フィクションを織交ぜている事は承知していたものの、登場人物の幾人かと『明治蹇蹇匪躬録』までもがフィクションである事を知った時には「やられた!」と思いました。
谷口ジロー氏の画がその嘘の信憑性を高めている事もあり、共著と言うより共犯の趣を感じます。
歴史を勉強されてる方からすれば噴飯物かも知れませんが、ストーリーテリングの妙ここに極まれりと評して大袈裟ではない良作と思います。
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『坊っちゃん』の時代 (双葉文庫) 文庫 – 2002/11/12
明治三十八年。現代人たる我々が想像するより明治は、はるかに多忙であった。漱石 夏目金之助、数え年三十九歳。見通せぬ未来を見ようと身もだえていた──近代日本の青年期を、散り散りに疾駆する群像をいきいきと描く、関川夏央・谷口ジローの黄金コンビが放つ一大傑作。第二回手塚治虫文化賞を受賞。
- 本の長さ261ページ
- 言語日本語
- 出版社双葉社
- 発売日2002/11/12
- ISBN-104575712299
- ISBN-13978-4575712292
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登録情報
- 出版社 : 双葉社 (2002/11/12)
- 発売日 : 2002/11/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 261ページ
- ISBN-10 : 4575712299
- ISBN-13 : 978-4575712292
- Amazon 売れ筋ランキング: - 251,519位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年4月10日に日本でレビュー済み
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心に沁みます。谷口氏の早世を惜しみます。関川氏のご健勝を祈ります。
2013年6月11日に日本でレビュー済み
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まあ、当時の有名人を、偶然を装って次々出合わせ、強引に展開している。これは、韓流ドラマと同じ、強引さ、偶然だらけさである。で、それを、おもしろいと楽しめる人には、いい本である。くそまじめな人には、おすすめはしない。
2013年9月10日に日本でレビュー済み
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明治時代の文化人の人間模様が生き生きと描かれていて、読み応えがある。
2015年2月8日に日本でレビュー済み
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明治という時代の雰囲気がしっとりと醸し出されている名著だと思います。ホント、明治の人は多忙だったのね
2014年5月21日に日本でレビュー済み
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明治初期。怒涛のような価値観の変革期を生きた夏目漱石らの群像劇にはただただ圧倒されるばかり。肥大した青春期の青年のような自我、バランスを欠いた自意識という近代の病理は、いまだに我々が罹患している“現代の”病なのだと思う。
2012年8月5日に日本でレビュー済み
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漱石の家にたむろする四人の青年。それぞれの物語を追っていくうちに、漱石の中で『坊っちゃん』の構想ができあがっていく…というフィクション。歴史上の人物をどんどん会わせてしまう面白さは、山田風太郎の「明治小説シリーズ」を彷彿させる(※)。
驚くべきは、このマンガの一コマ一コマ、セリフのひとつひとつ、地の文のどれをとっても、読み飛ばすところが無い。その密度の濃さ。そして読後に感じるのは、明治時代の活気とか若々しさというより、どこか哀しさ。どこか切なさ。
関川さんのあとがきも、高橋源一郎さんの解説も、なんだかとってもおもしろい。
(※)関川さんには名著 戦中派天才老人・山田風太郎 (ちくま文庫) あり。
