読んでいるこちらがわの理解力不足とポストモダン思想への全くの無知が原因なのかも知れないけど、読んでいて論点や主張、そして文章や話の展開が非常にわかりにくかった。一通り読んだ後に、「ん、けっきょく何が書いてあったか何も思い出せないぞ?」と思って何度もページを行き来して、ようやく全体像が見えたかも知れない、という気がした。
読んでいて、今の話は全体の主張のどの部分の話と関係するのか、どの部分の裏づけなのか、ということがわからない。これだけ高い論理的思考能力と鋭い感性を持っている著者なら、もうちょっとわかりやすく親切に書けるのじゃないだろうかと思ってしまった。他のレビューでも書かれている方がいるが、学術的な本というよりは、著者の感性によって書かれていくエッセイ的な要素が強いのかもしれない。でも、内容が学術的なだけに、文章構成と読者への理論展開への誘導に整然さと親切さを期待してしまうのも無理はあるまい。
とはいえ、内容は非常におもしろい。何より、「ただならぬ本」という感じがする。(ただし、自分は主張に合意できなかった。)特に、ところどころに「なるほど!」「そういう視点があるのか!」と思わされる話が散らばっている。
さて、(あくまで僕なりの理解で)本書の内容を強引に要約して紹介すると、
======
「『社会の心理学化』と言われる現象が起こっている」
そしてそういう心理学化があらゆるところでおきている。
その原因には
1 心理学の普及という時代背景があった
2 リアリティを与えるものとしての役割がある
3 実存のよりどころとなる役割がある
4 コントロール欲求を満たす道具となる
がある。
2や3に関して、例えばトラウマがリアリティや実存を与えるものとしての役割を期待されていることが多く解説されている。4においても、まず心を肉体化、視覚化した上で、操作可能な対象とみなすための理論基盤としての役割を心理学が担うという話がある。
======
だけどやっぱり僕にはこの本のいいたいことはよくわかりません。このレビューの内容はあてにしないでご自分でお読みください。点数は内容の良さからわかりにくさで減点して6-3=3にします。
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心理学化する社会: なぜ、トラウマと癒しが求められるのか 単行本 – 2003/9/1
斎藤 環
(著)
80年代以降、先進国では心理学的なものの見方や精神分析的な人間観が支配的になりつつある。「動機の不可解な犯罪」が起きると、マスメディアは精神科医や心理学者にコメントを求め、ワイドショーでも、PTSD、ADHD、人格障害といった心理学的語彙が無造作に飛び交う。カウンセラーが若者のあこがれの職業になり、大衆文化においてはトラウマ・フィクションや告白本が流行する。さらに、災害時や教育現場では「心のケア」や「カウンセリング・マインド」が叫ばれる。いまや、社会全体が「心理学化」しているのだ。
こうした現象に問題はないのだろうか。「心の理解」の美名のもとに踏みにじられるものはないのか。本書は精神科医である著者が、内側から「心理学化」の様相を眺めて遠因を探り、そのゆきすぎや退行に注意を促す目的で書かれた。そこから見えてくるものは、我々自身と現代社会が抱える根深い問題である。
こうした現象に問題はないのだろうか。「心の理解」の美名のもとに踏みにじられるものはないのか。本書は精神科医である著者が、内側から「心理学化」の様相を眺めて遠因を探り、そのゆきすぎや退行に注意を促す目的で書かれた。そこから見えてくるものは、我々自身と現代社会が抱える根深い問題である。
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社PHPエディターズ・グループ
- 発売日2003/9/1
- ISBN-104569630545
- ISBN-13978-4569630540
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
ココロ系用語が大衆化し、心理学者の発言力が増し、現代社会は「心理学化」していく。精神科医がその背景にあるものを鋭く分析する。
登録情報
- 出版社 : PHPエディターズ・グループ (2003/9/1)
- 発売日 : 2003/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 238ページ
- ISBN-10 : 4569630545
- ISBN-13 : 978-4569630540
- Amazon 売れ筋ランキング: - 298,100位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
心理学化は既に蔓延して後戻りできない怪奇現象である。
様々な場で物議を醸し出している複雑な問題系である。
多少なりとも敏感な人達はいやがおうにもその臭気を嗅ぎとるが、
これを掘り下げて考えるのは途方もない作業であることを直感する。
凡人はニヒリズムに退行しつつそれを回避してしまうのだが、
筆者は果敢にもそれに挑戦して一定の形ある回答を与えてくれている。
その誠実な姿勢に私は襟を正さなくてはならないと反省したのだ。
怪奇現象に対する、最大の異議申し立てにして、最強の処方箋だ!
