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古代日本正史: 記紀以前の資料による ペーパーバック – 1976/9/1

4.4 5つ星のうち4.4 38個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 婦人生活社 (1976/9/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1976/9/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ペーパーバック ‏ : ‎ 573ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4574700165
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4574700160
  • カスタマーレビュー:
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記紀以前の資料による真実の日本古代史を探求した神社伝承学のバイブル「古代日本正史」。 神武天皇の和風諡号「神日本磐余彦天皇」は古代北イスラエル王国王家エフライム族出自であることを証明。
5 星
記紀以前の資料による真実の日本古代史を探求した神社伝承学のバイブル「古代日本正史」。 神武天皇の和風諡号「神日本磐余彦天皇」は古代北イスラエル王国王家エフライム族出自であることを証明。
小生は古代日本と古代イスラエルの関係に関心があり、いろいろな書物、ネット情報をリサーチしていたが、20年以上前に神社伝承学の原田常治著「古代日本正史」「上代日本正史」に目から鱗が落ちる強い感動・共感を得たので、熊本市在住で近いこともありその検証のために、西都原古墳群、鵜草葺不合尊の鵜戸神社・吾平山上稜、彦火火出見尊の鹿児島神宮・高屋山上稜、瓊瓊杵尊の霧島神宮・可愛山稜等を参拝調査し、その後更に時間を掛けて、出雲大社・八重垣神社、大山祇神社、金刀比羅宮、伊勢神宮(内宮・外宮・伊雑宮)、大神神社、大和神社、石上神宮、八坂神社、上加茂神社、下鴨神社、熊野本宮・那智・速玉大社、籠神社・奥宮真名井神社その他関連神社を参拝調査して、それぞれの御祭神と神社由緒、摂社・末社等を確認したところ、「古代日本正史」内容を確認できたが、本書及び関連ネット情報、参拝した主な神社・遺跡のコメントを述べる。【本書の目次】まえがき/古代史研究の基礎/古代の地理的環境/古代の交通と守護神/日本人はどこからきたか/日本人の風俗習慣/日本建国の祖素佐之男命/歴史から消されていた天照国照大神饒速日尊/素佐之男の子供たち/天照大神の生涯/天照大神の5男3女/謎の人・大国主命と出雲の国譲りの真相/武御名方の執念/大和に養子にきた伊波礼彦(神武天皇)/日向の武将三神/伊勢皇大神宮放浪記/明確になった邪馬台国/毛人(アイヌ民族)の歴史/熊襲(球磨族と曾於族)の歴史/巻末参考資料;没収された二神社十六家の系図・瓊瓊杵尊の墓陵・鵜草葺不合尊の御陵・海上神宗像三女神のこと/あとがき<記紀以前の資料による「古代日本正史」のポイント>●「日本書記」の8割以上はウソだった、「古事記」の5割以上はウソだった ●日本建国の祖は素佐之男尊だった ●今の天照大神は素佐之男尊の現地妻だった ●記紀以前の天照大神は男性(饒速日尊)だった ●神武天皇は婿養子だった ●邪馬台国は宮崎県西都市だった ●西都原古墳群は邪馬台国の夢の跡<<本書及び関連する書物・ネット情報、参拝した主な神社・遺跡のコメント>>●『魏志倭人伝』を素直に読み解明した邪馬台国の日向・西都説は納得でき、更に地理的に会稽(浙江省)と東冶(福建省)の東にある沖縄の狗奴国(球磨国)が、八代・人吉地方を植民地にして代表的な米原料の焼酎である琉球泡盛製法による球磨焼酎を伝来させ、米良街道(熊本県球磨郡湯前と宮崎県西都市を結ぶ国道219号線)を通じて狗奴国が邪馬台国・西都に侵入した戦争中に卑弥呼が亡くなった『魏志倭人伝』の解説にも納得できた。そして、この狗奴(球磨)が熊本県球磨郡の地名で残り、更に後の隈本・熊本の地名語源になったことに目から鱗が落ちる思いで賛同したい。