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日本語を知らない俳人たち 単行本 – 2005/2/19
池田俊二
(著)
日本を代表する大家も、新聞の有名な選者も、誤用・珍用・奇用のオンパレード! 俳句をつくるのが恐くなる? 驚愕・震撼の書。
俳句で当たり前のように使っている「~にかな」「~し」「~けり」などの慣用句は、文法上、誤用のケースがほとんどだと指摘されたら? また、有名な大家が「老ひたもふ」という表現を使っているが、ほんとうは「老いたまふ」が正解。ほかにも「甘えまじ」は「甘ゆまじ」、「合ひて」は「合いて」など、歴史的仮名遣いの誤用も枚挙にいとまがない。
本書は、俳句の世界が永年にわたって日本語をなめ続け、その結果、師匠はもとより弟子たちも誤った日本語を平気で使うようになった実態をつぶさに検証、実例をこれでもかと挙げつつ、正しい日本語を使って俳句をつくろうと呼びかける書。
ただし、俳句をたしなむ人間にとって、自分の師匠は「神様」。師匠に間違いはないと正当化してしまう傾向がある。そこで著者はいう。「この本をこっそり買って、人目を避けて読んで、せめてあなただけでも正しい日本語を使って俳句をつくってください」と。
- 本の長さ311ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2005/2/19
- ISBN-10456964192X
- ISBN-13978-4569641928
登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2005/2/19)
- 発売日 : 2005/2/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 311ページ
- ISBN-10 : 456964192X
- ISBN-13 : 978-4569641928
- Amazon 売れ筋ランキング: - 58,905位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9位詩論
- - 15,029位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分の短歌を作りの良い参考になりました。世の中の文語文法の間違いなどを鋭くついています。
2013年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
父に頼まれて買ったものですが、父はかなり気に入っているようです。
2012年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なるほど、と読み進めるも、いくつか疑問が。
この方の、この本の、元ねたに出ている、
萩野貞樹氏を数冊辿るも、芭蕉句の解説に、それから、
芭蕉は許されるが、あなた方は駄目ですよ、の表記に疑問を感じていたら、
以下を紹介して下さった方があり。
学術書ではないので、こういうことは、ままあるのだろうが・・・、と思いつつ。
Amazonのリクエストに応えて、記載します。
[・・・]
週間俳句の、この頁の一部を以下に転載します。
2011-11-06
最初に用語の意味を確認しておきたい。
文法の「完了」は単なる終了ではない。「完了の助動詞」は次のように定義される。「動作・作用の完了し、次にある何らかの状態が発現していることを表わす助動詞」(『日本文法大辞典』)、「事態の発生、完了、完了した状態の存続、それらの確認などの意を表わす」(『日本国語大辞典』)。
過去の助動詞「し」の完了の用法は、近現代の俳句短歌にはおびただしく見られるが、正しく認識されていない。昨年、たまたま上田信治の過去のブログ(「胃のかたち」平成19年4月8日)を見て、かつてこの「し」をめぐって論争があったことを知り、非常に興味深く思った。
●
論争は以下の通り。
池田俊二が『日本語を知らない俳人たち』(平成17年)で、現代の俳人が、過去の助動詞「し」を完了の意味に使うのは誤用であるとして、多くの俳人の作品や新聞の選句をあげ、何十頁にもわたって執拗に批判した。片山由美子が『俳句』平成17年5-6月号の「現代俳句時評」(『俳句を読むということ』所収)で反論すると、池田が「し」についての知識を得た本である『旧かなを楽しむ』(平成15年)の著者萩野貞樹が『旧かなと親しむ』(平成18年)で片山説を批判した。また、『俳句界』平成19年9-10月号の「文法の散歩道」で松田ひろむが池田説を批判、同11月号で池田が反論した。
