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オフサイドはなぜ反則か 増補 (平凡社ライブラリー な 3-2) 新書 – 2001/11/1
中村 敏雄
(著)
- 本の長さ297ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2001/11/1
- ISBN-104582764150
- ISBN-13978-4582764154
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
ゴールを目指しながらも、後ろへ後ろへとパスをつないでいくサッカーやラグビー。この不合理なルールの発祥を中世英国の村祭りへと辿ると共に、オフサイドを愛し育んできた英国の「心」を描く。1985年三省堂刊の増補版。
登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2001/11/1)
- 発売日 : 2001/11/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 297ページ
- ISBN-10 : 4582764150
- ISBN-13 : 978-4582764154
- Amazon 売れ筋ランキング: - 103,111位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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3 星
中村敏雄説もアップデートが必要な時機に来ている
中村敏雄著『オフサイドはなぜ反則か』。初版は1985年7月。ゴールを目指しながらゴールへの先回りを禁じたサッカーやラグビーの「不合理」なルール=「オフサイド」の発祥を中世英国の村祭りにたどり、その「心」を描いた名著としてきわめて高く評価されてきた。 だからといって、今なお、この本を神棚の御札のようにただただ有難がっているだけでいいのだろうか? 中世英国、街頭や村で大規模に行われていた「フットボール」は時代を下り、空き地や校庭で限られたスペースで行われるようになった。その「フットボール」では、自陣より前に出て待ち伏せのようにプレーすること、つまり「オフサイド」を卑怯な反則として禁じた。 その理由とは? 当時、ほとんどのルールでは、1点先取か2点先取で勝敗が決まるルールだったので、時間いっぱいフットボールのゲームを楽しむためには、簡単に得点が決まってはかえって困るからである……。 ……というのが『オフサイドはなぜ反則か』という著作の「心」である。 この「心」は、刊行当時、1980年代に流行っていた「近現代の競技スポーツにおいて勝ち負けを争うこと勝利を求めること,それ自体を卑しめる」現代思想系のスポーツ評論(否,今福龍太氏のように2020年代に入ってもそんなスポーツ評論を書く現代思想家はいるが)の精神とも共鳴するところが多々あった。 こうした時代背景が『オフサイドはなぜ反則か』を歴史的な名著としている。 しかし、この仮説には弱点がある、と中村敏雄説を大胆に批判したのは、フットボール・アナリストを自称する加納正洋(ラグビー評論家・中尾亘孝の別名?)の著作『サッカーのこと知ってますか?』(2006年,写真参照)である。 加納正洋の主張は、要するにサッカーやラグビーが形成されていく当時(19世紀後半)の英国のフットボールには「オフサイドがないフットボール」も多数あったというのである。 すなわち、シェフィールド・ルール、ウィンチェスター・カレッジ・フットボール、オーストラリアン・ルールズ・フットボール、ゲーリック・フットボールなどのフットボールには、オフサイドが無かったという。 特にオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オーストラリアの国技)やゲーリック・フットボール(アイルランドの国技)は、オフサイドが無くても何の不自由もなく、競技が成立・発展してきた。 こうしたことは19世紀末に「フットボール」を室内向けに改良、考案され、オフサイドを意図的に無くしたとされるバスケットボールに限らないのである。 中村敏雄説では「オフサイド」を他の反則ルールの中でも特別視する傾向にあるあるが、こうして見てくると、オフサイドはそんなに特別で特異なルールなのだろうか? ……と思えてくる。 例えばラグビーなどは、オフサイドだけなく、ノックオンやスローフォワードをも反則としないと、そのゲーム性は成立しない。そうしないと、オーストラリアン・ルールズ・フットボールか、ゲーリック・フットボールみたいな球技になってくるからだ。 これは、ラグビー・フットボールの創生譚「ウェッブ・エリスの伝説」とも関わってくる。 とまれ『オフサイドはなぜ反則か』の所説もアップデートが必要な時期に来ているのだと思う。†
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上位レビュー、対象国: 日本
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2013年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サッカーの起源を知り、スポーツとは何か、体育とスポーツの違いに気づかされました。
2023年7月19日に日本でレビュー済み
中村敏雄著『オフサイドはなぜ反則か』。初版は1985年7月。ゴールを目指しながらゴールへの先回りを禁じたサッカーやラグビーの「不合理」なルール=「オフサイド」の発祥を中世英国の村祭りにたどり、その「心」を描いた名著としてきわめて高く評価されてきた。
だからといって、今なお、この本を神棚の御札のようにただただ有難がっているだけでいいのだろうか?
