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ビザンツ帝国の最期 単行本 – 2013/2/23

4.5 5つ星のうち4.5 16個の評価

「日常的なレヴェルにおいて、ギリシア人とトルコ人は十五世紀の前半を通じて、たいていは平和的に交流していたのである。彼らは隣人であり、通商相手であって、互いの慣習や言語をどんどん取り入れていた。…ビザンツ人が対応することになった決定的な要因は、宗教や国という主張よりも国際政治の現実であり、外交的な駆け引きであった。そして自分たちの将来、家族の将来を確保するために個々人が選択する必要だったのである。」(本文より)

一四五三年五月二十八日、ビザンツ帝国皇帝コンスタンティノス十一世は、コンスタンティノープルを包囲するオスマン・トルコ軍に対し最後の戦いに臨もうとしていた。出陣に際しての演説は、「たとえ木や石でできた者であっても涙をとめることができなかった」と言われるほど感動的なものだった。翌未明、城壁がついに破られたと悟った皇帝は、死に場所を求め敵中に突入する──
悲愴で劇的な、長らく語られてきた帝国滅亡の場面である。だが悲しいかな、この出来事を伝える記録は偽作であることが今日では判明している。では実際にはどうであったのかを、当時の他の記録を見ていきながら、その背景にあるビザンツ人の価値観や複雑な国際政治の現実を、最新の研究成果を盛り込んで分析したのが本書である。
同じキリスト教の西欧諸国は、かつて十字軍で都を征服した敵でもある。一方、オスマン・トルコの台頭から帝国滅亡までの大半の期間、ビザンツ人とトルコ人は必ずしも敵同士ではなく、日常レベルでは平和に交流していた。両者のはざまで、皇族から都市民衆まで個々人が、危機に際してどういう選択をしたかを、著者は包囲戦の百年前から帝国滅亡後の人々の動向まで描いていく。
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商品の説明

著者について

ジョナサン・ハリス Jonathan Harris
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校ヘレニック・インスティテュート教授(ビザンツ史専攻)。ビザンツと西欧の関係、とくに十字軍、イタリア・ルネサンス、1453年以降のギリシア人ディアスポラを専門とする。著書は他にByzantium and the Crusades、Constantinople: Capital of Byzantiumなど。

訳者:井上 浩一(いのうえ こういち)
京都大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学名誉教授。主要著訳書:『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝 ─ 憧れの都に咲いた花』(白水Uブックス)、『ビザンツ 文明の継承と変容』(京都大学学術出版会)、『私もできる西洋史研究 ─ 仮想(バーチャル)大学に学ぶ』(和泉書院)、『世界の歴史(11) ビザンツとスラヴ』(共著、中公文庫)、ヘリン『ビザンツ 驚くべき中世帝国』(共訳、白水社)

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 白水社 (2013/2/23)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/2/23
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 352ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4560082693
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4560082690
  • 寸法 ‏ : ‎ 14 x 3 x 19.4 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 16個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2021年4月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本著は「なぜビザンツが滅亡したか」という滅亡の理由でも「ビザンツはどのように滅亡したか」という滅亡の描写でもなく、「なぜあのように滅亡したか」に迫った書である。

センセーショナルな帝都の陥落劇からは背を向け、そこに至るまでの過程と指導者たちの葛藤や判断を克明にかつ冷徹に描いた本著が指し示した帝都陥落の最大の要因は、他レビュアーの言及されるように「メフメト即位時の政治的賭博の失敗」である。
そしてそれを招く事になったのは西洋=ラテン世界に対するビザンツ側の拭い難い生理的な不信と、東方=トルコに対する距離感の近さから来た、自分達は彼らを理解しきっており、御せるという致命的な過信であった。

結局のところ、どのような理性的な(とあると思いたがる)判断であろうと人間は感情によって左右される生き物であり、それは議論好き、論理好きなギリシャ人も例外ではない。
その彼らが、自分達より更に巨大な感情を、更に巨大な理性でコントロールできる強大な敵国とその指導者に遭遇した時、どのように生きてどのように判断し、その結果あの1453年を迎えたのかが本書の中で克明に描かれていた。

