再掲
これまでも上杉さんは記者クラブの問題点を指摘してきた、また自由報道協会としても、畠山さんらと日本の既成ジャーナリズムの問題を明らかにしてきた。
今回はその最後通牒にもあたるのであろうか、「官報複合体」(政府と既成報道組織)を事例をもとに綴っている。
多くの方が3.11以降の政府発表と既成メディアから発表される情報の信憑性を疑い、また多くのウソ(時間の経過に伴いウソがばれる)を実感したことだろう。
「官報複合体」の癒着の現実を記者クラブという既得権益から考えれば非常に容易に理解できる。新聞社間(記者間)での取材メモの共有。そのメモを使って記事を作るのは別人であること。官と報道での知らせる権利と知らさない権利ともいうべき癒着構造。
また震災後の報道でも分かるように、既成メディアは政府、東電発表を鵜呑みにして真実を報道しなかった(アメリカ原子力委員会の議事録からも明らか)。
メディア報道被害者の例、小沢一郎(もっとも早くから会見の自由化を主張)、鉢呂元大臣(作られたオフレコ放射能つけちゃうぞ事件)、鈴木宗男事件。
記者クラブと政治家、官僚の癒着は1980年代からと書かれているが、その点はおそらく上杉さんも当然ご存知だと思うが、読売新聞の渡辺氏が大野伴睦の回想録の一部を請け負った事の以前からあったのだろう(さらに、山崎豊子の運命の人でも同じ構造)。
新聞は正しいから○新聞の○○記者は正しいという時代にならないといけない。
選民思想と愚民思想の上に成り立っているのが既成メディアなのかもしれないと思った。
いずれにしても記者クラブを道連れに地獄に落ちる用意があるという上杉さんの今後の活躍を願うばかりである。
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新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか (PHP新書) 新書 – 2012/2/15
上杉 隆
(著)
業界震撼の「癒着メモ」公開(40万メモリーク)、マスメディア堕落の構造を徹底的に究明する!
現職大臣を辞任に追い込んだ「放射能つけちゃうぞ」発言は、完全なるでっちあげだった―真相を隠蔽して虚報を流し、バレても責任を取らない。それでいて正義の旗を振りかざす横暴ぶり。
新聞・テレビの罪深き欺瞞は、「ただちに危険はない」との政府発表を垂れ流しつづけた原発・震災報道で決定的となった。政治との悪質な癒着。
ネットメディアの台頭によって、情報を管理できる時代は終わった。国民を騙しつづけた先にはマスメディアの死が待っている。ジャーナリスト休業を宣言した著者が放つ、記者クラブへの最後通告。
【内容例】番記者たちのあいだで交わされる「談合」/政府に情報を売るマスメディア/忘れてはいけない震災報道「9のウソ」/「放射能、ついていませんか」とふったのは記者/いまや中国メディアのほうがよっぽど進歩しているetc.
現職大臣を辞任に追い込んだ「放射能つけちゃうぞ」発言は、完全なるでっちあげだった―真相を隠蔽して虚報を流し、バレても責任を取らない。それでいて正義の旗を振りかざす横暴ぶり。
新聞・テレビの罪深き欺瞞は、「ただちに危険はない」との政府発表を垂れ流しつづけた原発・震災報道で決定的となった。政治との悪質な癒着。
ネットメディアの台頭によって、情報を管理できる時代は終わった。国民を騙しつづけた先にはマスメディアの死が待っている。ジャーナリスト休業を宣言した著者が放つ、記者クラブへの最後通告。
【内容例】番記者たちのあいだで交わされる「談合」/政府に情報を売るマスメディア/忘れてはいけない震災報道「9のウソ」/「放射能、ついていませんか」とふったのは記者/いまや中国メディアのほうがよっぽど進歩しているetc.
