こういったどことなく終末っぽい雰囲気は、この作品とは全然違うのだけれども、村上春樹の「世界の終わり〜」やマッカーシーの「ザ・ロード」、カズオイシグロの「わたしを離さないで」なんかを彷彿させて、それだけでなんだが興奮してしまう。
何ものも続きはしません。心の中の思いさえも。いったんなくなったものは、もうそれでおしまいなのです。
希望と喪失感。
上記に記した作品が好きな人なら、この本をお薦めします。
ポール・オースターの他の作品とは一風違う風味であるが、オースター作品の中では、個人的に一番好きです。
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最後の物たちの国で (白水Uブックス 131 海外小説の誘惑) 新書 – 1999/7/1
人々が住む場所を失い、食物を求めてさまよう悪夢のような国――鬼才オースターが極限状況下の人間の愛と死を描く20世紀の寓話。
- 本の長さ227ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日1999/7/1
- ISBN-104560071314
- ISBN-13978-4560071311
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
アンナが行方不明の兄を捜して乗りこんだのは、人々の住む場所や、食べる物が無く、盗みや殺人が犯罪ではなくなった悪夢のような国だった。極限状況における愛と死を描く20世紀の寓話。94年刊の再刊。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (1999/7/1)
- 発売日 : 1999/7/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 227ページ
- ISBN-10 : 4560071314
- ISBN-13 : 978-4560071311
- Amazon 売れ筋ランキング: - 302,570位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2016年12月13日に日本でレビュー済み
一見、軽いノリのSFっぽい小説に思えた。世紀末の荒廃した世界。"限りなくゼロに近づく、欠乏と崩壊に覆い尽くされた世界の飢え、疲れ、寒さ、それに恐怖"。流行りの近未来系サバイバルゲームと錯覚しそうになるが、読み進むうち、私達が身近に或いは過去に知ってる世界である事に気付かされる。昔の農村で見かけた"糞尿処理システム"、第二次大戦中レニングラードに実在した"人肉工場"、そして、急速に"第3世界化"するNYシティー。これはオースターが感じ取る、もう一つの危うくも脆い暗黒の現実なのだ。
暫くすると、等身大の恐怖に背筋が凍りそうな展開になるが、中盤から後半にかけ、追い詰められた人間が狂気に駆り立てられる生々しい描写は、実に見応えがある。最後の2チャプターでは圧巻のオースター劇場と化し、たっぷりと時間を掛けて読みほぐした。これは、ホラーでもサスペンスでもサバイバルでもSFでもない。"今そこにある恐怖"そのものにすっかりと魅入ってしまう。
絶望に貼り付けになった大衆の思考が狂気へと変貌し、その狂気が全てを支配するが故に、ある者は極限の無垢な境地に行き着いてしまう。自暴自棄になる感情をも捨て去り、無になる事で、自己の内面世界がより大きくなり、より堅固になり、狂気に陥るはずの自分を1つの物語として、客観的に眺めていられるのだ。"自分がもはや自分ではなくなる"事で絶望の淵から自らを開放する。
また、ある者は、自分以外の何者かに成り済まし、多種多様な人物を演じる事で狂気をコントロールする。極限の状態で生き延びる為に、他人を出し抜くのではなく、幻想と妄想で創り上げた雑多な自分を欺く術を身につける。つまり、多種多様に思考を広げる事で絶望を回避するのだ。