読み物として、学術書として、自らを省みる気づきとして極めてお勧めの一書である。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
十分におもしろい本でした。割安で変えたので文句なしです。政治史の好きな人にはお勧めです。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年6月17日に日本でレビュー済み
著者は、あとがきで、大学の一般教養の講義を担当した折、聴講後、「歴史はロマンです」と語った学生(史学専攻ではない)の言葉を紹介し、それに対して、第二次大戦末期の沖縄戦もロマンなのだろうか?と問いかけています。この部分を読んだ時、著者は、このあとがきを書く為に、わざわざ本書を翻訳したのではないか?と思いました。

そもそも、(私の見落としかも知れませんが)、著者は基本的に論文や単著を出し続けてきた方で、監修や監訳本はあれど、おひとりで全部を翻訳した本は、本書が初めてではないかと思います。更に、ビザンツ帝国史といえど、パラエオロゴス朝に関する論文などはこれまで無かったように記憶しています。その著者が単独での訳書を出し、それが(私見では)著者の守備範囲と思えない末期に関する書籍ということで、なぜこの本を出したのか?という疑問が、読み始める前からずっと私の頭について廻っていました。それが、「あとがき」を読んで、(間違っているかも知れませんが、)私的に納得できました。本書は、著者の著作の中では、「
ビザンツ 文明の継承と変容―諸文明の起源〈8〉 (学術選書) 」に連なる書籍なのではないかと思いました。

 ところで、著者は、約30年前に、ケカウメノス『ストラテギコン』の部分訳を論文誌に掲載しているのですが、(上)(中)まで出ていて、(下)が出ていないようです。できれば、ぜひ、(下)も出して欲しいと願う次第です。ストラテギコンの家訓・処世訓は、私の父親が言っていることと非常に似ているのです。まったくロマンの無い話ですが、、、、
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年4月15日に日本でレビュー済み
塩野七生の コンスタンティーノーブルの陥落 をお読みになった方なら、ビザンツ帝国の首都を巡るキリスト教徒とイスラム教徒の攻防戦と英雄達の最期に感動したのに違いない。

この本は、そこから大半が後世の偽作といわれるロマンとドラマの部分を除いた本当の歴史を描いたものです。

東ローマ帝国からビザンツ帝国の千年の歴史で、陥落時の様子よりも、その100年あまり前から陥落後が触れられています。

ビザンツ帝国はすでに、衰退著しく、オスマン帝国の臣下国であり毎年貢物をしている国家でありほっといても滅亡していた事、21歳の若いオスマントルコ
帝国の皇帝が歴史に名を残したい野望と思慮の無いビザンツ皇帝がいなければ戦は起きなかった。

十数万のオスマン軍に対し、援軍のないビザンチン側は9000人、勝敗は眼に見えている、ビザンチンは4000人が死に皇帝も討死、哀れなのは5万ほどの市民達、少数の貴族と金持ち以外は奴隷にされ国外に売り飛ばされ、町も略奪されて滅びる。

後世、有名になった戦は金と欲望にまみれた戦に過ぎない事を見つめなおした本です。

多くの人名と地名で、読みにくく混乱するが 本当の歴史を知りたい方には好著であると思います。
26人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年5月5日に日本でレビュー済み
ビザンツ帝国といえば、オスマントルコに攻め滅ぼされたローマ帝国の末裔として知られていますが、本書はその滅亡の前後150年間ほどの歴史を解説した歴史書です。
カトリックとの宗派間論争や反トルコ・親トルコ(という言い方もなんですが)に別れたビザンツ国内の激しい派閥争いの他、ビザンツ・トルコ双方の経済的な結びつきとそれを背景とする人間関係等、二元論的には表すことの出来ない現実が詳細に解説されており、今を生きる私達の社会においても直接的に参考になる内容となっています。

色々と興味深い内容が多かったのですが、特に、破滅の可能性にさらされる事、数十年に及んだ小国ビザンツ帝国が、このリスクに鈍感になってしまい、その結果、大国オスマントルコ相手の危険な駆け引きを行い、それが滅亡を引き起こした(あるいは促進した)要因の一つになった事や、
また、滅亡後のビザンツ人たちのその後についても詳説しており、そこから分かる一般市民の殺害、略奪、性暴力、奴隷化だけでなく、かつてオスマントルコ相手のパワーゲーム(と言うには、両国の力の差は圧倒的でしたが)を演じた王族が物乞いにまで落ちぶれ、スルタンの情けでようやく生きていけるだけの年金を得た姿等、国の消滅とは何なのかをまざまざと示しており、印象的でした。

