2段組で、本文だけで368ページという本で(原注や訳者あとがきを含めると450ページを超える)、ひさびさに長い本を読み終わったという達成感がある一冊でした。
高校で習った「世界史」では、ほんの数行の記述で終わる大航海時代の幕開けの歴史的人物ヴァスコ・ダ・ガマ。彼がなぜアフリカの南端をまわってインドを目指したのかを、キリスト教徒による「聖戦」という視点で描いている。
同じ時代のコロンブスが西回りでインドを目指しているが、その目的は経済的利益(スパイス)を求めたものであるのに対し、ポルトガルの航海の目的が、イスラム教徒が住むアラブの国の東方には、同じキリスト教徒であるプレスター・ジョンが治める王国があり、彼と手を組むことでイスラム教徒を排除しようとする意図があったというのである。
イベリア半島からイスラム勢力を追い出したレコンキスタをさらに拡大しようとしたわけである。実際、インド洋での交易からイスラム教徒を駆逐するために残虐なこともしていることが、この本でも書かれている。
これまで知らなかった世界を知るという読書の楽しみを十分に満足させてくれる一冊。
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ヴァスコ・ダ・ガマの「聖戦」: 宗教対立の潮目を変えた大航海 単行本 – 2013/7/24
二人の探検家はアジアへの航路開拓という同じ目的を持っていたが、ヴァスコ・ダ・ガマの功績はコロンブスの偉大な間違いの陰で長い間目立たなかった。いま、「すべての道が東方に通じていた」当時の世界に戻り、二人のバランスをセットし直そうと思う。ヴァスコ・ダ・ガマの航海は、イスラームの世界支配を覆すための、一世紀にわたるキリスト教徒の戦いの突破口だった。ガマの三回の航海で東西関係は劇的に変わり、ムスリムの時代とキリスト教の優勢時代(西洋の私たちの言う中世と近代)を分ける分岐点となった。むろん、それがすべてではない。私たちが覚えているのは一部だけであって、実際はもっとずっと大きな出来事だったのだ。(「プロローグ」より)
1497年7月、約170人の男たちを乗せた四隻の帆船が、一路インドをめざしてリスボンを出航した。この船団を率いていたのが、ポルトガルのマヌエル一世に抜擢された若き航海士ヴァスコ・ダ・ガマだ。
「新大陸発見」のコロンブスの陰に隠れて歴史上あまり目立たない存在だが、東方との交易ルートを探るという当初の目的を達成したのはガマだった。著者によると、ガマをはじめ、船団や密偵を東方めざして送り出したキリスト教君主国の目的は、香辛料や絹などの交易だけではなかった。当時、紅海を舞台にアジアとヨーロッパとの交易を仕切っていたムスリム商人を排除し、伝説のキリスト教徒プレスター・ジョンの王国を発見して、イスラーム勢力を挟撃するという使命も帯びていたという。
本書は、このアフリカ周りの「インド航路発見」にいたる過程を中心にガマの三度に及ぶ航海の足跡をたどり、イスラームの発祥から、小国ポルトガルが世界の覇権国へと変貌し、やがて衰退していく様子を、残された航海日誌や旅行者の記録などを引用しながら壮大なスケールで描いた歴史書である。本書は、優れた歴史ノンフィクションに与えられるヘッセル=ティルトマン賞の最終候補となるなど、英米で高く評価された。
1497年7月、約170人の男たちを乗せた四隻の帆船が、一路インドをめざしてリスボンを出航した。この船団を率いていたのが、ポルトガルのマヌエル一世に抜擢された若き航海士ヴァスコ・ダ・ガマだ。
「新大陸発見」のコロンブスの陰に隠れて歴史上あまり目立たない存在だが、東方との交易ルートを探るという当初の目的を達成したのはガマだった。著者によると、ガマをはじめ、船団や密偵を東方めざして送り出したキリスト教君主国の目的は、香辛料や絹などの交易だけではなかった。当時、紅海を舞台にアジアとヨーロッパとの交易を仕切っていたムスリム商人を排除し、伝説のキリスト教徒プレスター・ジョンの王国を発見して、イスラーム勢力を挟撃するという使命も帯びていたという。
本書は、このアフリカ周りの「インド航路発見」にいたる過程を中心にガマの三度に及ぶ航海の足跡をたどり、イスラームの発祥から、小国ポルトガルが世界の覇権国へと変貌し、やがて衰退していく様子を、残された航海日誌や旅行者の記録などを引用しながら壮大なスケールで描いた歴史書である。本書は、優れた歴史ノンフィクションに与えられるヘッセル=ティルトマン賞の最終候補となるなど、英米で高く評価された。
- 本の長さ490ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2013/7/24