様々な場で物議を醸し出している複雑な問題系である。
多少なりとも敏感な人達はいやがおうにもその臭気を嗅ぎとるが、
これを掘り下げて考えるのは途方もない作業であることを直感する。
凡人はニヒリズムに退行しつつそれを回避してしまうのだが、
筆者は果敢にもそれに挑戦して一定の形ある回答を与えてくれている。
その誠実な姿勢に私は襟を正さなくてはならないと反省したのだ。
怪奇現象に対する、最大の異議申し立てにして、最強の処方箋だ!
2005年12月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
斎藤環氏について語るまでもない、今をときめく精神科医…というよりは、もう評論家といったほうがいいのかもしれない。ミーハーだけれども僕は嫌いじゃありません。
本書では「心理学化」とは銘打ってあるものの、精神分析、臨床心理学、犯罪心理学などをひっくるめて、色々な出来事を「心」のせいにしてしまうという現象のことをさしている。例えば、なんでも「トラウマ」のせいにしてしまう風潮、ロジャース心理学派のいい加減さ、メディアに登場する「心」のコメンテーターと飛び交うあやしげな心理学用語、などなど。
その一方で「ゲーム脳」のような根拠のない器質原因論にも批判を加えているし、生物学主義にも懐疑的。
要は、「なんでも『脳』のせいにしたり、『心』のせいにしたりするのは視野が狭いし、不誠実なんじゃないの?」っていうことを筆者はいいたいんじゃないだろうか。ある学者がいったように、あらゆる科学には「反証可能性」が絶対必要なわけだし、そのためには根拠にもとづいた検証が必要なわけだし、そういった誠実さを欠いた人たちに対して筆者は反対表明しているんだと個人的には思う。
また、筆者は一連の現象をなるべく平易な文章で伝えようとしているし、内容は明快だし、根拠のない論は展開しないので説得力がある。精神分析が万能ではない(むしろ不可能性である)ことも認識しているし、牽強付会な言論人ではないのである程度信頼も置けるし、批判もできる。
でも、そんな筆者だからこそ、強い、ソリッドな言論を求める人には、この本はあまり向かないんじゃないかと思ったりもする。
本書では「心理学化」とは銘打ってあるものの、精神分析、臨床心理学、犯罪心理学などをひっくるめて、色々な出来事を「心」のせいにしてしまうという現象のことをさしている。例えば、なんでも「トラウマ」のせいにしてしまう風潮、ロジャース心理学派のいい加減さ、メディアに登場する「心」のコメンテーターと飛び交うあやしげな心理学用語、などなど。
その一方で「ゲーム脳」のような根拠のない器質原因論にも批判を加えているし、生物学主義にも懐疑的。
要は、「なんでも『脳』のせいにしたり、『心』のせいにしたりするのは視野が狭いし、不誠実なんじゃないの?」っていうことを筆者はいいたいんじゃないだろうか。ある学者がいったように、あらゆる科学には「反証可能性」が絶対必要なわけだし、そのためには根拠にもとづいた検証が必要なわけだし、そういった誠実さを欠いた人たちに対して筆者は反対表明しているんだと個人的には思う。
また、筆者は一連の現象をなるべく平易な文章で伝えようとしているし、内容は明快だし、根拠のない論は展開しないので説得力がある。精神分析が万能ではない(むしろ不可能性である)ことも認識しているし、牽強付会な言論人ではないのである程度信頼も置けるし、批判もできる。
でも、そんな筆者だからこそ、強い、ソリッドな言論を求める人には、この本はあまり向かないんじゃないかと思ったりもする。
2008年5月17日に日本でレビュー済み
海外の精神科医や心理学の本も含め色々と読んでいるが、こんなに中身の無い内容の心理学本が、なんでこんなに評価が高いのか理解に苦しむ・・・。表面で判断する、表面的に物事を扱うのが好きな人、言語ゲームが好きな人には評判が良いのでしょうか・・?
