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水俣の赤い海 単行本 – 2006/11/1
原田 正純
(著)
- 本の長さ193ページ
- 言語日本語
- 出版社フレーベル館
- 発売日2006/11/1
- ISBN-104577033135
- ISBN-13978-4577033135
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登録情報
- 出版社 : フレーベル館 (2006/11/1)
- 発売日 : 2006/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 193ページ
- ISBN-10 : 4577033135
- ISBN-13 : 978-4577033135
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,271,370位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 87,133位絵本・児童書 (本)
- - 319,512位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
水俣病研究者の故原田正純先生による、胎児性水俣病の発見と、その子供達の病状と成長を童話的に綴られたものである。そのせいで、大部分が平仮名体で書かれている。母体から胎盤を通して胎児に移行した有機水銀は母体内で形成中の胎児の脳・神経の発達を阻害し、障碍者として出生する。母体は必ずしも水俣病を発症していない。有機水銀中毒さえなかったら、「健康」に生まれついてきた者が、生下後、障害のみならず、社会的偏見を受け、塗炭の苦しみを背負う。こんな理不尽なことが許されるだろうか。また、保証費用が供せられても人間としての生活は得られない。患児は、「働きたい」と切に願う。少しでも人並に生きたいのだ。「人並」に生きることが、胎児性水俣病患児には夢なのだ。何と「健全」な精神であろうか。原田先生らしく、自分の宣伝は一切されないが、蔭で患児のための細やかな配慮をされているのが覗える。そして、犠牲となった患児に対する真摯で無私の愛情が光る。チッソの社会的責任は終わらない。チッソが「人間的」であったら、水俣病のプロフィールは今とはかなり違っていたかもしれない。弱者を助け、権威に靡かない薩摩隼人の原田正純先生の人間性に心から敬服する。
2013年1月3日に日本でレビュー済み
〜水俣病は病気というより犯罪、殺人だ〜
1956年5月1日の水俣病公式発見から50年目にあたる2006年11月11日に続いて、昨年6月11日に反公害運動・水俣病告発を牽引した巨星が逝ってしまいました。
7年前、公害研究と調査結果を直接市民に伝え全国の公害問題の報告を現場から聞く場として東京大学工学部82番教室で夜間開講された自主講座をまとめた『公害原論』(1971年)や 『谷中村から水俣・三里塚へ エコロジーの源流』(1991年)を表し生涯を反公害運動に捧げた宇井純が74歳で逝ってしまいましたが、今度はついに昨年、岩波新書で『水俣病』(1972年)『水俣病は終っていない』(1985年)を書き、水俣三部作『水俣病にまなぶ旅』(1985年)『水俣が映す世界』(1989年)『水俣への回帰』(2007年)を始め水俣病と全面対決して常に患者の立場に立った診断と研究をされた原田正純医師が77歳で身罷ってしまいました。
彼は来る日も来る日も治療と調査と抗議・啓蒙に没頭して忙殺されていたとばかり思っていたのですが、普段めったに足を向けない図書館の児童書室で偶然この本を見つけ手にした私は、なんだかとてもホッとするような心が清らかになるような気持ちになって、気がついたらこの本は私の涙でしとど濡れていました。
本書は、水俣病がどう発病したのか、患者が病気とどうに向き合ってきたのかという実例が書かれたもので、乳児や子供の発病過程、兄弟や家族の支え合う姿は、涙や怒りや込み上げてくるものなしに読めませんでした。
病気が知られてから原因を作った大企業へ声を上げることを躊躇したり、地元以外からの偏見を恐れて病気を隠したり、堂々と裁判に踏み切ったりなど、水俣病の当事者にも様々な考えと行動が起こってきて、まるで派閥のようなものが出来上がってしまう。その中で、方向性など問題にしないで連帯する意思を持つ若い患者を中心に、石川さゆりコンサートの企画で大人達が徐々に動かされたという逸話があったり。
様々な水俣病関連の書籍を手にとってきましたが、これほど小学生にも読んで理解できるようにわかり易く書かれた水俣病の本は他にないと思いました。この本は、もともと1986年に初めて上梓されて好評を博したそうですが、長らく絶版で多くの関係者が復刊を待望していたそうですが、水俣病が歴史を刻んで50年目の節目に新版が出たというわけです。
1956年5月1日の水俣病公式発見から50年目にあたる2006年11月11日に続いて、昨年6月11日に反公害運動・水俣病告発を牽引した巨星が逝ってしまいました。
7年前、公害研究と調査結果を直接市民に伝え全国の公害問題の報告を現場から聞く場として東京大学工学部82番教室で夜間開講された自主講座をまとめた『公害原論』(1971年)や 『谷中村から水俣・三里塚へ エコロジーの源流』(1991年)を表し生涯を反公害運動に捧げた宇井純が74歳で逝ってしまいましたが、今度はついに昨年、岩波新書で『水俣病』(1972年)『水俣病は終っていない』(1985年)を書き、水俣三部作『水俣病にまなぶ旅』(1985年)『水俣が映す世界』(1989年)『水俣への回帰』(2007年)を始め水俣病と全面対決して常に患者の立場に立った診断と研究をされた原田正純医師が77歳で身罷ってしまいました。
彼は来る日も来る日も治療と調査と抗議・啓蒙に没頭して忙殺されていたとばかり思っていたのですが、普段めったに足を向けない図書館の児童書室で偶然この本を見つけ手にした私は、なんだかとてもホッとするような心が清らかになるような気持ちになって、気がついたらこの本は私の涙でしとど濡れていました。
本書は、水俣病がどう発病したのか、患者が病気とどうに向き合ってきたのかという実例が書かれたもので、乳児や子供の発病過程、兄弟や家族の支え合う姿は、涙や怒りや込み上げてくるものなしに読めませんでした。
病気が知られてから原因を作った大企業へ声を上げることを躊躇したり、地元以外からの偏見を恐れて病気を隠したり、堂々と裁判に踏み切ったりなど、水俣病の当事者にも様々な考えと行動が起こってきて、まるで派閥のようなものが出来上がってしまう。その中で、方向性など問題にしないで連帯する意思を持つ若い患者を中心に、石川さゆりコンサートの企画で大人達が徐々に動かされたという逸話があったり。
様々な水俣病関連の書籍を手にとってきましたが、これほど小学生にも読んで理解できるようにわかり易く書かれた水俣病の本は他にないと思いました。この本は、もともと1986年に初めて上梓されて好評を博したそうですが、長らく絶版で多くの関係者が復刊を待望していたそうですが、水俣病が歴史を刻んで50年目の節目に新版が出たというわけです。