白河上皇あたりの歴史エピソードを知りたくて手に取ったが、ガチな学術本だった。蒙が啓いた感あり。
班田制の行き詰まりが、武士、寺社、公家、宮家といった各権門への荘園の集中を招き、宮家においては、その荘園の経営掌握には天皇でなく上皇になる必要があった。院政に於ける上皇の権力の源泉は当然この荘園を基盤とした経済力にあるわけで、その継承と権力闘争の過程で南北朝の成立まで説明する。
そして世界史的には、唐の律令制がアジアに広まり、時を経てその律令制が各地域で行き詰まっていく中での日本のパターンとして説明出来るでは無いかというパースペクティブまで提示されている。
また、歴史学の学術史的な面も知る事が出来た。この本の考え方が本流かどうかは知らないし、深く知る気はないのだけど。
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院政とは何だったか (PHP新書) 新書 – 2013/2/17
岡野 友彦
(著)
天皇はなぜ「武士の時代」といわれる中世を生き延びたのか――その答えは「院政」にある、と著者・岡野氏はいう。
「院政」とはたんに、皇位をしりぞいたのちも前天皇が影響力を保ちつづけたといった単純な政治的事件ではない。それは律令体制が完全に崩壊した中世にあって、国家財政を支えた唯一の経済基盤である「荘園」を、「家産」として「領有」した天皇家の家長「治天の君(ちてんのきみ)」が、日本最大の実力者として国政を牛耳った統治システムだった。
本書は、摂関家・将軍家・寺社勢力とも対抗し、「権門勢家」のひとつとしてたくましく時代を生き延びた中世皇室の姿を、実証的かつ論争的に明らかにした、著者渾身の力作。
中世政治史、経済史、そして皇室史に興味のある読者にとって、本書は間違いなく「目から鱗」の斬新な視点を与えてくれる好著である。
「院政」とはたんに、皇位をしりぞいたのちも前天皇が影響力を保ちつづけたといった単純な政治的事件ではない。それは律令体制が完全に崩壊した中世にあって、国家財政を支えた唯一の経済基盤である「荘園」を、「家産」として「領有」した天皇家の家長「治天の君(ちてんのきみ)」が、日本最大の実力者として国政を牛耳った統治システムだった。
本書は、摂関家・将軍家・寺社勢力とも対抗し、「権門勢家」のひとつとしてたくましく時代を生き延びた中世皇室の姿を、実証的かつ論争的に明らかにした、著者渾身の力作。
中世政治史、経済史、そして皇室史に興味のある読者にとって、本書は間違いなく「目から鱗」の斬新な視点を与えてくれる好著である。
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2013/2/17
- ISBN-104569810659
- ISBN-13978-4569810652
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登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2013/2/17)
- 発売日 : 2013/2/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 216ページ
- ISBN-10 : 4569810659
- ISBN-13 : 978-4569810652
- Amazon 売れ筋ランキング: - 48,012位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年6月6日に日本でレビュー済み
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平清盛や鎌倉幕府その他もろもろが実権を握りながらも院政の存在を必要とした理由が知ることができた
学会のごたごたは私としては理解できない事だが大変だなという感じ
学会のごたごたは私としては理解できない事だが大変だなという感じ
2020年11月7日に日本でレビュー済み
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荘園制度に対して持っていたモヤモヤ感が解消された。荘園の領有から生じるパワーが歴史を様々に動かす大きな要因であったことが理解でき、バラバラになっていた日本史に関する記憶が秩序を持って繋がったように感じる。高校生のときに読みたかった。
