日本にもこんな軍人がいたら明治維新後に、まともな近代国家が形成されただろうに、明治の終わりから昭和20年まで、何と馬鹿な指導者が日本を破滅に導いたのか。
国民を欺き、海外で暴政を行った愚かな軍人を靖国神社に祭る価値はないのだから、参謀本部以上に在籍した軍人は靖国神社から除外すれば、天皇陛下の行幸もかまた復活していただけるのではないだろうか。
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軍服を着た救済者たち: ドイツ国防軍とユダヤ人救出工作 単行本 – 2014/5/23
ヴォルフラム ヴェッテ
(編集),
関口 宏道
(翻訳)
抑圧と密告が支配するドイツ国防軍でなぜユダヤ人救済が行なわれたのか? 軍隊文化の両義性に着目して、救済と抵抗の複雑な綾を解きほぐし、「抵抗か協力か」の旧来図式を相対化する
旧来の「抵抗か協力か」という図式は限定的な意味でしか正当性を持たない。順応した人たち、臆病からあるいは喜び勇んで「共犯者」となった人たちがいた─一方でいずれかの時点で、不安や恐怖に打ち克つ勇気、積極的な抵抗姿勢を取る勇気を示した人たちがいた。(中略)ドイツにおいては、抵抗する無名の男女、全く普通の人たちの存在も関心の的となっている。「理論はすべて不分明(グラオ)」〔ゲーテ〕かもしれないが、人間の行動もまた、とりわけ苦境に追い込まれた状態においてはしばしばグラオである。
フリッツ・スターン「序」より
抑圧と密告が支配するドイツ国防軍でなぜユダヤ人救済が行なわれたのか? 鍵となる概念は「仲間意識」である。国防軍は過酷な任務と官僚的な命令系統の潤滑油として、早くから非公式の人間関係である「仲間意識」を制度的に容認してきた。日頃の不満や鬱憤を顕在化させずにうまく分散するメカニズムとして利用したのである。
一方、一人ひとりの軍人にとっては、この仲間意識の連帯が、過酷な軍隊組織の緩衝材として機能した。そこで各人は、人間味を取り戻し、束の間の「自由」を味わうことができたのである。
軍隊内でユダヤ人を救済する行為は、まさにこうした空間で実行された。本書に登場する十人の兵士は、「英雄」でもなんでもない。なかには恋愛感情が昂じて救済行為に及んだ者もいる。
こうした事態が浮き彫りにするのは、「抵抗か協力か」という図式の陳腐さである。ナチに抵抗した人間が「善」で、協力した人間が「悪」という従来の枠組みでは、抜け落ちてしまうものがあまりにも多いのだ。
むしろ、問わなければならないのは、与件として前提される極限状況の複雑な綾を一本一本解きほぐしていくことである。この作業を地道に行なうことによって、シンドラーのような救済神話を相対化し、悲劇を身近な問題として捉え直すことができる。
▼原題 Retter in Uniform
旧来の「抵抗か協力か」という図式は限定的な意味でしか正当性を持たない。順応した人たち、臆病からあるいは喜び勇んで「共犯者」となった人たちがいた─一方でいずれかの時点で、不安や恐怖に打ち克つ勇気、積極的な抵抗姿勢を取る勇気を示した人たちがいた。(中略)ドイツにおいては、抵抗する無名の男女、全く普通の人たちの存在も関心の的となっている。「理論はすべて不分明(グラオ)」〔ゲーテ〕かもしれないが、人間の行動もまた、とりわけ苦境に追い込まれた状態においてはしばしばグラオである。
フリッツ・スターン「序」より
抑圧と密告が支配するドイツ国防軍でなぜユダヤ人救済が行なわれたのか? 鍵となる概念は「仲間意識」である。国防軍は過酷な任務と官僚的な命令系統の潤滑油として、早くから非公式の人間関係である「仲間意識」を制度的に容認してきた。日頃の不満や鬱憤を顕在化させずにうまく分散するメカニズムとして利用したのである。
一方、一人ひとりの軍人にとっては、この仲間意識の連帯が、過酷な軍隊組織の緩衝材として機能した。そこで各人は、人間味を取り戻し、束の間の「自由」を味わうことができたのである。
軍隊内でユダヤ人を救済する行為は、まさにこうした空間で実行された。本書に登場する十人の兵士は、「英雄」でもなんでもない。なかには恋愛感情が昂じて救済行為に及んだ者もいる。
こうした事態が浮き彫りにするのは、「抵抗か協力か」という図式の陳腐さである。ナチに抵抗した人間が「善」で、協力した人間が「悪」という従来の枠組みでは、抜け落ちてしまうものがあまりにも多いのだ。
むしろ、問わなければならないのは、与件として前提される極限状況の複雑な綾を一本一本解きほぐしていくことである。この作業を地道に行なうことによって、シンドラーのような救済神話を相対化し、悲劇を身近な問題として捉え直すことができる。
▼原題 Retter in Uniform
