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和解のために 教科書、慰安婦、靖国、独島 単行本 – 2006/11/21
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- ISBN-104582702651
- ISBN-13978-4582702651
- 出版社平凡社
- 発売日2006/11/21
- 言語日本語
- 本の長さ264ページ
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2006/11/21)
- 発売日 : 2006/11/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 264ページ
- ISBN-10 : 4582702651
- ISBN-13 : 978-4582702651
- Amazon 売れ筋ランキング: - 771,170位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 201位アジア・アフリカのエリアスタディ
- - 3,011位国際政治情勢
- - 4,800位政治入門
- カスタマーレビュー:
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イメージ付きのレビュー
2 星
新品で購入したけど傷多すぎる
新品で3000円ほどで購入したけど、中古品なのか保管状態が悪いのかで傷が無数にある。新品で買ったんなら新品で送ってくれ。最初から中古で買った方がいいかも。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年8月7日に日本でレビュー済み
知日派韓国人が日韓双方の主張を批判的に検証した希少な書籍。
2006年初版ということもあり、韓国前大統領の竹島上陸等の最近の記事はないし、双方の主張が網羅されているわけでもない。
しかし、日本側韓国側、右翼左翼等の立場に偏らず、客観的・倫理的に対話解決の道を目指す著者の視点は共感を呼ぶ。日韓対話の視点の土台となりうる。
日韓歴史認識問題に興味のある日韓両国民に、是非勧めたい。
2006年初版ということもあり、韓国前大統領の竹島上陸等の最近の記事はないし、双方の主張が網羅されているわけでもない。
しかし、日本側韓国側、右翼左翼等の立場に偏らず、客観的・倫理的に対話解決の道を目指す著者の視点は共感を呼ぶ。日韓対話の視点の土台となりうる。
日韓歴史認識問題に興味のある日韓両国民に、是非勧めたい。
2017年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルだけ見て「日本人にさらなる譲歩を求める」
韓国人にありがちな本と早合点する人がいるが
実際は全く違う。
左右両翼、日本と韓国と多角的に分析している。
良心的日本人を敢えて「良心的」日本人とカッコで括り
その良心は韓国人のナショナリズムを煽動する
欺瞞に過ぎないことを手厳しく喝破している。
その韓国人のナショナリズムが日本社会の右傾化を促す。
そうやって憎しみが連鎖する。
☆ ☆
日本の徹底した「謝罪」をうながす行動は、
韓国のナショナリズムを拡大するばかりで、
問題の解決へと向かうのではなく、
いっそうの対立を招いているようにみえた。
暴力と怨恨は、どちらか一方が断たない限り
終わりはしない。そして暴力の環を断ちうる
主体は、被害者の側である。
怒りは、決して謝罪を導くことはない。
被害者の示すべき度量と、
加害者の身につけるべき慎みが出会うとき、
はじめて和解は可能になるはずである。
(以上 本文より抜粋)
彼女の自己批判であるが、
決して植民地支配を肯定するのでもなければ、
その不当性を緩和・隠蔽するのでもない。
自己批判が行われた日本による植民地支配に対して
もう少し寛容であるべき。という彼女の度量を
右派が担ぎ上げることは
彼女が主張する「慎み」に反するにほかならない。
彼女は四方八方を敵に回すことを覚悟したうえで
左右両翼、日韓の間に入って
「話し合いの土台」を作る努力をした。
日本文学の研究者として
日韓の友好を切に願っている気持ちが伝わってきた。
どの立場にとっても不愉快な表現は出てくるだろう。
しかし、批判を通して彼女は民族や思想を越えて
共通する「みずからの内部にある暴力的な思考」
