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意識に直接与えられているものについての試論 (新訳ベルクソン全集(第1巻)) 単行本 – 2010/11/30
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意識に直接与えられているものについての試論
- 本の長さ246ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2010/11/30
- 寸法13.9 x 2.8 x 19.5 cm
- ISBN-104560093016
- ISBN-13978-4560093016
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商品の説明
出版社からのコメント
《生きているとはどういうことか?》
哲学者であるとともに科学者、そして文人でもある知の巨人----ベルクソンの統一的な全体像がわかる、本邦初の個人完訳! 全7巻+別巻の口火を切るのは『時間と自由』として有名な論考。
本書は、ベルクソンの博士請求論文であり、いわばその処女作にあたる。したがって彼の思想の基本的なスタイルがはっきりと刻印されているということもあり、まさしくベルクソン哲学の出発点だ。
感覚をはじめとするさまざまな意識状態を、どのように考えるべきか? はたして、「生きている」とはどういうことか?
言葉や空間を媒介させずに(im-médiat)、意識に直接(immédiat)与えられるがままに現象を把握すること。これすなわち「持続」であり「時間」であるという直観をもとに、「自由」とは何かという問題を論じてゆく----。
ベルクソンならではの思考の動きを、逐語訳ではなく、可能な限りわかりやすい日本語で捉えるための完全新訳! 加賀野井秀一氏による解題、安藤礼二氏によるエッセイ、しりあがり寿氏による漫画をおさめた月報つき。
哲学者であるとともに科学者、そして文人でもある知の巨人----ベルクソンの統一的な全体像がわかる、本邦初の個人完訳! 全7巻+別巻の口火を切るのは『時間と自由』として有名な論考。
本書は、ベルクソンの博士請求論文であり、いわばその処女作にあたる。したがって彼の思想の基本的なスタイルがはっきりと刻印されているということもあり、まさしくベルクソン哲学の出発点だ。
感覚をはじめとするさまざまな意識状態を、どのように考えるべきか? はたして、「生きている」とはどういうことか?
言葉や空間を媒介させずに(im-médiat)、意識に直接(immédiat)与えられるがままに現象を把握すること。これすなわち「持続」であり「時間」であるという直観をもとに、「自由」とは何かという問題を論じてゆく----。
ベルクソンならではの思考の動きを、逐語訳ではなく、可能な限りわかりやすい日本語で捉えるための完全新訳! 加賀野井秀一氏による解題、安藤礼二氏によるエッセイ、しりあがり寿氏による漫画をおさめた月報つき。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2010/11/30)
- 発売日 : 2010/11/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 246ページ
- ISBN-10 : 4560093016
- ISBN-13 : 978-4560093016
- 寸法 : 13.9 x 2.8 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 665,233位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 20,287位哲学・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年6月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
予定通り無事届きました。只、ポスト投函は雨の日が心配です。
2024年4月13日に日本でレビュー済み
山崎正和『
リズムの哲学ノート
』は、本書へ手向けられた批判として一読に値する。レビュアーなりにまとめると、
①「直観」と「直接所与」、および「行動」と「世界理解」について、定義がトートロジーを起こしている(45; 62頁)。
② 第2章におけるゼノン批判は「牛刀をもって鶏を割く観を否め」ない(47頁)。
③「持続そのものはいかに始まって終わるか」という問いが未解決である(48-49頁)。
④「およそ人間の身体運動に関して十分な観察をしていない」ことが災いして、「具体的な身体」の有り様を軽視している(48; 55頁)。
⑤ 純粋持続の概念は明晰さへの「固執」の産物であり、意識に「直接与えられたもの」とは言い難い(54; 64頁)。
⑤などは、逆説を好む山崎らしいクリティカルな言明と言えよう。いわく、ベルクソンは「デカルトの使徒」(64頁)に他ならない。
