たち現れるというのが一番奇妙に思うのは、他の人が他者である私について言及するときです。あなたはさ…と。
他者の主観の中の、良かれ悪しかれ私が知りえない私に出会うときに、たち現れる見知らぬ私(自分)。関係性を排しなければ(つまり全く他人事として聞かなければw)それは出会えないのですが。
(誰それ。ええ~私ってそうなの。知らなかったわ。ちょ、話終わりかよ、待ってくれ私。どこへ行くんだい!?)
(どこへ行くって、今その話を聞いてる私がそうなんだけどさ)
と、ブロッケン現象のような。たち現れてたんだね~あれは…
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大森荘蔵セレクション (平凡社ライブラリー) ハードカバー – 2011/11/11
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戦後日本を代表する哲学者のエッセンス。ものも過去もじかに立ち現れている! 問いと思考の変遷を鮮明に示す論考を、衣鉢を継ぐ4人がセレクト・編集する。大森哲学を知る最良の入門書。解説は4人の共同討議。
- ISBN-104582767486
- ISBN-13978-4582767483
- 出版社平凡社
- 発売日2011/11/11
- 言語日本語
- 寸法11.3 x 2.4 x 16.2 cm
- 本の長さ494ページ
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2011/11/11)
- 発売日 : 2011/11/11
- 言語 : 日本語
- ハードカバー : 494ページ
- ISBN-10 : 4582767486
- ISBN-13 : 978-4582767483
- 寸法 : 11.3 x 2.4 x 16.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 355,185位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 65,739位人文・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2011年11月20日に日本でレビュー済み
平凡社ライブラリーの哲学者セレクションシリーズは昔から定評のあったものです。
研究書ではなく原著を読め、できれば原語で、と言っていた教授も薦めていました。
著者の言葉をそのままセレクションしているのがいいのかもしれません。
もちろん編者の解釈で選択、編集されますので、読み易く、理解し易くなっています。
そうなると問題は編者をだれにするかということになります。
大森荘蔵さんでしたら、これ以上の人選はありません。
まさに大森門下生勢ぞろいと言う感じです。
編者は現在我が国の英米系現代哲学の大御所です。
ヴィトゲンシュタイン以降の現代哲学を我が国にもたらしたのが大森先生で、それらを根付かせたのが門下生です。
なんだか、遣唐使みたいな話になってきましたが、言語表現が中心となる文化系の学問では仕方ないのかもしれません。
大森哲学というのは、大森先生独自の日本語表現によるものです。
これを翻訳して外国に伝えることを考えると、文化系の学問の難しさを感じます。
戦前の西田幾太郎の西田哲学は、外人の好きな禅が絡んでいましたので、興味ある外人は勝手に学んでくれましたけど・・・
研究書ではなく原著を読め、できれば原語で、と言っていた教授も薦めていました。
著者の言葉をそのままセレクションしているのがいいのかもしれません。
もちろん編者の解釈で選択、編集されますので、読み易く、理解し易くなっています。
そうなると問題は編者をだれにするかということになります。
大森荘蔵さんでしたら、これ以上の人選はありません。
まさに大森門下生勢ぞろいと言う感じです。
編者は現在我が国の英米系現代哲学の大御所です。
ヴィトゲンシュタイン以降の現代哲学を我が国にもたらしたのが大森先生で、それらを根付かせたのが門下生です。
なんだか、遣唐使みたいな話になってきましたが、言語表現が中心となる文化系の学問では仕方ないのかもしれません。
大森哲学というのは、大森先生独自の日本語表現によるものです。
これを翻訳して外国に伝えることを考えると、文化系の学問の難しさを感じます。
戦前の西田幾太郎の西田哲学は、外人の好きな禅が絡んでいましたので、興味ある外人は勝手に学んでくれましたけど・・・
2017年6月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とは分析哲学の大物である大庭健先生の学部での授業での言葉です。大庭先生の授業には私はモグリ受講だったですが、半期の『現代形而上学入門』と銘打った講義の初日に言っておられました。大庭健先生に対して少しでも敬意を持つ者は、その言葉に対しても重きを置くべきだろう。
2011年12月18日に日本でレビュー済み
一人の偉大な頭脳が生涯かけて考えたことを、他の誰かがすべて理解するのは、
とても容易なことではない。
私達に出来ることは、彼の思考の一部からでも何かを学び取ろうと
することではないか。
野家啓一によれば、大森は自分の課題として、
「知覚の問題、構成概念の問題、他我の問題、過去の問題」
をあげていたという(492頁)
そのなかで私自身が興味を持ったのは、他我の問題、それも言語にまつわる問題
(「ことだま論」)であった。
「一つの国語を話せるということは、無限に変化する状況の中で、…
どのような発声動作をすればよいかを習得していることである」(228頁)
(声の動きを声振り(こわぶり)と呼んで)「この声振り方の習得訓練が
積み重なって或る程度に達したとき、すなわちそれまで習ったことのない
