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イギリスの情報外交 インテリジェンスとは何か (PHP新書 326) 新書 – 2004/11/16
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老練なイギリス外交の背後には、常にインテリジェンス活動があった。古くは16世紀のエリザベス王朝の時代からイギリスは秘密情報活動を続けており、映画「007」で有名なMI6は20世紀初頭に活動を開始し世界中に名を馳せた。そしてチャーチル首相は毎日のように届けられる暗号解読情報を「私の金の卵」と呼び重宝したのだ。▼本書は、近年公開された20世紀前半のイギリス情報関連史料をもとに、1940年代のイギリスが、対日極東政策を推し進めるにあたって、インテリジェンスをいかに活用し、外交成果に結実させたのかを明らかにする。▼1941年2月のイギリスでは、日本南進による「日英戦争」の可能性が大々的に報じられ、日英関係は一触即発の状況まで追い込まれる。そのときイギリスは、いかに日本の南進を抑止し、また極東問題に距離をおくアメリカを引き込むことに成功したのか?
- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2004/11/16
- ISBN-104569639925
- ISBN-13978-4569639925
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登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2004/11/16)
- 発売日 : 2004/11/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 262ページ
- ISBN-10 : 4569639925
- ISBN-13 : 978-4569639925
- Amazon 売れ筋ランキング: - 163,710位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 33位ヨーロッパのエリアスタディ
- - 165位戦略・戦術
- - 384位PHP新書
- カスタマーレビュー:
著者について
日本大学危機管理学部教授。立命館大学卒業、ロンドン大学キングスカレッジ修士課程修了、京都大学大学院博士課程修了。防衛省防衛研究所主任研究官、防衛大学校講師、英国王立統合軍防衛安保問題研究所(RUSI)客員研究員等を経て、2016年より現職。専門はイギリス政治外交史、インテリジェンス研究。主な著作に『イギリスの情報外交』、『日本軍のインテリジェンス』、『モサド』、『インテリジェンス』、『インテリジェンスの世界史』、『日英インテリジェンス戦史』等がある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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本書を読みこの協力関係はイギリス政府の巧みな外交によってもたらされたと知り、
非常に驚きました。
また、イギリスの優れた外交力が強力な情報収集機関と分析機関によってもたらされている
ということも非常に勉強になりました。
現在日本でも設立が検討されているNSCを考えるうえでも役立つと思います。
新書の体裁ではあるけれども、著者の博士論文がベースのため、内容は一般向けではなく、かなりニッチです。WW2を扱っていますが、イギリスの隣国ドイツに対する記述すら皆無に等しいです。
まえがき通りのコンテンツという意味では齟齬はないですが、タイトル(『イギリスの情報外交 インテリジェンスとは何か』)から想像する内容との乖離が著しく、極めて狭いテーマを扱っています。
同じ著者の『モサド』のイギリス版を期待すると、痛い目にあいます。
組織論・戦略論として一般化できる学びも多かった。例えば、情報不足が政策決定に与える影響の大きさ(例:初期におけるイギリスの極東情報不足が対日政策を後手に回らせた)のは言うまでもないが、情報を集め発信すること自体ではなく、情報を共有して分析・評価する仕組みが大切であること(例:英米の情報機関の対比)や、大量の一次情報が評価・分析されず意思決定者に直接集まり始まると、政策にバイアスがかかりやすくなるという弊害が生まれること(例:チャーチルに一次情報が直接届くことにより硬直化したイギリスの対日政策)など。
太平洋戦争に至る道をイギリスの情報外交という視点から観察した、歴史の読み物としても十分に読み応えある作品だが、大量の情報を収集・分析し意思決定をする現代組織人にとって学びの多い一冊だったと思う。