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2012/2/15
- ISBN-104569802826
- ISBN-13978-4569802824
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登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2012/2/15)
- 発売日 : 2012/2/15
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4569802826
- ISBN-13 : 978-4569802824
- Amazon 売れ筋ランキング: - 770,044位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,792位PHP新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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ジャーナリスト・経営者・僧侶
処女作『石原慎太郎「五人の参謀」』が17万5000部のベストセラーに。
次作の『田中眞紀子の恩讐』『田中眞紀子の正体』でもともに5万部を売り上げる。
第一次安倍内閣の内幕を描いた『官邸崩壊』は10万部を超えるベストセラーとなり、直後に政権崩壊で予言の書と言われる。
共著を合わせると約50冊。総売上約100万部。
2019年1月25日、50歳で京都・聖護院門跡にて得度。
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トップレビュー
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2018年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2012年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上杉氏の本については、小生はこれでまだ3冊目ですが、ほとんどの内容がどれもあまり変わらない
「記者クラブ制度批判」一色です。
その批判自体は多いに賛同できますが、どの著書でもそればっかりでは読者が離れてしまいますよ。
本著も鉢呂元経産大臣の言葉狩りなどで構成されていますが、田中龍作ジャーナルなどで
この事実はすでに世間には伝わっていると思いますし、読売の記者とのバトルも知っていること
だと思います。
きっと上杉氏は書きたかったのでしょうが、ネットなどで知っている者としては、
物足りなく感じてしまいます。
ただ、今回、そのとおりだと思った点としては、オプ・エドの話でした。
公平な取材機会と多様な価値観で報道は成り立たねばならないと思います。
原発取材での規制についても検閲に等しいと思いますので、こういう状況を
是非打破していって、真実を伝えていってほしいと思います。
本著の最後にとことn突っ走ると書いていただいているので、どんどんおかしいところは
突いていってほしいと思う所存です。
「記者クラブ制度批判」一色です。
その批判自体は多いに賛同できますが、どの著書でもそればっかりでは読者が離れてしまいますよ。
本著も鉢呂元経産大臣の言葉狩りなどで構成されていますが、田中龍作ジャーナルなどで
この事実はすでに世間には伝わっていると思いますし、読売の記者とのバトルも知っていること
だと思います。
きっと上杉氏は書きたかったのでしょうが、ネットなどで知っている者としては、
物足りなく感じてしまいます。
ただ、今回、そのとおりだと思った点としては、オプ・エドの話でした。
公平な取材機会と多様な価値観で報道は成り立たねばならないと思います。
原発取材での規制についても検閲に等しいと思いますので、こういう状況を
是非打破していって、真実を伝えていってほしいと思います。
本著の最後にとことn突っ走ると書いていただいているので、どんどんおかしいところは
突いていってほしいと思う所存です。
2018年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『信念とは』
(以下、p.196-197より引用。)
-----------------------------------------------------------------
最近、「何が上杉さんをそこまで動かしているんですか?」
という質問を受けるようになった。
端的に答えるなら、それは、日本において健全な言論空間が
育つことが、結果的に、この国の未来をよくする、との確信で
あり、・・・
-----------------------------------------------------------------
(引用おわり。)
『結果を求めない生き方』から、(母の死後)やっと2冊目の
拝読です。
上杉氏の『信念』を”信じる”と共に、心よりの御礼を申し上
げます。
(拝)
(以下、p.196-197より引用。)
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最近、「何が上杉さんをそこまで動かしているんですか?」
という質問を受けるようになった。
端的に答えるなら、それは、日本において健全な言論空間が
育つことが、結果的に、この国の未来をよくする、との確信で
あり、・・・
