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「生きる力」としての仏教 (PHP新書 406) 新書 – 2006/6/1

4.1 5つ星のうち4.1 14個の評価

仏教とは、人が亡くなるたびにお布施を集め、墓地や駐車場を経営する宗教のことではない。世間の常識に縛られる凡夫を解放し、生きる喜びを与えてくれる宗教なのだ。今こそ、仏教の原点に立ち戻るべきでは──。本書では、元禅僧にして比較宗教学者と、“癒し”の文化人類学者が、日本仏教の再生について熱く討論。「<悟り>と<狂い>は紙一重」(町田)、「仏教は人生をリセットする教え」(上田)、「陰徳を積むという価値観を見直そう」(町田)、「“痴”と“智”の絡まりあいに救いがある」(上田)など、宗教の本質を見抜いた独自の見解をぶつけ合う。さらに、オウム事件から十年が過ぎ、日本社会と仏教のあり方を考える。それは単なる教義としてではなく、実践する仏教のあり方である。そのために、お寺を中心としたボランティアの取り組みや、家庭に仏壇を取り戻す方法なども提案。果たして日本仏教に未来はあるのか。現代人の魂に火をつける刺激的対論である。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ PHP研究所 (2006/6/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/6/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 238ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4569649858
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4569649856
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 14個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2024年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
包装も良く、スムースな配送でした。
2008年8月23日に日本でレビュー済み
二人の人生論は、ありふれてはいるものの、正論である。ただ、最終的に「仏教の復活」に持ち込もうとする上田氏の論理にはちょっと強引さを感じる。
思想としての仏教には学ぶところはあるだろうが、残念ながら、宗教組織としての日本仏教に期待するものはないと思う。
世襲の僧侶たちに精神的な支えを期待するのは無理だろう。期待される方も辛いのでは。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年8月3日に日本でレビュー済み
何処の世界も同様で封建的縦社会構造による弊害が課題となり本来の役割が果たせずにいると言う視点から、仏教が今後どのような立場で現生の一般庶民が抱得ている課題を解決し、世の中を住みよくしていくべきなのかと言う概念論を対談形式で著した書籍である。
著名な仏門は一般人にとって敷居が高く普段の悩みの相談と言う気持ちで訪れるには気が引けるらしく、自殺して死んだら仏教で葬式を上げると言うのが実情であり、生きる者への安らぎや生き方を授ける場としての仏門と言う役割がなくなりつつあるとしている。
中世は僧侶は中国で修行を収め帰国し、修行の成果を伝授すると言う役割があり、世間一般の人々より教養があったため、人生相談にも幅広く答えており、仏門自体も敷居が低く一般人でも教えを受けやすかった。
昨今の本尊と配下の寺、職位視覚で色分けする袈裟の色などから、僧侶が形式重視に走り一般人には敷居が高く、かつて法然が目指した大乗仏教と言う人は黄が僧侶に欠落し始めているとする。
現代の世相にも合致する仏法を変化を取り入れながら僧侶が実践すべきであると説く。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年7月10日に日本でレビュー済み
上田氏の『がんばれ仏教』を新鮮な思いで読んだことを思い出しました。

宗教は悩める人間を救い、閉塞した状況を打開する『実践』をともなってこそ 本来の意味を持つとは…まさに このとおり。

衆生を救済という高邁な理想を掲げて 上座仏教を「小乗仏教」と呼んだ大乗仏教。一般の人には及ばない境地に達した

僧侶もいるとして俗世間かから離れたところに居所を見出そうとする。最近の日本では大乗仏教が小乗仏教化している、とは 

このとおり。

宗教的な個人体験と衆生救済の間を行き来できること。挫折という「死」とそこからの立ち直りという「生まれ変わり」を繰り返し

ながら成長することを教えること。これが『仏教』のダイナミズムではないでしょうか。

遍路をしていて、ご本尊の前でお経を唱える時に ふと思うことがあります。

自分は観音様やお地蔵様に何かをお願いしているのではなく、手を合わせているその瞬間に自分の中にもある(小さな小さな)

菩薩に向き合っているんじゃないか…同じように、地獄とは自分の外にあるのではなく 内側にあって、その時々の感情で餓鬼

道にいることも、阿修羅道にいることもある…「生まれ変わり」もこの本に書いてあるとおりです。

すべては 「いま この瞬間」、「連続する生」の『自分自身の中にある』 、と。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年8月12日に日本でレビュー済み
「生きる力」を与えてくれるような本を望んでいたら違った。

僕には難しい宗教の議論。間違ってないで思った通りだという人もいると思うけど。タイトルがまぎらわしい。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年6月22日に日本でレビュー済み
そもそも「生きる力」の行き過ぎを抑制するための知恵こそが「仏教」だったはずである(限りない欲望にブレーキをかけ、バランスのとれた思考と行動を学ぶ)。が、「原理」にばかりこだわっている場合ではないらしい。どうやら制度疲労を起こしているらしい現代の日本人を、一時的にではなく長期的な視野にたって元気付け、あるいはその傷ついたモラルを再建してもらうために、今こそ日本の伝統にねざした仏教のパワーを再生しフル活用する時がきたようである。そのための理論と政策を、やたらとホットな論客あるいは運動家(在俗の僧侶?)である二人が語り合った。日本のすべての僧侶は必読である。それから、もっとちゃんと生きたい、と考えている誠実な人なら老いも若きも推薦できる本です。

個人的には、宗教の「爆発」といい「エロス」だの何だのとあまり「仏教」らしからぬ発言の目立つ町田氏にはあまり共感できず(彼が神道やヒンドゥー教の立場から語っていても違和感はないだろう)、やはり若手僧侶のオルガナイズを始め地道な「仏教改革」にとりくんでいる上田氏の発言の方が色々と考えさせるところが多い。仏教の原理原則と目の前にある現実の双方をよく見据えていると思う。これからの仏教がめざすべきは「静かな革命」であるとか、やはり「縁起」と「慈悲」が核心的なキーワードであるとか、葬式仏教を認めつつ、しかし「生」のなかに常にある「死」へのさらなるつっこみが求められるとか、成功ではなく苦悩のなかからこそ個人のオリジナリティは生まれてくるとか、なるほどなるほどな見解がたくさん語られている。

あと、五章にある仏壇トークがおもしろかった。「どんな若者でも、エロ本を見るときは仏壇を閉める」らしく、そしてその行為の裏側には「彼方からの眼差し」への畏怖の念がある……。こういう、人間の感性に即したごくミクロな宗教感覚を養って行くところから、日本仏教の再生がありえるのかもしれない。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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