驚くべきは、このマンガの一コマ一コマ、セリフのひとつひとつ、地の文のどれをとっても、読み飛ばすところが無い。その密度の濃さ。そして読後に感じるのは、明治時代の活気とか若々しさというより、どこか哀しさ。どこか切なさ。
関川さんのあとがきも、高橋源一郎さんの解説も、なんだかとってもおもしろい。
(※)関川さんには名著 戦中派天才老人・山田風太郎 (ちくま文庫) あり。
2017年10月17日に日本でレビュー済み
このシリーズが、たまらなく好きだ。好きが昂じて、啄木を描いた「かの蒼空に」などは息苦しささえ覚える。啄木の生活破綻の原因が私と同じだからだ。夏目漱石が坊ちゃんを書いたのが39歳、亡くなったのは49歳だから、その間僅か10年でしかなかった。「猫」はその前に書かれていたが、彼は小説を書いたという自覚はなかった。小説家漱石は、実質10年だったのである。
今、私は53となり、漱石の没年を遠く過ぎてしまった。来年は架空の人物ではあるが、磯野波平の歳となる。馬齢を重ねるばかりで、何の成果も無い。30代、40代こそが、人生の華であるのは、人生50年だった明治と今とで、さして変わらないのでは無いか。
かく言う関川夏央も既に鬼籍に入った。明治生まれは、老人ホームでもまずお目に掛からない。大正生まれが100歳を超える今である。この物語の登場人物達がなくなる頃生まれた人々が、今死に絶えようとしているのだ。明治は遠くなりにけりと言うが、既に大正ですら遠い。大正生まれで呆けていない人は、まずいない。今はもう、「昭和は遠くなりにけり」である。
だがこの漫画は、凛とした明治人を等身大に描いて、我々を明治に引き戻す。我々日本人の文明国家としての歩みの始まりが、ここにあったことを思い起こさせる。登場人物の行動ばかりでなく、丹念に描かれる状況描写、例えば電車なども、ここにこそ文明国家日本の黎明があったことを物語っている。
江戸末期の写真がいくばかりか残っているが、いずれも今の私たちとは遠く隔たっている。前時代と言わざるを得ない。それに比べると、明治人は今の我々と実に近い。我々の煩悶の多くが、明治人のそれである。漱石の懊悩は、そのまま私の懊悩でもある。言い換えれば、明治人の抱え込んだ諸問題を、我々は結局今に到るまで未解決のまま背負っているのだ。
今日本は再び激動の時代を迎えようとしている。この先、どこへ向かうのか、不穏と不安が募る時代である。ある種の人々にとっては、それが希望でもあるかも知れないが。この先の見えない時代にあって、同じような時を過ごした人々と一瞬交錯してみるのは、極めて有意義である。本作品は日本の文化人にとって、極めて価値が高い。
今、私は53となり、漱石の没年を遠く過ぎてしまった。来年は架空の人物ではあるが、磯野波平の歳となる。馬齢を重ねるばかりで、何の成果も無い。30代、40代こそが、人生の華であるのは、人生50年だった明治と今とで、さして変わらないのでは無いか。
かく言う関川夏央も既に鬼籍に入った。明治生まれは、老人ホームでもまずお目に掛からない。大正生まれが100歳を超える今である。この物語の登場人物達がなくなる頃生まれた人々が、今死に絶えようとしているのだ。明治は遠くなりにけりと言うが、既に大正ですら遠い。大正生まれで呆けていない人は、まずいない。今はもう、「昭和は遠くなりにけり」である。
だがこの漫画は、凛とした明治人を等身大に描いて、我々を明治に引き戻す。我々日本人の文明国家としての歩みの始まりが、ここにあったことを思い起こさせる。登場人物の行動ばかりでなく、丹念に描かれる状況描写、例えば電車なども、ここにこそ文明国家日本の黎明があったことを物語っている。
江戸末期の写真がいくばかりか残っているが、いずれも今の私たちとは遠く隔たっている。前時代と言わざるを得ない。それに比べると、明治人は今の我々と実に近い。我々の煩悶の多くが、明治人のそれである。漱石の懊悩は、そのまま私の懊悩でもある。言い換えれば、明治人の抱え込んだ諸問題を、我々は結局今に到るまで未解決のまま背負っているのだ。
今日本は再び激動の時代を迎えようとしている。この先、どこへ向かうのか、不穏と不安が募る時代である。ある種の人々にとっては、それが希望でもあるかも知れないが。この先の見えない時代にあって、同じような時を過ごした人々と一瞬交錯してみるのは、極めて有意義である。本作品は日本の文化人にとって、極めて価値が高い。