは誰か? 203−210頁にセクストス版の完訳がある)など,ソフィストにあって唯一,多くの著作物の断片が現存しており,プラトンの好敵手でもあった最も著名なソフィスト。
(3) リュコフロン:ゴルギアスの弟子であり社会契約説の先駆者とされる。
(4) プロディコス:プロタゴラスの弟子と見られている神話の哲学の最初の著述者。
(5) トラシュマコス:倫理と政治とを相反するものと見て,両者を分裂したままの状態で堅持したために, プラトン『国家』 の最初の登場人物として,「暴力崇拝者」に仕立て上げられている。
(6) ピッピアス:分析的であるために破壊的なものになるとしてソクラテスの問答法に反対し,プラトンとは異なり,美を抽象的な実在ではなく様々な事物に実在するものであるとし,アリストテレス主義の先駆者となった。
(7) アンティフォン:プラトンによって完全に無視されているが,本書の著者によって最も偉大なソフィストであり,精神分析学の先駆者として評価されている。
(8) クリティアス:神々というのは虚構であるが,有用な虚構であるという考え方によって,ニーチェの先駆者となった。
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本書を読むと,いままで,ソフィストが悪し様に言われてきた原因は,ソフィストの著作が焚書(プロタゴラス)等によってほとんど消滅し,断片しか残っていないこと,ソフィストの学説を知る資料としてはは,これに敵対するプラトンまたはアリストテレスの著作に頼らざるを得なかったからだということ,しかし,残された断片の研究から,プラトンやアリストテレスの記述が必ずしも歴史的証言ではなく,反ソフィストの立場からの理論的証明に利用されていたということが次第に明らかになっていることを理解することができます。
本書の特色は,ソフィストと呼ばれた人々の考え方は,その学説がひとまとまりとなっているわけではなく,それぞれが,これまで西洋哲学の主流されてきた考え方を覆すような独自性のある理論であることを強調している点にあります(なお,わが国における優れたソフィスト研究としては, 田中美知太郎『ソフィスト』講談社学術文庫(1976) ,とその後の研究成果を踏まえた最新の研究書である 納富信留『ソフィストとは誰か?』人文書院(2006) があります)。
それぞれの人々が,ソフィストと呼ばれている理由は,理論の傾向にあるのではなく,単に,歴史上似たよう時期(古代ギリシャ)に活動し,また,社会的地位に似たような地位(職業的知的教育者)を占めていたという事実によるのだというわけです。
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本書で紹介されているそれぞれのソフィストの考え方を読んでいくと,西洋における古今のほとんどすべての哲学思想の萌芽に出会うことができるだけでなく,民主政治における議論の重要性と,その脆弱性とをよく理解することができます。
本書は,従来の哲学の常識にとらわれない自由な発想を得られる点で,民主制における今後の議論のあり方,今後の市民教育のあり方を考える人にとって,「ソフィスト列伝」というタイトルからは予想できない,全く新しい発想法,または,発想のヒントを与えてくれる良書だと思います。