大山誠一著『<聖徳太子>の誕生』と『聖徳太子と日本人』と本書で三点セット。
これで、聖徳太子は実在しなかったことは、はっきりした。
ただ、聖徳太子信仰はいまだに根強い。
真実の飛鳥朝の歴史は、まだまだこれからだろう。引き続きの論考を期待したい。
本書はそういう意味で、現代人必読の書である。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥1,650¥1,650 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥1,650¥1,650 税込
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥380¥380 税込
配送料 ¥257 6月8日-9日にお届け
発送元: ハードオフファミリーECセンター ブックオフ事業部 販売者: ハードオフファミリーECセンター ブックオフ事業部
¥380¥380 税込
配送料 ¥257 6月8日-9日にお届け
発送元: ハードオフファミリーECセンター ブックオフ事業部
販売者: ハードオフファミリーECセンター ブックオフ事業部
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
聖徳太子の真実 (平凡社ライブラリー) 文庫 – 2014/2/10
大山 誠一
(編集)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,650","priceAmount":1650.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,650","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"bvX96TAQsTsrb3IxuLolXMtLFbLD3uJALgGn1M4tU6KQ4sOvE%2F%2Fj2cTYOVNVqTFwx3bfblRm899s07lYbla9u2sBtY0Q3gP6X%2BGpqkPIqM2%2BG0Xrs1zsfY4EE%2FvvJYhFh4sCv4ynw0A%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥380","priceAmount":380.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"380","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"bvX96TAQsTsrb3IxuLolXMtLFbLD3uJASYxBW5DbbU%2F%2BJnTE3iY826dP%2BpZAfFp%2BMxrxXFbADlHaie0kUmWFZ8BmbTgnnkc2T%2BgSO5422girWAJOUQTkvC%2FD3ue1RGhMlKOe9Y%2BwZ%2Bms8J2yKiM603KpF8jitgkFBywkc%2BQzbjWu0hBeB%2FSDtQ%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
聖徳太子は実在しなかった!――千年を超える『日本書紀』の呪縛から日本古代史を解き放ち、歴史学・国語学・宗教学など関連資料の総点検により、太子像の真実とその信仰の謎を解く。
- 本の長さ455ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2014/2/10
- ISBN-104582768067
- ISBN-13978-4582768060
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 聖徳太子の真実 (平凡社ライブラリー)
¥1,650¥1,650
最短で6月8日 土曜日のお届け予定です
残り2点(入荷予定あり)
¥1,870¥1,870
最短で6月8日 土曜日のお届け予定です
残り3点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2014/2/10)
- 発売日 : 2014/2/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 455ページ
- ISBN-10 : 4582768067
- ISBN-13 : 978-4582768060
- Amazon 売れ筋ランキング: - 255,379位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2004年10月8日に日本でレビュー済み
研究者でない人が読むと、しんどいですね。
しかし、ここまでこだわって調べつくす執筆者の情熱がすごいですね。
そして、何よりも「聖徳太子は実在しなかった」ということに、何とも奥歯がむずかゆくなるような複雑な好奇心をそそられないですか?
しかし、ここまでこだわって調べつくす執筆者の情熱がすごいですね。
そして、何よりも「聖徳太子は実在しなかった」ということに、何とも奥歯がむずかゆくなるような複雑な好奇心をそそられないですか?
2018年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
聖徳太子問題の著作を検索中、多角的に学べる有益な資料だと思う。
2019年6月18日に日本でレビュー済み