また、ある者は目を閉じ、闇に浸る事で洞察力を養い、強い意志と信念の元に思考を先に押し進め、絶望の波をかき分けていく。またある者は、絶望を達観する勇気を持つ為、自らの狂気をノートに記しながら、自らに与えられた過酷な運命を真正面から見据えようとする。
『最後の物たちの国』では、この"ある者"であるサム、ポリス、ヴィクトリア、アンナの4人が中核をなすが、彼らが生き残るか死ぬかは問題ではなく、この追い詰められ荒廃した無の世界で、彼ら彼女らに纏わる様々な物語が様々に入れ替わり、一つ一つがごく些細な状況に応じて、鈍重なある種の優美さを持って変貌していく様は、実に読みごたえがある。まさに、オースター・マジックの決定版である。
暫くすると、等身大の恐怖に背筋が凍りそうな展開になるが、中盤から後半にかけ、追い詰められた人間が狂気に駆り立てられる生々しい描写は、実に見応えがある。最後の2チャプターでは圧巻のオースター劇場と化し、たっぷりと時間を掛けて読みほぐした。これは、ホラーでもサスペンスでもサバイバルでもSFでもない。"今そこにある恐怖"そのものにすっかりと魅入ってしまう。
絶望に貼り付けになった大衆の思考が狂気へと変貌し、その狂気が全てを支配するが故に、ある者は極限の無垢な境地に行き着いてしまう。自暴自棄になる感情をも捨て去り、無になる事で、自己の内面世界がより大きくなり、より堅固になり、狂気に陥るはずの自分を1つの物語として、客観的に眺めていられるのだ。"自分がもはや自分ではなくなる"事で絶望の淵から自らを開放する。
また、ある者は、自分以外の何者かに成り済まし、多種多様な人物を演じる事で狂気をコントロールする。極限の状態で生き延びる為に、他人を出し抜くのではなく、幻想と妄想で創り上げた雑多な自分を欺く術を身につける。つまり、多種多様に思考を広げる事で絶望を回避するのだ。
また、ある者は目を閉じ、闇に浸る事で洞察力を養い、強い意志と信念の元に思考を先に押し進め、絶望の波をかき分けていく。またある者は、絶望を達観する勇気を持つ為、自らの狂気をノートに記しながら、自らに与えられた過酷な運命を真正面から見据えようとする。
『最後の物たちの国』では、この"ある者"であるサム、ポリス、ヴィクトリア、アンナの4人が中核をなすが、彼らが生き残るか死ぬかは問題ではなく、この追い詰められ荒廃した無の世界で、彼ら彼女らに纏わる様々な物語が様々に入れ替わり、一つ一つがごく些細な状況に応じて、鈍重なある種の優美さを持って変貌していく様は、実に読みごたえがある。まさに、オースター・マジックの決定版である。
2006年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アンナが綴る、届くはずもない、読まれるはずもない手紙に描かれる絶望的な世界、というのはキングの「刑務所のリタ・ヘイワース」を思い出す。かの小説の主人公たちが刑務所の中で出会う悪夢的状況は、アンナが遭遇する悪夢と似通ったものがある。でも決定的に違うことは「刑務所...」のアンディとレッドは「外は違う」ことを知っている点。
アンナの置かれた状況はさらに容赦ない。あまりにアンナにとって不利で、勝負ははじめから分かっている。「刑務所...」のアンディが希望を持ち続け最後に偉大な勝利を収めるのに対し、アンナはどうだろう。アンディは、きっとまだどこかで生きているだろう、と思われるのに対し、アンナは読み終わった直後にもうこの世にはいないだろうと、思われてしまう。でもそんなアンナもささやかながらしぶとく希望を持ち続けている。超人的なアンディより親しみやすいアンナが持ち続ける希望、それは私にとって、より人間の持つ希望の価値を訴えるものであった。
すごい悲しい話なんですが、いい話です。しみじみしたいときにお読みください