- ISBN-104560082979
- ISBN-13978-4560082973
商品の説明
著者について
ナイジェル・クリフ(Nigel Cliff)
歴史家、伝記作家、批評家。1969年、英国マンチェスター生まれ。オクスフォード大学で英文学を学ぶ。その後、『タイムズ』で演劇批評を、『エコノミスト』で時事問題や書評、映画評の執筆を担当。本書は『ニューヨーク・タイムズ』のNotable Books of 2011に選ばれたほか、優れた歴史ノンフィクションに与えられるヘッセル=ティルトマン賞の最終候補となるなど、高く評価された。著書としてはこのほかに、1849年の「アスター・プレイス暴動」を描いたThe Shakespeare Riots(2007)がある。妻はバレリーナのヴィヴィアナ・デュランテ。
訳者:山村 宜子(やまむら よしこ)
翻訳家。1946年生まれ。国際基督教大学卒業。訳書にマーティン・セリグマン『オプティミストはなぜ成功か』(講談社)、アーサー・アッシュ『静かな闘い』、キャサリン・モーリス『わが子よ、声を聞かせて』(以上、日本放送出版協会)、アーサー・カリンドロ『あなたの人生を変えるシンプルな10のステップ』、(ダイヤモンド社)、セーラー・バークリー『ジェイミー』、ボニー・アンジェロ『ファーストマザーズ』、ローレンス・シャインバーグ『矛盾だらけの禅』(以上、清流出版)、マーガレット・ロック『更年期』(みすず書房、共訳)などがある。
歴史家、伝記作家、批評家。1969年、英国マンチェスター生まれ。オクスフォード大学で英文学を学ぶ。その後、『タイムズ』で演劇批評を、『エコノミスト』で時事問題や書評、映画評の執筆を担当。本書は『ニューヨーク・タイムズ』のNotable Books of 2011に選ばれたほか、優れた歴史ノンフィクションに与えられるヘッセル=ティルトマン賞の最終候補となるなど、高く評価された。著書としてはこのほかに、1849年の「アスター・プレイス暴動」を描いたThe Shakespeare Riots(2007)がある。妻はバレリーナのヴィヴィアナ・デュランテ。
訳者:山村 宜子(やまむら よしこ)
翻訳家。1946年生まれ。国際基督教大学卒業。訳書にマーティン・セリグマン『オプティミストはなぜ成功か』(講談社)、アーサー・アッシュ『静かな闘い』、キャサリン・モーリス『わが子よ、声を聞かせて』(以上、日本放送出版協会)、アーサー・カリンドロ『あなたの人生を変えるシンプルな10のステップ』、(ダイヤモンド社)、セーラー・バークリー『ジェイミー』、ボニー・アンジェロ『ファーストマザーズ』、ローレンス・シャインバーグ『矛盾だらけの禅』(以上、清流出版)、マーガレット・ロック『更年期』(みすず書房、共訳)などがある。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2013/7/24)
- 発売日 : 2013/7/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 490ページ
- ISBN-10 : 4560082979
- ISBN-13 : 978-4560082973
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,081,145位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 15,088位世界史 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年12月30日に日本でレビュー済み
大航海時代というと、交易と香辛料を求めて海を渡った、というイメージであろう。
しかし、大航海時代には、イスラムとの宗教対立というもう一つの非常に重要な目的があった。
特にヴァスコ・ダ・ガマに焦点を当てて、その「宗教戦争」としての大航海時代を見たのが本書である
・・・のだろうが、感想としては、史実分析や解釈の提示としても、歴史物語としても中途半端に終わってしまった印象である。
歴史学の分析、従来解釈の訂正(こちらがメインと期待して私は読んだ)として見るならば、細かな航海事情や、ガマと他の人々とのやり取りがやたらと多い割に、大航海時代や宗教対立に関する意味付け、関連事実の議論が少なすぎるように思う。
逆に歴史物語として見るならば、叙述があまりに淡白であり、まるで日誌を読んでいるかのようである。