●鹿児島県内の鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の吾平山上稜、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)の高屋山上稜、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の可愛山稜の日向三稜には、それぞれ宮内庁駐在所が常駐管理し、皇族参拝専用道路があったので驚いた。●邪馬台国夢の跡の西都原古墳群の規模の壮大さに感動し、伊勢神宮内宮の雰囲気に似た鵜草葺不合尊の吾平山上稜は、深山幽谷の雰囲気の清流に沿った岩窟の中に葬られ入口に鳥居が立っているが、その静寂・荘厳さに思わず襟を正す清清しさの感動を覚えた。邪馬台国日向説の方は勿論、否定の方も訪問して体感してもらいたいものですね。●西都原古墳群は東西2 km、南北4 km、標高70mの丘陵(西都原)に311基もの古墳が集まり、更に近くに茶臼原古墳群、持田古墳群、川南古墳群、生目古墳群が密集している全国的に非常に希な大規模古墳群だが、現在は古墳製作年代等からこれを古墳時代の日向王国首長墓としているが、古代日向地方でこれだけの大きさの墳墓を造営できる権力を持った人物が一地方の首長レベルであることは誰が見ても納得できないが、恐らく、邪馬台国2代女王台与死去後までに古墳製作されたと思われる。 そして神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多く、日向地方の中心地は「西都原」であり、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)の日向地方は九州で一番人口密度が高く、人間の生活痕跡である遺跡の数がその証拠であり、原田説の「魏志倭人伝」解説のように邪馬台国は日向・西都にあり、西都原古墳群が邪馬台国の夢の跡であることを実感できた。●参考写真を添付したが、『魏志倭人伝』の径百余歩(直径約140 m)円墳である西都原古墳群中の男狭穂塚は邪馬台国3代女王の大日霊女貴尊(卑弥呼)の墓であり、男狭穂塚に隣接する九州一の前方後円墳の女狭穂塚は邪馬台国4代女王の台与(神武天皇日向時代の娘の豊受姫)の墓の解説に賛同するが、恐らく卑弥呼の墓は台与が造り、台与の墓は遺言により現在の墓位置にしたのではないかと思われ、あたかも曾祖母卑弥呼の墓に寄り添うような曾孫台与の墓の配置は時代を超えて肉親の敬愛の情を感じさせる。 そして、西都原古墳群の中には前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基があり、方墳の171号墳は女狭穂塚の陪塚と言われ西都原古墳群で唯一の出雲型の古墳であるが、都農神社祭神が大国主命であることから、この方墳は大日霊女貴尊(卑弥呼)女王が娘婿の大国主命の死を悼み、葬られた出雲出身の大国主命の墓である解説に納得した。●扶余(フヨ)はツングース語で鹿(プヨ)の意味としているが、これはずばり、ヘブライ人によくある名前のフルからきているのかもしれない。古代北イスラエル王国エフライム王家の紋章は一角獣(ユニコーン)であり、北東アジアで角のある鹿が選ばれ、鹿(プヨ)=扶余(フヨ)となったのではないかと思われる。扶余族出自の高句麗始祖王朱蒙の次男の沸流(フル=ヘブル)子孫である素佐之男尊の父は(フツ)、素佐之男尊は(フツシ)、饒速日尊(フル=ヘブル)として石上神宮に祭られている。 尚、大日霊女貴尊(卑弥呼)の父親イザナギノミコトの「イザナギ」はアラム語で「イシュア ナギイト」の転化で「救い給え ダビデ王統を」の意味でありユダ族である。イザナギノミコトの娘の卑弥呼はイザナギノミコトのY染色体を受け継いでいない。●古代天皇家代々崇敬殊の外篤い「石上神宮」は大神神社と並ぶ日本最古の神社の一つで、素佐之男尊がヤマタノオロチを斬った神剣・布都御魂剣(平国之剣)を御祭神として、物部氏祖神である布都御魂(フツノミタマ)=素佐之男尊の父、布都斯御魂(フツシノミタマ)=素佐之男尊(スサノオノミコト)、布留御魂(フルノミタマ)=饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)、宇摩志麻治尊(ウマシマチノミコト)の出雲・布都一族を祀る神社である。そして、フツ、フツシ、フル、へブル等は古代ヘブライ人の名前である。 