- 本の長さ246ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2014/5/23
- ISBN-104560083703
- ISBN-13978-4560083703
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商品の説明
著者について
編者:ヴォルフラム・ヴェッテ Wolfram Wette
1940年生まれ。作家。政治学・歴史学・哲学を学ぶ。1971年ミュンヘン大学で学位取得。1991年フライブルクで教授資格取得。1971年から95年にかけて、フライブルク・イム・ブライスガウの軍事史研究所で歴史を研究し、フライブルク大学の歴史ゼミナールで近現代史を担当。ドイツ軍事史の権威。
訳者:関口 宏道(せきぐち ひろみち)
1941年生まれ。東京外国語大学ドイツ語学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。マンハイム大学、ビーレフェルト大学に留学。玉川大学教授を経て、現在、松蔭大学教授。専攻はドイツ現代史。主な訳書にモムゼン『ヴァイマール共和国史』(水声社)、『ユダヤ小百科』(共訳、水声社)。
1940年生まれ。作家。政治学・歴史学・哲学を学ぶ。1971年ミュンヘン大学で学位取得。1991年フライブルクで教授資格取得。1971年から95年にかけて、フライブルク・イム・ブライスガウの軍事史研究所で歴史を研究し、フライブルク大学の歴史ゼミナールで近現代史を担当。ドイツ軍事史の権威。
訳者:関口 宏道(せきぐち ひろみち)
1941年生まれ。東京外国語大学ドイツ語学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。マンハイム大学、ビーレフェルト大学に留学。玉川大学教授を経て、現在、松蔭大学教授。専攻はドイツ現代史。主な訳書にモムゼン『ヴァイマール共和国史』(水声社)、『ユダヤ小百科』(共訳、水声社)。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2014/5/23)
- 発売日 : 2014/5/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 246ページ
- ISBN-10 : 4560083703
- ISBN-13 : 978-4560083703
- Amazon 売れ筋ランキング: - 788,303位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,976位ヨーロッパ史
- カスタマーレビュー:
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2019年8月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年8月27日に日本でレビュー済み
内容としては、
・『序』
フリッツ・スターンによる序文。
恐怖政治に対する反抗者、迫害された人達に対する援助者・救済者の研究は現代歴史学の急務であること、同時に過去と将来に対する義務であること、また非人間的なナチスの時代においても人間性が存在したという事実の細部を伝えることは重要である、としている。
・『歴史研究の問題としての国防軍援助者と救済者』、
この本の目的と構成に関して、編者であるヴォルフラム・ヴェッテによる解説。
国防軍の中のユダヤ人援助者・救済者に関する研究の歴史、さらに調査する困難さについても触れている。またこの本の中で論述されている10人に関しても手短に紹介されている。
・『ユダヤ人救済者と「仲間意識」−国防軍における共同体モラルと共同体テロル』
ドイツ現代史が専門であるというトーマス・キューネによるドイツ国防軍における“仲間意識”についての論考。
通常?の軍隊の構成員が有する“仲間意識”がナチズムの下で「新しい深い意味」、つまり「アードルフ・ヒトラーの信奉者たちの信仰と従順さを、彼らが献身を誓った共同体に統合する」という理念に変更された。そしてその定義変更が何故必要だったのか、その背景について、さらにナチズムにおける“仲間意識”を共有することによって当時のドイツ国防軍の兵士が何を得たのかも語られる。それはまた同時に彼らが何を失ったのか、でもある。
述べられるであろうと期待した、“ユダヤ人救済者の仲間意識”に関してはほとんど言及されない。
ナチスがモラルだと考えていたことは、テロルだったのであり、それは現在に生きる我々対しても暗示的である。
これに続いて本論として、ユダヤ人救済者としての10人のドイツ国防軍軍人が紹介されている。