テーマ的には非常に面白いはずなのだが、どっちつかずの中途半端な仕上げ方になってしまった印象である。
残念。
しかし、大航海時代には、イスラムとの宗教対立というもう一つの非常に重要な目的があった。
特にヴァスコ・ダ・ガマに焦点を当てて、その「宗教戦争」としての大航海時代を見たのが本書である
・・・のだろうが、感想としては、史実分析や解釈の提示としても、歴史物語としても中途半端に終わってしまった印象である。
歴史学の分析、従来解釈の訂正(こちらがメインと期待して私は読んだ)として見るならば、細かな航海事情や、ガマと他の人々とのやり取りがやたらと多い割に、大航海時代や宗教対立に関する意味付け、関連事実の議論が少なすぎるように思う。
逆に歴史物語として見るならば、叙述があまりに淡白であり、まるで日誌を読んでいるかのようである。
テーマ的には非常に面白いはずなのだが、どっちつかずの中途半端な仕上げ方になってしまった印象である。
残念。
2016年2月21日に日本でレビュー済み
著者はイギリスの歴史学者。ヴァスコ・ダ・ガマのポルトガルからアフリカを経由してのインドへの航海についての伝記である。
歴史の教科書などではコロンブスの方が取り上げられることが多いが、当時の社会における成功、また世界史的なインパクトも実際はヴァスコ・ダ・ガマの方が大きいというのが作者の主張。
第一部(1~6章)は当時の時代背景(キリスト教とイスラム教の対立)など、第二部(7~13章)はインドに至る第一回航海についての様々な話、第三部(14-19章)は第一回航海成功後、インド提督となってから改めて行った航海など、その後についての話である。
個人的には、第一部はあまり面白くなかったが、第二部と第三部は未知の事実が多かったこともあり、結構楽しめたので読む価値はあったと思う。現在へのインプリケーションまではわからなかったが、ヴァスコ・ダ・ガマの航海がいかに画期的であったかはよく分かった。
歴史の教科書などではコロンブスの方が取り上げられることが多いが、当時の社会における成功、また世界史的なインパクトも実際はヴァスコ・ダ・ガマの方が大きいというのが作者の主張。
第一部(1~6章)は当時の時代背景(キリスト教とイスラム教の対立)など、第二部(7~13章)はインドに至る第一回航海についての様々な話、第三部(14-19章)は第一回航海成功後、インド提督となってから改めて行った航海など、その後についての話である。
個人的には、第一部はあまり面白くなかったが、第二部と第三部は未知の事実が多かったこともあり、結構楽しめたので読む価値はあったと思う。現在へのインプリケーションまではわからなかったが、ヴァスコ・ダ・ガマの航海がいかに画期的であったかはよく分かった。
2014年2月20日に日本でレビュー済み
西欧=キリスト教世界にとってのインド航路の発見。それを実現したヴァスコ・ダ・ガマの所業(われわれ非キリスト教徒には、この表現こそ適切なものである)を、従来の通商的な意味だけでなく、宗教的な「聖戦」としての視点で再定義した作品だ。
ガマによる「アフリカ大陸の南端、喜望峰を回ってインドに至る航路発見」について、我々日本人も世界史として学んでいる。
だが、この書籍でも指摘されるように、現在では、彼のインド航路発見よりも、「インドを目指してアメリカ大陸に通じる海路に迷い込み、その後のアメリカ大陸の発見につながった」コロンブスの栄光に、より多くの注意がいっている。我々はガマの足跡に関心を払っていないといえるだろう。
当時の歴史の中で、現実社会の成功者としては、コロンブスではなくガマにあったことは、この書籍に描かれている通りだ。部下の反乱の中で遭難死したコロンブス。成功者として国王の称賛を受けたガマ。世俗的評価がどちらにあったのか、この書籍で明確に知ることができた。
ガマは、インドへの海路を開いたことで、世界史の中心にあったイスラム社会を打破し、その後、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカとつながる西欧=キリスト教世界の圧倒的優位を形成する先駆けになったことが、改めて理解できる。
そのすべての動機が、「イスラム社会を駆逐してキリスト教世界を実現し、イエスキリストの故地・エルサレムを再び支配下に置く」という十字軍的目的の遂行のためだったと、著者は指摘している。
およそ1千年にわたるキリスト教徒とイスラム教徒の対決を復習するため2章も割いているのは、そのためだろう。
