現在、一人歩きする「美」という言葉について苦しんできた結果、
美について徹底的に書籍を読んでみようと思い立ち選定に残って読んだ本です。
姿形の美しさ、というのは美の本質においてわずかな要素に過ぎないということ、思い知り人生観を変えることがでました。
おしゃれをしても、綺麗なばかりで中身がないと言われる気がして、意図的に場から遠ざかっていた長い期間を経て、
美の本質を理解した上で、生き方在り方を考えると同時に、自らの姿形をと整え楽しんでいくことができるようになると感じました。
読むために一冊、保存用に一冊購入しています。
知人にも贈りたいので、増刷を待っています。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
美-「見えないものをみる」ということ (PHP新書) 新書 – 2014/1/16
福原 義春
(著)
日本人は、見えないものを心で感じる美意識や感性を、本来持っている。視覚だけでなく、五感のすべてで対象を感じるのが日本人なのである。(本文より引用)
「ものごとはすべてリッチでなければならない」――資生堂初代社長・福原信三の言葉は、いまも受け継がれ、多くのアーティストを生み出す資生堂文化の礎となっている。
さて、リッチとは何か。それは、金銭的な価値ではなく、心の豊かさ、心の贅沢といった、広がりのある本質的な意味である。自由に使える一日。好きな本を読む時間。美しいものに触れるひととき。「究極のエレガンス」でもある。
本書では、文化や歴史に学びながら、音楽、美術、映画や舞台、生物や自然のなかに潜む、リッチなものを取り上げる。本来、日本人が持っていた見えないものをみる感性、美意識を取り戻すには、どうしたらいいのかを読み解く一冊。
「ものごとはすべてリッチでなければならない」――資生堂初代社長・福原信三の言葉は、いまも受け継がれ、多くのアーティストを生み出す資生堂文化の礎となっている。
さて、リッチとは何か。それは、金銭的な価値ではなく、心の豊かさ、心の贅沢といった、広がりのある本質的な意味である。自由に使える一日。好きな本を読む時間。美しいものに触れるひととき。「究極のエレガンス」でもある。
本書では、文化や歴史に学びながら、音楽、美術、映画や舞台、生物や自然のなかに潜む、リッチなものを取り上げる。本来、日本人が持っていた見えないものをみる感性、美意識を取り戻すには、どうしたらいいのかを読み解く一冊。
- 本の長さ214ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2014/1/16
- ISBN-104569816703
- ISBN-13978-4569816708
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
株式会社資生堂名誉会長
登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2014/1/16)
- 発売日 : 2014/1/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 214ページ
- ISBN-10 : 4569816703
- ISBN-13 : 978-4569816708
- Amazon 売れ筋ランキング: - 146,360位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、機能的で便利な世の中では美は減りつつあり、美と自然は密接な関係にあるから、
自然が破壊されることによって人々の心は荒廃していく。いかに文明が進もうと人は豊かな
人生を送れない。という警鐘をこめて書かれたものと思われる。
資生堂の基本精神「リッチ」は心の豊かさ、心の贅沢という究極のエレガンスで、
例えばカメラのライカのシャッター音には癒しの効果さえあると言われる。
フランスの元大統領シラク氏は、東洋の文化を知るためインド、中国と回ったが納得がいかず、
最後に日本を訪れ、これが東洋だと感じたという。日本人の感受性の特異性を彼は嗅ぎ取ったに違いない。
「デュアルスタンダード」(二重基準)とは、江戸時代寺子屋では和漢の教養をベースに
洋学の教養を吸収し融合させて文化を高めたが、今の日本人は薄っぺらなグローバル基準
ばかりを気にしているのではないか?