この「石上神宮」を参拝調査したが、境内に常時約30羽の鶏が参道をはじめ境内の各所に放し飼いになっており、長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)、烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)、採卵用種のレグホン・ミノルカなどが棲んでいるようで、時々鳴いて静寂な境内の雰囲気を驚かせていた。しかし、有名な七支刀、十種神宝、鉄盾、布都御魂の剣などは公開展示しておらず残念だった。●記紀以前の天照大神は素佐之男尊第5子の饒速日尊(男性)で、大和地方に出雲国を建国し、正式名は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテル・クニテル・ヒコ・アメノホアカリ・クシタマ・ニギハヤヒノミコト)」と言う。 三輪山全体を饒速日尊の御陵として祀る「大神神社」(三輪明神)を参拝調査したが、摂社・末社39社を数える日本一の超大型神社であり、その規模の大きさと静寂で荘厳な雰囲気に圧倒された。 この大神神社は大きな拝殿があって本殿がなく、本殿は御陵の三輪山全体である。 拝殿と三輪山禁足地を区切る境に明神型の鳥居三つを一つに組み合わせた鳥居「三輪鳥居・三つ鳥居」があり、勤番所に申し込めば係員の案内でそれを見学できるので見学した。 そして、拝殿前の手水舎は酒樽に乗った蛇の口から水が出ており、これは本家本元の手水舎であり、更に、拝殿前の樹齢500年「巳の大杉」の根元には水神の白蛇が棲んでいるとして多くの生卵が供えられていた。 さすが、古代日本を統治した偉大な饒速日大王とその一族が眠る永遠の聖地であり、三輪山全体が禁足地となるのは当然かと思われる。 現在の大神神社は境内摂社である酒造の神様の高橋活日命を祀る活日神社への参詣者・奉納者が多く、勤番所担当者はこの三つ鳥居がサントリーの由来と説明していた。●「伊勢神宮」に比べると「大神神社」、「石上神宮」ともに普段の参拝客がとても少なく、国家の庇護有無と国民への認知度の差と思われる。盛者必衰の理、栄枯盛衰は世の常とは言え、「日本古代正史」「上代日本正史」等を通じて素佐之男尊や饒速日尊の偉大さを知る古代史ファンは残念で悲しい気分になるにちがいない。 ●倭(日本)建国の祖の素佐之男尊と大日霊女貴尊(卑弥呼)の男系末子で倭国(邪馬台国)相続人の鵜草葺不合尊(熊野楠日尊)の男系末子で倭国(邪馬台国)相続人の伊波礼彦尊(イワレヒコミコト)が、素佐之男尊第5子饒速日尊の大和・出雲国の末子相続人の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)に婿入りして大和・出雲国と倭国(邪馬台国)の統合による「大和朝廷」が辛酉の年AD 241に成立して、伊波礼彦尊が「神武天皇」即位したが、天皇は倭国(邪馬台国)側、后は大和・出雲国側の取り決めで、神武天皇から応神天皇までは男系末子相続で皇統継承されている。 しかし、勢いのある倭国(邪馬台国)出身の神武天皇一党に「大和朝廷」が乗っ取られ、大和・出雲国側の大神神社、石上神宮等が軽んじられ、神武天皇祖母の大日霊女貴尊(卑弥呼)を祭る伊勢神宮内宮や神武天皇の九州時代娘の豊受姫を祭る伊勢神宮外宮が繁栄しているのは、嫁の実家の大和・出雲国側よりも、勢いのある婿の実家の倭国(邪馬台国)側が主導権を持って繁栄する具体的な事例である。 つまり、大和・出雲王国の伊須気余理比売の系統よりも、婿入りした倭国(邪馬台国)出身の神武天皇系統が繁栄した実例であり、要は、女系天皇にすると出身の大和・出雲王国皇統が衰退する事例が約1800年前に、古代天皇家の始めから実在したことである。●現在のエジプト、ギリシャ、ローマ、中国等の古代遺跡はその直系子孫がいないので廃墟となっているが、日本の場合は2000年以上に渡ってその直系子孫が遺跡を保護し、その先祖を神社祭神として祀って感謝・供養している世界中でも稀有な高い精神文化の日本民族だと改めて認識できた。このように先祖に感謝して大切に祀っているのでその庇護がある為に、有史以来日本国土と日本民族は他国から侵略されずに、安全、安心に繁栄しているのかもしれない。●70歳からわずか4年間で全国を走破して実地の神社・遺跡調査を行い(当該本中の主な神社や西都原古墳群などの写真には原田常治氏ご自身や奥様が写っており、初版昭和51年以前の他の書物や神社情報による机上の空論ではないことが理解できる)、古事記・日本書紀以前の資料により鋭い捜査官の目で真相を追求し、古事記・日本書紀を妄信した旧態依然の日本古代史に風穴を開けて、所謂「現物・現場・現象のなぜなぜ5回の科学的アプローチ」により全く新しい神社伝承学を確立された原田常治氏のご努力・ご苦労に大いなる敬意と感謝を捧げたいと思います。 