東ローマ帝国の滅亡後、イスラム勢力の軍事的な圧迫と、イスラム勢力による香辛料交易を中心とするインド→西欧の交易という経済的制約を受けていた西欧のキリスト教社会。そのもっとも西側の辺鄙な土地にあるポルトガルと、スペインが、インドを目指したのは、商業のためはなく、宗教のためだったという論点だ。
この書籍を読む限りにおいて、古代から中世までのイスラム教社会とキリスト教社会の、相いれない対立と相克を俯瞰し、あたかも歴史の走馬灯を眺めるような、はるかな時間の流れを感じることはできるが、著作全体として「宗教のためだった」という結論を得る印象にはなっていない。
新たな土地にキリスト教を強い、応じなければ軍事力による大殺戮で言うことを聞かせる。軍事的圧力を背景にした交易と、海賊行為によって、一方的に富を収奪する、異民族と異教徒に対しては、どんなことをしてもいい、という近代西欧の手法の萌芽を、この時代、ガマが開拓し実践したということは理解できる。
「赤ん坊を母親の乳房から引き離し、両脚を持って頭を岩にたたきつけた…ほかの赤ん坊たちの身体を母親たちと、目の前にいる者全員といっしょに、剣で串刺しにした」
キリスト教の司祭を送り、帰順しないものは「人間ではない。異教徒」と断じて殺戮してゆく、恐るべきべき虐殺集団としての西欧の登場を、通り一遍に世界史を眺めただけの我々に再定義してくれるような心地よさがあった。
アフリカや、インドを制圧した同じ手法で、ポルトガルやスペインは、16世紀の我が国にも押し寄せてきた。植民地支配された各地のその後を考えるとき、当時の我が国の為政者が行った、1587年の豊臣秀吉のバテレン追放令にはじまるキリシタン弾圧の歴史は、我が国の独立維持のために妥当な選択だったと言わざるを得ない。
キリスト教徒の拡大を容認すれば、やがて植民地に転落することが明らかだった。長崎で各地でキリスト教徒は、わが国の禁教令によって「殉教」するが、そうしなければ、我々日本人は、インドやアフリカで、ポルトガル人どもから受けた所業を、過酷に蒙ることになったに違いない。
ガマの探検を通じて、私たちは、普遍的な歴史の事実を学ぶことができる。
異なる文明を持つふたつの勢力が初対面した時、九割以上の確率で武力衝突が起こり、どちらか他方が一方を大量虐殺して制圧することのみが、一般的な出会いだったことが分かる。平和的な出会いなど、ないこともないが、極めて稀だ。
軍事力=武力こそすべての時代だった。そして、その真理は、おそらく過去形ではない。
現代の構造も基本的に、この時代と変わらないはずである。宗教=共通の価値観を抱く集団同士が、相容れない状況で対峙し続けているのであり、軍事力=武力を背景にして、経済活動は成り立っており、すきあらば、相手を陥れようとする動機は、人間の本能のようなものかもしれない。
現代では、軍事力だけでなく、軍事力を補完する情報力や経済力さえもが複雑に絡み合って、ガマの時代と同様に、厳しい対立と妥協の中で成り立っている。
ガマの行動を知ることで、一見、見えてこない。現代につながる決して和解することがない宗教的対立。一方が他者を食おうとする凶暴な本能。60年間も平和が続く、平和ボケした我が国が、この書籍を通じて学ぶことは多い。
平和を守るためには、常に備えておかなくてはならない。相手よりも強く、相手よりも断固として。そうでなければ、ガマとその手下たち、ガマを継いだ最悪のポルトガル人によって、わが子、わが家族、わが都市国家、わが貿易を根こそぎ抹殺されることになる。家族を奴隷にされ、座興に殺され、捕えられて鼻をそぎ落とされ耳を切断され、手足をひきちぎられる、ポルトガル人に屈した人々のように、同じ運命をたどることになる。
書籍を読み終えて、改めてそう思った。ガマを描くことで、その普遍的な人間行動の剥き出しの真理を再定義してくれた。著者の意図するところではないかもしれないが、自分にとってはそのように受け止め、とても充実した読後感だった。
ガマによる「アフリカ大陸の南端、喜望峰を回ってインドに至る航路発見」について、我々日本人も世界史として学んでいる。
だが、この書籍でも指摘されるように、現在では、彼のインド航路発見よりも、「インドを目指してアメリカ大陸に通じる海路に迷い込み、その後のアメリカ大陸の発見につながった」コロンブスの栄光に、より多くの注意がいっている。我々はガマの足跡に関心を払っていないといえるだろう。
当時の歴史の中で、現実社会の成功者としては、コロンブスではなくガマにあったことは、この書籍に描かれている通りだ。部下の反乱の中で遭難死したコロンブス。成功者として国王の称賛を受けたガマ。世俗的評価がどちらにあったのか、この書籍で明確に知ることができた。