「書籍の電子化」は人間の扱い方次第で良くも悪くもなる。本には所有する楽しみと、
映像に頼らないため、創造力や思考力を鍛えるというメリットがある。
ちなみに「千夜千冊」という10500ページ、全八巻に及ぶ10万円近い価格の本が
2000部近くも売れているという事実は、世の中には本を愛する人々が多く存在する
証明ともなった。
「教養」とは人間という入れ物の中で知性(インテリジェンス)に変換された人間性の
一部というもので、戦後アメリカの文化が日本に入ってきたときに「教養」のある
人物が追放されてしまっていたためアメリカ文化の渦に巻き込まれてしまった。
現代の若者には芸術や文化を直接自分の目で見て感性を磨く必要がある。
その感性が研ぎ澄まされてくると、その人にしか見えないものが見えてくるようになる。
それが美意識という素晴らしい能力を身に付けたことになる。
最後に、フランスの詩人で駐日大使の経験を持つポール・クローデルは1943年
パリでこう演説した。
「私がどうしても滅びてほしくない民族がいる。それは日本人だ、彼らは貧しい、
しかし高貴だ!」と。彼の言った高貴さを取り戻せるかどうかは
私たちのこれからの生き方にかかっている。
自然が破壊されることによって人々の心は荒廃していく。いかに文明が進もうと人は豊かな
人生を送れない。という警鐘をこめて書かれたものと思われる。
資生堂の基本精神「リッチ」は心の豊かさ、心の贅沢という究極のエレガンスで、
例えばカメラのライカのシャッター音には癒しの効果さえあると言われる。
フランスの元大統領シラク氏は、東洋の文化を知るためインド、中国と回ったが納得がいかず、
最後に日本を訪れ、これが東洋だと感じたという。日本人の感受性の特異性を彼は嗅ぎ取ったに違いない。
「デュアルスタンダード」(二重基準)とは、江戸時代寺子屋では和漢の教養をベースに
洋学の教養を吸収し融合させて文化を高めたが、今の日本人は薄っぺらなグローバル基準
ばかりを気にしているのではないか?
「書籍の電子化」は人間の扱い方次第で良くも悪くもなる。本には所有する楽しみと、
映像に頼らないため、創造力や思考力を鍛えるというメリットがある。
ちなみに「千夜千冊」という10500ページ、全八巻に及ぶ10万円近い価格の本が
2000部近くも売れているという事実は、世の中には本を愛する人々が多く存在する
証明ともなった。
「教養」とは人間という入れ物の中で知性(インテリジェンス)に変換された人間性の
一部というもので、戦後アメリカの文化が日本に入ってきたときに「教養」のある
人物が追放されてしまっていたためアメリカ文化の渦に巻き込まれてしまった。
現代の若者には芸術や文化を直接自分の目で見て感性を磨く必要がある。
その感性が研ぎ澄まされてくると、その人にしか見えないものが見えてくるようになる。
それが美意識という素晴らしい能力を身に付けたことになる。
最後に、フランスの詩人で駐日大使の経験を持つポール・クローデルは1943年
パリでこう演説した。
「私がどうしても滅びてほしくない民族がいる。それは日本人だ、彼らは貧しい、
しかし高貴だ!」と。彼の言った高貴さを取り戻せるかどうかは
私たちのこれからの生き方にかかっている。
2014年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
資生堂名誉会長である人物はどのようなことを考えているのかということが気にかかりこの本を購入しましたが、期待を裏切らず大変参考になっています。本を読む際には気に入ったページには折り目を付けて読む習慣がありますが、この本を読んでいると文章の端々に光るものが感じられます。
2021年7月27日に日本でレビュー済み
たんなるノスタルジーの自己満足的昔は良かったお爺ちゃんではない。
底には教養があり、その上に美意識がある。
この人はオシャレです。
時代は変われど変わってはいけないもの。
それを伝えたい日本人は数多くいる。私もその一人である。
しかし、それを本当に伝えている人、伝えられた人は何人いようか?
この人は主観的かつ客観的かつ感覚的かつ科学的に伝えた。日本国民として真理を追求し、勤勉に生きた様が立派です。
我々も怠けず、見失わず新しい時代を生きていかないとね。
底には教養があり、その上に美意識がある。
この人はオシャレです。
時代は変われど変わってはいけないもの。
それを伝えたい日本人は数多くいる。私もその一人である。
しかし、それを本当に伝えている人、伝えられた人は何人いようか?
