当節流行の批評家や学者について、短いページで紹介している本。
この手の「メタ批評」は、類書も多くは無いし、何より現在の思想界の地図が大雑把に把握できて、重宝する。何より暇つぶしには最適である。
ただ、解説があまりにも浅く、結局は学者たちの経歴を述べることで、真正面から論じることを避けている項も散見される。この点を考えると、なぜ類書が少ないのかがわかる。単純に、難しいからなんだろう。本書も成功しているとはいえない。
この本を読んで、斉藤美奈子やナンシー関が持っていた「芸」が、いかに偉大であるということに思いを馳せてしまった。文化人をくさすのも、大きな才能なのだろう。
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新・批評の事情: 不良のための論壇案内 単行本 – 2007/5/1
永江 朗
(著)
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「たぶんこのときに批評とか言葉とか論理というものは死んでし
まったのかもしれません」(まえがきより)。
同時多発テロで始まった21世紀、脱臼しっぱなしのこの世界で、何が語られて
きたんだろう? 格差、右傾化、ネオリベラリズム、インターネット、オタク、
乙女などなど、ゼロ年代の日本に切り込む論客たちを永江朗が読み解く、新世紀
の言論カタログ。
まったのかもしれません」(まえがきより)。
同時多発テロで始まった21世紀、脱臼しっぱなしのこの世界で、何が語られて
きたんだろう? 格差、右傾化、ネオリベラリズム、インターネット、オタク、
乙女などなど、ゼロ年代の日本に切り込む論客たちを永江朗が読み解く、新世紀
の言論カタログ。
- 本の長さ282ページ
- 言語日本語
- 出版社原書房
- 発売日2007/5/1
- ISBN-104562040742
- ISBN-13978-4562040742
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商品の説明
抜粋
二十一世紀最初の十年は小泉政権の十年でもあります。小泉政権は
二〇〇一年の四月に発足し、二〇〇六年の九月まで続きました。その後は安倍政
権になったのだから、小泉政権の十年というのは間違いではないかという人もい
るかもしれませんが、少なくとも現時点の安倍政権はたえず小泉政権の影に脅か
されています。安倍首相は何を言っても、何をやっても、常に小泉前首相と比較
されてしまいます。それだけ小泉純一郎の政治手法が印象的だったのと、彼の
キャラクターが特異だったということでしょう。
小泉首相のやり口は「ワンフレーズ・ポリティクス」と呼ばれました。横
綱が優勝すれば「感動した!」、「改革なくして回復なし」など、コピーのよう
な言葉を発し続けました。短くて印象的な言葉は、聞くと分かったような気持ち
になるけれども、よく考えると何も説明していません。感情には訴えるけれど
も、論理的な説明は皆無です。それを象徴するのが、イラク戦争と大量破壊兵器
の関係について問われたとき。「フセインが見つからないからといって、フセイ
ンがいないということにはならない。ゆえに、大量破壊兵器が見つからないから
といって、大量破壊兵器がないということにはならない」というような詭弁を弄
しました。昔だったら、「国民をばかにするな」と大騒ぎになり、たぶん政権も
ひっくり返っていたところでしょうが、マスメディアも国民もただ呆れるだけ。
怒るよりも苦笑するしかありませんでした。もちろん怒りの声を上げた批評家や
マスメディアはありましたが、国民が大きく動かされることはなかった。たぶん
このときに批評とか言葉とか論理というものは死んでしまったのかもしれませ
ん。なお、その後、イラクに大量破壊兵器がなかったことは明らかになり、それ
だけでなく、大量破壊兵器がないことはアメリカ当局の少なくとも一部は認識し
ていたことも明らかになりつつあります。ようするに自衛隊を派兵した小泉政権
はペテンに掛けられたわけですが、元首相が怒っているという話も聞きません。
二十世紀最後の十年間は失われた十年でしたが、二十一世紀になってもあまり
パッとしません。景気回復だの、いざなぎ超えといわれてもピンときません。
小泉政権の五年間で出てきたもののなかに、「格差社会」があります。よう
するに貧富の差です。最初のうちは、「努力したものが報われるのだから、格差
は当たり前」だの、「格差があるから、人は努力するんだ」という論調が支配
的でしたが、次第に貧困の悲惨さが明らかになると、それでは済まされなくなっ
てきました。企業はリストラの名のもとに、正社員のクビを切って派遣やアルバ
イトに置き換えるようなことばかりやってきたので、貧乏人が増えるのも当たり
前です。犯罪が増えているわけでもないのに、不安は広がり、なんだかギスギス