ガマは、インドへの海路を開いたことで、世界史の中心にあったイスラム社会を打破し、その後、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカとつながる西欧=キリスト教世界の圧倒的優位を形成する先駆けになったことが、改めて理解できる。
そのすべての動機が、「イスラム社会を駆逐してキリスト教世界を実現し、イエスキリストの故地・エルサレムを再び支配下に置く」という十字軍的目的の遂行のためだったと、著者は指摘している。
およそ1千年にわたるキリスト教徒とイスラム教徒の対決を復習するため2章も割いているのは、そのためだろう。
東ローマ帝国の滅亡後、イスラム勢力の軍事的な圧迫と、イスラム勢力による香辛料交易を中心とするインド→西欧の交易という経済的制約を受けていた西欧のキリスト教社会。そのもっとも西側の辺鄙な土地にあるポルトガルと、スペインが、インドを目指したのは、商業のためはなく、宗教のためだったという論点だ。
この書籍を読む限りにおいて、古代から中世までのイスラム教社会とキリスト教社会の、相いれない対立と相克を俯瞰し、あたかも歴史の走馬灯を眺めるような、はるかな時間の流れを感じることはできるが、著作全体として「宗教のためだった」という結論を得る印象にはなっていない。
新たな土地にキリスト教を強い、応じなければ軍事力による大殺戮で言うことを聞かせる。軍事的圧力を背景にした交易と、海賊行為によって、一方的に富を収奪する、異民族と異教徒に対しては、どんなことをしてもいい、という近代西欧の手法の萌芽を、この時代、ガマが開拓し実践したということは理解できる。
「赤ん坊を母親の乳房から引き離し、両脚を持って頭を岩にたたきつけた…ほかの赤ん坊たちの身体を母親たちと、目の前にいる者全員といっしょに、剣で串刺しにした」
キリスト教の司祭を送り、帰順しないものは「人間ではない。異教徒」と断じて殺戮してゆく、恐るべきべき虐殺集団としての西欧の登場を、通り一遍に世界史を眺めただけの我々に再定義してくれるような心地よさがあった。
アフリカや、インドを制圧した同じ手法で、ポルトガルやスペインは、16世紀の我が国にも押し寄せてきた。植民地支配された各地のその後を考えるとき、当時の我が国の為政者が行った、1587年の豊臣秀吉のバテレン追放令にはじまるキリシタン弾圧の歴史は、我が国の独立維持のために妥当な選択だったと言わざるを得ない。
キリスト教徒の拡大を容認すれば、やがて植民地に転落することが明らかだった。長崎で各地でキリスト教徒は、わが国の禁教令によって「殉教」するが、そうしなければ、我々日本人は、インドやアフリカで、ポルトガル人どもから受けた所業を、過酷に蒙ることになったに違いない。
ガマの探検を通じて、私たちは、普遍的な歴史の事実を学ぶことができる。
異なる文明を持つふたつの勢力が初対面した時、九割以上の確率で武力衝突が起こり、どちらか他方が一方を大量虐殺して制圧することのみが、一般的な出会いだったことが分かる。平和的な出会いなど、ないこともないが、極めて稀だ。
軍事力=武力こそすべての時代だった。そして、その真理は、おそらく過去形ではない。
現代の構造も基本的に、この時代と変わらないはずである。宗教=共通の価値観を抱く集団同士が、相容れない状況で対峙し続けているのであり、軍事力=武力を背景にして、経済活動は成り立っており、すきあらば、相手を陥れようとする動機は、人間の本能のようなものかもしれない。
現代では、軍事力だけでなく、軍事力を補完する情報力や経済力さえもが複雑に絡み合って、ガマの時代と同様に、厳しい対立と妥協の中で成り立っている。
ガマの行動を知ることで、一見、見えてこない。現代につながる決して和解することがない宗教的対立。一方が他者を食おうとする凶暴な本能。60年間も平和が続く、平和ボケした我が国が、この書籍を通じて学ぶことは多い。
平和を守るためには、常に備えておかなくてはならない。相手よりも強く、相手よりも断固として。そうでなければ、ガマとその手下たち、ガマを継いだ最悪のポルトガル人によって、わが子、わが家族、わが都市国家、わが貿易を根こそぎ抹殺されることになる。家族を奴隷にされ、座興に殺され、捕えられて鼻をそぎ落とされ耳を切断され、手足をひきちぎられる、ポルトガル人に屈した人々のように、同じ運命をたどることになる。
書籍を読み終えて、改めてそう思った。ガマを描くことで、その普遍的な人間行動の剥き出しの真理を再定義してくれた。著者の意図するところではないかもしれないが、自分にとってはそのように受け止め、とても充実した読後感だった。