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サッカー移民: 王国から来た伝道師たち (サッカー批評叢書) 単行本 – 2003/11/1
加部 究
(著)
- 本の長さ301ページ
- 言語日本語
- 出版社双葉社
- 発売日2003/11/1
- ISBN-104575296023
- ISBN-13978-4575296020
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
様々な障害を乗り越えながら真摯に日本サッカーと向き合い、多大な影響を与え、日本のサッカースタイルを示す役割を果たした外国人たちの物語。
登録情報
- 出版社 : 双葉社 (2003/11/1)
- 発売日 : 2003/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 301ページ
- ISBN-10 : 4575296023
- ISBN-13 : 978-4575296020
- Amazon 売れ筋ランキング: - 570,727位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これは貴重な1冊良かったですよ。綺麗でした!配送も早くて助かりました。
2014年4月30日に日本でレビュー済み
ブラジルから来日した日系人たちの苦悩や活躍、そして日本サッカーへの貢献がつづられている。日本サッカーを知る上で外せない一冊。
2003年12月22日に日本でレビュー済み
この本は日系二世、三世たちがブラジルで助っ人としてスカウトされてくる話と、純粋な(?)ブラジル人が日本で助っ人にやってくる話を交互に、歴史を追って物語ってくれます。
で、分かったのは、ネルソン吉村さんをはじめとする初期の日系二世たちはAUSP(二世連合会)という組織でつくっていたリーグに所属していた選手から引き抜かれたこと。そしてヤンマーがその嚆矢となったのはブラジルに工場を持っていたからなんですね。そしてジョージ小林、パウロ横山などをへてコリンチャンスに所属していた本当のプロだったセルジオ越後さんが続きます。
この後、セレソンのキャプテンをつけていたオスカーをはじめ、続々と本当のスター選手たちが日本リーグ、そしてJリーグに参加し、フランス大会の前ぐらいになると、セレソンの半分ぐらいが日本でプレーすることになるーという歴史が刻まれるんですね。
つまり、アマチュアながらも当時の在日(?)日本人選手よりも遥にテクニックが優れていたブラジル在住の日本人が、日本人選手の心の壁(どうせオイラたちはサッカー下手)を壊し、ブラジルに戻ってからも選手を発掘し、さらには代表クラスの選手までツテを広め、最終的にはセレソンの半分以上がJでプレーするようになったという深層潮流を描いていること。
情報としてありがたかったのが、日産で選手・監督として活躍したブラジル代表キャプテンだったオスカーがサウジアラビアで主に監督の仕事をしていることや、同じく横浜のマリーニョがかなり本物のクラッキ(天才)だったということを知ったことでしょうか。
で、分かったのは、ネルソン吉村さんをはじめとする初期の日系二世たちはAUSP(二世連合会)という組織でつくっていたリーグに所属していた選手から引き抜かれたこと。そしてヤンマーがその嚆矢となったのはブラジルに工場を持っていたからなんですね。そしてジョージ小林、パウロ横山などをへてコリンチャンスに所属していた本当のプロだったセルジオ越後さんが続きます。
この後、セレソンのキャプテンをつけていたオスカーをはじめ、続々と本当のスター選手たちが日本リーグ、そしてJリーグに参加し、フランス大会の前ぐらいになると、セレソンの半分ぐらいが日本でプレーすることになるーという歴史が刻まれるんですね。
つまり、アマチュアながらも当時の在日(?)日本人選手よりも遥にテクニックが優れていたブラジル在住の日本人が、日本人選手の心の壁(どうせオイラたちはサッカー下手)を壊し、ブラジルに戻ってからも選手を発掘し、さらには代表クラスの選手までツテを広め、最終的にはセレソンの半分以上がJでプレーするようになったという深層潮流を描いていること。
情報としてありがたかったのが、日産で選手・監督として活躍したブラジル代表キャプテンだったオスカーがサウジアラビアで主に監督の仕事をしていることや、同じく横浜のマリーニョがかなり本物のクラッキ(天才)だったということを知ったことでしょうか。