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メインの森をめざして-アパラチアン・トレイル3500キロを歩く 単行本 – 2011/7/9
アメリカ東部は、ヨーロッパからの移民がそれぞれの文化・生活習慣を持って上陸し、先住民族と出会い、双方の理解と軋轢の歴史があり、また西部開拓の歴史も含め、アメリカという国の誕生と発展の基礎を築いた地域で、いまだにニューヨークやワシントンDCといった中心的な都市が存在します。
アパラチアン・トレイルはアメリカ東部、南はジョージア州から北のメイン州まで、14の州を貫く3500キロのロングトレイルです。本書は、2005年、約半年をかけて著者が歩き、そこで出会い、体感したアメリカ----自然、文化、歴史から、暮らしや人との交流、日本との比較、政治や宗教といった問題まで----を描いた、400字詰め原稿用紙で1000枚を超えるノンフィクションです。
- 本の長さ637ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2011/7/9
- ISBN-104582542085
- ISBN-13978-4582542080
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商品の説明
著者からのコメント
加藤則芳(かとう のりよし)
20数年前、ある雑誌に写っていた一枚のモノクロームの写真によって知ったアパラチアン・トレイル。大きなザックを背負った数人の若いバックパッカーが横一列に並んで写っていた。この小さな写真に添えられていた、アパラチアン・トレイル3500キロを歩いているのだというコメントが、わたしを強く惹きつけた。なぜか、それ以後、アパラチアン・トレイルという言葉が、わたしの頭に染み入った。その後、機会あるごとに情報を集め、書籍を集めた。
ある年、神田の古本屋をぶらぶらと巡っているときに、偶然手にした雑誌があった。「ナショナルジオグラフィック」誌の1987年2月号だった。そこに、30ページほどのアパラチアン・トレイル特集記事が載っていた。それを見たとき、わたしは運命を感じた。アパラチアン・トレイルがわたしを呼んでいる、と。1990年ごろだっただろうか。そのころわたしは、ジョン・ミューアを調べることに夢中だった。1994年に、そのジョン・ミューア・トレイル340キロを歩いているとき、ウエスト・ヴァージニアからやってきた夫妻と親しくなった。彼らのザックにアパラチアン・トレイルのワッペンが縫いつけられていた。聞くと、彼らはアパラチアン・トレイル全行程を踏破したのだと言った。このとき、わたしの次の目標がはっきりと定まった。
わたしの大きな旅には、かならずテーマがある。ジョン・ミューア・トレイルのテーマは、自然保護そのものだった。このトレイルは世界で最も優れた自然保護システムを持つアメリカの象徴的な存在なのだ。自然を楽しみ、知るために、原生自然のフィールドに作られた理想のトレイルだった。わたしにとって、このトレイルを歩くことは、ある意味聖地巡礼だった。人間が避けて生きることはできない自然とのじょうずな関わり方、理想的なありかたを探ることが、わたしのするべきことなのだ。
一方、アパラチアン・トレイルは、ジョン・ミューア・トレイルとはまったく趣きの違ったトレイルだった。
北アメリカ大陸の東部に、南はアラバマ州から北はカナダのラブラドール地方まで伸びる長大なアパラチア山脈がある。その山稜部に、ジョージア州からメイン州まで、14の州を貫き延びるトレイルがアパラチアン・トレイルである。地質学的に世界で最も古い地層として知られるこの山脈の、とりわけ南部は標高が低く、大部分が深い森に覆われている。だれでもが気軽にアクセスできるこの山域には、原生自然の壮大な大自然は少ない。自然という観点から見れば、世界中にもっともっと優れたトレイルはいくらでもある。
にもかかわらず、アパラチアン・トレイルは、アメリカで最も有名なトレイルであり、多くのハイカーにとって憧れであり、その多くは、いつか全行程を歩いてみたいという夢を持っている。
