限られた読者しかいないでしょうね。でも、とてもユニークなおもしろさに魅せられました。神格化された六代目より、明治とともに生まれた五代目の、役者としての突出した才能に驚きました。本当に芝居が好きで、芝居とともに生き、死んでいった役者の生態、明治という時代の玉石混淆のおもしろさ、毒婦や悪女を演じ上げる情熱。他に類を見ない切り口でした。
川上音二郎のくだりが、やや長すぎて菊五郎の話がなかなか出てこないのが、ちょっともどかしかったけれど。
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明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎 単行本 – 2009/4/10
矢内 賢ニ
(著)
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- 本の長さ253ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2009/4/10
- ISBN-104560094047
- ISBN-13978-4560094044
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商品の説明
出版社からのコメント
《橋本治氏、推薦! もうひとつの歌舞伎史》
明治時代の歌舞伎は今でいう「伝統芸能」ではなく、当時、ほとんど唯一の「現代演劇」だった。なかでも、懐中時計、鉄道といった最新のアイテムをはじめ、殺人事件、サーカス、戦争など、世間の耳目を集める出来事や風物を脚色してできあがった演目をキワモノと呼ぶ。
名優、五代目尾上菊五郎は、粋で華やかな世話物に本領を発揮したというのが一般的な見方だが、実は、彼は「キワモノ王」でもあった。
しかし、キワモノはキワモノであるがゆえにあっという間に忘れ去られる。「芸術的価値に乏しい」というのがお定まりの評価だ。
だが、菊五郎を通して垣間見えるキワモノ歌舞伎は、かつて歌舞伎という芸能が時代と呼吸をともにしていた頃の姿を髣髴させ、古今東西の文化が入り乱れた明治という時代を生々しく示してくれる。
本書は、台本、新聞記事、芸談、錦絵など、多彩かつ視覚的な資料をひもときながら、菊五郎の生み出したキワモノ歌舞伎を追体験し、「近代」という得体の知れぬ時代のとばくちに立った人々の当惑や高揚を生き生きと描き出す。
明治時代の歌舞伎は今でいう「伝統芸能」ではなく、当時、ほとんど唯一の「現代演劇」だった。なかでも、懐中時計、鉄道といった最新のアイテムをはじめ、殺人事件、サーカス、戦争など、世間の耳目を集める出来事や風物を脚色してできあがった演目をキワモノと呼ぶ。
名優、五代目尾上菊五郎は、粋で華やかな世話物に本領を発揮したというのが一般的な見方だが、実は、彼は「キワモノ王」でもあった。
しかし、キワモノはキワモノであるがゆえにあっという間に忘れ去られる。「芸術的価値に乏しい」というのがお定まりの評価だ。
だが、菊五郎を通して垣間見えるキワモノ歌舞伎は、かつて歌舞伎という芸能が時代と呼吸をともにしていた頃の姿を髣髴させ、古今東西の文化が入り乱れた明治という時代を生々しく示してくれる。
本書は、台本、新聞記事、芸談、錦絵など、多彩かつ視覚的な資料をひもときながら、菊五郎の生み出したキワモノ歌舞伎を追体験し、「近代」という得体の知れぬ時代のとばくちに立った人々の当惑や高揚を生き生きと描き出す。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2009/4/10)
- 発売日 : 2009/4/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 253ページ
- ISBN-10 : 4560094047
- ISBN-13 : 978-4560094044
- Amazon 売れ筋ランキング: - 884,113位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 122,389位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年8月10日に日本でレビュー済み
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これまで歌舞伎は、明治の団菊(9代団十郎と5代菊五郎)が時代物・世話物を「古典化」することで江戸の「現代劇」から転換を果たし、芸能として生きながらえた、とされてきました。しかしここには5代目さんが「現代劇」としての命脈も捨てず、サーカスや気球や西南戦争や、、、と世相を取り入れたバリバリの新作(現代劇)で新劇や新派と張り合ってきたようすが描かれています。5代目さんのこの奮闘は歴史に埋もれていた。
本書を読んで、5代目さんの血のつながった曾孫である中村勘三郎の試行錯誤が、5代目さんの志を継ぐものであることが理解できました。明治から現在に至る150年間は「古典化」と「現代劇としての意味」の双方を追求する名人たちによって歌舞伎が創られてきたことを実感します。後者(現代化)はなかなか評価されないけれど、心ある役者は「現代を忘れはしない」ということです。
当代のいろんな流行や世相を取り入れようと工夫して「現代劇」としてきたのが江戸の歌舞伎だったけれど、いったん「古典」に向かった明治以後の流れに「現代」を取り戻すことは容易ではない。でも、それがないと(古典だけでは)歌舞伎は干物になってしまう。刺身の舟盛りみたいな旬がないと歌舞伎は死ぬ。ご本人がそう意識していたかわからないけれど、5代目さんの芝居人生はまさにそうだった。現在の歌舞伎関係者もそれを肌で感じるから、閉場寸前の歌舞伎座で「大江戸りびんぐでっど」上演が実現した。そう思います。
