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対論・異色昭和史 (PHP新書 591) 新書 – 2009/4/15

4.1 5つ星のうち4.1 13個の評価

雑誌『思想の科学』への投稿がきっかけで交流が始まった二人。
半世紀ぶりに再会し、語り合った昭和の記憶とは?
鶴見氏は、昭和三年の張作霖爆殺事件の号外を覚えているという。
八歳年下の上坂氏が、戦前から戦後の体験談について、根堀り葉掘り質問をぶつける。
「米国から帰国したのは愛国心かしら?」と問う上坂氏に、「断じて違う!」と
烈火のごとく否定する鶴見氏。
一方で、「戦時体制にも爽やかさがあった」と吐露する上坂氏に対して、
「私もそう感じた」と応える鶴見氏。やがて議論は、六〇年安保、べ平連、三島事件、
靖国問題へ。六〇年安保のデモ行進に誘われた上坂氏は「後にも先にも
デモに参加したのはあれが初めて」と。その後、ノンフィクション作家として自立してゆく
上坂氏の原点に、鶴見氏らとの交流があったというのは興味深い。
現在では護憲派、改憲派という立場を異にする二人だが、いまだからこそ訊ける、
話せる逸話が尽きない。圧巻の一六五歳対論!
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ PHP研究所 (2009/4/15)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2009/4/15
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 261ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4569705731
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4569705736
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 13個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2023年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鶴見俊輔に対する執拗なまでの上坂冬子の反論や批判を含んだインタビューが、鶴見俊輔の興味深い側面を引き立たせていた。鶴見俊輔がどこで感情を荒らげたか、悪意あるとも思えるような上坂冬子の見解と質問にどう答えたか、からは鶴見俊輔の哲学の手触りのようなものを感じた。
2015年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔からの知り合いで上坂冬子さんと鶴見俊輔氏と拘りのある過去の思い出を中心に丁丁発止とやりあっています。
鶴見俊輔氏もかなり思い込みの強い人物で、面白いです。
随分幼少の時からの記憶から紐解いておられますが、昭和の歴史の裏面、側面が垣間見られるような内容です。
読み物としては、内容が整っています。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年12月2日に日本でレビュー済み
*思想の科学の発行元が中央公論社から自主刊行に変った経緯など興味深い話が満載だが、鶴見証言には記憶違いもあるので要注意。たとえば自主刊行の段取りをつけた都留重人教授は国立大学の当時教授で朝日新聞の「論説主幹」(p181, 1962年)ではありえない。

*薮内清ーーという巨頭がいた。中国の天文学史をやる「漢学者」(p139) 薮内教授は漢学者でなく科学史家。

*[村ぐるみの不正投票を,朝日新聞に投書して暴露した石川皐月さんの村八分騒動(1952年] (鶴見)しかし、もっと大きな百五十年の視野に立てば、日本人の編み出した村八分というギリギリの知恵(!?)を、舶来の原理主義的(?)なデモクラシーが潰そうとした(?!)事件ーーー。あの(=魔女裁判の)残酷に比べれば,村八分は相対的に正しい(?!)。正気の沙汰とも思えない思想家の発言だが案外本気なのが鶴見流。

*ハーヴァードでは常に成績優秀、収監前は上位10%の由だが。そもそも1938年、16歳でハーヴァードに入学したという鶴見少年、中学にも行かない自称「不良少年」が英語で講義を聞く語学力をどうやって身につけたのか、尊敬する都留教授がハーヴアードに行く前語学学校に一年行ったというのに。都留教授の親御さんは金策に苦労した(P158)が、鶴見姉弟を渡米させた著名政治家の鶴見祐輔の方はカネに苦労していない。同じく政治家永井柳太郎の息子永井道雄元文相が鶴見センセイの竹馬の友ときてはこれは所詮金持ちの世界の話。思想家鶴見が戦後親のスネをかじってないと力むのも滑稽なら、祖父に当る後藤新平が清廉な政治家だったというのもあくまで「相対的」なものだろう。

