もう6~7年ほど前でしょうか。CGM(Consumer Generated Media)とかいう言葉がWeb2.0という文脈の中でもてはやされていたときがありました。
この本を読んで、実は江戸時代の文化そのものがCGMなしには成り立たなかったくらいのスーパーCGMだったということを知ってびっくりしました。しかも江戸時代のCGMを見てみると、それが文化に根ざしているからか、江戸人たちの性質がそうさせるのかはわかりませんが、web2.0の文脈で語られるよりも圧倒的にCGMであり、かつ圧倒的にビジネス的(現実的)です。Web2.0はインターネットが従来の色々な壁や制限を解放させることによる革命だ~!だなんて言われていましたが、別にインターネットに固有のものなんかではなく、それは単にそういう「場」があっただけだったのではないでしょうか。やはり過去にすべては達成されているということですね。
田中優子さんの本は全体的にすごく面白いのでお勧めです!
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江戸はネットワーク (平凡社ライブラリー た 19-1) 単行本 – 2008/1/1
田中 優子
(著)
- 本の長さ355ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2008/1/1
- ISBN-104582766331
- ISBN-13978-4582766332
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2008/1/1)
- 発売日 : 2008/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 355ページ
- ISBN-10 : 4582766331
- ISBN-13 : 978-4582766332
- Amazon 売れ筋ランキング: - 134,987位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の鋭い視点からの江戸の社会構造や情報発信や受け手について、携帯電話やテレビより伝達能力がむしろすぐれていたとも思えました。
2021年3月28日に日本でレビュー済み
著者は現在、法政大学総長になられた田中女史。得意分野のことどもを、いろんな雑誌に書いたものを、「人々の賑わい」「遊女は慈悲に生きる」「連に集う者」の三章に分類して編集されたものである。凡そ、1991年までに書いたものの集成であるが、ある意味で、著者の主だった研究を一応網羅したものになっているようだ。
江戸時代の生活や文化はどうだったかに興味があり、この本を読んでみた。ただ、私が思っていた庶民の生活や文化と言うより、その時代最先端を行っていた文化人と言われる人の言動や姿や作品を、非常に江戸時代のモダンはこういうものであったという事が主として書かれていた。
戦国時代も終わり、家康が豊臣家を滅ぼし、戦争のない平和な、やる事がない時代に入った。また、そうかといって、現代の様な便利な家電もないし、電気もない。テレビも映画もゲームもない。吉幾三の歌「おらが村」より遥か前の時代である。そして、今に時代のような細かい規制はなく、おおらかな時代でもあるが、とにかく食べるためには、ほとんどの家族が総出でいろんな仕事をして、生活を繋いでいった時代である。時の主役は男性ではなく、女性であったようだ。家事育児はもちろんの事、田植え、ちょっとした内職的なものを作って売る、子供たちが枯れ枝や藁を取ってくる。父ちゃんは酒をカックらってぶらばらしている。仕事がないのである。いつから、女性は家事仕事、男は外で稼いでくるという分業になったのだろう。しかも、家事仕事には賃金は払われない。
現代はまた女性が働くようになったが、おそらく、明治政府がそのように男女区別を持ち込んだのであろう。
さて、内容だが、私は「吉原遊郭」をどうもとらえていなかった。彼女たちは一般女性とは違って、今でいう銀座の最高級バーの売れっ子ホステス、いや、聖女、観音様、そして、竜宮城を思い浮かべるに至った。「一見さんお断り、しかもお金をふんだんに持ってキップの良い男が行くところ」が「憧れの君」「乙姫様」と会い、エロチシズムと成功を享受するところ。
私は、なぜ、若い男や女の子が「スター」に群がるのが良く分からなかった。マスで見ていたからで、ひとりひとりの女の子にとっては、片思いだが憧れの君に会い、声を聴き、熱狂し、疑似恋愛・セックスをして失神するようなエクスタシーを感じるためであるように感じ始めた。それにしても、「春画」の話は、面白いというか、へー、と思う様な内容である。これはどうも男だけでなく女も楽しんだもののようで、合体したもの、正に突入する瞬間が両方ともろに書いてあるようで、しかも、大きくなった男根はさらに大きく書かれているようだ。
そして、狂歌、パロディー論考。大体漢詩をパロディー化したもので、かなりの知識と感性を持たないと、少々、厳しい分野であったが、どんな地位も名声も金持ちも権力者も、茶化し、絶妙に変形されていて、素晴らしい文化水準が感じられる。また、やる事がないから、其れをひねもすのたりのたりと、考え、旨くできたと笑い、「連」(サロン)でいろんな先端文化人や知識人や遊び人が集まって披露し、冊子にして出す。それに絵を入れて出す。しかし、これ文字が読めない時代、読める人はやはり、最先端を行く人や武士であろう。その他の大勢の人の姿ではないであろう。したがって、宮本常一的世界ではない。ある意味、「高尚な分野」であるが、それが次第に、現代のいろんな本や歌や劇や音楽や絵画などになって行ったのであろう。