-----------------------------------------------------------------
(引用おわり。)
『結果を求めない生き方』から、(母の死後)やっと2冊目の
拝読です。
上杉氏の『信念』を”信じる”と共に、心よりの御礼を申し上
げます。
(拝)
2012年5月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
取材メモや記者クラブの話は面白かった。記者クラブ制度については他でも批判されてますが、取材メモが政府側に全て筒抜けになっている話は、「そこまで腐っているのか」と暗澹たる思いにさせられた。ただ、この人の書いたことを全て鵜呑みにする気にはならない。この人は鳩山邦夫の秘書やってた人です。ホントに世の中の正義とか考える人が、鳩山の秘書やる??大手メディアが腐っているのはわかるけど、ニコニコや堀江を持ち上げすぎじゃない?まあ、ホント半分くらいによむのがよろしいとおもいます。40万の取材メモを某所より入手し、所有していると言っているが、ほんとならすべて公開すりゃいいじゃないの?著者のインチキ臭さの分を引いて星三つにしました(笑)。
2012年3月16日に日本でレビュー済み
記者クラブ制度に固執する新聞・TVを批判した本。見解の当否はともかくとして,良い評価はできない。主な理由は以下の2点。
1. 論理構成が杜撰
2. 肝心な部分が明らかにされていない
まず第1の点について。細かいところで整合しない,あるいは誤った記述は数多あるが,それらには目をつぶろう。新聞・TVが「ウソ」をつくのは記者クラブ制度があるからだ,というのが本書の中心的主張である。なるほど確かに東日本大震災以降,メディアの発信する情報は以前より信頼されていないし,記者クラブの弊害も従前から指摘されている。が,だからといって,この両者が直ちにイコールで結びつくわけではない。言うまでもなく,非記者クラブメディア(たとえば週刊誌)だってウソをついてきたのだから。どちらも同じようにウソをついているのであれば,原因は記者クラブではなく,別のところにあると考えるのが自然だ。
この点に関する著者の主張ははっきりしないが(それが常態なのだが),原発事故報道について書かれた第3章の末尾では,
・〔事故の詳細を〕「ほんとうはわかっていながら,〔新聞・TVは〕真実を報じなかった」と言ったほうが正しい(p.92)
とある。しかしこの「意見」を裏づける具体的な事実は,本文中に記載されていない。ふつうに考えて,専門家でもない記者が,政府・学者・東電の発言に対してどれほどの自信を持って突っ込めるのか,疑問が残る。
次に第2の点。本書もある種の情報を発信するものだから,
・発信者がすべての情報の「出典」と「信頼性の度合い」を明らかにすることが,全体の「情報リテラシー」向上につながる(p.171)
との要請に従うことになる。つまりキチンと取材しろということだが,本書ではまともな取材がほとんどなされていない。
たとえば第1章では,番記者たちが作る「情報メモ」「メモ合わせ」の実態などが書かれている。しかし驚いたことに,批判対象となっている記者や新聞社への取材がされた様子が全くない。「メモという動かぬ証拠が挙げられているから良いではないか」というわけにはいかない。情報メモの存在自体は隠されているわけでもなんでもないからである。つまりこの章での論点は,「このような取材手法が許されるのか」である。ならばなぜ当事者である記者や新聞社に,ことの当否を取材しないのか?
昔ならいざ知らず,現在,当事者に取材して反論や言い分を併記するくらいのことは,週刊誌でもやっている。著者が散々批判する記者クラブメディアも同様である。
第4章前半では,鉢呂吉雄経産大臣(当時)の騒動に触れている。毎日新聞記者に対して「放射能をつけたぞ」と発言したとして,最終的に辞任したという一件である(2011年9月)。上記発言は記者クラブメディアの「でっちあげ」(p.96)だ,というのが著者の主張だ。しかしこれも取材不足。大臣自身が「言った記憶はない」(p.99)というのが主な根拠のひとつだが,言った大臣が覚えていないのであれば,言われた記者に問い質せば良いだけのことである。こんな簡単な「取材」すら,著者は行っていない。
ただし,辛坊治郎を批判した箇所(pp.114-115)などについては,ある程度評価できる。名前を挙げて批判した以上,いい加減なことは書けない。「具体的な名前の明記は記事の信憑性を増す」(『 暗殺国家ロシア 』p.81)というのは,ジャーナリストであれば知っていて当然ではある。
逆に言えば,具体名を挙げない批判は「怪しい」。ところが,メディア批判がメインテーマであるはずの本書において,不可解な匿名批判が時折顔を見せる。
・私〔著者〕が発信する情報に対し,既存メディア(主に新聞・テレビ)…から「ウソを言うな」「危険を煽るな」と非難されつづけてきた。(p.66)
・私はラジオなどで東電批判をしたとたんに降板となり(p.85)
というのがその例。いずれも具体名を伏せる必要がないケースである。とても言葉どおりには受け取れない。
第7章では情報リテラシー(情報を取捨選択する力)について述べられているが,具体性に欠ける。ところで,宇多田ヒカルの「Beautiful World」という歌の中に,"肝心なことが書いてないから新聞なんて読まない" という歌詞(ただし正確な引用ではない)があるが,このようなスローガンが,情報リテラシーの内実を的確に表していると思われる。「自分は何を知りたいのか」との意識を持って能動的に情報に接すれば,怪しい記述の見当はつく。