中世英国、街頭や村で大規模に行われていた「フットボール」は時代を下り、空き地や校庭で限られたスペースで行われるようになった。その「フットボール」では、自陣より前に出て待ち伏せのようにプレーすること、つまり「オフサイド」を卑怯な反則として禁じた。
その理由とは? 当時、ほとんどのルールでは、1点先取か2点先取で勝敗が決まるルールだったので、時間いっぱいフットボールのゲームを楽しむためには、簡単に得点が決まってはかえって困るからである……。
……というのが『オフサイドはなぜ反則か』という著作の「心」である。
この「心」は、刊行当時、1980年代に流行っていた「近現代の競技スポーツにおいて勝ち負けを争うこと勝利を求めること,それ自体を卑しめる」現代思想系のスポーツ評論(否,今福龍太氏のように2020年代に入ってもそんなスポーツ評論を書く現代思想家はいるが)の精神とも共鳴するところが多々あった。
こうした時代背景が『オフサイドはなぜ反則か』を歴史的な名著としている。
しかし、この仮説には弱点がある、と中村敏雄説を大胆に批判したのは、フットボール・アナリストを自称する加納正洋(ラグビー評論家・中尾亘孝の別名?)の著作『サッカーのこと知ってますか?』(2006年,写真参照)である。
加納正洋の主張は、要するにサッカーやラグビーが形成されていく当時(19世紀後半)の英国のフットボールには「オフサイドがないフットボール」も多数あったというのである。
すなわち、シェフィールド・ルール、ウィンチェスター・カレッジ・フットボール、オーストラリアン・ルールズ・フットボール、ゲーリック・フットボールなどのフットボールには、オフサイドが無かったという。
特にオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オーストラリアの国技)やゲーリック・フットボール(アイルランドの国技)は、オフサイドが無くても何の不自由もなく、競技が成立・発展してきた。
こうしたことは19世紀末に「フットボール」を室内向けに改良、考案され、オフサイドを意図的に無くしたとされるバスケットボールに限らないのである。
中村敏雄説では「オフサイド」を他の反則ルールの中でも特別視する傾向にあるあるが、こうして見てくると、オフサイドはそんなに特別で特異なルールなのだろうか? ……と思えてくる。
例えばラグビーなどは、オフサイドだけなく、ノックオンやスローフォワードをも反則としないと、そのゲーム性は成立しない。そうしないと、オーストラリアン・ルールズ・フットボールか、ゲーリック・フットボールみたいな球技になってくるからだ。
これは、ラグビー・フットボールの創生譚「ウェッブ・エリスの伝説」とも関わってくる。
とまれ『オフサイドはなぜ反則か』の所説もアップデートが必要な時期に来ているのだと思う。
†
だからといって、今なお、この本を神棚の御札のようにただただ有難がっているだけでいいのだろうか?