この様に内容は深く、多岐にわたっています。
ビザンツ帝国の歴史に興味をお持ちであれば、必読の一冊と言えるかと思います。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2017年1月5日に日本でレビュー済み
キリスト教国がイスラム教国に滅ぼされた。という事実から、いかにも宗教的な理由を想起しそうになるが、実はそんな事は露ほどもなく、長期に渡って制度的疲労を続けた国家が新興国家の怒りを買って息の根を止められた、というだけの事であった。
日々の生活がかかっている人々からすれば、宗教の教義がどうこういうよりまずは毎日の生活、経済的な問題の方が大事だったというある意味当たり前の事実を明るみにする書。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年7月5日に日本でレビュー済み
昔からとかくドラマチックに(=単純に)描かれがちな世界史的“大事件”前後の顛末を実証的・客観的に綴った「名著」と言えると思います。
コンスタンティノープルの陥落は、「“雷光”と呼ばれたオスマンのバヤジットによる包囲を、チムールの登場(バヤジット敗北)によって偶然しのいだが、その50年後にメフメト2世によって惨たらしく征服されました」的理解が教科書的なのだろうと思いますが、バヤジット敗北からビザンツ帝国滅亡に至る期間(ビザンツ皇帝マヌエル2世・ヨハネス8世、スルタンはメフメト1世・ムラト2世)に様々な可能性、試み、企てがあったことを本書は教えてくれます。
ビザンツは、表向きオスマンの臣下として振る舞いながら、東西教会合同まで含めたラテン(西欧)人との連携の可能性を最期まで模索していました。また、スルタンの代替わりの政情不安期には、かくまっていた(殺害される運命にあった)スルタンの親族に反乱をけしかけたり、限定的ではあるものの領土拡張戦争などもしかけています。一方、隣人としてのオスマンに親近感を持つ「融和派」も存在し、東西教会合同に反対、第4回十字軍の際の暴挙(コンスタンティノープル征服)の記憶からラテン人への嫌悪感を露わにしたりしています。
本書は、メフメト2世にコンスタンティノープル征服を決意させた直接的なきっかけを、メフメト即位時のビザンツ側のゆすり(かくまっていたメフメトの親族:オルハンへの年金倍増要求、さもなくば釈放・スルタン位要求)に見ています。この時は、親ビザンツ派とみなされていた(後のコンスタンティノープル征服戦にも反対、ビザンツからの収賄の噂もある)大宰相ハリル・パシャも立腹していたようであり、イエニチェリ軍団からの突き上げもあった若い新スルタンの“征服欲”に歯止めがかからなくなったのでしょう。
もしビザンツ帝国が、老練なムラト2世よりも血気盛んな若いメフメトの気性を見抜き、(表向き)臣従の礼を尽くしていれば、あのタイミングでの滅亡はなかった可能性もあったのだろうと思います。国力に絶大な差があり(なんとか共存していた)2国間の(恐らく偶然の)ボタンの掛け違いが世界史的“大事件”をもたらしたことを本書は示唆しており、「イスラムによるキリスト教世界の征服」のような単純な世界観に意味がないことを改めて教えられました。
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年6月18日に日本でレビュー済み
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ビザンツ史自体日本ではマイナーだが、その中でも滅亡への布石程度にさらっと扱われがちなパライオロゴス朝中~後期にフォーカスした書籍。

しかしながら、ビザンツの人々は絶望に打ちひしがれながらただ滅亡を待っていた訳でも、危機を認識し対処できなかった無能といった訳でもなかった。あくまで各々の利害に基づいて現実的に行動し、それらが複合的に絡みあって結果的に1453年の滅亡という結末を迎えてしまったという事が分かる。

従来キリスト教/イスラーム、愛国/売国のような単純な二項対立で語られがちの出来事だが、それに収まりきらない彼らの実像は現代においても示唆に富む話だと感じる。

余談だが本書を含めた白水社のビザンツ関連の本は良い装丁だと思う。ビザンツ史に興味無い方もインテリアとしていかがだろうか?