「涜神」同様の愛おしい小さな本です。
「最後の審判」のあと、ごちそう(ヒュビモスとレヴァイアタン)を饗する善人(よきひと)の顔はどんな顔?
という不思議なイメージから、一気にゾーエとビオスの生ー政治論に引き込まれます。
ハイデガー嫌いは読まない方が良いかもしれませんが(私も嫌いですが)、
ハイデガー知らないひとは全然読めます。
装幀が美しい。
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開かれ: 人間と動物 単行本 – 2004/7/1
- 本の長さ208ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2004/7/1
- ISBN-10458270249X
- ISBN-13978-4582702491
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
人間と動物が交錯する未決定な「例外状態」の閾を、バタイユのアセファルからハイデガーの倦怠へと縦横無尽に描き出す、生政治の超克と人類学機械の停止へむけた壮大な系譜学。「剥き出しの生」のさらなる探究。
登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2004/7/1)
- 発売日 : 2004/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 208ページ
- ISBN-10 : 458270249X
- ISBN-13 : 978-4582702491
- Amazon 売れ筋ランキング: - 961,167位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 741位フランス・オランダの思想
- - 1,813位西洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年10月5日に日本でレビュー済み
近年書肆の店頭に(ジジェクに次いで)地歩を固めつつあるアガンベン。どこから手に取ったらいいか…という方にお薦めです。大変細かく章立てされており、講演録のテンポで、非常に読みやすい。哲学の門外漢でも大丈夫だし、薄いし…
コジェーヴの「歴史以後の人間」(バタイユの「残余としての否定性」との対比)が問いの導入となり、アガンベンが「人類学機械」と呼ぶ古来の「人間」観史を手短に叙述します。(このへん見事です。トマス・アクィナス、リンネ、ピコ・デラ・ミランドラ、ヘッケルら。)
中盤は、ハイデガーの有名な「動物は世界が乏しい/人間は世界を形成する」の存在構造[の相差]についての執拗な議論を辿り、スリリングです(タイトルの「開かれ」はハイデガーのLichtung概念のこと。)
そしてアガンベンの問題圏の只中へ。生政治的な「人類学機械」を停止させるイメージとしてベンヤミンやティツァーノのタブローにそくして「性的充足」が持ち出されるのですが、議論の手並みが鮮やかで、充実感が味わえました。
わたしはこうした方面は疎いただの動物好きのサラリーマンですが、たまたま人間と動物という問いの立て方に興味を持って手に取り、大収穫でした。お薦めできます。薄いので図書館で借りて読むのにも好適です。
(ただし、ハイデガーアレルギーの方にはお薦めできません。)
コジェーヴの「歴史以後の人間」(バタイユの「残余としての否定性」との対比)が問いの導入となり、アガンベンが「人類学機械」と呼ぶ古来の「人間」観史を手短に叙述します。(このへん見事です。トマス・アクィナス、リンネ、ピコ・デラ・ミランドラ、ヘッケルら。)
中盤は、ハイデガーの有名な「動物は世界が乏しい/人間は世界を形成する」の存在構造[の相差]についての執拗な議論を辿り、スリリングです(タイトルの「開かれ」はハイデガーのLichtung概念のこと。)
そしてアガンベンの問題圏の只中へ。生政治的な「人類学機械」を停止させるイメージとしてベンヤミンやティツァーノのタブローにそくして「性的充足」が持ち出されるのですが、議論の手並みが鮮やかで、充実感が味わえました。
わたしはこうした方面は疎いただの動物好きのサラリーマンですが、たまたま人間と動物という問いの立て方に興味を持って手に取り、大収穫でした。お薦めできます。薄いので図書館で借りて読むのにも好適です。