した世の中になりました。
インターネットの影響力は新世紀に入ってますます大きくなりました。言論の
世界もその波を受けています。ブログの登場によって、職業的批評家に限ら
ず、誰もが簡単に自分の意見を表明できるようになりました。小泉政治とネット
の中の言論の自由化が同時進行したのはとても興味深いことです。そういえ
ば、9・11の一ヶ月後にアップルはiPodを発表しました。そしてわずか五
年半で、iPodは一億台を突破しました。iPodは画期的です。大量の音楽
や音声や映像や画像を持ち運べるだけでなく、聴きかたや観かたを変えました。
「アルバム」という、音楽家やレコード会社が作った単位は、聴く側にとっては
選択肢のひとつでしかありません。シャッフル機能でランダムに聴いてもいい
し、好きな曲を一曲だけ聴いてもいい。iTunesストアで音楽は一曲ずつバ
ラで買えるようになり、放送局のタイムテーブルに従ってではなく、聴きたいと
きに聴けるポッドキャストも広がっています。ITは言論もiPod化しつつあ
るのかもしれません。
というようなことから、新世紀の言論カタログ、あるいはそのインデックス
として、本書を作ってみました。
二〇〇一年の四月に発足し、二〇〇六年の九月まで続きました。その後は安倍政
権になったのだから、小泉政権の十年というのは間違いではないかという人もい
るかもしれませんが、少なくとも現時点の安倍政権はたえず小泉政権の影に脅か
されています。安倍首相は何を言っても、何をやっても、常に小泉前首相と比較
されてしまいます。それだけ小泉純一郎の政治手法が印象的だったのと、彼の
キャラクターが特異だったということでしょう。
小泉首相のやり口は「ワンフレーズ・ポリティクス」と呼ばれました。横
綱が優勝すれば「感動した!」、「改革なくして回復なし」など、コピーのよう
な言葉を発し続けました。短くて印象的な言葉は、聞くと分かったような気持ち
になるけれども、よく考えると何も説明していません。感情には訴えるけれど
も、論理的な説明は皆無です。それを象徴するのが、イラク戦争と大量破壊兵器
の関係について問われたとき。「フセインが見つからないからといって、フセイ
ンがいないということにはならない。ゆえに、大量破壊兵器が見つからないから
といって、大量破壊兵器がないということにはならない」というような詭弁を弄
しました。昔だったら、「国民をばかにするな」と大騒ぎになり、たぶん政権も
ひっくり返っていたところでしょうが、マスメディアも国民もただ呆れるだけ。
怒るよりも苦笑するしかありませんでした。もちろん怒りの声を上げた批評家や
マスメディアはありましたが、国民が大きく動かされることはなかった。たぶん
このときに批評とか言葉とか論理というものは死んでしまったのかもしれませ
ん。なお、その後、イラクに大量破壊兵器がなかったことは明らかになり、それ
だけでなく、大量破壊兵器がないことはアメリカ当局の少なくとも一部は認識し
ていたことも明らかになりつつあります。ようするに自衛隊を派兵した小泉政権
はペテンに掛けられたわけですが、元首相が怒っているという話も聞きません。
二十世紀最後の十年間は失われた十年でしたが、二十一世紀になってもあまり
パッとしません。景気回復だの、いざなぎ超えといわれてもピンときません。
小泉政権の五年間で出てきたもののなかに、「格差社会」があります。よう
するに貧富の差です。最初のうちは、「努力したものが報われるのだから、格差
は当たり前」だの、「格差があるから、人は努力するんだ」という論調が支配
的でしたが、次第に貧困の悲惨さが明らかになると、それでは済まされなくなっ
てきました。企業はリストラの名のもとに、正社員のクビを切って派遣やアルバ
イトに置き換えるようなことばかりやってきたので、貧乏人が増えるのも当たり
前です。犯罪が増えているわけでもないのに、不安は広がり、なんだかギスギス
した世の中になりました。
インターネットの影響力は新世紀に入ってますます大きくなりました。言論の
世界もその波を受けています。ブログの登場によって、職業的批評家に限ら
ず、誰もが簡単に自分の意見を表明できるようになりました。小泉政治とネット
の中の言論の自由化が同時進行したのはとても興味深いことです。そういえ
ば、9・11の一ヶ月後にアップルはiPodを発表しました。そしてわずか五
年半で、iPodは一億台を突破しました。iPodは画期的です。大量の音楽
や音声や映像や画像を持ち運べるだけでなく、聴きかたや観かたを変えました。
「アルバム」という、音楽家やレコード会社が作った単位は、聴く側にとっては
選択肢のひとつでしかありません。シャッフル機能でランダムに聴いてもいい
し、好きな曲を一曲だけ聴いてもいい。iTunesストアで音楽は一曲ずつバ
ラで買えるようになり、放送局のタイムテーブルに従ってではなく、聴きたいと