なにがそれほどまでに彼らを惹き付けるのだろうか。その答えは、いくつかある。
この地域の歴史を振り返れば、その答えのひとつが見えてくる。17世紀にイギリスの清教徒を乗せたメイフラワー号が上陸したのを皮切りに、ヨーロッパからの移民が次々にアメリカ大陸に入植してきた。開発は西へ内陸と進んでいった。そしてその障壁となったのが、アパラチア山脈だった。吹き寄せ、押し寄せてきた開発の波がアパラチア山麓にはばまれ、吹きだまっていった。押し寄せ、吹きだまり、そして溢れたとき、あの西部開拓の歴史が始まった。
人々が押し寄せ、吹きだまっていったということは、そこに社会が形成され、新しい文化が生まれ、持ち込まれた伝統文化が根付いていったということになる。音楽をはじめ、ヨーロッパ本国で消え去ってしまったさまざまな文化が、今もこの山麓に栄え、今も残っている。アパラチアンという音を聞いただけで、心に響き、疼くものがあると、多くのヨーロッパ系アメリカ人は言う。つまり、アパラチアン山麓は彼らにとって心の故郷のような存在なのだ。
19世紀半ばの南北戦争や黒人奴隷時代の史蹟、遺跡もこの山麓に数多く残っている。ネイティブアメリカンの哀しい歴史もある。まさに、こういった人文学的な興味のいっぱいつまった山域にアパラチアン・トレイルはある。多くのヨーロッパ系アメリカ人にとって、そこを歩くということは、それこそ聖地巡礼としての意味があるのだ。
全行程3500キロもの距離を歩こうとするハイカーの、それぞれの心の中には、歩ききることによって何かを得ようとする、それぞれの思いがある。そこには、人それぞれのドラマがあり、社会的にはなくても、ひとりひとりの内側には、冒険的心はある。
3500キロを半年かけて歩くという距離と時間は、並大抵なことではない。それほどのリスクを乗り越えて、これだけの偉業をこれほどの人数が成し遂げるということの理由と意味を、わたしは探りたかった。また、政治的、宗教的にアメリカで最も保守的とも言われるこのエリアの実相を知ることも、わたしの大きなテーマだった。わたしにとってのアパラチアン・トレイルは、溢れるほどの内容が詰まった、好奇の宝箱だったのだ。
著者について
1949年、埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。アウトドア・ネイチャーライター。信越トレイルクラブ理事、日本トレッキング協会常任理事。出版社勤務を経て、1980年に八ヶ岳に移住、国内外の自然保護やアウトドア、ロングトレイル、国立公園などをテーマに執筆。2005年、アメリカ東部、全長3500キロにおよぶアパラチアン・トレイルを踏破。
著書にJTB紀行文学大賞受賞作『ジョン・ミューア・トレイルを行く』(平凡社)、『自然の歩き方50』『日本の国立公園』『森の暮らし、森からの旅』(いずれも平凡社)、『森の聖者--自然保護の父ジョン・ミューア』(山と溪谷社)など、訳書に『おじいちゃんと森へ』(平凡社)がある。現在、横浜在住。
登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2011/7/9)
- 発売日 : 2011/7/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 637ページ
- ISBN-10 : 4582542085
- ISBN-13 : 978-4582542080
- Amazon 売れ筋ランキング: - 491,314位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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全体的なストーリーは、時系列で踏破の記録や、人との出会い、トレイル・エンジェルと呼ばれる、四国お遍路で言うところの「お接待」の心温まるエピソード、アメリカの文化、トレイルの歴史、トレッキングにおいてのノウハウなどが、640ページの分厚い本に凝縮されている。表紙の写真含め、本書に挿入されている写真はとても美しい。著者の、自画取りテクニックは神業だ。ロングトレイルの出発点に立つような気持ちで、この分厚い本を読み始めたが、気がつくと時間を忘れ、あっという間に長旅をともに踏破してしまった。ラスト数ページの寂寥感を味わうことは、長編ものの醍醐味かもしれない。