しかし、研究テーマが波はづれているので、そもそも学問としても、おかしい。つまり、彼女はその辺の感覚が好きで真面目にお勉強、研究した成果を示している。要するに、江戸の文化を引き継いでいる人なのである。貴重本いや貴重な人であるように思った。大学の総長になった才女であることよ。
江戸時代の生活や文化はどうだったかに興味があり、この本を読んでみた。ただ、私が思っていた庶民の生活や文化と言うより、その時代最先端を行っていた文化人と言われる人の言動や姿や作品を、非常に江戸時代のモダンはこういうものであったという事が主として書かれていた。
戦国時代も終わり、家康が豊臣家を滅ぼし、戦争のない平和な、やる事がない時代に入った。また、そうかといって、現代の様な便利な家電もないし、電気もない。テレビも映画もゲームもない。吉幾三の歌「おらが村」より遥か前の時代である。そして、今に時代のような細かい規制はなく、おおらかな時代でもあるが、とにかく食べるためには、ほとんどの家族が総出でいろんな仕事をして、生活を繋いでいった時代である。時の主役は男性ではなく、女性であったようだ。家事育児はもちろんの事、田植え、ちょっとした内職的なものを作って売る、子供たちが枯れ枝や藁を取ってくる。父ちゃんは酒をカックらってぶらばらしている。仕事がないのである。いつから、女性は家事仕事、男は外で稼いでくるという分業になったのだろう。しかも、家事仕事には賃金は払われない。
現代はまた女性が働くようになったが、おそらく、明治政府がそのように男女区別を持ち込んだのであろう。
さて、内容だが、私は「吉原遊郭」をどうもとらえていなかった。彼女たちは一般女性とは違って、今でいう銀座の最高級バーの売れっ子ホステス、いや、聖女、観音様、そして、竜宮城を思い浮かべるに至った。「一見さんお断り、しかもお金をふんだんに持ってキップの良い男が行くところ」が「憧れの君」「乙姫様」と会い、エロチシズムと成功を享受するところ。
私は、なぜ、若い男や女の子が「スター」に群がるのが良く分からなかった。マスで見ていたからで、ひとりひとりの女の子にとっては、片思いだが憧れの君に会い、声を聴き、熱狂し、疑似恋愛・セックスをして失神するようなエクスタシーを感じるためであるように感じ始めた。それにしても、「春画」の話は、面白いというか、へー、と思う様な内容である。これはどうも男だけでなく女も楽しんだもののようで、合体したもの、正に突入する瞬間が両方ともろに書いてあるようで、しかも、大きくなった男根はさらに大きく書かれているようだ。
そして、狂歌、パロディー論考。大体漢詩をパロディー化したもので、かなりの知識と感性を持たないと、少々、厳しい分野であったが、どんな地位も名声も金持ちも権力者も、茶化し、絶妙に変形されていて、素晴らしい文化水準が感じられる。また、やる事がないから、其れをひねもすのたりのたりと、考え、旨くできたと笑い、「連」(サロン)でいろんな先端文化人や知識人や遊び人が集まって披露し、冊子にして出す。それに絵を入れて出す。しかし、これ文字が読めない時代、読める人はやはり、最先端を行く人や武士であろう。その他の大勢の人の姿ではないであろう。したがって、宮本常一的世界ではない。ある意味、「高尚な分野」であるが、それが次第に、現代のいろんな本や歌や劇や音楽や絵画などになって行ったのであろう。
しかし、研究テーマが波はづれているので、そもそも学問としても、おかしい。つまり、彼女はその辺の感覚が好きで真面目にお勉強、研究した成果を示している。要するに、江戸の文化を引き継いでいる人なのである。貴重本いや貴重な人であるように思った。大学の総長になった才女であることよ。
2022年4月2日に日本でレビュー済み
著者の感性から見た江戸の文化や著名人の話だが感覚の違いがあるせいかあまりよく理解できない。
もう少し庶民の生活に近いところで、江戸時代の人間のネットワークがどのように形成され、どのような社会的な影響をもたらしたのかというファクトがまとまっている本だと期待していたが、イメージとは違った。
もう少し庶民の生活に近いところで、江戸時代の人間のネットワークがどのように形成され、どのような社会的な影響をもたらしたのかというファクトがまとまっている本だと期待していたが、イメージとは違った。
2004年9月15日に日本でレビュー済み
日本では、恋をリードするのは女たちでした。
思いをかけたなら、なんとしても寝ようとしたのが江戸の女たち、
「恋は」男も女も欲望を含むのが当然であったことがあきらかです。
セックスしたくないならそれは恋をしていないからだと。
いいですね。単純明快。
地女は単に恋に積極的だが、遊女は恋をリードする存在でした。
「床上手」は最高の誉め言葉だったのですって。
そのときの声がいいのも、テクニックがうまいのも全て賛美されたのですね。
江戸の男はそれに、男らしいという概念はあまりなく、めそめそ泣くし、甘えるし、男も女のように恍惚感をえて漂っていたという、、
そうなのかもしれませんね。近代の男らしさは男の快楽を随分狭めたのかもしれないです。
思いをかけたなら、なんとしても寝ようとしたのが江戸の女たち、
「恋は」男も女も欲望を含むのが当然であったことがあきらかです。
セックスしたくないならそれは恋をしていないからだと。
いいですね。単純明快。
地女は単に恋に積極的だが、遊女は恋をリードする存在でした。
「床上手」は最高の誉め言葉だったのですって。
そのときの声がいいのも、テクニックがうまいのも全て賛美されたのですね。
江戸の男はそれに、男らしいという概念はあまりなく、めそめそ泣くし、甘えるし、男も女のように恍惚感をえて漂っていたという、、
そうなのかもしれませんね。近代の男らしさは男の快楽を随分狭めたのかもしれないです。