きに聴けるポッドキャストも広がっています。ITは言論もiPod化しつつあ
るのかもしれません。
というようなことから、新世紀の言論カタログ、あるいはそのインデックス
として、本書を作ってみました。
著者について
1958年、北海道生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。フリーラ
イター。西武百貨店系洋書店に約7年間勤務の後、『宝島』および『別冊宝島』
の編集、ライターを経て、93年ごろよりライター業に専念。「哲学からアダル
トビデオまで」を標榜し、幅広い媒体で取材・執筆活動を行なっている。著書に
『批評の事情』『平らな時代』(原書房)、『インタビュー術!』(講談社現
代新書)、『不良のための読書術』(ちくま文庫)、『<不良>のための文章
術』(NHKブックス)、『メディア異人列伝』(晶文社)、『話を聞く技術!』
(新潮社)などがある。
イター。西武百貨店系洋書店に約7年間勤務の後、『宝島』および『別冊宝島』
の編集、ライターを経て、93年ごろよりライター業に専念。「哲学からアダル
トビデオまで」を標榜し、幅広い媒体で取材・執筆活動を行なっている。著書に
『批評の事情』『平らな時代』(原書房)、『インタビュー術!』(講談社現
代新書)、『不良のための読書術』(ちくま文庫)、『<不良>のための文章
術』(NHKブックス)、『メディア異人列伝』(晶文社)、『話を聞く技術!』
(新潮社)などがある。
登録情報
- 出版社 : 原書房 (2007/5/1)
- 発売日 : 2007/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 282ページ
- ISBN-10 : 4562040742
- ISBN-13 : 978-4562040742
- Amazon 売れ筋ランキング: - 273,732位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年12月21日に日本でレビュー済み
主として評論家を集めて紹介した本。
無学な身にはそれなりに勉強にはなるが、おのおのに振り当てた量も少なく、入門として読めるという本だろう。
この程度で喜べるうちはおめでたいというところか。
批評を紹介する方針で、もう少し統一感があれば良かった。
無学な身にはそれなりに勉強にはなるが、おのおのに振り当てた量も少なく、入門として読めるという本だろう。
この程度で喜べるうちはおめでたいというところか。
批評を紹介する方針で、もう少し統一感があれば良かった。
2007年9月3日に日本でレビュー済み
難しい読書は苦手もしくは時間がない人にとって、手っ取り早く知った気になれる、まさに言論カタログ。
しかし著者の限界も見える。例えば、喩えなどは一見面白いが、よく考えると的を外していたり何を言いたいのかわからない下手さがある。それがかえってヘタウマ的な味になっている面もある。
やはり中盤以降のサブカル系批評家の発掘とメタ批評に手腕が発揮されている。前半のアカデミズム系論客に対するメタ批評は、思い切った断定や喩えを駆使するも、ピンボケ気味のところが目立つ。そのカバーとして、対象の経歴人脈などにこだわってみたりするところが、やや姑息。
しかし著者の限界も見える。例えば、喩えなどは一見面白いが、よく考えると的を外していたり何を言いたいのかわからない下手さがある。それがかえってヘタウマ的な味になっている面もある。
やはり中盤以降のサブカル系批評家の発掘とメタ批評に手腕が発揮されている。前半のアカデミズム系論客に対するメタ批評は、思い切った断定や喩えを駆使するも、ピンボケ気味のところが目立つ。そのカバーとして、対象の経歴人脈などにこだわってみたりするところが、やや姑息。
2007年8月14日に日本でレビュー済み
永江朗の立ち位置、具体的に言えば「フリーライター」って肩書きが気になっていた。フリーライターったって、永江は書店でサイン会をやるほどには著名である。永江がルポライターやジャーナリスト、評論家を騙らないのは、「フリーライターはマスコミ・ヒエラルキーの最下層に位置している訳じゃねえ」って矜持、言わば“フリーライター向上委員会”的な意思があるのかと思っていた。だから、「クルマのことはわからない(これは私がときに批評めいたものを書いても、評論家とは名乗らず、フリーライターという肩書きを使ってきた理由でもある。私には量も質も欠けている)」なんてあっさりカムアウトされてしまうと肩透かしを超え、唖然呆然である。永江は、「自分を評論家でもなければジャーナリストでもない」という森達也の屈託のなさを評価しているけれど、自らはこんな志の低い戦略によって「フリーライター」って肩書きに拘泥していたとは(そりゃフリーライターで1500万〜2000万稼ぐのは大変だろうけど)!