一方で、ロングトレイルの踏破をテクニカルに考えると、やはり荷物は、軽くなければならないと思った。荷物を重くする事は個人の自由と思うし、重い荷物を苦労して運ぶのも自由だと思うが、重い荷物は着実に、体力を消耗し、ひいては、人間の寿命も縮めてしまうのではないかと思った。ウルトラライトのムーブメントは、ナルシシズムやストイシズムの裏返しかとも思っていたが、命がけで得てきたノウハウであるとも思った。
本書は、各通過点での気候、シェルターの状況、ロジスティクスなど、ロングトレイル歩行を行いたい人へのノウハウ書にもなり得る。装備品リストが掲載されている訳ではないが、何を持って行き、何を置いて行くかを考える材料になると思う。ロジスティクスに関しては、著者が行ったように、各地の郵便局に食料等を送っておいたり、不要な荷物を自宅に送り返したり、ロングトレイルに欠かせないかもしれぬノウハウが書かれていた。ただ、裏を返せば、トレイル・エンジェル以外の大きなサポートが、ロングトレイルにおいて必須であることが示唆されており、アメリカのロングトレイルを日本人が歩く事は、とても贅沢であることを感じた。相応の時間がないと達成できないし、相応の金銭をやり取りしないと、達成できないかもしれない。この辺は、四国お遍路と似ている。
ジャーナリストが原稿やスポンサーを抱えながら歩くのは、あまり身体に良くないような気がした。これは最近の人気雑誌の人気ライターの方々の記事をみても、感じる。自分の好きな事を仕事に出来るのは、とても良い事だと思うが、記事を書く前提で山を歩くのは、何かを無理してしまうのではないかと思う。これは、先述の、金銭のやり取りに関係あるのかもしれない。
いろいろな事を考えさせられ、また、複雑な気持ちも持った読後感であった。
不治の病で車椅子での生活を余儀なくされた当時、氏の想いを考えると神様は残酷だと思ったものです。
亡くなられて数年後の日本では、加藤さんが種を蒔いたロングトレイルの花が各地で咲こうとしています。
山頂を目指す登山ではなく、もっと根源的で精神的な歩く喜びを見つける旅に出たいと思います。
この本の中にこういう記述があります。「バックパッキングには、あらゆるものから自由でいられ、そして自己責任で自然とつき合うことのできる解放性がある。その経験と能力は、本来人間が持っているべきもので現代人が失ってしまったものだ。人間は社会人である以前に自由人、すなわち自然人なのだ。その前提があっての社会人であるべきだ。」この本はまさにこの自然人としての視点からアパラチアン・トレイルの魅力、自然、歴史、文化、国立公園の制度等が語られています。さらに、著者はこのトレイルで出会った人達を決して肌の色や国籍で区別するのではなく、自由人・自然人という視点から紹介しています。その彼らも生粋の自由人・自然人なのです。彼らの語る言葉も実に胸にじーんと浸みわたります。
そして、最終州のメイン州に入ってから著者は、ゴール(マウント・カタディン)することの喜びの反面、ゴールすること、また同じ思いを共有した仲間と別れなければならないことへの寂しさ・哀しみを頻繁に口にします。相反する感情ではあっても、そこには著者の深く暖かな気持ちが伝わってきます。残りわずかなページをくる私も、まもなく終わってしまうのかと、寂しく哀しくなりました。
きっと何度も何度も読み返すと思います。またスルーハイク(通読)してもいいし、セクションハイク(分けて読む)やスラックパック(飛ばして戻る)もありかな、なんて考えています。