中世英国、街頭や村で大規模に行われていた「フットボール」は時代を下り、空き地や校庭で限られたスペースで行われるようになった。その「フットボール」では、自陣より前に出て待ち伏せのようにプレーすること、つまり「オフサイド」を卑怯な反則として禁じた。
その理由とは? 当時、ほとんどのルールでは、1点先取か2点先取で勝敗が決まるルールだったので、時間いっぱいフットボールのゲームを楽しむためには、簡単に得点が決まってはかえって困るからである……。
……というのが『オフサイドはなぜ反則か』という著作の「心」である。
この「心」は、刊行当時、1980年代に流行っていた「近現代の競技スポーツにおいて勝ち負けを争うこと勝利を求めること,それ自体を卑しめる」現代思想系のスポーツ評論(否,今福龍太氏のように2020年代に入ってもそんなスポーツ評論を書く現代思想家はいるが)の精神とも共鳴するところが多々あった。
こうした時代背景が『オフサイドはなぜ反則か』を歴史的な名著としている。
しかし、この仮説には弱点がある、と中村敏雄説を大胆に批判したのは、フットボール・アナリストを自称する加納正洋(ラグビー評論家・中尾亘孝の別名?)の著作『サッカーのこと知ってますか?』(2006年,写真参照)である。
加納正洋の主張は、要するにサッカーやラグビーが形成されていく当時(19世紀後半)の英国のフットボールには「オフサイドがないフットボール」も多数あったというのである。
すなわち、シェフィールド・ルール、ウィンチェスター・カレッジ・フットボール、オーストラリアン・ルールズ・フットボール、ゲーリック・フットボールなどのフットボールには、オフサイドが無かったという。
特にオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オーストラリアの国技)やゲーリック・フットボール(アイルランドの国技)は、オフサイドが無くても何の不自由もなく、競技が成立・発展してきた。
こうしたことは19世紀末に「フットボール」を室内向けに改良、考案され、オフサイドを意図的に無くしたとされるバスケットボールに限らないのである。
中村敏雄説では「オフサイド」を他の反則ルールの中でも特別視する傾向にあるあるが、こうして見てくると、オフサイドはそんなに特別で特異なルールなのだろうか? ……と思えてくる。
例えばラグビーなどは、オフサイドだけなく、ノックオンやスローフォワードをも反則としないと、そのゲーム性は成立しない。そうしないと、オーストラリアン・ルールズ・フットボールか、ゲーリック・フットボールみたいな球技になってくるからだ。
これは、ラグビー・フットボールの創生譚「ウェッブ・エリスの伝説」とも関わってくる。
とまれ『オフサイドはなぜ反則か』の所説もアップデートが必要な時期に来ているのだと思う。
†

中村敏雄著『オフサイドはなぜ反則か』。初版は1985年7月。ゴールを目指しながらゴールへの先回りを禁じたサッカーやラグビーの「不合理」なルール=「オフサイド」の発祥を中世英国の村祭りにたどり、その「心」を描いた名著としてきわめて高く評価されてきた。
だからといって、今なお、この本を神棚の御札のようにただただ有難がっているだけでいいのだろうか?
中世英国、街頭や村で大規模に行われていた「フットボール」は時代を下り、空き地や校庭で限られたスペースで行われるようになった。その「フットボール」では、自陣より前に出て待ち伏せのようにプレーすること、つまり「オフサイド」を卑怯な反則として禁じた。
その理由とは? 当時、ほとんどのルールでは、1点先取か2点先取で勝敗が決まるルールだったので、時間いっぱいフットボールのゲームを楽しむためには、簡単に得点が決まってはかえって困るからである……。
……というのが『オフサイドはなぜ反則か』という著作の「心」である。
この「心」は、刊行当時、1980年代に流行っていた「近現代の競技スポーツにおいて勝ち負けを争うこと勝利を求めること,それ自体を卑しめる」現代思想系のスポーツ評論(否,今福龍太氏のように2020年代に入ってもそんなスポーツ評論を書く現代思想家はいるが)の精神とも共鳴するところが多々あった。
こうした時代背景が『オフサイドはなぜ反則か』を歴史的な名著としている。
しかし、この仮説には弱点がある、と中村敏雄説を大胆に批判したのは、フットボール・アナリストを自称する加納正洋(ラグビー評論家・中尾亘孝の別名?)の著作『サッカーのこと知ってますか?』(2006年,写真参照)である。
加納正洋の主張は、要するにサッカーやラグビーが形成されていく当時(19世紀後半)の英国のフットボールには「オフサイドがないフットボール」も多数あったというのである。
すなわち、シェフィールド・ルール、ウィンチェスター・カレッジ・フットボール、オーストラリアン・ルールズ・フットボール、ゲーリック・フットボールなどのフットボールには、オフサイドが無かったという。
特にオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オーストラリアの国技)やゲーリック・フットボール(アイルランドの国技)は、オフサイドが無くても何の不自由もなく、競技が成立・発展してきた。
こうしたことは19世紀末に「フットボール」を室内向けに改良、考案され、オフサイドを意図的に無くしたとされるバスケットボールに限らないのである。
中村敏雄説では「オフサイド」を他の反則ルールの中でも特別視する傾向にあるあるが、こうして見てくると、オフサイドはそんなに特別で特異なルールなのだろうか? ……と思えてくる。
例えばラグビーなどは、オフサイドだけなく、ノックオンやスローフォワードをも反則としないと、そのゲーム性は成立しない。そうしないと、オーストラリアン・ルールズ・フットボールか、ゲーリック・フットボールみたいな球技になってくるからだ。
これは、ラグビー・フットボールの創生譚「ウェッブ・エリスの伝説」とも関わってくる。
とまれ『オフサイドはなぜ反則か』の所説もアップデートが必要な時期に来ているのだと思う。
†
だからといって、今なお、この本を神棚の御札のようにただただ有難がっているだけでいいのだろうか?