聞き手の評論家上坂冬子女史の発言から
「論理的におかしいんじゃない。当時は朝鮮半島出身者も日本人でした(皇民化政策が成功して日本人植民地人が「一視同仁」の扱いを受けていたとでもいうのか)朝鮮半島出身の人だけを慰安婦にしたなら差別ですけど、日本人の慰安婦もいたのだから,差別せず同等扱いしたことになります」本人が承知の上なら慰安婦になるのも仕方がないのだと言わんばかり。身内の女の子が慰安所に連れて行かれて上坂女史は平然としていられるのか?結局戦時体制は女史にとって不愉快なものでなく(P5「大東亜戦争にも”爽やか”な部分」)、戦時下の体制を否定されることが戦時下の自己,ひいては自己のアイデンティティに繋がっているのがよく分かる。

資料的価値といえばpp119-120 に掲載されている「トヨタ自動車社員の購読雑誌調査」(1953, 1954 8月申し込み)は貴重なもの。これを提供した作成者の上坂女史は本書に多大な貢献をしている。はじめに執筆の翌月、上坂女史は76歳で物故された。合掌。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年11月9日に日本でレビュー済み
この対談の主役である鶴見さんは今年7月、93歳でお亡くなりになられた。聞き手の上坂さんは2009年に78歳で病没されたが、この対談が行なわれたのが2007年と2008年なので、ほとんど遺作に近い本となってしまった。ラストの「死について」の話はさりげなく切り出されて、最後はお互い(笑)で終わっているが、上坂さんはこれで鶴見さんともお別れになるかもしれないと心に秘めての対談だったと思われる。

内容は鶴見さんの半生を振り返りながら昭和史をひも解くもので、当時の雰囲気、空気を知る上で貴重であった。日本が戦争で負けたとき、当時15歳だった上坂さんは「そんな!日本が負けるはずがない」と思い、同い年の共産党の不破哲三少年もそう思ったと。つまりあの当時の同世代の人はみんなそう思っていたということだ。もっと驚くのは昭和17年8月に鶴見さんが日本に帰国したとき父の鶴見祐輔氏(当時国会議員)が横浜まで迎えにきていて、自動車の中で「心配するな、いよいよとなったら『神風』が吹く」といったことで、上坂さんの父も母が「お父さん、この分じゃ日本に勝ち目はありませんね」といったら「神風が吹く」といわれた。上坂さんはあの頃の日本では、成年男子の7割ぐらいがそう信じていたんじゃないですかと。日本が負け戦が続いてもなかなか戦争を止めなかった理由の根底には、まさに神懸かったこの意識があったからではないのか。

現在問題になってる従軍慰安婦の問題にも上坂さんは「当時の空気から言うと私は未成年だったけれど、もしあの時に成人してたら、軍国少女としては『兵隊さんがそんなにお困りなら、私でよければ』って出ていったかもしれない。そういう雰囲気が国中にありましたもの」と。これも今となれば理解できない、だから存在しなかったものとされているのではないだろうか。

他にも鶴見さんが終戦後ニュース映画で国会を見てあっと思ったという、壇上で熱弁を振るう共産党の徳田球一に首相の吉田茂がニヤッと笑いかけているシーン。感情の交流が伝わってきたという。

そして現在の価値の感覚を鶴見さんは「いまはまず金、もう1つは学校の成績で見る。一流大学を出て一流の会社に行って、高い給料をもらっていい位置に就く。そういう価値判断から離れる人が大変少なくなっている」。「私の価値判断で考えると、日本は豊かだとはいえません。明治元年に比べて相当貧しくなっていると思います。そしてその自覚がないですね」。鋭い指摘である。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年5月15日に日本でレビュー済み
そんな許容力もなしで、よく今日まで人間社会を生きてきましたね。だいいち女々しい