以上を図書館で全部読んだが、四人とも「し」の歴史をおさえていないため、論争は不徹底なままで終わっている。
以下、大野秋田さんの解説は続きます。
内容が良いので、この本を読んだ人は、
この大野秋田さんのこれも併せて読めば、
何事か、得られます。
古文、の解釈の遠い遠い世界の法則。
現代文だって、読み方の違いで、意見は異なるのだから、
池田さんの書かれた状況、と言うのは、
致し方なかったのでは無いか、と。
もう亡くなっておられるのでは。
本を出す、って、恐ろしいことですね。
この方の、この本の、元ねたに出ている、
萩野貞樹氏を数冊辿るも、芭蕉句の解説に、それから、
芭蕉は許されるが、あなた方は駄目ですよ、の表記に疑問を感じていたら、
以下を紹介して下さった方があり。
学術書ではないので、こういうことは、ままあるのだろうが・・・、と思いつつ。
Amazonのリクエストに応えて、記載します。
[・・・]
週間俳句の、この頁の一部を以下に転載します。
2011-11-06
最初に用語の意味を確認しておきたい。
文法の「完了」は単なる終了ではない。「完了の助動詞」は次のように定義される。「動作・作用の完了し、次にある何らかの状態が発現していることを表わす助動詞」(『日本文法大辞典』)、「事態の発生、完了、完了した状態の存続、それらの確認などの意を表わす」(『日本国語大辞典』)。
過去の助動詞「し」の完了の用法は、近現代の俳句短歌にはおびただしく見られるが、正しく認識されていない。昨年、たまたま上田信治の過去のブログ(「胃のかたち」平成19年4月8日)を見て、かつてこの「し」をめぐって論争があったことを知り、非常に興味深く思った。
●
論争は以下の通り。
池田俊二が『日本語を知らない俳人たち』(平成17年)で、現代の俳人が、過去の助動詞「し」を完了の意味に使うのは誤用であるとして、多くの俳人の作品や新聞の選句をあげ、何十頁にもわたって執拗に批判した。片山由美子が『俳句』平成17年5-6月号の「現代俳句時評」(『俳句を読むということ』所収)で反論すると、池田が「し」についての知識を得た本である『旧かなを楽しむ』(平成15年)の著者萩野貞樹が『旧かなと親しむ』(平成18年)で片山説を批判した。また、『俳句界』平成19年9-10月号の「文法の散歩道」で松田ひろむが池田説を批判、同11月号で池田が反論した。
以上を図書館で全部読んだが、四人とも「し」の歴史をおさえていないため、論争は不徹底なままで終わっている。
以下、大野秋田さんの解説は続きます。
内容が良いので、この本を読んだ人は、
この大野秋田さんのこれも併せて読めば、
何事か、得られます。
古文、の解釈の遠い遠い世界の法則。
現代文だって、読み方の違いで、意見は異なるのだから、
池田さんの書かれた状況、と言うのは、
致し方なかったのでは無いか、と。
もう亡くなっておられるのでは。
本を出す、って、恐ろしいことですね。
2010年10月23日に日本でレビュー済み
このたぐいの本では、『旧かなを楽しむ』(萩野貞樹、リヨン社)が有名のようですが(私も読みましたが)、この本はそれを強調させた形でしょう。本作者が認めておりますように、『旧かなを楽しむ』が元になり書いたとのことですが、『旧かなを楽しむ』では現代語派に対する感情がのらりくらい、いい意味では事をなるべく荒げす理知的に、悪い意味ではちょっと陰気な感じがし、読んでいても、少し辛い思いをしましたが、本『日本語を知らない俳人たち』では、反旧かな派に、誤用の俳人たちにに堂々と向かって行っています。旧かな派はどうかは別にして、その気迫に、迫力に、痛快なものを感じます。ここまで痛快ですと、逆に楽しく読むことができます。内容は、『旧かなを楽しむ』と重なるところはもちろんありますが、それを踏まえ、突っ込んで書いてあるという感じです。『旧かなを楽しむ』が感情的に読めなかった方も、『旧かなを楽しむ』を楽しんで読まれた方も、大いに楽しめる、学ぶことができる良著だと思います。このレビュー旧かなで書きませんでしたことお許し下さい。
2020年10月18日に日本でレビュー済み
少し古典の知識が必要ですが、現代の俳人の方の間違いを挙げて、歴史的仮名遣いや、古典文法の間違いやすい所が、よくわかり、俳句や、短歌など、うたを詠むのに、非常に参考になります。