結論をさきにのべれば、大英帝国による弱者の戦略と、インテリジェンスと外交の重要さである。これは、日本がいま直面している北朝鮮の核・ミサイル危機そして中国の膨張政策への対応を考えるさいの教訓をあたえてくれるのだ。
順をおって述べよう。まず著者は、1941年から12月にわたる日米交渉の失敗について疑問をなげかける。これまでの外交研究は、失敗の主な理由として、「日本政府内の見解不統一、アメリカの日本に対する理解のうすさ、そして日米間におけるパーセプション、もしくはコミュニケーション・ギャップ」をあげてきた。
これにたいし、著者は英国の関与が決定的だったと述べる。ベネット・イギリス外務省極東部長(当時)は、のちに日本交渉についてこう述懐したそうだ。『我々は密かに交渉のバトンをアメリカに渡した。(中略)重要なのはワシントンでの交渉が続いている間に、我々の状況をアメリカに理解させることなのだ』
どういうことなのか。著者はひもとく。《現代の我々からすれば、英米が結束するのは当然だから日本は初めから不利な立場であった、と考えがちになるが、実際この段階で[1940年5月のチャーチル戦時内閣成立時;評者注]日英戦争が勃発した場合、アメリカは介入せず、アジアにおける大英帝国は崩壊していたと考えられる。そして大英帝国にはもはや武力を用いて日本と一戦交える余力はなく、そのインテリジェンスと外交だけが頼りであった。》 《他方、日本の戦争プランは、イギリス、オランダを相手に限定するというものであった。これは日本陸軍が推進した方針であり、日英戦争が生じてもアメリカは参戦しない、という「英米可分」の方針に基づいていたのである。従って日英間の争いにアメリカを関わらせたくない日本と、何としてもアメリカを介入させたいイギリスの方針とは正反対であり、この点で日英のアメリカをめぐる争いは始まっていたのである。》
クライマックスは日本の南部仏印進駐に関する情報であった。《イギリスはこの問題を取りあつかうにさいして、その外交とインテリジェンスをたくみに組みあわせ、目的を達成しようとしたのである。》 《まさにそれは情報の収集から利用に至る一連の過程を経たものとなっていた。》そして、日英のアメリカをめぐる争いは、1941年7月の日本軍の南部仏印で決着がついた。《南部仏印問題を機に、アメリカが日本の全面に立つことになったため、極東における英外交戦略の目的はほぼ達成達成されたと言えよう。》 かくして、日米交渉は失敗し、戦争が生じた。
MI6がどうとかCIAがどうとかKGBがどうとか、情報機関の分析本という内容ではありません。
第二次世界大戦時の約5年間、イギリスの情報機関が日本を始めアメリカ、ロシア、フランスの情報を分析し、いかに有利に戦争を進めたか、この話題に限定されています。極めて精緻な分析です。
そんなわけで、近代世界史にあまり興味のない私は、途中でしんどくなって読むのをやめてしまいました。
だから、まえがきをもっとよく読んでいれば良かったのです。
でもおそらく、大変価値のある本だろうと思います。
実は大したことがなく、圧倒的に優れているのがイギリスで、
次がイスラエル、ロシアということになるそうだ。
ではイギリスの情報外交とはどういうものか、と思って本書を
紐解いてみたのだが、実際は「(1940〜41年の)イギリスの
(対日)情報外交」というかなり限定的なテーマが取り扱われていて、
まえがきを読まずに買ってしまうと、「あれ?」ということに
なりかねないので、注意が必要。
ただし、そういうものだと思って読めば、本書の内容はそれなりに
興味深い。寡聞にして、1941年の「二月極東危機」なる事態の存在を
知らなかったのだが、本書によると、1940年9月の北部仏印進駐から
41年2月頃までは、アメリカは極東におけるイギリスの利害に対して
冷淡であり(つまり米英は可分であり)、この段階で日本が南進して
イギリスとのみ開戦していれば、大英帝国は崩壊していた可能性が高いという。
ところがその後、イギリスが時間を稼ぎつつ日米交渉にも間接的に
影響力を及ぼした結果、6月の独ソ開戦、7月の南部仏印進駐を受けて
米英不可分の空気が醸成され(対日経済制裁の発動と大西洋憲章の発表)、
チャーチルが恐れた対日単独開戦というシナリオは回避されたわけだ。
ただし、これをもってイギリスの情報外交の成功とするかどうかは、
けっこう微妙なところではないかと思う。結局のところ、開戦直後の
マレー沖海戦とシンガポール陥落を経て、極東における大英帝国は崩壊し、
戦後のインド独立などにつながっていくわけで、「二月危機」の時点での
対日開戦を避けられたこと自体は、その流れを数年遅らせただけではないか
という気もするのだが、ひょっとすると、それよりもずっとひどいシナリオ
(将来的にコモンウェルスを維持できなくなるどころか、第二次大戦の
組み合わせが変わって敗戦国となる)もありえたということだろうか。