アンナの置かれた状況はさらに容赦ない。あまりにアンナにとって不利で、勝負ははじめから分かっている。「刑務所...」のアンディが希望を持ち続け最後に偉大な勝利を収めるのに対し、アンナはどうだろう。アンディは、きっとまだどこかで生きているだろう、と思われるのに対し、アンナは読み終わった直後にもうこの世にはいないだろうと、思われてしまう。でもそんなアンナもささやかながらしぶとく希望を持ち続けている。超人的なアンディより親しみやすいアンナが持ち続ける希望、それは私にとって、より人間の持つ希望の価値を訴えるものであった。
すごい悲しい話なんですが、いい話です。しみじみしたいときにお読みください
2011年4月14日に日本でレビュー済み
アンナ・ブルームは行方不明の兄を探して「最後の物たちの国」にやってくる。
そこからアンナ・ブルームの手紙が届く。その手紙を読む形で物語は進行していく。
「これらは最後の物たちです」
手紙はこのように始まる。
「一つまた一つとそれらは消えていき、二度と戻ってきません。私が見た物たち、いまはない物たちのことを、あなたに伝えることはできます・・・」
「あなたにわかってもらえるとは思っていません。あなたはこのいっさいを見たことがないのだし、想像のしようもないでしょう・・・ある日そこにあった家が、翌日にはなくなっています。昨日歩いた道が今日はもうありません・・・」
アンナ・ブルームが描写するめくるめく悪夢のような世界。暴力がはびこり、飢えや寒さにさいなまれ、感じるのは恐怖、疲労、喪失、絶望。しかし、著者のポール・オースター曰く、「最後の物たちの国」は想像の産物ではなく、20世紀のどこかで実際に起きた出来事を下敷きにしている。「アンナ・ブルーム20 世紀を歩く―この本に取り組みながら僕はずっとこのフレーズを頭のなかに持ち歩いていた」
東日本大震災、続く福島第一原発の事故を目の当たりにした時、ふとこの本のことを思い出した。
あったはずの家が流され、なかったはずの瓦礫の山が道を遮り、見えない放射能の恐怖にさいなまれ、無人と化した町では音なき音があたりを包み、放たれた動物だけが行くあてもなく彷徨い歩く・・・我々は最後の物たちの国に住んでいるのだろうか?
手紙の終わりの方でアンナ・ブルームは「最後の物たちの国」から脱出する計画を告げる。成功するかどうかは分からない。しかし、少なくともそこには悪夢のような世界から抜け出せるかも知れない可能性がある。それだけで、彼女の胸の内には希望の光が灯る。
どのような形であれ、最終的に自分を救うのは自分自身なのだ。
そこからアンナ・ブルームの手紙が届く。その手紙を読む形で物語は進行していく。
「これらは最後の物たちです」
手紙はこのように始まる。
「一つまた一つとそれらは消えていき、二度と戻ってきません。私が見た物たち、いまはない物たちのことを、あなたに伝えることはできます・・・」
「あなたにわかってもらえるとは思っていません。あなたはこのいっさいを見たことがないのだし、想像のしようもないでしょう・・・ある日そこにあった家が、翌日にはなくなっています。昨日歩いた道が今日はもうありません・・・」
アンナ・ブルームが描写するめくるめく悪夢のような世界。暴力がはびこり、飢えや寒さにさいなまれ、感じるのは恐怖、疲労、喪失、絶望。しかし、著者のポール・オースター曰く、「最後の物たちの国」は想像の産物ではなく、20世紀のどこかで実際に起きた出来事を下敷きにしている。「アンナ・ブルーム20 世紀を歩く―この本に取り組みながら僕はずっとこのフレーズを頭のなかに持ち歩いていた」
東日本大震災、続く福島第一原発の事故を目の当たりにした時、ふとこの本のことを思い出した。
あったはずの家が流され、なかったはずの瓦礫の山が道を遮り、見えない放射能の恐怖にさいなまれ、無人と化した町では音なき音があたりを包み、放たれた動物だけが行くあてもなく彷徨い歩く・・・我々は最後の物たちの国に住んでいるのだろうか?