そして、更に神社伝承学による原田常治著「古代日本正史」「上代日本正史」が世間一般に周知認定され、この原田説が日本古代史の真相として常識になることを期待しています。 尚、「古代日本正史」と古代日本・古代イスラエル関係ネット情報等をまとめると、下記のようになるが(古代イスラエル関係は小生の仮説を含む)、今後の購読者の参考になれば幸いです。<<古代日本成立の真相>>◎ 古代の中国満州・朝鮮半島・出雲古代北イスラエル王国王家エフライム族末裔が満州に北扶余建国 国王 解慕漱・解夫婁→高句麗建国 東明聖王(朱蒙;扶余氏)(BC 47)→百済建国(朱蒙の三男・温祚オンソ)(AD 18)→沸流建国(朱蒙の次男・沸流フル)→沸流国滅亡 国王・布都一族の出雲渡来(BC 37)→(X代)→素佐之男尊「出雲国」の建国(AD 150頃)(素佐之男尊の本名;布都斯フツシ)◎ 古代の大和饒速日尊 「大和・出雲国」の建国(AD 183 頃)「素佐之男尊の第5子、本名;布留フル(朱蒙の次男・沸流フルに因む)AD 150-218頃 68歳頃死」→宇摩志麻遅命(饒速日尊長男で統治代行)→伊須気余理比売(饒速日尊末子の相続人)→倭王(邪馬台国女王)卑弥呼孫の伊波礼彦尊の婿入り(AD 241)で大和・出雲国と倭国(邪馬台国)の統合による「大和朝廷」成立 伊波礼彦尊の「神武天皇」即位(AD 241)◎ 古代の九州徐福 渡来(BC 219)(BC 278-208頃 70歳頃死)→(X代)→奴国「漢委奴国王」金印授与(AD 57)→(X代)→倭国王師升 後漢へ貢献上(AD 107)→(X代)→→素佐之男尊の九州進出による倭国大乱(桓帝AD 147-167、霊帝 AD 168-184)出雲と九州の統合により素佐之男尊の「倭国」建国(AD 177 頃)<倭国;出雲、邪馬台国(西都)、奴国・委奴=伊都国・投馬国等の九州諸国との連合>初代倭国王;素佐之男尊(AD 120-185頃 65歳頃死)2代倭国王;大国主命(AD 215 頃 55歳頃死) 3代倭国王;大日霊女貴尊(卑弥呼;AD 220頃就任,AD 238親魏倭王,AD 247頃 94歳頃死)4代倭国王;台与(トヨ) 素佐之男尊と大日霊女貴尊(卑弥呼)の男系末子相続人の鵜草葺不合尊(熊野楠日尊)死亡、鵜草葺不合尊の男系末子相続人の伊波礼彦尊(神武天皇即位)婿入りにより伊波礼彦尊の日向時代の13歳娘の台与即位、晋へ貢献上(AD 266)→神武天皇孫の初代南九州鎮守使 武磐龍彦尊(阿蘇神社祭神)が邪馬台国4代約120年の幕引き 大和朝廷へ統合(AD 300頃)<本書及び関連の書物・ネット情報による古代出雲・九州の出来事の年表>AD 120頃;素佐之男尊誕生 / AD 144頃;木次事件(ヤマタノオロチ退治)「出雲国」建国 / AD 150頃;饒速日尊誕生 / AD 153頃;大日霊女貴尊(卑弥呼)誕生 / AD 173~180;素佐之男尊と饒速日尊が九州遠征(倭国大乱;桓帝AD 147~167、雷帝AD 178~183)で出雲と九州を統合してAD 177頃に「倭国(邪馬台国)」成立、<倭国;出雲、邪馬台国(日向・西都)、奴国・委奴=伊都国・投馬国等の九州諸国との連合>、初代倭国王 素佐之男尊(素佐之男尊57歳、饒速日尊27歳、大日霊女貴尊24歳)、この倭国大乱時に吉野ヶ里が破壊、素佐之男尊と大日霊女貴尊に3娘誕生、多紀理姫(大国主尊妃、宗像三女神の一柱)・多岐津姫(宗像三女神の一柱)・市杵島姫(宗像三女神の一柱、厳島神社祭神)/ AD 173;大日霊女貴尊(卑弥呼)新羅に礼物・貢物を献上し国交する / AD 183頃;饒速日尊が「大和・出雲国」建国 / AD 184頃;瓊瓊杵尊誕生(大日霊女貴尊と神皇産霊神の子?)/ AD 185頃;素佐之男尊が出雲で死亡65歳頃、2代目倭国王 大国主命 24~25歳 / AD 187頃;彦火火出見尊誕生(大日霊女貴尊と神皇産霊神の子?)/ AD 188頃;鵜草葺不合尊誕生(大日霊女貴尊と神皇産霊神或いは高皇産霊神の子?)