本書を読むに際しても,私はこのような態度で臨んだ。結論的に言えば本書は,論理的に書かれていないうえ,情報自体の信頼性も低い。核心に近づくほど焦点がぼやける。まさに「肝心なことが書いていない」。情報リテラシーのある人が得るものはほとんどないし,これを読んでリテラシーが向上することも期待できない。騙す相手が入れ替わるだけである。
メディアに関する本を読みたいのであれば,別の本をおすすめする。たとえば
『 メディアと政治[改訂版] 』(2010年, 初版 は2007年)
は,個々の記述は薄いが,政治とメディアをめぐる状況を概観できる。本書第1章で触れられている「情報メモ」「メモ合わせ」の存在についても,少しだけ触れられている(p.166)。
1. 論理構成が杜撰
2. 肝心な部分が明らかにされていない
まず第1の点について。細かいところで整合しない,あるいは誤った記述は数多あるが,それらには目をつぶろう。新聞・TVが「ウソ」をつくのは記者クラブ制度があるからだ,というのが本書の中心的主張である。なるほど確かに東日本大震災以降,メディアの発信する情報は以前より信頼されていないし,記者クラブの弊害も従前から指摘されている。が,だからといって,この両者が直ちにイコールで結びつくわけではない。言うまでもなく,非記者クラブメディア(たとえば週刊誌)だってウソをついてきたのだから。どちらも同じようにウソをついているのであれば,原因は記者クラブではなく,別のところにあると考えるのが自然だ。
この点に関する著者の主張ははっきりしないが(それが常態なのだが),原発事故報道について書かれた第3章の末尾では,
・〔事故の詳細を〕「ほんとうはわかっていながら,〔新聞・TVは〕真実を報じなかった」と言ったほうが正しい(p.92)
とある。しかしこの「意見」を裏づける具体的な事実は,本文中に記載されていない。ふつうに考えて,専門家でもない記者が,政府・学者・東電の発言に対してどれほどの自信を持って突っ込めるのか,疑問が残る。
次に第2の点。本書もある種の情報を発信するものだから,
・発信者がすべての情報の「出典」と「信頼性の度合い」を明らかにすることが,全体の「情報リテラシー」向上につながる(p.171)
との要請に従うことになる。つまりキチンと取材しろということだが,本書ではまともな取材がほとんどなされていない。
たとえば第1章では,番記者たちが作る「情報メモ」「メモ合わせ」の実態などが書かれている。しかし驚いたことに,批判対象となっている記者や新聞社への取材がされた様子が全くない。「メモという動かぬ証拠が挙げられているから良いではないか」というわけにはいかない。情報メモの存在自体は隠されているわけでもなんでもないからである。つまりこの章での論点は,「このような取材手法が許されるのか」である。ならばなぜ当事者である記者や新聞社に,ことの当否を取材しないのか?
昔ならいざ知らず,現在,当事者に取材して反論や言い分を併記するくらいのことは,週刊誌でもやっている。著者が散々批判する記者クラブメディアも同様である。
第4章前半では,鉢呂吉雄経産大臣(当時)の騒動に触れている。毎日新聞記者に対して「放射能をつけたぞ」と発言したとして,最終的に辞任したという一件である(2011年9月)。上記発言は記者クラブメディアの「でっちあげ」(p.96)だ,というのが著者の主張だ。しかしこれも取材不足。大臣自身が「言った記憶はない」(p.99)というのが主な根拠のひとつだが,言った大臣が覚えていないのであれば,言われた記者に問い質せば良いだけのことである。こんな簡単な「取材」すら,著者は行っていない。
ただし,辛坊治郎を批判した箇所(pp.114-115)などについては,ある程度評価できる。名前を挙げて批判した以上,いい加減なことは書けない。「具体的な名前の明記は記事の信憑性を増す」(『 暗殺国家ロシア 』p.81)というのは,ジャーナリストであれば知っていて当然ではある。
逆に言えば,具体名を挙げない批判は「怪しい」。ところが,メディア批判がメインテーマであるはずの本書において,不可解な匿名批判が時折顔を見せる。
・私〔著者〕が発信する情報に対し,既存メディア(主に新聞・テレビ)…から「ウソを言うな」「危険を煽るな」と非難されつづけてきた。(p.66)
・私はラジオなどで東電批判をしたとたんに降板となり(p.85)
というのがその例。いずれも具体名を伏せる必要がないケースである。とても言葉どおりには受け取れない。
第7章では情報リテラシー(情報を取捨選択する力)について述べられているが,具体性に欠ける。ところで,宇多田ヒカルの「Beautiful World」という歌の中に,"肝心なことが書いてないから新聞なんて読まない" という歌詞(ただし正確な引用ではない)があるが,このようなスローガンが,情報リテラシーの内実を的確に表していると思われる。「自分は何を知りたいのか」との意識を持って能動的に情報に接すれば,怪しい記述の見当はつく。
本書を読むに際しても,私はこのような態度で臨んだ。結論的に言えば本書は,論理的に書かれていないうえ,情報自体の信頼性も低い。核心に近づくほど焦点がぼやける。まさに「肝心なことが書いていない」。情報リテラシーのある人が得るものはほとんどないし,これを読んでリテラシーが向上することも期待できない。騙す相手が入れ替わるだけである。
メディアに関する本を読みたいのであれば,別の本をおすすめする。たとえば
『 メディアと政治[改訂版] 』(2010年, 初版 は2007年)
は,個々の記述は薄いが,政治とメディアをめぐる状況を概観できる。本書第1章で触れられている「情報メモ」「メモ合わせ」の存在についても,少しだけ触れられている(p.166)。