なぜ野田秀樹や串田和美ではなかったかというと、野田や串田は「古典」と「現代」が中途半端なんですね。歌舞伎(の約束ごと)に不自然な敬意を払いすぎてる。宮藤官九郎は自由にゾンビとニートを描いた。これは三島由紀夫にも通じるセンスです。
勘三郎や宮藤に任せておかないで、5代菊五郎のような役者・作者よ、出よ! という本です。
本書を読んで、5代目さんの血のつながった曾孫である中村勘三郎の試行錯誤が、5代目さんの志を継ぐものであることが理解できました。明治から現在に至る150年間は「古典化」と「現代劇としての意味」の双方を追求する名人たちによって歌舞伎が創られてきたことを実感します。後者(現代化)はなかなか評価されないけれど、心ある役者は「現代を忘れはしない」ということです。
当代のいろんな流行や世相を取り入れようと工夫して「現代劇」としてきたのが江戸の歌舞伎だったけれど、いったん「古典」に向かった明治以後の流れに「現代」を取り戻すことは容易ではない。でも、それがないと(古典だけでは)歌舞伎は干物になってしまう。刺身の舟盛りみたいな旬がないと歌舞伎は死ぬ。ご本人がそう意識していたかわからないけれど、5代目さんの芝居人生はまさにそうだった。現在の歌舞伎関係者もそれを肌で感じるから、閉場寸前の歌舞伎座で「大江戸りびんぐでっど」上演が実現した。そう思います。
なぜ野田秀樹や串田和美ではなかったかというと、野田や串田は「古典」と「現代」が中途半端なんですね。歌舞伎(の約束ごと)に不自然な敬意を払いすぎてる。宮藤官九郎は自由にゾンビとニートを描いた。これは三島由紀夫にも通じるセンスです。
勘三郎や宮藤に任せておかないで、5代菊五郎のような役者・作者よ、出よ! という本です。
2009年4月29日に日本でレビュー済み
五代目尾上菊五郎が明治時代に初演してほとんど再演のなかった(しようのなかった)演目に関する本です。五代目菊五郎とその共演者(@市村座)にフォーカスしているため、この本を読んだからといって歌舞伎がわかりやすくなるわけでもありません。
ニッチな演劇史どころか、誰も虫干しさえしてこなかった史実を多様な資料からまとめた力作であることには敬意を表したいと思います。また、小説にできるようなアイディアがこれだけ詰まっている本も珍しいと思えるのですが、ノンフィクションならでは良さと、ノンフィクションならではの限界が表裏一体のもどかしさを感じました。
章によっては文章としての流れが良く、わかりやすい一方で、章によっては雑多な事実や逸話の羅列になっていたりで、編集の弱さが難。これだけの分量でも、おそらく著者が調べ上げた史実を厳選しているのでしょうが、史実を述べるにあたって、読者がこれは役者の視点、見物の視点、社会的な事象など「文法的」に混乱しないようにすべきなのだが、時代背景と芝居の国とを行き来せずにはいられない内容のため、乗り物酔いに似た気持ちになり、芝居好きだからこの本を手に取ったのに、芝居の部分に集中させてもらえかったもどかしさも感じます。
例えば、「高橋お伝」に関する記述で、著者は死後、解剖されて標本として保存されたのではないかというお伝の体の一部について必要以上に繰り返していますが、そういった粘着性を適度にほぐして、論文ではない一般向けの書籍としてまとめるのが出版社なり担当編集者の仕事だと思うのですが、段落ごとに主語/視点がめまぐるしく変化しているページの多いこと。じっくり芝居の内容について「見せてくれる」前半に比べ、引用の羅列が激しい後半に違和感を覚えた。
五代目菊五郎が観客を悦ばせたように、著者も読者のことを少し考えるべき。着眼点や充実した資料からの引用、写真の多用など、独自性は賞賛に価しますが、プレゼンテーションで損しているのが惜しい。
ニッチな演劇史どころか、誰も虫干しさえしてこなかった史実を多様な資料からまとめた力作であることには敬意を表したいと思います。また、小説にできるようなアイディアがこれだけ詰まっている本も珍しいと思えるのですが、ノンフィクションならでは良さと、ノンフィクションならではの限界が表裏一体のもどかしさを感じました。
章によっては文章としての流れが良く、わかりやすい一方で、章によっては雑多な事実や逸話の羅列になっていたりで、編集の弱さが難。これだけの分量でも、おそらく著者が調べ上げた史実を厳選しているのでしょうが、史実を述べるにあたって、読者がこれは役者の視点、見物の視点、社会的な事象など「文法的」に混乱しないようにすべきなのだが、時代背景と芝居の国とを行き来せずにはいられない内容のため、乗り物酔いに似た気持ちになり、芝居好きだからこの本を手に取ったのに、芝居の部分に集中させてもらえかったもどかしさも感じます。
例えば、「高橋お伝」に関する記述で、著者は死後、解剖されて標本として保存されたのではないかというお伝の体の一部について必要以上に繰り返していますが、そういった粘着性を適度にほぐして、論文ではない一般向けの書籍としてまとめるのが出版社なり担当編集者の仕事だと思うのですが、段落ごとに主語/視点がめまぐるしく変化しているページの多いこと。じっくり芝居の内容について「見せてくれる」前半に比べ、引用の羅列が激しい後半に違和感を覚えた。
五代目菊五郎が観客を悦ばせたように、著者も読者のことを少し考えるべき。着眼点や充実した資料からの引用、写真の多用など、独自性は賞賛に価しますが、プレゼンテーションで損しているのが惜しい。