この著者は多くの引きこもりに関連する本も出してるが、もし自分の子供が引きこもりになってもこの精神科医に診てもらいたいとは思わない。また自分の心が不調になった時でも、この精神科医に診てもらいたいとは思わない。表面でしか判断出来ないような医者に、自分の心や大事な人の心の治療をまかせたくはないなって思った。この本を読んでそんな風に私は感じた。
もともとサブカルチャーは大好きで、学生の頃からサブカルチャー関連(みうらじゅんとかいとうせいこう、大槻ケンヂ)など好んで読んでたが、精神科医がサブカルチャーを語ると、途端に藪医者に感じてしまうのは私だけ?それにしても中身の無いお話といった印象です。
この著者は多くの引きこもりに関連する本も出してるが、もし自分の子供が引きこもりになってもこの精神科医に診てもらいたいとは思わない。また自分の心が不調になった時でも、この精神科医に診てもらいたいとは思わない。表面でしか判断出来ないような医者に、自分の心や大事な人の心の治療をまかせたくはないなって思った。この本を読んでそんな風に私は感じた。
もともとサブカルチャーは大好きで、学生の頃からサブカルチャー関連(みうらじゅんとかいとうせいこう、大槻ケンヂ)など好んで読んでたが、精神科医がサブカルチャーを語ると、途端に藪医者に感じてしまうのは私だけ?それにしても中身の無いお話といった印象です。
2006年1月5日に日本でレビュー済み
臨床心理学やカウンセリングに感じてきた、何とはなしの胡散臭さがわかりやすく説明されていて、なるほどと思った。
これは精神科医としての著者のスタンスといったものかもしれないが、「それで、つまり?」と問いかけたくなるような物足りなさもあった。
だからといって本書の欠点というわけではない。過剰に合理的で断定的になることを避けるための、著者の誠意あるスタンスなのだから。
こういう専門家の姿勢こそ信頼できるというものだろう。
「心理学化」から「脳主義」蔓延の社会へと突き進むことの危険を著者は繰り返し指摘する。
とくに「巻末対談」の「悪しき器質主義」で述べている「脳主義」への警鐘は興味深い。
これは精神科医としての著者のスタンスといったものかもしれないが、「それで、つまり?」と問いかけたくなるような物足りなさもあった。
だからといって本書の欠点というわけではない。過剰に合理的で断定的になることを避けるための、著者の誠意あるスタンスなのだから。
こういう専門家の姿勢こそ信頼できるというものだろう。
「心理学化」から「脳主義」蔓延の社会へと突き進むことの危険を著者は繰り返し指摘する。
とくに「巻末対談」の「悪しき器質主義」で述べている「脳主義」への警鐘は興味深い。
2006年10月8日に日本でレビュー済み
現在の思考様式や行動様式の原因を過去の経験に求める事は、心理学を特に知らない人にも受け入れられやすい。トラウマや癒しを求められることが、果たして「心理学化」と呼べるかどうかはともかく、なかなか興味深い現象ではある。
そして、読者は「依頼者の心理・精神的問題を専門家が解決する」という関係性が数多く存在し、そして学問間あるいは学会間の複雑な覇権争いがある事は知っておく必要がある。この覇権争いは、時に盛大であるが、大抵の場合は部外者には殆ど察知できない。精神科医には精神科医なりの、臨床心理士には臨床心理士なりの、カウンセラーにはカウンセラーなりの、この分野と問題解決手法への「主張」があるということ。
本書の著者は精神科医であり、精神科医の立場からこのような現象(著者のいう心理学化)を分析している事は銘記する必要がある。
「ヒト」の精神や心理に興味があるのなら、読んでおいた方がよい一冊。その意味で、本書自体が「心理学化」に一役買っているかも知れない。
そして、読者は「依頼者の心理・精神的問題を専門家が解決する」という関係性が数多く存在し、そして学問間あるいは学会間の複雑な覇権争いがある事は知っておく必要がある。この覇権争いは、時に盛大であるが、大抵の場合は部外者には殆ど察知できない。精神科医には精神科医なりの、臨床心理士には臨床心理士なりの、カウンセラーにはカウンセラーなりの、この分野と問題解決手法への「主張」があるということ。