どこの家にもある話じゃないの

汚いわね。なにより意気地がない

そんな些末なことはどうでもいいじゃない

こんな親を持った子は気の毒ねえ

可愛くない息子ね

そうかしら。

変なひとねえ

言いたい放題。

天然ボケの鶴見俊輔を一刀両断

痛快無比の高級漫才である

そうか、鶴見俊輔に欠けていたのはツッコミであったか
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年5月20日に日本でレビュー済み
先日お亡くなりになった作家・上坂氏と哲学者の鶴見氏、
立場の違うふたりの対談はテンポよく進む。
考え方は異なっても同じ時代を生きたふたりだからこそ醸し出された言葉の数々。
「死」についてのところでは涙が溢れた。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年12月1日に日本でレビュー済み
様々な昭和の出来事を、経験しているお二人の感覚の違いが結構現れていて、その辺が面白かったですし、上坂さんのような感覚で捉える方も当然いらっしゃって、その当たり前のことに気がつけたことも読んで良かったです、あまりに感覚は違いますが。

昭和の出来事なんて戦前や戦中も知らないことだらけなんですが、このお2人のその場の雰囲気を蘇らせてくれる(ただし、当人の感覚であるのは当然ですが)のがなかなか面白く、生き証人のような感覚で読ませます。私はずぶの素人ですが、本当に歴史については捉え方ひとつでかなり温度差があるのだとつくづく思わされます。

認識を作るのは、当然その当時の同時代に生きている人々の感覚であり、その中から文書なり、映像なりで残されていくのですが、その当時の皮膚感覚みたいなものはなかなか分からないものです。後の人が批判するのは簡単ですし、その当時の人ならばこその感覚は大事にされて良いと思います。が、その感覚や感情に左右されすぎることの怖さみたいなものが共通認識にないと、難しい感じがしました。

また、憲法についてなのですが、欧米に押さえつけられた、結局のところ日本人の手でない、というところに上坂さんは強い憤りを感じていらっしゃるのだと思いますが、変えようとする努力が足りなかったこと(変えようとするチカラを変えたくない、というチカラが上回っている、あるいは他に重要なことがある、など、とにかく変わってないという事実)の結果の交付からの年月を考えると、押し付けられたものでも良ければ使うし、合わなくなったら変えれば良い、とは思います。また変えよう、と日本国民が強く思わなければ変わらないものでありましょうし、強く変えたい、と思う方々から、変えたくない、と強く思う方々までを含めたある程度の合意を目指さない限り(ということは、ある程度玉虫色ということになるでしょうし、そもそも合意を得るとはそういうものではないか?とも思ったりします)変わることはありえないでしょうしね。そして現在という、とても多種多様なものを認める世界での合意というのは難しいものであろうとは思いますが。もちろん多種多様な世界であることは良いことだと私は考えますが。

上坂さんの感情を否定することは出来ませんし、戦争中の爽やかさ、清々しさはもちろんあったでしょうし、何かに全員が一心不乱になることの心地よさ(今で言えばオリンピックの競技の応援以上のものであったでしょうか)も認めますが、それが言論統制や隣組の上に成り立っているという事実をも含めて良かったというのであるなら、私には否定されて良い感情に映りました。

昭和史が気になる人に、鶴見さんがお好きな方にオススメ致します。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年4月29日に日本でレビュー済み
トヨタのOLをやりながら、「職場の群像」で世に出た上坂さん。一方、鶴見俊輔氏は後藤新平の孫。面白い本。知らなかったことが次々出てくる。若槻禮次郎は出雲松江藩の足軽の捨てごであるとか。また、鶴見氏の父親のこと(百科事典にのっている鶴見祐輔)。
父親が息子に俊輔と名付けた理由が、総理大臣になりたいのになれなかった親が伊藤博文の幼名を息子に名づけ、その意思を託したという。それが息子にはどんなに迷惑な話だったかということが、綿々とでてくる。父親へのルサンチマンめいた感情がつたわってくる。

なんにんもの著名文化人(おもに物故者)が鶴見氏の身近な人物だったらしい。へぇ〜の世界と、筆者にとっても共感できる世界とが混在しているという意味で、一読の価値あり。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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