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木のぼり男爵 (白水Uブックス 111 海外小説の誘惑) 新書 – 1995/8/1

3.3 5つ星のうち3.3 14個の評価

 イタリアの男爵家の長子コジモ少年は、12歳のある日、カタツムリ料理を拒否して木に登った。以来、恋も冒険も革命もすべてが樹上という、奇想天外にして痛快無比なファンタジーが繰り広げられる。笑いの中に、俗なるものが諷刺され、失われた自然への郷愁が語られるカルヴィーノ文学の代表作。
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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

イタリアの男爵家の長子コジモ少年は12歳のある日、カタツムリ料理を拒否して木に登った。以来生活の全てが樹上で繰り広げられる。失われた自然への郷愁が語られる著者の代表作、90年刊の再刊。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 白水社 (1995/8/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1995/8/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 311ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 456007111X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4560071113
  • カスタマーレビュー:
    3.3 5つ星のうち3.3 14個の評価

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イタロ・カルヴィーノ
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2005年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ラストがあっさり切なかった。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 本作は,ゲテモノばかりを料理する姉の出したカタツムリ料理を拒否し,12歳で木の上に上って以降一生を木の上ですごした兄コジモの生活を弟が語るという形をとった,おかしみともの悲しさのつまった奇想天外な物語です。
 最初は気が狂ったおかしな少年と見られていたコジモも,自ら快適な生活を考案し,地上に生きる者に示唆を与えることによって,ある者にとっては尊敬の対象となります。
 そしてコジモが18歳になったころには指導者としての貫禄が備わり,他人を指揮することについて父に問われた際には
「わたしに他人より多くの考えがある時,この考えを人が受け入れる限り与えること,これが指揮することと承知しております」
と答えるまでの貫禄が備わり,地域の人々からも好意的に受け止められるまでになります。
 そして多くの本を読み知識も豊富になるにつれて,人生において最も不足しているものに気がつきます。
 そう。人を愛するということです。
 奔放で美しい女性ヴィオーラとの再会の場面は,本書において最も感動的です。
 コジモの飼う犬オッティモ・マッシモ(なんておかしな名前でしょう)の幸せそうなそぶり。
 それだけにその後の展開は物悲しい。
 ユーモアと示唆に富んだ良い作品です。
 
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年12月18日に日本でレビュー済み
たしか大学生の時に読んで、久しぶりに読み返した。
名作だなあ。
いろんな要素が入っていて、さまざまな読み方・受け止め方があるんだろうけど、わたしにとっては“切ない”小説。

「男爵家の長子コジモは12歳でカタツムリ料理を拒否して木に登り、以来、一生を樹上で暮らすことに。奇想天外にして痛快無比な冒険。」
これは出版元の白水社による紹介文。
一生を樹上で暮らすと言っても、仙人とか隠遁者の風情はなく、頑固者ではあるけれどしっかりとコミュケーションをとり、集団行動も否定はしない。
一人で生きる覚悟と一人では生きられないという認識。

樹上で暮らすということは、自然と一体化する、世の中を俯瞰して見る、人々と距離を置く、(地に足を着けないという)誓いを守る、(樹々の無い所には行けないという)制限を受け容れる、ということだろう。
コジモはそれらに順応し/させて、なおかつ、積極的な活動や情報収集により自らを成長させていく。
ただ、恋の成就と愛の真理追求は難しかったようだけれど。

面白い/難しい設定のお話を作者カルヴィーノは時に軽く時折重く、歴史上の人物を登場させたり、語ることを語ったりしながら、物語を進めていく。
樹上のコジモに似てるな、と感じる。
物語と一体化する、世の中を俯瞰して見る、読者と距離を置く、(創作という)誓いを守る、(小説という)制限を受け容れる。

ラスト。
コジモはやはり樹上で生涯を終えるのか、と思いきや、もっと高いところに行き、消えてしまう。
最後まで理想を追い求めたのか、本当は最後くらい地に足を着けたかったのか。
それはよくわからないけど、自らの意志により自由に生きることを最後まで考えていたんじゃないかなと思う。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年8月24日に日本でレビュー済み
物語の楽しさに満ちた小説である。
木の上で生活するという突飛な設定で、イタリアの一時代を語る作者の
力量にはひたすら驚嘆する。
ちりばめられている数々のパロディは当方の無学から理解できないものも多いけれど、それでも十分に楽しめた。