本書の著者は精神科医であり、精神科医の立場からこのような現象(著者のいう心理学化)を分析している事は銘記する必要がある。
「ヒト」の精神や心理に興味があるのなら、読んでおいた方がよい一冊。その意味で、本書自体が「心理学化」に一役買っているかも知れない。
2005年12月20日に日本でレビュー済み
著者は最初はひきこもりの専門家だったんだけど時代のつぼを押さえた評論であちこちの分野で引っ張りだこの人気者となった斎藤環。
この本では「社会の心理学化」ということについて詳細な検証が試みられている。心理学、精神医学、精神分析、最近では脳科学が人の心を説明する言葉としてあまりにも広く求められ、使われている。著者はそうした事態への警告として本書を記している。
自分と心理学との適切な距離を保つための処方箋として、非常に良い本であると思う。
この本では「社会の心理学化」ということについて詳細な検証が試みられている。心理学、精神医学、精神分析、最近では脳科学が人の心を説明する言葉としてあまりにも広く求められ、使われている。著者はそうした事態への警告として本書を記している。
自分と心理学との適切な距離を保つための処方箋として、非常に良い本であると思う。
2003年11月1日に日本でレビュー済み
かつて浅田彰はラカンの紹介文である『構造と力』でデビューしてニューアカブームを作った。それはラカンを構造主義の限界として扱い、それを超えていく方途を示すはずであった。しかし浅田はその後事実上沈黙してしまって理論的な作業はしていない。<力>に希望と可能性を見い出しつつ、その説明をしなかった(できなかった?)ワケだ。ただ批評活動は活発で、多弁な言葉は継続された。
その中で印象的だったのがオウムに関する「あれは単なるバカだ」という発言と、ベストセラーになったトラウマ語りの小説『永遠の仔』に対する「甘ったれだ」という評価だった。これらの言葉に感覚的に同意はできるのだが説明がないのは致命的な落ち度ではないか? すぐれた批評?も説明が無ければ罵倒にしか過ぎないだろう。
そういった浅田のスタンスは香山リカにラジカルに批判されたし、大塚英志によって真正面から説明し直されていった。「ライバルは浅田彰」という大塚の言葉はだてではなかったといえる。その後浅田は東浩紀の登場によって自分は終わったと宣伝文句を書いているが、それは無責任というものだろう。ここで東を否定しているのではなく、方法論があまりにも違い、東自身にとっても、浅田の後継的位置づけを望んでいるわけでもないだろうからだ。
斉藤環はこの『心理学化する社会』で呆気なく、浅田が正当な批評としては提出できなかった「瘉し」ブームや「トラウマ語り」への批判を、現場に即した説得力と今後の展開への可能性を期待させる理論的な視点と共に掲げてみせた。臨床と理論の説得力だけではなく、それらを可能たらしめた厳しい自己倫理とラカンのさらなる可能性を示してみせたスタンスは近頃では稀にみる思想家としてのものである気がする。
その中で印象的だったのがオウムに関する「あれは単なるバカだ」という発言と、ベストセラーになったトラウマ語りの小説『永遠の仔』に対する「甘ったれだ」という評価だった。これらの言葉に感覚的に同意はできるのだが説明がないのは致命的な落ち度ではないか? すぐれた批評?も説明が無ければ罵倒にしか過ぎないだろう。
そういった浅田のスタンスは香山リカにラジカルに批判されたし、大塚英志によって真正面から説明し直されていった。「ライバルは浅田彰」という大塚の言葉はだてではなかったといえる。その後浅田は東浩紀の登場によって自分は終わったと宣伝文句を書いているが、それは無責任というものだろう。ここで東を否定しているのではなく、方法論があまりにも違い、東自身にとっても、浅田の後継的位置づけを望んでいるわけでもないだろうからだ。
斉藤環はこの『心理学化する社会』で呆気なく、浅田が正当な批評としては提出できなかった「瘉し」ブームや「トラウマ語り」への批判を、現場に即した説得力と今後の展開への可能性を期待させる理論的な視点と共に掲げてみせた。臨床と理論の説得力だけではなく、それらを可能たらしめた厳しい自己倫理とラカンのさらなる可能性を示してみせたスタンスは近頃では稀にみる思想家としてのものである気がする。