最近よくきく「聖徳太子はいなかった」説を1冊で済ませようと思ってこの本買ったら、大山氏 編の論文集だった。大山氏の論文ももちろん掲載されているが、「実は、スーパーマンは聖徳太子ではなく藤原不比等でした」話は、まだこの本では姿を現していない。
聖徳太子が厩戸王に死後つけられた名であることは昔から誰でも知っている。「同時に十人の話を聞いた」とか、後世の伝説が多いことも当然誰でも知っている。
日本書紀は前のほうはふつうの神話だし、中国に対して見栄をはる目的もある、古い天皇の寿命は長すぎる、など、一字一句が正確な歴史記述ではないことも誰でも知っている。
さらにいうと、大山氏も厩戸王の実在は疑っていない。
じゃ、大山一派は「聖徳太子はいなかった」で何が言いたいんだ?というと、厩戸王は、仏教受容、日本の国家形成に大きな貢献をしていない、ということだ。
だったらそういえばいいんだが、自分が大発見した、1000年以上の迷妄・学会のタブーを自分が正した、と勝手に思い込んでいる。
日本書記に書かれていることは簡単に信じられないといいつつ、維摩経、勝鬘経、法華経は太子の記事以外に書記に記載がないからこの当時知られていない「はず」、「だから」三経義疏は後世の「捏造」とする。
また、日本書紀の中の孝徳天皇が仏教史を振り返るところで蘇我氏の影響を書くのに、太子について何も記載していない。「したがって」厩戸王は日本の仏教受容に貢献はない、とする。
なんかすごい。
全編こんな調子で、聖徳太子関係の資料は全部後世に作られたもの、「したがって捏造」とする。
次は、「聖徳太子はいなかった」のに、偉大な聖徳太子という伝説があるのはおかしい、どこからでてきたのか?というもともとはどこにもなかった新たな疑問がでてくる。
それは実際に偉大な人間だったから、というもっとも当たり前の話は除外される。だって聖徳太子がいなかったことは「立証した」から。
で、道慈とかいう僧侶が、聖徳太子を「捏造した」とくる。
この本では、「道慈が最澄・空海にも比すべき偉大な僧侶」となっている。
この誰もしらない道慈の書いたものとして残っているのは、わずかに漢詩が二編あるだけだそうだ。
この漢詩が中国の文章のまるパクリをしているところと、日本書紀の仏教について記載されている部分に中国の文章をまるパクリしている部分があることから、日本書紀の仏教に関する部分は道慈が書いた、だから道慈は偉大だ、となる。
推古の同時代の隋書に「倭王が男性」と書かれているところと、「蘇我馬子の墓がでかい」ことから用明、崇峻、推古は大王ではなく馬子が大王だったことは「誰の目にもあきらか」とする。
「聖徳太子の実在を信じる人は日本書紀を盲目的に信じ込む信者」とか、自分たちの妄想をただす人たちへの防御線を張ることも怠りない。
かつて、ブッダも実在を疑われたことがある。仏典は全部、仏滅後に書かれたものだ。
しかし古い仏典に書いてある通りの場所から骨がでてきたので、今ではブッダの実在を疑う人はいない。
資料が後世のもの=実在しない、ではない。
日本に4~5世紀に文字が伝わってからさして経っていないのだから、聖徳太子の事跡が同時代の文書として残っていないのはむしろ当たり前のことだ。
隋書に、「倭王が男性」とあるのも、天皇が女性では中国からなめられると思って、中国の使者に馬子を天皇として会わせただけだろう。「日出づる処の天子云々」と併せて、隋書のこの記述はむしろ、しゃれっ気のある頭いい人が背後に実在したことの証拠になるくらいの話だ。
日本書紀に聖徳太子が偉大な人間と書かれているのはその通りだったからだろう。数々の伝説が生まれるのが当たり前なほど偉大だったのだ。
かわりに漢詩ふたつの道慈がスーパーマンでした、では、歴史ミステリーとしても説得力がない。
聖徳太子からまだ100年くらいしか経っていないのに、国家事業だった日本書記を思うように捏造することが可能で、しかも道慈らが聖徳太子を捏造したことに反対がなかった、わざわざ天皇でない厩戸王を理想の天皇像とした、そんな捏造を誰も彼もが信じ込み聖徳太子伝説がぼこぼこでてきた。
既に文章で記録するのが当たり前の時代になっていたのに、道慈らがスーパーマンだった、彼らが聖徳太子を捏造した、と言う文書はどこにもまったくない。
大山一派はそこの説明はしてないが、それは不思議に思わなかったのかな?記紀以前に生きた聖徳太子の関係文書が後世のもの、というよりも比較を絶して大きな謎だが。
不思議話は無尽蔵に溢れ出てキリがない。
和風ソーカル事件だな。
読む価値なし。
聖徳太子が厩戸王に死後つけられた名であることは昔から誰でも知っている。「同時に十人の話を聞いた」とか、後世の伝説が多いことも当然誰でも知っている。
日本書紀は前のほうはふつうの神話だし、中国に対して見栄をはる目的もある、古い天皇の寿命は長すぎる、など、一字一句が正確な歴史記述ではないことも誰でも知っている。
さらにいうと、大山氏も厩戸王の実在は疑っていない。
じゃ、大山一派は「聖徳太子はいなかった」で何が言いたいんだ?というと、厩戸王は、仏教受容、日本の国家形成に大きな貢献をしていない、ということだ。
だったらそういえばいいんだが、自分が大発見した、1000年以上の迷妄・学会のタブーを自分が正した、と勝手に思い込んでいる。
日本書記に書かれていることは簡単に信じられないといいつつ、維摩経、勝鬘経、法華経は太子の記事以外に書記に記載がないからこの当時知られていない「はず」、「だから」三経義疏は後世の「捏造」とする。
また、日本書紀の中の孝徳天皇が仏教史を振り返るところで蘇我氏の影響を書くのに、太子について何も記載していない。「したがって」厩戸王は日本の仏教受容に貢献はない、とする。
なんかすごい。