に警鐘を鳴らしている。
攻撃的なコメントや左派の猛反発こそ
まさに彼女が警鐘を鳴らす
「みずからの内部にある暴力的な思考」
であろう。
韓国人にありがちな本と早合点する人がいるが
実際は全く違う。
左右両翼、日本と韓国と多角的に分析している。
良心的日本人を敢えて「良心的」日本人とカッコで括り
その良心は韓国人のナショナリズムを煽動する
欺瞞に過ぎないことを手厳しく喝破している。
その韓国人のナショナリズムが日本社会の右傾化を促す。
そうやって憎しみが連鎖する。
☆ ☆
日本の徹底した「謝罪」をうながす行動は、
韓国のナショナリズムを拡大するばかりで、
問題の解決へと向かうのではなく、
いっそうの対立を招いているようにみえた。
暴力と怨恨は、どちらか一方が断たない限り
終わりはしない。そして暴力の環を断ちうる
主体は、被害者の側である。
怒りは、決して謝罪を導くことはない。
被害者の示すべき度量と、
加害者の身につけるべき慎みが出会うとき、
はじめて和解は可能になるはずである。
(以上 本文より抜粋)
彼女の自己批判であるが、
決して植民地支配を肯定するのでもなければ、
その不当性を緩和・隠蔽するのでもない。
自己批判が行われた日本による植民地支配に対して
もう少し寛容であるべき。という彼女の度量を
右派が担ぎ上げることは
彼女が主張する「慎み」に反するにほかならない。
彼女は四方八方を敵に回すことを覚悟したうえで
左右両翼、日韓の間に入って
「話し合いの土台」を作る努力をした。
日本文学の研究者として
日韓の友好を切に願っている気持ちが伝わってきた。
どの立場にとっても不愉快な表現は出てくるだろう。
しかし、批判を通して彼女は民族や思想を越えて
共通する「みずからの内部にある暴力的な思考」
に警鐘を鳴らしている。
攻撃的なコメントや左派の猛反発こそ
まさに彼女が警鐘を鳴らす
「みずからの内部にある暴力的な思考」
であろう。
2010年11月28日に日本でレビュー済み
著書で作者は、日本と韓国それぞれに問題があり、自分の国に都合の良いデータだけを持って来て物語を作っていること、またいずれの国にせよ良心に基づくはずの活動が副作用を伴うこともあることなどを指摘している。
しかし、少なくとも日本では、竹島を韓国に譲れという意見を新聞紙面に掲載する事が出来るし。
韓国人の女性大学教授が、竹島は韓国のものだと言っても、メディアから追放される事は無い。
韓国でこうした事を言えば、大変な問題となる事実は指摘させてもらう。
加えて言えば、私は客観的とか、双方の立場を考えてとか、そんな言葉を多用する人を信じていない。
ギリシャの修辞家ルキアノスが「歴史家が書いたものに嘘や脚色があることを疑ってはならない」と言及した通り。
数千年前の賢者が看破したように、いかなる時代、いかなる地域の歴史であっても、そこに脚色や自分達に優位な方向への解釈があることに言及しているように
真の意味で客観的な意見などそもそも無い。
これまで何人とも議論してきたが、客観的とか多用する人間ほど、歪んだ視点、極めて主観的な視点しか持っていなかった。
客観的とかそんなことを言っている時点で、すでにそれは主観的な視点しか持っていない証拠である。
そもそも真の友情も和解も、国家間にはありえないのだ。
歴史問題や民族間の葛藤は極めて根深い問題であり、謝罪や賠償などで解決する事はありえないものだ。
世界中の民族問題を調べれば調べるほど、永遠に解決する事が出来ないことが理解できる。
ある程度の事で切り捨てるしかない。
一々、和解とか考えているから、いつまでたっても解決しない。和解が必要だということは、現時点では和解がなされていないとの意味だから
和解しろと騒ぎ、そこにある利権に群がるハエどもが集まるのだ。
過去の問題はすでに政治的に決着がついている、この時点で、過去の問題は終わった問題であり
感情的な対立など、隣国間はこんなものだと切り捨てるべき問題であると断言できる。
あえて言えば、著者のような人間がいるから、日韓の和解は遠のくのだと言えるだろう。
しかし、少なくとも日本では、竹島を韓国に譲れという意見を新聞紙面に掲載する事が出来るし。
韓国人の女性大学教授が、竹島は韓国のものだと言っても、メディアから追放される事は無い。
韓国でこうした事を言えば、大変な問題となる事実は指摘させてもらう。
加えて言えば、私は客観的とか、双方の立場を考えてとか、そんな言葉を多用する人を信じていない。