手紙の終わりの方でアンナ・ブルームは「最後の物たちの国」から脱出する計画を告げる。成功するかどうかは分からない。しかし、少なくともそこには悪夢のような世界から抜け出せるかも知れない可能性がある。それだけで、彼女の胸の内には希望の光が灯る。
どのような形であれ、最終的に自分を救うのは自分自身なのだ。
2012年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こちらのレビューが評価が高かったのと、ネットでの紹介を見て
この本を読みました。
あらゆる本を年中読んでいますが、期待していたほど面白くありませんでした。
最後のものたちの国で、というタイトルのまま物語は進みます。
ある先進国のお嬢様が行方不明の兄弟を探すために、架空の国(無政府状態のあの国?」に
入国し、その国のひどい現状の中生き抜いていくという物語。
ストーリーが、まず無理がある。
まずその主人公の女性があるオバ様と仲良くなり、家に居候させてもらったり、図書館に住処を見つけたり
挙句の果てには医者のハウスにお手伝いをしながら居候したりなど
運がよくとんとん拍子に生き抜いている気がします。
街中では飢えてみんながみんな家がない状態なのに主人公は偉く得をしています。
この時点でリアリティがないし、極限状態とまではいかず
あまりスリルを感じませんでした。
五体不満足で食べ物もある(もちろんジリ貧ですが)
仲間もいて愛する人もいる
そんな状況下でのお話なので、あまり伝わるものがない気がしました。
しかもそんな国に自ら飛び込んだのも自分自身なので、
まったく共感できません。
おまけに国外脱出も「国が出国禁止している」ということで
ふるさとに帰ることも簡単にあきらめてしまう主役にもげんなりしました。
もっと激しい後悔と、母国への懐かしさで壊れてしまうのが普通だと思いますが。
最初から最後まで一気読みしましたが何か物足りない。
少し薄いと思いました。
残酷な物語ならたくさん読んできているので、
耐性ができてきてしまっている私には
全然響きませんでした。
この本を読みました。
あらゆる本を年中読んでいますが、期待していたほど面白くありませんでした。
最後のものたちの国で、というタイトルのまま物語は進みます。
ある先進国のお嬢様が行方不明の兄弟を探すために、架空の国(無政府状態のあの国?」に
入国し、その国のひどい現状の中生き抜いていくという物語。
ストーリーが、まず無理がある。
まずその主人公の女性があるオバ様と仲良くなり、家に居候させてもらったり、図書館に住処を見つけたり
挙句の果てには医者のハウスにお手伝いをしながら居候したりなど
運がよくとんとん拍子に生き抜いている気がします。
街中では飢えてみんながみんな家がない状態なのに主人公は偉く得をしています。
この時点でリアリティがないし、極限状態とまではいかず
あまりスリルを感じませんでした。
五体不満足で食べ物もある(もちろんジリ貧ですが)
仲間もいて愛する人もいる
そんな状況下でのお話なので、あまり伝わるものがない気がしました。
しかもそんな国に自ら飛び込んだのも自分自身なので、
まったく共感できません。
おまけに国外脱出も「国が出国禁止している」ということで
ふるさとに帰ることも簡単にあきらめてしまう主役にもげんなりしました。
もっと激しい後悔と、母国への懐かしさで壊れてしまうのが普通だと思いますが。
最初から最後まで一気読みしましたが何か物足りない。
少し薄いと思いました。
残酷な物語ならたくさん読んできているので、
耐性ができてきてしまっている私には
全然響きませんでした。
2013年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本作の内容はいたってシンプルなので、中身にはあまり触れないほうがいいだろう。〜ディストピア小説の成功するキーは、危機的状況の中での緊張感をいかに文体で演出できるかにかかっている。レビューのタイトルに記したように「いまいち」というのは、本作が物語の中心に入っていくにしたがって前述した緊張感がいくつかの場面を除いて、保たれていないところがあるためだ。〜書き出しはいい。しかし、物語に入っていくまでの前段がやや冗漫。かつ、物語にはいっていくにつれ--いくつかの場面を除き--「どうも引き付けられないな」という印象がぬぐえなかった。ポール・オースターの他の作品同様、文章は巧い。ディテールもしっかり書き込まれていて、稚拙なところもほとんどない。それなのになぜ面白くないのか。この原因は前述した、文体に危機的な状況を演出する筆力がかけているためと、主人公アンナの生活がディストピアの中において危機感を欠く、すこし強い言い方をすれば大部分が牧歌的なモチーフでストーリーが展開しているためだ。その点でいうと、コーマック・マッカーシーのディストピア小説の名作『
ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)
』の足元にも及んでいない。文体に緊張が演出されていないのは英語ができない僕にとって、原書の要因なのか翻訳が要因なのかは判別がつかない。〜著者の大部分の作品を読んで思うのだが、オースターの才能はやはり奔放な展開をみせるリアリズムに準じたところにあるのではないか。そういう印象を持ったのが読後の感想だ。
2006年10月22日に日本でレビュー済み
オースターのニュヨーク三部作あたりと続けて読むとなんじゃこりゃ?と思うでしょう。SF? と。
解説に書いてあるが、一見SFっぽいんだけれど、モチーフは完璧に現代らしいんです。未来の話じゃない、いまどこかの国で確実に起こりえること、としてオースターは書いてある。
崩壊(しかかっている)国に迷い込んだひとりの女性からの手紙。ですます調の文体と、濃い心理描写と突き詰められた設定。それは現代の寓話にどうしても見えてしまうけれど、だからこそ、「現実」として突き刺さってくる。
生きるのに油断できない生活。意味がない、身を削ってまで、しかもそれが自己保身にしか繋がらない倒錯的な慈善活動。ひとつひとつ現代に還元していくのもおもしろい読み方かもしれないけれど、そのまま読んでみたらどうだろう?
ストーリーテラーとしての才能が怖いくらいに魅せられる傑作。
解説に書いてあるが、一見SFっぽいんだけれど、モチーフは完璧に現代らしいんです。未来の話じゃない、いまどこかの国で確実に起こりえること、としてオースターは書いてある。
崩壊(しかかっている)国に迷い込んだひとりの女性からの手紙。ですます調の文体と、濃い心理描写と突き詰められた設定。それは現代の寓話にどうしても見えてしまうけれど、だからこそ、「現実」として突き刺さってくる。
生きるのに油断できない生活。意味がない、身を削ってまで、しかもそれが自己保身にしか繋がらない倒錯的な慈善活動。ひとつひとつ現代に還元していくのもおもしろい読み方かもしれないけれど、そのまま読んでみたらどうだろう?
ストーリーテラーとしての才能が怖いくらいに魅せられる傑作。
2006年5月31日に日本でレビュー済み
アメリカを代表する前衛作家という評価が一般的なオースターの作品中にあって、ちょっと異色な作品です。
オースターの他の作品は、どちらかと言うとストーリーより、登場人物の内面を描くことに重きをおき、ややもすると話しの展開はそれに付随するオマケに過ぎない嫌いがありましたが、この作品に対してはストーリーテラーとしての役割に徹してるように思えます。
例によって明るい話しではないのですが、読んでいると物語にぐいぐい引き込まれていきます。
現代を代表する前衛作家としての顔、優れたストーリテラーとしての顔、二つの顔を同時に持ち、どちらも選ぶことができる点において、やはりオースターは偉大な作家なのでしょうね。
風刺ではないので語弊があるかもしれませんが、私の中ではオーウェルの”動物農場”と並ぶ名著です。
オースターの他の作品は、どちらかと言うとストーリーより、登場人物の内面を描くことに重きをおき、ややもすると話しの展開はそれに付随するオマケに過ぎない嫌いがありましたが、この作品に対してはストーリーテラーとしての役割に徹してるように思えます。
例によって明るい話しではないのですが、読んでいると物語にぐいぐい引き込まれていきます。
現代を代表する前衛作家としての顔、優れたストーリテラーとしての顔、二つの顔を同時に持ち、どちらも選ぶことができる点において、やはりオースターは偉大な作家なのでしょうね。
風刺ではないので語弊があるかもしれませんが、私の中ではオーウェルの”動物農場”と並ぶ名著です。