ただし......。
翻訳が本書の楽しさをだいなしにしている。
私はイタリア語はまったく解さないけれど、それでも言えることは本書の訳は日本語としてはあまりにひどすぎる。
原書に忠実な翻訳を目指されたのだろうが、まるで中学生英語の訳文のような日本語になってしまっている。
もし訳文が異なっていれば、本書をもっと楽しく読むことができ、
さらに日本でも広く読まれる書になっていただろうと思うと、とても悲しい気持ちになる。
このあまりにも不幸な状況から、本書を救い出す方法はどこかにないのだろうか?
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年4月17日に日本でレビュー済み
椎名誠の短篇「鉄塔のひと」に抱いたのと似たような興味を持って読み始めた。制約された状況下において具体的にどのようにして生活を送るのか。なんとなく特定の木を定めてそこから一歩も動かないのかなと思っていたら、そういう訳ではなく地面に降りなければセーフという「ルール」を主人公は設定しており、それこそテナガザルのように縦横無尽に木々の間を移動する。またサバイバルに固執しない融通加減も興味深かった。寓話的雰囲気や18世紀という時代設定を考慮したため、かように訳文を読みづらくしているのかと勘ぐったものの訳者あとがきによれば、初めての翻訳作品故不得手な面云々とありげんなり。かなり読むのに難儀する文章である。読了後眼球が3センチぐらい埋没するような疲れにとらわれた。もともと作者の狙いがそこにあったのかも知れないが終盤のフリーメーソンが出てくる件から退屈になる。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年10月17日に日本でレビュー済み
「コジモとヴィオラの情熱的な恋」などと言うと、どんな間抜けなお話かと心配してしまいますが、実際彼らがオンブローザの森の木の下で突き詰めた間抜けさは、ちょうど僕たちが日々直面する、悲しい間抜けさなのでした。いったいどうして、一番言いたいことばは告げられず、一番言いたくないことばばかり簡単に口をつくのでしょう?
「あなたは木の上の領主様よ! でも、地面に落ちたら全てを失うの」。コジモがついに得られなかったもの。木の上の領主様が、全てを失ったとしても得るべきだったかもしれないもの。このヴィオラの警句が暗示する本作のテーマ、それは少なくとも木の上のお間抜けの一人である僕にとってもまた、深刻な問題なのです。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年6月9日に日本でレビュー済み
カネマンやアカロフ他の行動経済や経済心理学を
持ち出すまでも無く、本書の主人公コジモが12歳以降に
構築した樹上経済圏は地上と言う経済的外部との
エクスチェンジでうまく機能していたのですが・・・

彼が18歳の時の相手、スペインから亡命してきた
公爵令嬢ウルスラや、25歳の時に再会した初恋の
相手、侯爵令嬢のヴィオーラとの樹上の逢瀬以降を
考えると、コジモが18歳以前にあれほど合理的だったのが
うそのようです。語り手、コジモの弟が「ヴィオーラと
別れたあとの兄は本当の狂人になってしまった」と言って
いますが、実は狂気の時代に突入していたのは
フランス革命からナポレオン戦争、王政復古へと
大きく激動していたこの時代のヨーロッパ全体なのかも。

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<個人的にイタロ・カルヴィーノは前衛的な現代文学の
作家と言うイメージが強かったのですが、ネオレアリスモの
時期からヨーロッパ歴史物三部作(「真っ二つの子爵」
「木登り男爵」「不在の騎士」)を通過し「レコスミコミケ」や
「柔らかい月」等へと移行したひとであり、
1923年生まれでパルチザンとしての戦争経験も
ある事からするとカート・ヴォネガットと良く似た同世代人
とも言えそうです。いや、遅咲きのヴォネガットは
リアリズム文学や歴史小説を書く時代が欠落していたのに
対して、カルヴィーノは戦後、パルチザン戦記もの
「蜘蛛の巣の小道」で早々に注目されてしまったので
スタイルやテーマを変えながら作品を発表してきたのかも
しれません。>

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この小説のほかの人物については母君の「将軍令嬢ジェネラレッサ」
と呼ばれる男爵夫人が印象的です。幕僚的な母親は野戦用天幕の
中から一歩も外へ出てくることが無い。男の子は独立した一個の
戦闘ユニットのようなものであり、彼がフィールドで戦う様子を
幕僚母君は後方より見つめているだけ。下士官OLや三等兵女親とは異なります。
子育てはこのようにありたいとコムスメながらそう思います。
また、娘・女の子の子育てというのは、コジモたちの姉バッティスタが
悪趣味で御下劣で幾分ヤリマンですが、勝手に幸福になってしまうもの
らしいから、放任主義でいいのかも。彼女バッティスタは母親の
臨終の際にも里帰りすらしませんでした。
2003年1月30日に日本でレビュー済み
「われらが先祖」三部作の第二作です。
12歳の時に、意地悪な姉の作ったカタツムリ料理を拒否して木に登って以来、65歳で死ぬまで樹上で暮らした男爵の物語です。時代設定は“われわれの先祖”第一作の『まっぷたつの子爵』よりも少し新しい時代、18世紀後半から19世紀初頭にかけてです。情熱的な恋も、革命のための熱い思想も、男爵本人ではなく“弟”という身近な他人の目を通して冷徹に描かれています。このため、奇想天外とも言える男爵の思想や生活の様相からは、冒険の夢や、人生の楽しさ、滑稽さは殆ど感じられず、むしろ物悲しさをばかりが感じられました。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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