最後に、ただただ残念なのは、著者の加藤氏がALSに罹り、病状が日々悪化していることです。まだまだいろんなロングトレイルを歩いて自然人としての視点から物を書いていただきたかった。もっともっと加藤氏の本が読みたかった。できればたとえ数分でも一緒に同じトレイルを歩いてみたかったです。
アパラチアン・トレイルを歩くためのガイドブックではない。アパラチアン・トレイルを踏破することに記録的価値があるかといえば、そうではない。過去に、このトレイルを歩いた人はたくさんおり、「日本人初」という記録でもない。
この本を読んでもっとも面白かったのは、アメリカの文化を考えさせられる点である。アメリカの登山文化だけでなく、政治、経済、歴史などに関するアメリカ文化の一端を垣間見ることができ、それがこの本の魅力である。ルートの概要や自然描写もあるが、もし、この本が登山の記録に終始していれば、600頁を超えるこの本は退屈きわまりないだろう。アパラチアン・トレイルは、アメリカの自然の一部であるが、アメリカの文化の一部でもある。この点は著者の「ジョンミューアトレイルを行く」も同様である。著者と一緒に、アパラチアン・トレイルを旅しながら、アメリカの文化の旅を行っている気分がする。それで、600頁以上あるが、一気に読んでしまった。
トレイルのあり方、避難シェエルターの作り方、キャンプに対する考え方などに文化が現れる。日本の偏狭な登山文化に較べれば、アメリカの登山文化には寛容さと厳格さがある。すべての登山道が山頂に向かう日本のトレイルに較べれば、アパラチアン・トレイルは寛容で、多様である。日本の登山文化は、「登頂がすべて」であり、遊び心がない。「便利な方がよい」という日本的発想では、アパラチアン・トレイルの至る所に、営業小屋、避難小屋という名称の宿泊小屋が乱設され、場合によっては、りっぱなロッジなどができたりするだろう。それを認めないところにアメリカの登山文化の厳格さがある。トレイルに対するphilosophyがなければ、このようなトレイルはありえない。日本には山頂をめざす登山道ばかりで、バックパッキングの文化が稀薄である。バックパッキングの文化と対照をなすのが、日本の100名山ブームだろう。philosophyがなければ、ロングトレイルでの日本的なツアー登山や旅行会社が営業としてサポートをするツアーが生まれかねない。
トレイルを歩く人も文化の一部である。この本のなかに取り上げられるさまざまなトレッカーに関する記述はアメリカの文化を考えさせ、実に面白い。
文化というものは、実にとらえどころのないものであり、多面的である。最大公約数的なものをその国の文化だと理解すれば、アパラチアン・トレイルを歩くトレッカーはアメリカではどちらかと言えば少数派に属するが、それもアメリカの文化の一部である。アパラチアン・トレイルを歩くトレッカーの知的レベルが高く(必ずしも学歴ではない)、多くが自分なりの哲学を持っている。したがって、彼らは平均的なアメリカ人ではない。彼らのほとんどが環境保護派であり、反ブッシュ的な立場に立つ。アメリカの文化の多様性、複雑さ、奥の深さを感じさせられる。経済と競争優先のアメリカの中で、彼らのような考え深い人たちがいることで、アメリカの良心の崩壊の最小限の防波堤になっているのだろう。
日本でも、かつての登山者はphilosophyを持っていたが、最近の中高年の登山ブーム、100名山ブーム、ツアー登山ブームのもとでは、必ずしもそうではなくなった。登山の大衆化が登山のphilosophyの喪失を招く現象は、民主主義の進展が政治の大衆化をもたらし、それが民主主義の危機を招くことと共通するように思われる。日本では、アメリカのように、良心の崩壊の最小限の防波堤になる人たちがどれだけいるだろうか。
途中で、町に降りて補給や休養をしながら歩き続けるスタイルは、アメイカ的な大雑把さを感じるが、それも個人の好みの問題だろう。
日本にロングトレイルの文化が根づくことは革命的なことだろう。日本の縦走登山は、ピークを踏むことが前提である。とりあえず、ピークを踏むことなく、5〜6日かける山歩きが、端緒になるのかもしれない。信越トレイルなど。
いろんなことを考えさせられる楽しい本である。