①「直観」と「直接所与」、および「行動」と「世界理解」について、定義がトートロジーを起こしている(45; 62頁)。
② 第2章におけるゼノン批判は「牛刀をもって鶏を割く観を否め」ない(47頁)。
③「持続そのものはいかに始まって終わるか」という問いが未解決である(48-49頁)。
④「およそ人間の身体運動に関して十分な観察をしていない」ことが災いして、「具体的な身体」の有り様を軽視している(48; 55頁)。
⑤ 純粋持続の概念は明晰さへの「固執」の産物であり、意識に「直接与えられたもの」とは言い難い(54; 64頁)。
⑤などは、逆説を好む山崎らしいクリティカルな言明と言えよう。いわく、ベルクソンは「デカルトの使徒」(64頁)に他ならない。
2017年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いろいろな読み方があると思うが、なぜ物理世界がすべてを汲み取らないのかという疑問を解消する内容だった。結果の中に原因を忍び込ませること、質を量に“割り切る”こと、時間・空間を等質な実在とみなすことにより、物理学の描像はあらかじめ心的なものを排除しているので、逆にそれがスタートだと捉えると心的なものはクオリアも自由意志も存在しないことになるのは当然ということになる。
ここで、物理学者に支持の多い数学的実在論を考えてみる。これは物理を極めていくと素粒子などは何から出来ているのでもない、数学的記述自体がソレであるとしか言えなくなる。また人間と独立して何かが実在するならそれは文化的歴史的な背景とは無関係の何かであると考える。ここから、逆に実在するのは数学的構造であって「世界は数学で記述される」からさらに進んで「世界は数学的構造である」とするプラトン主義である。
ここでルネ・ゲノンの「量の支配」も思い出すのだが.... 数学的宇宙論を唱えるMax Tegmark はこの量の記述と精神・意識は等価だと主張する。しかし、ベルクソンに言わせれば質を棄てて量だけを採った帰結にすぎないということになろう。一方、この質が精神に大きくかかわるとすれば現在の物理学の描像にはのってこない素粒子レベルの何かが意識の素になっているとする「汎経験論」が考慮に値するものに思える。
自由意志についても(科学)哲学的な切り口から説得力のある擁護を展開している。そこには実存ということもかかわってくる。
これは古典なのだろうけれども、科学の領域とその外側を考えるにあたり示唆に富み論理は一貫しており、現在でも読む価値が高いと思う。
ここで、物理学者に支持の多い数学的実在論を考えてみる。これは物理を極めていくと素粒子などは何から出来ているのでもない、数学的記述自体がソレであるとしか言えなくなる。また人間と独立して何かが実在するならそれは文化的歴史的な背景とは無関係の何かであると考える。ここから、逆に実在するのは数学的構造であって「世界は数学で記述される」からさらに進んで「世界は数学的構造である」とするプラトン主義である。
ここでルネ・ゲノンの「量の支配」も思い出すのだが.... 数学的宇宙論を唱えるMax Tegmark はこの量の記述と精神・意識は等価だと主張する。しかし、ベルクソンに言わせれば質を棄てて量だけを採った帰結にすぎないということになろう。一方、この質が精神に大きくかかわるとすれば現在の物理学の描像にはのってこない素粒子レベルの何かが意識の素になっているとする「汎経験論」が考慮に値するものに思える。
自由意志についても(科学)哲学的な切り口から説得力のある擁護を展開している。そこには実存ということもかかわってくる。
これは古典なのだろうけれども、科学の領域とその外側を考えるにあたり示唆に富み論理は一貫しており、現在でも読む価値が高いと思う。
2020年11月4日に日本でレビュー済み
文系の私の知識では、原初に翻訳された岩波文庫(1937)では歯が立ちませんでした。
それでも旧字体で表現が美しく、物理をまるで詩人のように話す姿に驚きました。
具体的な例文のおかげで、ある程度理解は出来ても、理解に苦しむ箇所がありました。
この翻訳では、知識が足りない私でも、すとんと府に落ち、沁み渡るようでした。
おそらく文庫本だけなら手を出さなかったであろう全集すべてに興味を持ちました。
現在は「2物質と記憶」を手にしています。訳者様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
内容については他者のレビューが参考になると思いますが、
個人的には付録の「月報」が気に入りました。
各巻毎に他分野の方々の考察と訳者のつぶやきがあります。
最初は本の内容に気を取られて、付録を見過ごしました。
付録があれば、是非目を通してみて下さい。
他の先生方の意見もとても興味深く、
また訳者様のお人柄を感じられ私は嬉しく思いました。
それでも旧字体で表現が美しく、物理をまるで詩人のように話す姿に驚きました。
具体的な例文のおかげで、ある程度理解は出来ても、理解に苦しむ箇所がありました。
この翻訳では、知識が足りない私でも、すとんと府に落ち、沁み渡るようでした。