2019年7月6日に日本でレビュー済み
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院政とは天皇家(院宮家)の荘園群を管理するためのシステムであった、とする論。
荘園制度が広まった時期に院政が始まり応仁の乱で院宮家領が崩壊した時期に院政が終わる、というのも説得力がある。
院宮家領が誰に伝領されたかを通して中世政治史を見る視点は新鮮。
荘園制度が広まった時期に院政が始まり応仁の乱で院宮家領が崩壊した時期に院政が終わる、というのも説得力がある。
院宮家領が誰に伝領されたかを通して中世政治史を見る視点は新鮮。
2013年9月17日に日本でレビュー済み
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一般的には、「院政とは、譲位後の天皇が、上皇として権力を握り続けること」というくらいの認識しかないと思う。実際、日本史の雑学書を読んでいても、そうとしか読めないような書き方しかされていないし、院政について、それ以外の意味があるというような解説にもお目に掛かったことはない。
筆者は、早くも序章において、その院政の本当の意味を明らかにしてくれている。それによると、弟や従兄弟に譲位した天皇はただの上皇にすぎず、原則として現天皇の父ないしは祖父しか院政を行うことができないそうで、そうした権力の源泉は荘園制にあるということのようだ。この序章を読むだけで、おおよその院政の仕組みは明らかになっっているし、第一章以降の本論には必要以上に専門的過ぎるところもあるので、一般読者は、この序章を立ち読みするだけでも十分だと思う。
本論のうち、『第一章 日本の荘園はなぜわかりにくいのか』については、わかりにくい荘園制の仕組みを丁寧にわかりやすく解説してくれていると思う。しかし、『第二章 「権門体制論」とは何か』の内容には、大いに不満がある。というのも、筆者は序章で、「本書は、研究者を読者として想定したものではなく、基本的には一般読者を対象としたものであり、「権門体制論」の是非を問うといった学術的な議論には踏み込まない」と宣言しているにもかかわらず、それとは真逆の方向に突っ走ってしまっているからだ。
その第二章は、まさに学術的な議論一色の内容になってしまっており、筆者は、「権門体制論」及びそれに関係する戦前から現在に至るさまざまな学説を紹介したうえで、最終的には、「権門体制論」を時代遅れだと批判する学説に対し、自らが信じる「権門体制論」を擁護する立場に立って、その正当性についての論理を展開する自己主張の場へと化してしまっているのだ。
こうした筆致は、「王家」と「皇室」、「皇家」などの用語の使いわけに関する学者間の不毛な論争と筆者の主張を詳述した『第三章 さまざまな権門」の中盤まで続いており、正直、一般読者を置き去りにした筆者の自己主張に延々と付き合わされて、うんざりしてしまった。それ以降では傾聴に値する解説もしてくれているだけに、もったいないと思う。はっきりいって、一般読者にとっては、学術的議論の詳細などどうでもよく、せいぜい通説とそれに反対する有力説をさらっと解説してもらえば、それで必要かつ十分なのだ。この間は丸々カットしても何ら問題なかったというよりも、カットした方が良かったと思う。そんな専門的な深い論争は、新書の場ではなく、論文・専門書や研究発表の場でやってもらいたいものだ。
筆者は、早くも序章において、その院政の本当の意味を明らかにしてくれている。それによると、弟や従兄弟に譲位した天皇はただの上皇にすぎず、原則として現天皇の父ないしは祖父しか院政を行うことができないそうで、そうした権力の源泉は荘園制にあるということのようだ。この序章を読むだけで、おおよその院政の仕組みは明らかになっっているし、第一章以降の本論には必要以上に専門的過ぎるところもあるので、一般読者は、この序章を立ち読みするだけでも十分だと思う。
本論のうち、『第一章 日本の荘園はなぜわかりにくいのか』については、わかりにくい荘園制の仕組みを丁寧にわかりやすく解説してくれていると思う。しかし、『第二章 「権門体制論」とは何か』の内容には、大いに不満がある。というのも、筆者は序章で、「本書は、研究者を読者として想定したものではなく、基本的には一般読者を対象としたものであり、「権門体制論」の是非を問うといった学術的な議論には踏み込まない」と宣言しているにもかかわらず、それとは真逆の方向に突っ走ってしまっているからだ。