中世英国、街頭や村で大規模に行われていた「フットボール」は時代を下り、空き地や校庭で限られたスペースで行われるようになった。その「フットボール」では、自陣より前に出て待ち伏せのようにプレーすること、つまり「オフサイド」を卑怯な反則として禁じた。
その理由とは? 当時、ほとんどのルールでは、1点先取か2点先取で勝敗が決まるルールだったので、時間いっぱいフットボールのゲームを楽しむためには、簡単に得点が決まってはかえって困るからである……。
……というのが『オフサイドはなぜ反則か』という著作の「心」である。
この「心」は、刊行当時、1980年代に流行っていた「近現代の競技スポーツにおいて勝ち負けを争うこと勝利を求めること,それ自体を卑しめる」現代思想系のスポーツ評論(否,今福龍太氏のように2020年代に入ってもそんなスポーツ評論を書く現代思想家はいるが)の精神とも共鳴するところが多々あった。
こうした時代背景が『オフサイドはなぜ反則か』を歴史的な名著としている。
しかし、この仮説には弱点がある、と中村敏雄説を大胆に批判したのは、フットボール・アナリストを自称する加納正洋(ラグビー評論家・中尾亘孝の別名?)の著作『サッカーのこと知ってますか?』(2006年,写真参照)である。
加納正洋の主張は、要するにサッカーやラグビーが形成されていく当時(19世紀後半)の英国のフットボールには「オフサイドがないフットボール」も多数あったというのである。
すなわち、シェフィールド・ルール、ウィンチェスター・カレッジ・フットボール、オーストラリアン・ルールズ・フットボール、ゲーリック・フットボールなどのフットボールには、オフサイドが無かったという。
特にオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オーストラリアの国技)やゲーリック・フットボール(アイルランドの国技)は、オフサイドが無くても何の不自由もなく、競技が成立・発展してきた。
こうしたことは19世紀末に「フットボール」を室内向けに改良、考案され、オフサイドを意図的に無くしたとされるバスケットボールに限らないのである。
中村敏雄説では「オフサイド」を他の反則ルールの中でも特別視する傾向にあるあるが、こうして見てくると、オフサイドはそんなに特別で特異なルールなのだろうか? ……と思えてくる。
例えばラグビーなどは、オフサイドだけなく、ノックオンやスローフォワードをも反則としないと、そのゲーム性は成立しない。そうしないと、オーストラリアン・ルールズ・フットボールか、ゲーリック・フットボールみたいな球技になってくるからだ。
これは、ラグビー・フットボールの創生譚「ウェッブ・エリスの伝説」とも関わってくる。
とまれ『オフサイドはなぜ反則か』の所説もアップデートが必要な時期に来ているのだと思う。
†
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2018年3月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
そうかもしれないが
オフサイドについて触れている個所自体もそう多くなく
状況証拠ばかりで、「かもしれない」の域を出ないような気がする
オフサイドが初めてルール化されたケンブリッジルール作成過程や
3人制オフサイド等のそれ以降のオフサイドルール変更に関する1次資料を
期待していたので残念だった
オフサイドについて触れている個所自体もそう多くなく
状況証拠ばかりで、「かもしれない」の域を出ないような気がする
オフサイドが初めてルール化されたケンブリッジルール作成過程や
3人制オフサイド等のそれ以降のオフサイドルール変更に関する1次資料を
期待していたので残念だった
2016年4月12日に日本でレビュー済み
とても興味深い面白い本でした。
作者は筑波大や広島大で、体育教育を教授されていた方です。本書も、体育教育に深みを持たせたいという目的で書かれています。
フットボールのオフサイドを例にとり、なぜこのような「点が入りにくい」ルールを作ったのかを、中世から19世紀にいたるイギリス社会の歴史をもとにひも解く書です。
