『月光――松本清張初文庫化作品集』(松本清張著、双葉文庫)に収められている『月光』は、俳人・橋本多佳子をモデルにした短篇小説です。なお、この作品は、元は『花衣』というタイトルだったが、後に『月光』と改題されました。
多佳子については、38歳の時に死別した夫への追慕の思いが迸る、「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」、「雪はげし夫の手のほか知らず死ぬ」、「息あらき雄鹿が立つは切なけれ」、「雄鹿の前吾もあらあらしき息す」など、官能的な香りが立ち籠める句を作ったこと、杉田久女に俳句の手解きを受け、後に山口誓子に師事したこと、実力と美貌を謳われた感性豊かな俳人だった――ということぐらいしか知りませんでした。
『月光』では、全ての人物が実名ではなく、仮名で登場します。登場人物の中で際立って個性的なのは、多佳子、久女、俳人仲間の西東三鬼の3人です。久女の凄まじい人生、三鬼の破滅型性格と行動が、松本清張の容赦ない筆致で抉り出されています。
清張自身が50歳近い多佳子に初めて面会した時のことが、このように綴られています。「悠紀女(=多佳子)が現われたとき、眼がさめるという形容そのままであった。あたりがうす暗いので、彼女の白い顔やきれいな着物が浮き立っている。レンブラントの描いた絵にはこういうのがある。悠紀女はどうしても三十すぎくらいにしか見えなかった。髪は豊かで、顔は面長ながら少し下膨れである。特徴は、眉が上り気味で眼がきれいなことだ。眉と眼の間のうすい翳りも理知的な感じで、通った鼻筋と緊(ひきしま)った唇は美しい。それでいてなまめかしさがある。背の高い人だから、上手な着物の着こなしに気品があった。自分は圧迫をおぼえた」。
「おそるべき君等の乳房夏来(きた)る」という句で知られる三鬼が執拗に多佳子に言い寄るものの、毅然と拒絶される有様が活写されているが、真に驚かされたのは、以下の件(くだり)です。
「(悠紀女の死後)自分は悠紀女と親しかった人の話を聞いた。彼女には恋人がいたという。対手は京都のある大学の助教授であった。年は彼女より下だが、むろん、妻子がある。ある夏の講習会に悠紀女がその助教授の古典文学の話を聞きに行ったのが縁のはじまりだったそうである。二人はだれにも知られずに逢瀬をつづけた。伏見のある家がその場所だったという。よく聞いてみると、その恋のはじまったあとあたりが、悠紀女の官能的な句の現われたころであった、不昂(=三鬼)の(彼女には男がいるという)直感は当っていたのである」。若くして夫と死別した悠紀女は、男たちの誘いに乗らず、長らく空閨を守り続けたと思われてきたのです。
「(悠紀女は、複雑な性格でわざと悠紀女を困らせ悲しませる)彼と何度別れようと決心したかしれなかった。だが、若くして何も知らないうちに夫を喪った彼女には、もう、その男ときれいに手を切ることはできなかった」。この一節に至り、遣り切れなさが胸の底に沈澱していくのを覚えました。
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月光 (双葉文庫 ま 3-5 松本清張初文庫化作品集 4) 文庫 – 2006/4/1
電気会社の出張所に勤める男は、将来に不安を持っていた。しかし上司はそれを顧みることはしなかった。やがて会社は傾く。起死回生を図り社債を発行するが売れずに上司は首を吊る。その時、男は・・・。−−−「河西電気出張所」はじめ傑作4編を収録。
- 本の長さ214ページ
- 言語日本語
- 出版社双葉社
- 発売日2006/4/1
- ISBN-104575510661
- ISBN-13978-4575510669
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登録情報
- 出版社 : 双葉社 (2006/4/1)
- 発売日 : 2006/4/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 214ページ
- ISBN-10 : 4575510661
- ISBN-13 : 978-4575510669
- Amazon 売れ筋ランキング: - 460,015位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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(1909-1992)小倉市(現・北九州市小倉北区)生れ。給仕、印刷工など種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社。41歳で懸賞小説に応募、入選した『西郷札』が直木賞候補となり、1953(昭和28)年、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。1958年の『点と線』は推理小説界に“社会派”の新風を生む。生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その守備範囲は古代から現代まで多岐に亘った。
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