新しい声振りをしたり、それに適切に動かされたりする段階に達したとき、
その人はその国語を学習したと言われる」(237頁)
「声は、声振りという実在によって人に振れ、そうして何ごとかを
じかに立ち現わしめることがその本来の働きなのである」(262頁)
声振りという言い方にしろ、「ことだま」というとらえ方にしろ、
西田幾多郎ほど明確ではないが、背後に何かしら日本的な思想があるようにも
想像できる。
物理学出身で海軍にも従軍した大森の経歴は、その思考にどのような影を
落としているのか。
大森の哲学をより深く理解する作業は、まだまだこれからなのだろう。
われわれは興味のあるところからでも、彼の文章に触れていきたいものである。
このたび、彼の弟子たちによって良質な論文集が編まれたことは、
その意味でも、まさに歓迎すべきことである。
とても容易なことではない。
私達に出来ることは、彼の思考の一部からでも何かを学び取ろうと
することではないか。
野家啓一によれば、大森は自分の課題として、
「知覚の問題、構成概念の問題、他我の問題、過去の問題」
をあげていたという(492頁)
そのなかで私自身が興味を持ったのは、他我の問題、それも言語にまつわる問題
(「ことだま論」)であった。
「一つの国語を話せるということは、無限に変化する状況の中で、…
どのような発声動作をすればよいかを習得していることである」(228頁)
(声の動きを声振り(こわぶり)と呼んで)「この声振り方の習得訓練が
積み重なって或る程度に達したとき、すなわちそれまで習ったことのない
新しい声振りをしたり、それに適切に動かされたりする段階に達したとき、
その人はその国語を学習したと言われる」(237頁)
「声は、声振りという実在によって人に振れ、そうして何ごとかを
じかに立ち現わしめることがその本来の働きなのである」(262頁)
声振りという言い方にしろ、「ことだま」というとらえ方にしろ、
西田幾多郎ほど明確ではないが、背後に何かしら日本的な思想があるようにも
想像できる。
物理学出身で海軍にも従軍した大森の経歴は、その思考にどのような影を
落としているのか。
大森の哲学をより深く理解する作業は、まだまだこれからなのだろう。
われわれは興味のあるところからでも、彼の文章に触れていきたいものである。
このたび、彼の弟子たちによって良質な論文集が編まれたことは、
その意味でも、まさに歓迎すべきことである。
2013年6月6日に日本でレビュー済み
ここでは、想起・過去・現在・記憶などについて。
「過去」とは、実在しない。過去とは、言語により意味制作されたものである。
つまり、「物語」である。
それは、科学とて同様である。宇宙の科学的な言語的「物語」である。
「想起」とは、過去の知覚(言語=概念記憶)の微弱な再現であり過去の知覚経験の再体験ではない。
そうではなくて、過去という内容の言語命題の意味理解という思考的経験である。
その際の映像に似た何かは、その意味理解に伴ってそれを助ける想像的挿し絵である。
我々は、日常坐臥言語を通して世界を見ている。
そして、意識・心・主客・記憶等の錯覚を自明のこととしている。
そして、意識などという妄想を蛮勇を振るって切除してもなお、私が世界を見聞しているのは間違いない。
元々、「わたし」の肉体とそれ以外のものには境界があるだけで共に、「立ち現れ」である点で私と自然は一心同体であり主客の分別もない。禅で云う「主客合一」とは異なり元々そういった区別がないのである。(語り存在・色即是空の実在論)
「過去」とは、実在しない。過去とは、言語により意味制作されたものである。
つまり、「物語」である。
それは、科学とて同様である。宇宙の科学的な言語的「物語」である。
「想起」とは、過去の知覚(言語=概念記憶)の微弱な再現であり過去の知覚経験の再体験ではない。
そうではなくて、過去という内容の言語命題の意味理解という思考的経験である。
その際の映像に似た何かは、その意味理解に伴ってそれを助ける想像的挿し絵である。
我々は、日常坐臥言語を通して世界を見ている。
そして、意識・心・主客・記憶等の錯覚を自明のこととしている。
そして、意識などという妄想を蛮勇を振るって切除してもなお、私が世界を見聞しているのは間違いない。
元々、「わたし」の肉体とそれ以外のものには境界があるだけで共に、「立ち現れ」である点で私と自然は一心同体であり主客の分別もない。禅で云う「主客合一」とは異なり元々そういった区別がないのである。(語り存在・色即是空の実在論)
2015年1月2日に日本でレビュー済み
大森哲学のエッセンスをうまく束ねた一冊。
読者の関心によって拾い読みもできるので、入門書として最適。
読者の関心によって拾い読みもできるので、入門書として最適。
2014年3月20日に日本でレビュー済み
大森荘蔵著作集は既に所有しておりましたが、某所での勉強会のテキストとして使用しております。文庫としては値段は張りますが、信頼のおけるお弟子さんたちによる作品セレクト、解説は的確であり、これ以上望むべくも無いと言って良いでしょう。巻末の編者4名による解説座談会だけでも、本書の存在意義は高いと思われます。
大森の論文は比較的独立性が強く、本書収録作にも難易度や長さにバラつきがあるので、最初から通読を目指すより、読者が自分の興味に応じて、面白そうな箇所から拾い読みするのが良いと思います。
第1部『流れとよどみ』の入門的エッセイの次には、むしろ第4部の後期論文・エッセイの方が読み易く感じました。
大森の論文は比較的独立性が強く、本書収録作にも難易度や長さにバラつきがあるので、最初から通読を目指すより、読者が自分の興味に応じて、面白そうな箇所から拾い読みするのが良いと思います。
第1部『流れとよどみ』の入門的エッセイの次には、むしろ第4部の後期論文・エッセイの方が読み易く感じました。