本書は、第38回(昭和六十年)日本推理作家協会賞 評論その他部を受賞したノンフィクションである。昭和五十五年に、川崎市で実際に起きた尊属殺人を扱っている。当時の関係者にインタビューをし、有識者の意見を踏まえながら、事件の真因を明らかにする試みである。被害者の出自まで遡って、念入りに調査をし、事件を再現していくあたりが、推理小説形式とのいわれなのか。
本書では、団塊の世代による育て方に問題ありとする結論が提示される。物のない時代に育った親たちが、子供へ同じ思いをさせまいとした結果、甘えを助長させているという。
事件発生から30年経過した今日、それをもって、真因とすることに納得し難いものがある。今現在でも起きている尊属殺人の理由は、育ちでは片付けられない、もっと曖昧なもののように思えるのだ。突然、スイッチが入ったかのように事件を起こす。そのスイッチの入りどころを、うかがい知ることができない。親の責任と、紋切り型で決めつけるには無理があるのではないか。
刊行当時であれば、別な感想を持ったかもしれない。ただ、今現在においては、新味もないし、説得力も希薄である。その時々を切り取るノンフィクションの宿命なのだろうか。
本書の、緊張感のある文章表現や、事件発生に至るまでの迫力ある構成は、一気に読みの力がある。著者が提示した事件の真因より、むしろ書物として、そちらの方をみていくべきなのかもしれないな。
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日本推理作家協会賞受賞作全集 47 (双葉文庫 さ 15-1) 文庫 – 1998/11/1
佐瀬 稔
(著)
金属バット殺人事件
- 本の長さ269ページ
- 言語日本語
- 出版社双葉社
- 発売日1998/11/1
- ISBN-104575658448
- ISBN-13978-4575658446
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登録情報
- 出版社 : 双葉社 (1998/11/1)
- 発売日 : 1998/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 269ページ
- ISBN-10 : 4575658448
- ISBN-13 : 978-4575658446
- Amazon 売れ筋ランキング: - 949,660位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,815位双葉文庫
- - 86,616位エンターテイメント (本)
- - 139,078位ノンフィクション (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年10月2日に日本でレビュー済み
二十五年ほど前にこの本を読み、衝撃を受けました。少年と同世代の私と、この少年との違いはなんだろう?そんな思いにさせられ、当時、それまで少年のことをモンスターのような人物だと思っていたことの間違いに気づかされました。その後、コンクリート殺人など少年たちの犯罪が取り上げられた本を読んでいくきっかけになりました。
最近思うことがあって、読み直してみました。二十五年前に読んだときには不安(この国の若者は、どんどんわけのわからない人間になっていく)を感じたけれど、現在ならもっと少年の心に寄り添った分析ができるのではないか、という感想を持ちました。誰も自分を育ててくれた親の頭を金属バットで割りたいなんて思わないでしょう。それだけ少年は追い詰められ、心の中に抑圧された怒りや悲しみを、これまで表出されることなく抱えていたのだと思います。直接的は、カードから小遣いを引き出していたことがばれたことや、二浪しても頑張れない息子への厳しい叱責、そして「出て行け」という言葉だったと思います。しかし根深いところでは、それまで両親の期待に応えようとしてきた彼の苦しみを誰も理解してくれなかったこと、その上苦しんでいる彼に下された言葉は、人間として失格であるというようなこと、だから完全に見捨てられ世界が崩壊したように感じたのではないかと思います。人間的に未熟で幼い少年は酒を大量に飲んだことも手伝って、怒りにまかせて両親を殺害してしまいました。私は、小さな子どもが自分に振り向いてくれない母親に「おかあさんのバカ!」と言って母を叩いて泣き叫んでいる姿と重なって見えました。
自分の本心を言葉にできない、心の中に言葉があるのではなく、なにかもやもやがありその正体を言語化できない幼さ。それは、本人の特性もあるだろうけど、小さな頃から過保護過干渉で、言葉を奪われてきたのではないかと思います。そして、理想的な家族の理想的な息子を演じさせられ、自分の感情でものを考えたり話したりできなかった結果ではないかと思います。
彼は、一度、家出に失敗しています。そこから彼のふぬけな状態に拍車がかかっています。誰も、その時の彼の心の奥にあるものを見ようとしなかったのではないでしょうか。虚しさ。彼の心は虚しさに支配されていたのではないでしょうか。
今になって、この著作の足りない面を言えるのは当前です。
でも、二十五年前に、モンスターにもあたりまえの人間の心があり、それは彼自身の責任だけではないと、気づかさせてくれたこの本に敬意を表したいと思います。
ところで、相模原の殺傷事件を起こした容疑者の心も現在いろんな機関で、究明されていることだと思います。
私は、彼の場合も親から見捨てられたことに対する復讐心が、彼を狂気に走らせたのではないかと考えています。
やったことは許されることではありません。
しかし、犯罪者になってしまう過程を究明しなければ、犯罪はなくなりません。
最近思うことがあって、読み直してみました。二十五年前に読んだときには不安(この国の若者は、どんどんわけのわからない人間になっていく)を感じたけれど、現在ならもっと少年の心に寄り添った分析ができるのではないか、という感想を持ちました。誰も自分を育ててくれた親の頭を金属バットで割りたいなんて思わないでしょう。それだけ少年は追い詰められ、心の中に抑圧された怒りや悲しみを、これまで表出されることなく抱えていたのだと思います。直接的は、カードから小遣いを引き出していたことがばれたことや、二浪しても頑張れない息子への厳しい叱責、そして「出て行け」という言葉だったと思います。しかし根深いところでは、それまで両親の期待に応えようとしてきた彼の苦しみを誰も理解してくれなかったこと、その上苦しんでいる彼に下された言葉は、人間として失格であるというようなこと、だから完全に見捨てられ世界が崩壊したように感じたのではないかと思います。人間的に未熟で幼い少年は酒を大量に飲んだことも手伝って、怒りにまかせて両親を殺害してしまいました。私は、小さな子どもが自分に振り向いてくれない母親に「おかあさんのバカ!」と言って母を叩いて泣き叫んでいる姿と重なって見えました。
自分の本心を言葉にできない、心の中に言葉があるのではなく、なにかもやもやがありその正体を言語化できない幼さ。それは、本人の特性もあるだろうけど、小さな頃から過保護過干渉で、言葉を奪われてきたのではないかと思います。そして、理想的な家族の理想的な息子を演じさせられ、自分の感情でものを考えたり話したりできなかった結果ではないかと思います。
彼は、一度、家出に失敗しています。そこから彼のふぬけな状態に拍車がかかっています。誰も、その時の彼の心の奥にあるものを見ようとしなかったのではないでしょうか。虚しさ。彼の心は虚しさに支配されていたのではないでしょうか。
今になって、この著作の足りない面を言えるのは当前です。
でも、二十五年前に、モンスターにもあたりまえの人間の心があり、それは彼自身の責任だけではないと、気づかさせてくれたこの本に敬意を表したいと思います。
ところで、相模原の殺傷事件を起こした容疑者の心も現在いろんな機関で、究明されていることだと思います。
私は、彼の場合も親から見捨てられたことに対する復讐心が、彼を狂気に走らせたのではないかと考えています。
やったことは許されることではありません。
しかし、犯罪者になってしまう過程を究明しなければ、犯罪はなくなりません。