(ただし、ハイデガーアレルギーの方にはお薦めできません。)
2011年12月18日に日本でレビュー済み
アガンベンは、13世紀のヘブライ語聖書に描かれた動物の顔を持つ人間の絵をきっかけに、ヨーロッパの歴史における、人間と動物の分類にまつわる、様々なエピドーソを紹介する。
その流れは、アガンベンが人類学機械、とよぶものにたどり着く。それは、ヨーロッパの知性を象徴する。その知とは、物事をある違いによって分類し、分類の発想は、差別と支配の発想に結びついている。
アガンベンは、最後に、ベンヤミンの”人類学機械”とはちがった、人間と動物の捉え方を紹介し、人類学機械によらない、人間と動物の新しい関係の可能性を提示する。
ふだん、動物と身近に接している人は、人間と動物の違いについて、”人類学機械”のように考えることはないだろう。
イヌでもネコでも、ペットとして可愛がっている人にとっては、見知らぬ人間よりは、そうしたペットに対しての方が、深い愛情を感じるだろう。
そうした、自分の感覚に基づく、従来の考えに捕われない生き物への視点は、アガンベンが期待する、あたらしい関係に対して、1つのヒントを与える。
その流れは、アガンベンが人類学機械、とよぶものにたどり着く。それは、ヨーロッパの知性を象徴する。その知とは、物事をある違いによって分類し、分類の発想は、差別と支配の発想に結びついている。
アガンベンは、最後に、ベンヤミンの”人類学機械”とはちがった、人間と動物の捉え方を紹介し、人類学機械によらない、人間と動物の新しい関係の可能性を提示する。
ふだん、動物と身近に接している人は、人間と動物の違いについて、”人類学機械”のように考えることはないだろう。
イヌでもネコでも、ペットとして可愛がっている人にとっては、見知らぬ人間よりは、そうしたペットに対しての方が、深い愛情を感じるだろう。
そうした、自分の感覚に基づく、従来の考えに捕われない生き物への視点は、アガンベンが期待する、あたらしい関係に対して、1つのヒントを与える。
2004年8月20日に日本でレビュー済み
■「人間性」とはなにか? それは動物的ではないことであると思われているとすれば、では、人間と動物との違いはいったいどこにあるのか?
■「歴史の終焉」の後の世界が、コジェーヴ的な世界になるのか(アガンベンは否定的)。またビシャが言うように、人間には「2匹の動物」が棲んでいるのを検討しつつ、アガンベンはユクスキュルをトランジットしながらハイデガーへと向かう。
■人間には倦怠があるが(現存在だから)、動物には倦怠はない。「ただ生きている」だけだからだ(剥き出しの生)。そして、生の宙づりとしての「開かれ」が、人間を動物から隔てているとする。この点をアガンベンはハイデガーの読解から導く。
■「人間の終わり」が来てしまったとすれば、どのような可能態がありえるのかを探求。広大なテーマだが、ハイデガーを核にしたことで思考ルートのひとつができあがりつつあるのではないか? 小著ではあるがきわめて濃密。
■「歴史の終焉」の後の世界が、コジェーヴ的な世界になるのか(アガンベンは否定的)。またビシャが言うように、人間には「2匹の動物」が棲んでいるのを検討しつつ、アガンベンはユクスキュルをトランジットしながらハイデガーへと向かう。
■人間には倦怠があるが(現存在だから)、動物には倦怠はない。「ただ生きている」だけだからだ(剥き出しの生)。そして、生の宙づりとしての「開かれ」が、人間を動物から隔てているとする。この点をアガンベンはハイデガーの読解から導く。
■「人間の終わり」が来てしまったとすれば、どのような可能態がありえるのかを探求。広大なテーマだが、ハイデガーを核にしたことで思考ルートのひとつができあがりつつあるのではないか? 小著ではあるがきわめて濃密。
2008年4月7日に日本でレビュー済み
人間を霊長目に分類したリンネ、環境世界の概念を提示したユクスキュルなど、人間を動物とかんがえるうえでの「先人」たちの思想を展望しながら、同時にトマス、ティツィアーノ、グノーシスのバシリデスなどをも検討する。そうして周辺知識を動員してみじかい一章ずつで思考をつむぐ。1942年生まれのアガンベンも、もう六十歳近い。おちついた射程のとりかたに、このひとがものを考えてきた時間の長さ、思考の歳月の長さを感じた。問題をつきつめるには角度がやや散漫という評価もあるかもしれないが、枯れてきた味わいを寛いで愉しむことができる。