本書は「永江朗」って自意識と「フリーライター」ってセーフティゾーンの使い分けがどうにもトホホだ。「洋服をなんとかしたい。それは私の切実な悩みでもある」とか「(クルマは)私も個人的にはノーマルが好きだ」とか、どーでもええっちゅーねん。一方で、無理解から来る言葉の軽さ、うかつな文脈(「まあ、こんな国なんて、とっとと滅びてしまえばいいのだけれど」)は「フリーライター」に甘んじている。“2001年以降にデビューもしくはブレイクした人びと、そして前著で取り上げられなかった人びと”ってことでは取り上げられても良さそうな藤原正彦、梅田望夫、茂木健一郎、甲野善紀、太田和彦、伊藤剛、辛酸なめ子、江原啓之、鹿島茂、松原隆一郎、大澤真幸ってあたりが抜けてるバランスの悪さも気になる。
本書は「永江朗」って自意識と「フリーライター」ってセーフティゾーンの使い分けがどうにもトホホだ。「洋服をなんとかしたい。それは私の切実な悩みでもある」とか「(クルマは)私も個人的にはノーマルが好きだ」とか、どーでもええっちゅーねん。一方で、無理解から来る言葉の軽さ、うかつな文脈(「まあ、こんな国なんて、とっとと滅びてしまえばいいのだけれど」)は「フリーライター」に甘んじている。“2001年以降にデビューもしくはブレイクした人びと、そして前著で取り上げられなかった人びと”ってことでは取り上げられても良さそうな藤原正彦、梅田望夫、茂木健一郎、甲野善紀、太田和彦、伊藤剛、辛酸なめ子、江原啓之、鹿島茂、松原隆一郎、大澤真幸ってあたりが抜けてるバランスの悪さも気になる。
2007年12月9日に日本でレビュー済み
例えば藤原帰一の項。著者はのっけから「藤原帰一は『余裕』と『距離』の人である、というのが私の結論だ」と断じる。ま、その正否はさて措いて、その後を著者はこう続ける。「本人は心外かもしれないけど。」…ここで本人の反応を意識するところに、私は社交を感じる。
あるいは小熊英二の項。小熊が最初に名大理に入学し、そこから東大に転じたという小ネタを披露しつつ、卒業後に就職した出版社名を、本人が積極的に言わないという理由で伏せる。でもそれが岩波だなんてこと、読者の多くが知ってるんじゃないか? そのくせ、小熊が学者になるキッカケとなったのが粉川哲夫だなんて、それ私は知らんかったよ…この辺りの呼吸にも、社交感じるナー。
実際、著者は本書中のあちこちで、ここに採り上げた人々と面識があることを臭わせている。内田樹が足立和浩の弟子だとか、藤原帰一は湘南の自宅からの通勤電車中で映画DVDを見てるという噂があるとか、仲俣暁生が『シティロード』編集部にいて、その頃自分は『宝島』にいたとか、山下裕二の師匠は『奇想の系譜』の辻惟雄だとか、山崎まどかの父親が山崎カヲルで、母親の満喜子はメキシコ体験の後にヒーラーになったとか、そういうゴシップじみた情報を散りばめながら語るところが、もしかすると「事情」という言葉の含意なのかしら。
最初、目次を見たとき、「これホントに面白いんかいな?」と不安だったのですが、かなり楽しく読めました。それにしても、「いわゆる知識人がフォローすべき情報のフィールドが果てしなく拡散している」(p65)って、それ自分のこと言ってるでしょ、永江サン。
あるいは小熊英二の項。小熊が最初に名大理に入学し、そこから東大に転じたという小ネタを披露しつつ、卒業後に就職した出版社名を、本人が積極的に言わないという理由で伏せる。でもそれが岩波だなんてこと、読者の多くが知ってるんじゃないか? そのくせ、小熊が学者になるキッカケとなったのが粉川哲夫だなんて、それ私は知らんかったよ…この辺りの呼吸にも、社交感じるナー。
実際、著者は本書中のあちこちで、ここに採り上げた人々と面識があることを臭わせている。内田樹が足立和浩の弟子だとか、藤原帰一は湘南の自宅からの通勤電車中で映画DVDを見てるという噂があるとか、仲俣暁生が『シティロード』編集部にいて、その頃自分は『宝島』にいたとか、山下裕二の師匠は『奇想の系譜』の辻惟雄だとか、山崎まどかの父親が山崎カヲルで、母親の満喜子はメキシコ体験の後にヒーラーになったとか、そういうゴシップじみた情報を散りばめながら語るところが、もしかすると「事情」という言葉の含意なのかしら。
最初、目次を見たとき、「これホントに面白いんかいな?」と不安だったのですが、かなり楽しく読めました。それにしても、「いわゆる知識人がフォローすべき情報のフィールドが果てしなく拡散している」(p65)って、それ自分のこと言ってるでしょ、永江サン。