/ AD 215頃;大国主命が西都で死亡 55歳頃 / AD 220頃;饒速日尊死亡 68歳頃 / AD 220~221;高千穂旗上げ、出雲の国譲りで日向国と出雲国の再統合 3代目倭国王 大日霊女貴尊(卑弥呼)女王の誕生 / AD 238;大日霊女貴尊(卑弥呼)女王の孫の伊波礼彦尊が大和・出雲国の伊須気余理比売へ婿入り出発 / AD 241;邪馬台国と大和・出雲国の統合による「大和朝廷」成立、伊波礼彦尊の「神武天皇」即位、鵜草葺不合尊(別名;熊野楠日尊)死亡(AD 238~241の間)/ AD 243;大日霊女貴尊(卑弥呼)が魏へ朝貢 親魏倭王 / AD 247頃;大日霊女貴尊(卑弥呼)が西都で死亡94歳頃、4代目倭国王 台与(神武天皇日向時代の娘13歳)即位 / AD 266:台与が晋へ朝貢 / AD 295頃;神武天皇孫の武磐竜彦尊(阿蘇神社祭神)が台与より邪馬台国王権を引継ぎ<本書による倭国(邪馬台国)・西都 約120年の歴史>初代倭国王 素佐之男尊;約10年、2代倭国王 大国主命;約30年、3代倭国王 大日霊女貴尊(卑弥呼)女王;約30年、4代倭国王 台与女王;約50年●本書によれば、大日霊女貴尊(卑弥呼)の愛人は、古い順に、天常立神、国常立神(忍穂耳尊の父)、素佐之男尊、天御中主神(妙見さま)、神皇産霊神(カミムスビノカミ)、高皇産霊神(タカムスビノカミ;天神様、天満宮)と推定される。 神武天皇は大日霊女貴尊(卑弥呼)~ 鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の男系末子相続者であるが、ウガヤ(上伽耶)は朝鮮半島南部のミマナ(任那)の一地方名で、そこの辰王族(エフライム王族)出身の神皇産霊神が、卑弥呼との間にもうけた子供に鵜草葺不合尊と命名か? 神皇産霊神の「神」はヘブル語の「カム」で「創設」を意味し、天皇家の創設者か? また、高皇産霊神は高句麗または朝鮮半島南部のミマナ(任那)の一地方名ウガヤ(上伽耶)から渡来した辰王族(エフライム王族)出身で、卑弥呼との間にもうけた子供に鵜草葺不合尊と命名か? 更に、鵜草葺不合尊の別名;熊野楠日尊の“熊野”は素佐之男尊の御陵である出雲の熊野山の由来なので、素佐之男尊と卑弥呼との間にもうけた子供に熊野楠日尊(クマノクスヒノミコト)と命名か? 要は、神武天皇の父親は鵜草葺不合尊(別名;熊野楠日尊)だが、祖父は素佐之男尊または神皇産霊尊或いは高皇産霊神と推定されるが、いずれも、古代北イスラエル王国王家エフライム族に繫がる人物なので、天皇家紋章がエフライム族王家の紋章ユニコーンであることに辻褄が合う。●失われたイスラエル十支族のエフライム族(古代北イスラエル王国王家エフライム族)→満州の北扶余国王 解慕漱(ヘモス)・解夫婁(ヘブル)→高句麗の東明聖王(朱蒙;扶余氏)の次男・沸流が朝鮮半島に建国した沸流国滅亡で国王・布都一族が出雲に渡来し、子孫の素佐之男尊が「出雲国」建国する。素佐之男尊が倭国大乱を通じて<倭国;出雲、邪馬台国(西都)、奴国・委奴=伊都国・投馬国等の九州諸国との連合>を建国し、更に、素佐之男尊第5子饒速日尊が「大和・出雲国」を建国したが、いずれも、古代北イスラエル王国王家エフライム族の末裔が再興した王国である。 そして、素佐之男尊と大日霊女貴尊(卑弥呼)の男系末子で倭国(邪馬台国)相続人鵜草葺不合尊(熊野楠日尊)の男系末子で倭国(邪馬台国)相続人の伊波礼彦尊が、素佐之男尊第5子饒速日尊の大和・出雲国の末子相続人伊須気余理比売に婿入りして大和・出雲国と倭国(邪馬台国)の統合による「大和朝廷」が辛酉の年AD 241に成立して、素佐之男尊孫の伊波礼彦尊の「神武天皇」即位となる。天皇は倭国(邪馬台国)側、后は大和・出雲国側の取り決めで、神武天皇から応神天皇までは男系末子相続で皇統継承されている。●そうすると、神武天皇の正式名の意味が理解できる。つまり、神武天皇の和風諡号「神日本磐余彦天皇(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト)」は、ユダヤ人研究家ヨセフ・アイデルバーク氏によると、これはヘブル・アラム語で「カム・ヤマトウ・イベリ・ペコ・シュメロン・マクト」と聞こえ、これは「サマリアの王、ヤハウエ神のヘブライ民族の高尚な創設者」を意味し、サマリアは北イスラエル王国のことで、サマリアの王とはエフライム族の王家のことなので、初代神武天皇の古代天皇家は古代北イスラエル王国王家エフライム族出自であり、古代大和朝廷は古代北イスラエル王国再興であることを証明している。 更に、初代神武天皇の古代天皇家は、古代北イスラエル王国王家エフライム族→古代イスラエル統一王国ソロモン王・ダビデ王→イスラエル(ヤコブ)→アブラハム→ノアに繋がる、所謂、万世一系の王統系譜となる。