おそらく文庫本だけなら手を出さなかったであろう全集すべてに興味を持ちました。
現在は「2物質と記憶」を手にしています。訳者様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
内容については他者のレビューが参考になると思いますが、
個人的には付録の「月報」が気に入りました。
各巻毎に他分野の方々の考察と訳者のつぶやきがあります。
最初は本の内容に気を取られて、付録を見過ごしました。
付録があれば、是非目を通してみて下さい。
他の先生方の意見もとても興味深く、
また訳者様のお人柄を感じられ私は嬉しく思いました。
2014年8月29日に日本でレビュー済み
ベルクソンは大半の主著が簡単に入手可能で、しかも複数の訳で読み比べることができます。西洋哲学では異例といってよい状況ですが、その中でも竹内訳は画期的だと思います。長年、ベルクソンを読み込んできたという愛着と理解が訳文にあふれています。例えば鍵概念であるL'intensite(フランス語入力ができないのでアクサンテギュなどは省略)はこれまで「強度」と訳されてきましたが、竹内訳では「内的緊張の強さ」となります。外的延長との対比を明確にするための選択でしょう。この種の工夫、配慮が随所になされており、理解を助けてくれます(それでも難解ではありますが)。ただし、purement psychipue =純粋心的など、ちょっと日本語的にこなれていない感じの部分もあるので(哲学だから仕方ないでしょうが)、Kindle版の原書を平行して開いて、鍵概念の原語を知る方が理解が深まります。ベルクソンの主著はどれも150円前後。フランス語をあまり読めない人でも、単語を調べる程度と割り切って購入しても絶対に損はしませんよ。
2019年11月30日に日本でレビュー済み
"私たちは、考えるよりも、むしろ話す。私たちは自ら行動するよりも。むしろ『行動させられる』。自由に行動するということは、自己を取り戻すことであり、純粋持続のなかに身を置き直すことなのである。"1889年発刊の本書は【合理主義や科学的思考を批判して、生の非合理的で根源的な姿を捉えようとする】生の哲学の代表者にして名文家、ノーベル賞受賞でも知られる著者の29歳時のデビュー論文にして【時間概念の考察及び純粋時間の重要さ】そして真の自由を問いかけてくる一冊。
個人的に、著者の【精神と物質を二元論的立場でつなごうとし続けて】日本大正期の西田幾太郎や九鬼周造といった哲学界、有島武郎や夢野久作、小林秀雄といった文壇界にも大きな影響を与えたとされるフランスを代表する哲学者である著者に関しては、森鴎外の"永遠の不平家"としての姿勢評価にニヤリとしつつも、文書が翻訳を通しても美しい事もあって、毎回著者の思い込みでは?(失礼)と漠然とさせられながらも終始圧倒されてしまうわけなのですが。
そんな本書においては、当時の時間概念を再検討を行い、時間は科学であり哲学対象ではないとしたカントを批判しながら【均等に時計等で計測され、全体で共有化されている時間】を『空間』もしくは『過去』とし(ニュートン時間)そういった要素を排除し【意識に直接与えられた時間】すなわち『純粋』であり『将来』である瞬間瞬間の連続した時間の流れ(ベルクソン時間)を『純粋持続』と説明した上で、人間が本来的に自由かつ、より良く生きるには、後者、今この瞬間を流れる時間を大切にし、行動すべきと問いかけてきていて。若き著者の言葉に納得させられてしまいます。
もっとも【連続ではなく、切断としての瞬間こそ時間の本質だ!】とかの批判もまた起きるわけですが。そういった【哲学的論争は識者にお任せする】として、あまりに数値や効率的な思考より、感覚的で合理的ではない思考って、やっぱり『遠野物語』とかに心理的故郷的なシンパシーを覚える私の様な日本人には大正時代に限らず、現代でも受け入れやすいのだろうな。としみじみ。
生の哲学、あるいは時間について思考したい誰かへ。また美しい文章を浴びたい誰かにもオススメ。
個人的に、著者の【精神と物質を二元論的立場でつなごうとし続けて】日本大正期の西田幾太郎や九鬼周造といった哲学界、有島武郎や夢野久作、小林秀雄といった文壇界にも大きな影響を与えたとされるフランスを代表する哲学者である著者に関しては、森鴎外の"永遠の不平家"としての姿勢評価にニヤリとしつつも、文書が翻訳を通しても美しい事もあって、毎回著者の思い込みでは?(失礼)と漠然とさせられながらも終始圧倒されてしまうわけなのですが。
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もっとも【連続ではなく、切断としての瞬間こそ時間の本質だ!】とかの批判もまた起きるわけですが。そういった【哲学的論争は識者にお任せする】として、あまりに数値や効率的な思考より、感覚的で合理的ではない思考って、やっぱり『遠野物語』とかに心理的故郷的なシンパシーを覚える私の様な日本人には大正時代に限らず、現代でも受け入れやすいのだろうな。としみじみ。
生の哲学、あるいは時間について思考したい誰かへ。また美しい文章を浴びたい誰かにもオススメ。