ギリシャの修辞家ルキアノスが「歴史家が書いたものに嘘や脚色があることを疑ってはならない」と言及した通り。
数千年前の賢者が看破したように、いかなる時代、いかなる地域の歴史であっても、そこに脚色や自分達に優位な方向への解釈があることに言及しているように
真の意味で客観的な意見などそもそも無い。
これまで何人とも議論してきたが、客観的とか多用する人間ほど、歪んだ視点、極めて主観的な視点しか持っていなかった。
客観的とかそんなことを言っている時点で、すでにそれは主観的な視点しか持っていない証拠である。
そもそも真の友情も和解も、国家間にはありえないのだ。
歴史問題や民族間の葛藤は極めて根深い問題であり、謝罪や賠償などで解決する事はありえないものだ。
世界中の民族問題を調べれば調べるほど、永遠に解決する事が出来ないことが理解できる。
ある程度の事で切り捨てるしかない。
一々、和解とか考えているから、いつまでたっても解決しない。和解が必要だということは、現時点では和解がなされていないとの意味だから
和解しろと騒ぎ、そこにある利権に群がるハエどもが集まるのだ。
過去の問題はすでに政治的に決着がついている、この時点で、過去の問題は終わった問題であり
感情的な対立など、隣国間はこんなものだと切り捨てるべき問題であると断言できる。
あえて言えば、著者のような人間がいるから、日韓の和解は遠のくのだと言えるだろう。
2023年10月26日に日本でレビュー済み
たまたま手にして読んだのだが、当初うかつにも、のちに「帝国の慰安婦」を著した人とは気づかなかった。「帝国の慰安婦」は韓国内で猛攻撃を受け、一時は高裁で有罪判決まで出された書物である。(このたび最高裁で差し戻しとなった。) 本書の立ち位置、価値はそのことだけでも明らかだろう。慰安婦のほか、教科書、靖国、独島(竹島)の項目がある。ただ当然の結果として、いろいろの方面からの批判も受けただろう。
2008年8月18日に日本でレビュー済み
日韓和解論としての本書の最大の魅力と信頼性は、韓国人である著者が、日本と韓国の両方で、ブレずに「日韓和解」を論じていることである。
こういう対日和解論を、韓国人である著者が、日本でだけ展開したとしたなら信頼しがたい。しかし、著者は違う。本書で論じられているような問題群についての韓国の言論状況を考えれば、こうした問題について日本との「和解」を語ること自体、相当の覚悟と準備がいることだ。それをしながら、日本でこうした「日韓和解」論を出版している。高く評価されるべきである。
日本人の誰もがこぞって著者の「日韓和解」論を歓迎したかといえば、むろんそうではない。だが、和解を拒否する者(たち)と和解することは、当然のことながらできない。和解を語ってくれる者(たち)と、和解を進めたい者(たち)のあいだで、まず取り組んでいくしかない。著者の「日韓和解」論は、両国のあいだで和解の<場>をひらくための道標である。
「日韓和解」をめざすのであれば、朴裕河の議論をできる限り積極的に、前向きに受け入れて、では何ができるのか、どこまで譲歩できるか(譲歩してもらうか)、冷静に考えていくことが必要である。
こういう対日和解論を、韓国人である著者が、日本でだけ展開したとしたなら信頼しがたい。しかし、著者は違う。本書で論じられているような問題群についての韓国の言論状況を考えれば、こうした問題について日本との「和解」を語ること自体、相当の覚悟と準備がいることだ。それをしながら、日本でこうした「日韓和解」論を出版している。高く評価されるべきである。
日本人の誰もがこぞって著者の「日韓和解」論を歓迎したかといえば、むろんそうではない。だが、和解を拒否する者(たち)と和解することは、当然のことながらできない。和解を語ってくれる者(たち)と、和解を進めたい者(たち)のあいだで、まず取り組んでいくしかない。著者の「日韓和解」論は、両国のあいだで和解の<場>をひらくための道標である。
「日韓和解」をめざすのであれば、朴裕河の議論をできる限り積極的に、前向きに受け入れて、では何ができるのか、どこまで譲歩できるか(譲歩してもらうか)、冷静に考えていくことが必要である。
2017年5月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
韓国にも、両国を相互に理解し、和解を目指す人々がいる事に少し安堵した。但し大部分の人々が、批判しているのは残念です。司法にも懸けられているようだが、韓国政府も、一考する余地があると思う。相互信頼の為にも参考にしてほしい。