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上位レビュー、対象国: 日本

2021年5月17日に日本でレビュー済み
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ひとつひとつ神社を回られ調査されました。
これこそ真実に近い。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2020年6月5日に日本でレビュー済み
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古代ものは空想、妄想がひどいか欠史八代とかろくに調べもせずもの書き連ねた書籍が多かったのでしばらく遠ざかっていたが何かの折にふれ読んでいないこともありレビューもみて興味がわき古書をもとめて読みました。
辻褄のあわない古事記、書紀でぼんやりさせられていた国譲りをはじめとする話などやっと腑に落ちた気がした。やはり現場100回ではないが現地をくまなく捜査した方がかかれたものは説得力があると感じた。今となっては別に隠す必要の無い大元の歴史として再度文庫等で出版されたらいいと思う。
29人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2002年1月28日に日本でレビュー済み
一読すると説得力があるようで、かなりの影響力を持ってしまっている本である。
物部氏の祖である、天火明命が饒速日であるというのは、今更語らずとも、
周知のことなのではあるが、一般に広めた点では意義がある。
しかし、個々の記載に関しては、追跡調査してみると、納得しがたい部分も多々あるのだが、それは又読者の楽しみとしておくべきであろう。
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2020年10月19日に日本でレビュー済み
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割と厚目のビニールカバーがついていました。 40年強前の商品なのでどの程度の痛みか少し不安でしたが許容範囲でした。 内容にも満足です。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年4月4日に日本でレビュー済み
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古代日本正史に続きこちらのシリーズも購読しました。記紀から生じる疑問を解消したい方は必見の二冊かと思います。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2017年12月17日に日本でレビュー済み
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これは面白い本です。全て信じるのは危険ですか、ある程度の説得力を感じます。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年2月29日に日本でレビュー済み
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天武天皇以前の主な文字資料が隠滅された中で書紀/古事記によるねつ造を覆すよりどころ探しに神社の
祭神の分布に着目した点は戦前戦後を通じて推測,決めつけの多かった従来の史学に一石を投じた快挙です。
惜しむらくは足を運んだ実証主義を進めたが、憶測を含めて断定的な結論にしているのが残念です。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年11月23日に日本でレビュー済み
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以前、知り合いに貸してもらい、忙しくて半分しか読めず、3年経ってからもどうしても気になり購入しました☺内容は凄い満足しています☀
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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