街を舞台とし、祝祭として行われていたフットボールが、空地のフットボールとなり、校庭のフットボールへと変化する中で、もともとは勝敗を二の次にし、3日も5日も続けられたフットボールが、勝利を争う競技主義のスポーツへ変化ていきます。そして、ルールの統一化が図られ、リーグへ向かっていきます。この変化はジェントルマンの社交だったスポーツが、すべての人が技を競う公平な競技になっていったことを表しています。そして、その背景が産業革命を中心とする社会の変革にあると説きます。
アメリカで作られたバレーやバスケットにはオフサイドはありません。フットボールがイギリスの歴史に真に根ざしたスポーツであることがよくわかる一冊です。
作者は筑波大や広島大で、体育教育を教授されていた方です。本書も、体育教育に深みを持たせたいという目的で書かれています。
フットボールのオフサイドを例にとり、なぜこのような「点が入りにくい」ルールを作ったのかを、中世から19世紀にいたるイギリス社会の歴史をもとにひも解く書です。
街を舞台とし、祝祭として行われていたフットボールが、空地のフットボールとなり、校庭のフットボールへと変化する中で、もともとは勝敗を二の次にし、3日も5日も続けられたフットボールが、勝利を争う競技主義のスポーツへ変化ていきます。そして、ルールの統一化が図られ、リーグへ向かっていきます。この変化はジェントルマンの社交だったスポーツが、すべての人が技を競う公平な競技になっていったことを表しています。そして、その背景が産業革命を中心とする社会の変革にあると説きます。
アメリカで作られたバレーやバスケットにはオフサイドはありません。フットボールがイギリスの歴史に真に根ざしたスポーツであることがよくわかる一冊です。
2017年2月6日に日本でレビュー済み
オフサイドという、理不尽で理解が難しく、その一方で知的で戦略的なルールのルーツは興味を引く。
サッカーがここまで普及してくると、「オフサイドはなぜ反則か」という問いに、答えを用意している人は多いだろうけど、そのルール組成の歴史機的背景まで知っているひとは、そうはいない。
少し、「オフサイド」から話が逸れているところもあるけれども、歴史的、精神的背景まで遡っていておもしろい。
サッカーがここまで普及してくると、「オフサイドはなぜ反則か」という問いに、答えを用意している人は多いだろうけど、そのルール組成の歴史機的背景まで知っているひとは、そうはいない。
少し、「オフサイド」から話が逸れているところもあるけれども、歴史的、精神的背景まで遡っていておもしろい。
2015年7月7日に日本でレビュー済み
もともと三省堂選書として1985年に出たもの。それが増補されて、2001年に平凡社ライブラリーとなった。
近代スポーツの起源をルールの整備という側面から語ったもので、その代表が「オフサイド」ということになる。見ていても分かりにくく、何のために存在するか知らないひとも多いと思われるが、19世紀のイギリスでスポーツがどのように発生したかを見ていけば、どうしてこんなルールが必要だったのかがよく理解できる。
ただ、スポーツ史の本であつて、ルールの解説本ではない。
また、別にフットボールだけに特化した本でもない。
近代スポーツの起源をルールの整備という側面から語ったもので、その代表が「オフサイド」ということになる。見ていても分かりにくく、何のために存在するか知らないひとも多いと思われるが、19世紀のイギリスでスポーツがどのように発生したかを見ていけば、どうしてこんなルールが必要だったのかがよく理解できる。
ただ、スポーツ史の本であつて、ルールの解説本ではない。
また、別にフットボールだけに特化した本でもない。
2004年3月24日に日本でレビュー済み
原初、フットボールは、街の中でボールを奪い合いながら敵陣までボールを運ぶ祭りの行事だった。「祝祭」はコミュニティの絆を強めることが大事だから、勝敗よりも、できるだけ長い時間楽しみが続くことが望ましかった。また、祝祭のフットボールは「無礼講」であり、しばしば強欲な領主や不正な蓄財をしている地主を襲撃する「口実」としても使われた。このようなフットボールは「禁止令」として制約を受けた。パブリックスクールが隆盛となると、街の中や空き地で行われたフットボールが校庭で行われるようになり、次第に競技へと変身し、コミュニティや民衆運動から、勝敗を競うものにかわる。しかし、そのときにも1点先取と長時間享受の伝統は保持された。ゴールに向かいながらボールの前方でプレーするすることを制限する一見不合理なルールの精神は残ったのだ。勝敗を競い、技術を磨くことで失ったものは大きい。フットボールよ原点に返れ!