その第二章は、まさに学術的な議論一色の内容になってしまっており、筆者は、「権門体制論」及びそれに関係する戦前から現在に至るさまざまな学説を紹介したうえで、最終的には、「権門体制論」を時代遅れだと批判する学説に対し、自らが信じる「権門体制論」を擁護する立場に立って、その正当性についての論理を展開する自己主張の場へと化してしまっているのだ。
こうした筆致は、「王家」と「皇室」、「皇家」などの用語の使いわけに関する学者間の不毛な論争と筆者の主張を詳述した『第三章 さまざまな権門」の中盤まで続いており、正直、一般読者を置き去りにした筆者の自己主張に延々と付き合わされて、うんざりしてしまった。それ以降では傾聴に値する解説もしてくれているだけに、もったいないと思う。はっきりいって、一般読者にとっては、学術的議論の詳細などどうでもよく、せいぜい通説とそれに反対する有力説をさらっと解説してもらえば、それで必要かつ十分なのだ。この間は丸々カットしても何ら問題なかったというよりも、カットした方が良かったと思う。そんな専門的な深い論争は、新書の場ではなく、論文・専門書や研究発表の場でやってもらいたいものだ。
2018年4月7日に日本でレビュー済み
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誠実にタイトルをつけるなら『荘園と権門体制』と言ったところでしょうが、著者が本書内でぼやいているように荘園制の話は人気がないゆえの苦肉のタイトルのようです。私も正直なタイトルだったらスルーしてたと思われますが、良い意味で騙されました。
荘園の寄進は、あたかもヤクザがより大規模な団体の盃を貰うような話だと思ってたのですが、そうではなく、院や摂関家が元々保持していた国家統治権を明文化・恒久化したものが本家職だと著者は説きます。久我家のような清華家ですら荘園本家とはなれず、院御願寺に寄進する形で領家に収まるしかなかった事実を示したうえで、久我家は院や摂関家より相対的に弱かったから本家になれなかったのではなく、統治権者とそれ以外という絶対的な懸隔があったのだと解説します。
本書ではまた戦後の研究史が説明されます。まず唯物史観の縛りによって研究が迷走していたところに、黒田俊雄の権門体制論によって教条主義史学が揺らぐこととなり、その流れから生まれた闘争史観批判が黒田自身に向けられる流れ、その権門体制論批判の行き過ぎを批判する著者の立ち位置の解説は、門外漢として大変分かりやすいものでした。
院政は荘園の本格化とともに始まり、室町後期に荘園の支配権を失って院政も終わったと提示される図式は図式としてくっきりとしていますが、荘園所有の財力と権力のつながりが具体的に見えにくかったのは残念です。それでも本書は星5の価値があると思います。
荘園の寄進は、あたかもヤクザがより大規模な団体の盃を貰うような話だと思ってたのですが、そうではなく、院や摂関家が元々保持していた国家統治権を明文化・恒久化したものが本家職だと著者は説きます。久我家のような清華家ですら荘園本家とはなれず、院御願寺に寄進する形で領家に収まるしかなかった事実を示したうえで、久我家は院や摂関家より相対的に弱かったから本家になれなかったのではなく、統治権者とそれ以外という絶対的な懸隔があったのだと解説します。
本書ではまた戦後の研究史が説明されます。まず唯物史観の縛りによって研究が迷走していたところに、黒田俊雄の権門体制論によって教条主義史学が揺らぐこととなり、その流れから生まれた闘争史観批判が黒田自身に向けられる流れ、その権門体制論批判の行き過ぎを批判する著者の立ち位置の解説は、門外漢として大変分かりやすいものでした。
院政は荘園の本格化とともに始まり、室町後期に荘園の支配権を失って院政も終わったと提示される図式は図式としてくっきりとしていますが、荘園所有の財力と権力のつながりが具体的に見えにくかったのは残念です。それでも本書は星5の価値があると思います。
2015年1月26日に日本でレビュー済み
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「院政」って何となく知ってるような気でいるけど、具体的な成り立ちや構造あんまり知らないなと思い、購入。