全体的に文章が固く、意味のない繰り返しもあり、常識的に考えても明らかな誤訳か、逆に直訳に過ぎる単語や、それとは別に文脈的に意味のつながらない部分もある。
さらには引用した文献として「注」に載せるべきものが載せられていないなどの不備も目立つ。
しかしそうしたことを補って余りある本であり、暗いナチスの時代にあって、ユダヤ人救済にあたった軍人達に光を当てた貴重で救われる一冊である。
日本語に訳された文献が「注」に全く無いということは編集上のミスなのではあるが、これからの研究の余地の大きな、さらには日本への紹介の余地の大きな分野であることも示しているのだと了解した。
全てをプラスマイナスして切り上げの☆4とします。
・『序』
フリッツ・スターンによる序文。
恐怖政治に対する反抗者、迫害された人達に対する援助者・救済者の研究は現代歴史学の急務であること、同時に過去と将来に対する義務であること、また非人間的なナチスの時代においても人間性が存在したという事実の細部を伝えることは重要である、としている。
・『歴史研究の問題としての国防軍援助者と救済者』、
この本の目的と構成に関して、編者であるヴォルフラム・ヴェッテによる解説。
国防軍の中のユダヤ人援助者・救済者に関する研究の歴史、さらに調査する困難さについても触れている。またこの本の中で論述されている10人に関しても手短に紹介されている。
・『ユダヤ人救済者と「仲間意識」−国防軍における共同体モラルと共同体テロル』
ドイツ現代史が専門であるというトーマス・キューネによるドイツ国防軍における“仲間意識”についての論考。
通常?の軍隊の構成員が有する“仲間意識”がナチズムの下で「新しい深い意味」、つまり「アードルフ・ヒトラーの信奉者たちの信仰と従順さを、彼らが献身を誓った共同体に統合する」という理念に変更された。そしてその定義変更が何故必要だったのか、その背景について、さらにナチズムにおける“仲間意識”を共有することによって当時のドイツ国防軍の兵士が何を得たのかも語られる。それはまた同時に彼らが何を失ったのか、でもある。
述べられるであろうと期待した、“ユダヤ人救済者の仲間意識”に関してはほとんど言及されない。
ナチスがモラルだと考えていたことは、テロルだったのであり、それは現在に生きる我々対しても暗示的である。
これに続いて本論として、ユダヤ人救済者としての10人のドイツ国防軍軍人が紹介されている。
全体的に文章が固く、意味のない繰り返しもあり、常識的に考えても明らかな誤訳か、逆に直訳に過ぎる単語や、それとは別に文脈的に意味のつながらない部分もある。
さらには引用した文献として「注」に載せるべきものが載せられていないなどの不備も目立つ。
しかしそうしたことを補って余りある本であり、暗いナチスの時代にあって、ユダヤ人救済にあたった軍人達に光を当てた貴重で救われる一冊である。
日本語に訳された文献が「注」に全く無いということは編集上のミスなのではあるが、これからの研究の余地の大きな、さらには日本への紹介の余地の大きな分野であることも示しているのだと了解した。
全てをプラスマイナスして切り上げの☆4とします。
2014年8月12日に日本でレビュー済み
ドイツ軍人によるユダヤ人救済の物語ということで興味を持って読み始めたが、観念的な表記・内容が続き、正直なところ、頭にすっと入ってこなかった。本の内容が個々の軍人の具体的なエピソードで貫かれていれば、よりリアルなものになったと思うだけに残念。軍人らの心理分析の記述が多すぎ、戦争史の本ながら心理関係に重きを置きすぎたのではないだろうか。
2016年12月16日に日本でレビュー済み
心理描写が多いのは、なぜナチス体制側の人間がユダヤ人を救済したのか、その理由を著者たちが懸命に探ろうとしているからでしょう。戦後、アレントを始めとする知識人たちが提示したのは、ナチスを単なる悪として切り捨てるのではなく、善と悪のどちらにも転ぶ複雑怪奇な人間性の深淵を解き明かす鍵にしようとする道でした。本書はその潮流を色濃く受け継ぐものです。官僚制によって人間性が容易に消え去る社会で、人道的な選択を定言命法的にこなすドイツ人たちの物語は胸を強く打つものがあります。
さて、問題の和訳ですが、やはり直訳がかっていて堅い文章であるという印象は拭えません。その直訳性ゆえに、何を言いたいのかが分かる場面もあるといえばあります。しかし、読みづらいことに変わりはありません。原著で読むのも手かもしれませんね。
さて、問題の和訳ですが、やはり直訳がかっていて堅い文章であるという印象は拭えません。その直訳性ゆえに、何を言いたいのかが分かる場面もあるといえばあります。しかし、読みづらいことに変わりはありません。原著で読むのも手かもしれませんね。