この人は主観的かつ客観的かつ感覚的かつ科学的に伝えた。日本国民として真理を追求し、勤勉に生きた様が立派です。
我々も怠けず、見失わず新しい時代を生きていかないとね。
2014年12月6日に日本でレビュー済み
この本は、かつての日本人がもっていた「知性」や「教養」、「美意識」、「本物を見抜く奥深い精神性」などを取り戻すためにはどうすればいいのか?それらをなぜ取り戻さねばならないのか? について語っているのだと思う。
以前、藤原正彦氏が9人の著名人との対話をまとめた『日本人の矜持』という著作をだされたが、この本の著者である福原義春氏は藤原氏と極めて近いことを語っていることに驚いた。例えば、旧制高校の出身者の教養の高さ、人間力、そこはかとなく放っている知的な存在感に対する想い。福原氏は「語学力以上に必要なのは教養であり、人を引きつける魅力である」と言っているにの対し、藤原氏は「大事なのは語学力ではなくて、語る内容があるかどうかだ」といっている。また、藤原氏が「子供の頃から本物に触れて、だんだん教育によって目が肥えていく。感性が鋭くなっていく。教育の中で美的情緒を育てることが非常に重要」と言っているのに対し、福原氏は「日本人の本来豊かであった感受性を取り戻す方法として、自然に触れ、美に触れ、そして本物にそれることが大切である」と言っている。さらに、お二人とも、「人間力を高めるには読書をすることこそが大事である」としている。そして、藤原氏は美的感受性の重要性を説いており、福原氏のこの著作の題名は『美』である。藤原氏は「1日1行も本を読まない人は獣だ」と言っているし、福原氏は「時間を盗んで読書をする」と言っている。
福原氏の著書で思わず肯いた点が「焦って結論を出さず、一晩寝てみる(sleep it over)」という考え方。社会人として同じような経験を何度かしていたので思わずニヤリとしてしまった。
私も福原氏が人生の指針のひとつとしてきた『馬鹿不平多し(福澤諭吉翁の言葉)』を肝に銘じたいと思う。
以前、藤原正彦氏が9人の著名人との対話をまとめた『日本人の矜持』という著作をだされたが、この本の著者である福原義春氏は藤原氏と極めて近いことを語っていることに驚いた。例えば、旧制高校の出身者の教養の高さ、人間力、そこはかとなく放っている知的な存在感に対する想い。福原氏は「語学力以上に必要なのは教養であり、人を引きつける魅力である」と言っているにの対し、藤原氏は「大事なのは語学力ではなくて、語る内容があるかどうかだ」といっている。また、藤原氏が「子供の頃から本物に触れて、だんだん教育によって目が肥えていく。感性が鋭くなっていく。教育の中で美的情緒を育てることが非常に重要」と言っているのに対し、福原氏は「日本人の本来豊かであった感受性を取り戻す方法として、自然に触れ、美に触れ、そして本物にそれることが大切である」と言っている。さらに、お二人とも、「人間力を高めるには読書をすることこそが大事である」としている。そして、藤原氏は美的感受性の重要性を説いており、福原氏のこの著作の題名は『美』である。藤原氏は「1日1行も本を読まない人は獣だ」と言っているし、福原氏は「時間を盗んで読書をする」と言っている。
福原氏の著書で思わず肯いた点が「焦って結論を出さず、一晩寝てみる(sleep it over)」という考え方。社会人として同じような経験を何度かしていたので思わずニヤリとしてしまった。
私も福原氏が人生の指針のひとつとしてきた『馬鹿不平多し(福澤諭吉翁の言葉)』を肝に銘じたいと思う。
2018年8月9日に日本でレビュー済み
ロジカルだのキャリアアップだのいっている時代だからこそ、逆の考え方にもふれるとよいのでは。
著者はほんもの。悩まず買うべし。
著者はほんもの。悩まず買うべし。
2014年5月19日に日本でレビュー済み
「ものごとはすべてリッチでなければならない」――資生堂初代社長・福原信三の言葉
であり、今も資生堂という会社の中に脈々と受け継がれている。その資生堂の元社長
である福原義春氏の手による「美」への思い・熱意にあふれた本だ。
リッチとは、金銭的な価値ではなく、心の豊かさ、心の贅沢といった、広がりのある本質
的な意味であり、目に見える、視覚だけに頼って認めるだけのものではなく、五感全て
を動員して初めて味わえるものだと説く。現代の社会では、効率や合理的なものばかり
がもてはやされ、五感を揺さぶる本物に出会いづらくなっている。五感の劣化が、本物
を要求することを留めているともいえる。
こうした氏の主張を聞くと、我々人類は、便利さの希求と引き換えに、退化しつつあるの
ではないかと危機感を抱く。
時折でもいい。自然と戯れる。電子ではなく紙の書にふれる。本物を観に行く。こうした
「時」を大切にしたいと痛烈に感じさせる。
であり、今も資生堂という会社の中に脈々と受け継がれている。その資生堂の元社長
である福原義春氏の手による「美」への思い・熱意にあふれた本だ。
リッチとは、金銭的な価値ではなく、心の豊かさ、心の贅沢といった、広がりのある本質
的な意味であり、目に見える、視覚だけに頼って認めるだけのものではなく、五感全て
を動員して初めて味わえるものだと説く。現代の社会では、効率や合理的なものばかり
がもてはやされ、五感を揺さぶる本物に出会いづらくなっている。五感の劣化が、本物
を要求することを留めているともいえる。
こうした氏の主張を聞くと、我々人類は、便利さの希求と引き換えに、退化しつつあるの
ではないかと危機感を抱く。
時折でもいい。自然と戯れる。電子ではなく紙の書にふれる。本物を観に行く。こうした
「時」を大切にしたいと痛烈に感じさせる。