しかし、途中の結構な量を、学界の動向や論争の話、つまり内輪話に費やしていて、なかなかしんどかった・・・。
ただ、マルクス主義歴史学、いわゆる唯物史観が、やはり歴史研究に大変有害だということと、日本史の学界内で交わされている議論というのが、僕のような一般の愛好家では、簡単に理解出来ない次元にあるということはよく分かったw
いつか専門の論文を理解できるくらいの知識が得られたらいいなと思う。
また、「院政」というのは荘園というものが深く関わっているというのは目から鱗だった。
「院政」というのは、一般的に言われているように、いわゆる「摂関政治」から天皇家が権力を奪い返すためのシステムという単純なものでは無かったということだそうだ。
そして、その荘園自体の理解も、大変浅はかだったことを気づかされ、ようやく、本書を読んでだいぶ理解することができた。
本書の言葉を借りると、
「わが国の荘園、それはあくまでも、皇族、摂関家、大寺社などといった「権門」と呼ばれる立場の人々が、「国土領有権を分割・継承」して成立した国家的領有システムであった」
ということ。
これは言われてみれば納得なんですが、一般的に全く浸透していない。
学界では定説なのに、なぜか中高の教科書・教育現場においてきちんと教えられていないということを著者も嘆いていた。
そして、「院政」というのも、この荘園をいかに皇族が「分割・継承」していくかという課題の元に考案されたシステムであったということだ。
さらに、「中世」の始まりは、鎌倉幕府成立以降、つまり武士が政治を動かすようになってからではなく、荘園制が成立した平安時代にすでにスタートしているということがすでに学界の定説となっているそう。
決して中世は「武士の時代」だけではないということがスタンダードになっていくんだろう。
荘園含め平安時代の政治というのを、洗い直さなきゃいけないなと思わせてくれた本だった。
しかし、途中の結構な量を、学界の動向や論争の話、つまり内輪話に費やしていて、なかなかしんどかった・・・。
ただ、マルクス主義歴史学、いわゆる唯物史観が、やはり歴史研究に大変有害だということと、日本史の学界内で交わされている議論というのが、僕のような一般の愛好家では、簡単に理解出来ない次元にあるということはよく分かったw
いつか専門の論文を理解できるくらいの知識が得られたらいいなと思う。
また、「院政」というのは荘園というものが深く関わっているというのは目から鱗だった。
「院政」というのは、一般的に言われているように、いわゆる「摂関政治」から天皇家が権力を奪い返すためのシステムという単純なものでは無かったということだそうだ。
そして、その荘園自体の理解も、大変浅はかだったことを気づかされ、ようやく、本書を読んでだいぶ理解することができた。
本書の言葉を借りると、
「わが国の荘園、それはあくまでも、皇族、摂関家、大寺社などといった「権門」と呼ばれる立場の人々が、「国土領有権を分割・継承」して成立した国家的領有システムであった」
ということ。
これは言われてみれば納得なんですが、一般的に全く浸透していない。
学界では定説なのに、なぜか中高の教科書・教育現場においてきちんと教えられていないということを著者も嘆いていた。
そして、「院政」というのも、この荘園をいかに皇族が「分割・継承」していくかという課題の元に考案されたシステムであったということだ。
さらに、「中世」の始まりは、鎌倉幕府成立以降、つまり武士が政治を動かすようになってからではなく、荘園制が成立した平安時代にすでにスタートしているということがすでに学界の定説となっているそう。
決して中世は「武士の時代」だけではないということがスタンダードになっていくんだろう。
荘園含め平安時代の政治というのを、洗い直さなきゃいけないなと思わせてくれた本だった。
2023年4月6日に日本でレビュー済み
二章三章について評価が分かれますけど、私は気分良く読ませて頂きました。荘園研究と封建制は切り離せませんが、いわゆる進歩的学者(まあ左翼的な権威の方々)はこの時代の皇室をどうしても王家と言いたいようです。そして天皇制(これも共産主義の言葉ですが)は歴史的存在と認識してこれを克服すべきだと言うのですが、著者はこうした政治利用を批判します。語義闘争に明け暮れる左派のアカデミズムは不毛ですが、近年の若い歴史学者はこうしたお歴々の意思と距離を置いてる人も増えてますので、個人的にはどんどん新しく若い研究に触れていきたいとおもいます。