全編こんな調子で、聖徳太子関係の資料は全部後世に作られたもの、「したがって捏造」とする。
次は、「聖徳太子はいなかった」のに、偉大な聖徳太子という伝説があるのはおかしい、どこからでてきたのか?というもともとはどこにもなかった新たな疑問がでてくる。
それは実際に偉大な人間だったから、というもっとも当たり前の話は除外される。だって聖徳太子がいなかったことは「立証した」から。
で、道慈とかいう僧侶が、聖徳太子を「捏造した」とくる。
この本では、「道慈が最澄・空海にも比すべき偉大な僧侶」となっている。
この誰もしらない道慈の書いたものとして残っているのは、わずかに漢詩が二編あるだけだそうだ。
この漢詩が中国の文章のまるパクリをしているところと、日本書紀の仏教について記載されている部分に中国の文章をまるパクリしている部分があることから、日本書紀の仏教に関する部分は道慈が書いた、だから道慈は偉大だ、となる。
推古の同時代の隋書に「倭王が男性」と書かれているところと、「蘇我馬子の墓がでかい」ことから用明、崇峻、推古は大王ではなく馬子が大王だったことは「誰の目にもあきらか」とする。
「聖徳太子の実在を信じる人は日本書紀を盲目的に信じ込む信者」とか、自分たちの妄想をただす人たちへの防御線を張ることも怠りない。
かつて、ブッダも実在を疑われたことがある。仏典は全部、仏滅後に書かれたものだ。
しかし古い仏典に書いてある通りの場所から骨がでてきたので、今ではブッダの実在を疑う人はいない。
資料が後世のもの=実在しない、ではない。
日本に4~5世紀に文字が伝わってからさして経っていないのだから、聖徳太子の事跡が同時代の文書として残っていないのはむしろ当たり前のことだ。
隋書に、「倭王が男性」とあるのも、天皇が女性では中国からなめられると思って、中国の使者に馬子を天皇として会わせただけだろう。「日出づる処の天子云々」と併せて、隋書のこの記述はむしろ、しゃれっ気のある頭いい人が背後に実在したことの証拠になるくらいの話だ。
日本書紀に聖徳太子が偉大な人間と書かれているのはその通りだったからだろう。数々の伝説が生まれるのが当たり前なほど偉大だったのだ。
かわりに漢詩ふたつの道慈がスーパーマンでした、では、歴史ミステリーとしても説得力がない。
聖徳太子からまだ100年くらいしか経っていないのに、国家事業だった日本書記を思うように捏造することが可能で、しかも道慈らが聖徳太子を捏造したことに反対がなかった、わざわざ天皇でない厩戸王を理想の天皇像とした、そんな捏造を誰も彼もが信じ込み聖徳太子伝説がぼこぼこでてきた。
既に文章で記録するのが当たり前の時代になっていたのに、道慈らがスーパーマンだった、彼らが聖徳太子を捏造した、と言う文書はどこにもまったくない。
大山一派はそこの説明はしてないが、それは不思議に思わなかったのかな?記紀以前に生きた聖徳太子の関係文書が後世のもの、というよりも比較を絶して大きな謎だが。
不思議話は無尽蔵に溢れ出てキリがない。
和風ソーカル事件だな。
読む価値なし。
2014年5月13日に日本でレビュー済み
内容にもびっくりだが、本書が10年も前に出た本だということにもびっくりである。
「早く言ってよ」という感じであるが、筆者たちからしてみれば、「だからずっと前から言ってるじゃん」ということであろう。
本書は決して「トンデモ本」などではなく、個々の論証は非常に緻密である。
聖徳太子は架空の人物だった。いや、厩戸皇子という人はいたのだが、その人は、我々が知っている聖徳太子ではない。
聖徳太子とは、日本書紀の作者が創作した架空の人物であり、その意図とは、「万世一系の天皇」を公式化することにあった。
本書でも強調されているとおり、だからといって後世まで綿々と続く「聖徳太子信仰」に価値がなくなるわけではないのだが、常識への打撃は痛快である。
本書はあとがきまで必読なので、最後までお読みいただきたい。
ここで話題の推理小説も読みたいし、山田長政の話にも再度びっくりである。
日本史については、最新の研究成果に関心を持っておくと、いろいろおもしろいことがあるようだ。
「早く言ってよ」という感じであるが、筆者たちからしてみれば、「だからずっと前から言ってるじゃん」ということであろう。
本書は決して「トンデモ本」などではなく、個々の論証は非常に緻密である。
聖徳太子は架空の人物だった。いや、厩戸皇子という人はいたのだが、その人は、我々が知っている聖徳太子ではない。
聖徳太子とは、日本書紀の作者が創作した架空の人物であり、その意図とは、「万世一系の天皇」を公式化することにあった。
本書でも強調されているとおり、だからといって後世まで綿々と続く「聖徳太子信仰」に価値がなくなるわけではないのだが、常識への打撃は痛快である。
本書はあとがきまで必読なので、最後までお読みいただきたい。
ここで話題の推理小説も読みたいし、山田長政の話にも再度びっくりである。
日本史については、最新の研究成果に関心を持っておくと、いろいろおもしろいことがあるようだ。
2008年4月29日に日本でレビュー済み
出版後数年を経過していますが、大山誠一さんの一連の著作に対するレビュ−に些か疑問がありますのでご参考になればと思い以下書きます。
先ず、日本書紀が正しいことを書いていると思わないことがスタートです。ここが最初の関門でしょう。時の為政者が正しいことを書いているのだろうか?自分たちの都合の良いことばかり書いてはいないだろうか?と疑うことが大事だと、昔坂口安吾が指摘していましたね。さすがに坂口安吾はするどいと思います。
例えば、冷静に日本書紀を読むと、聖徳太子のところは何か違うと思いませんか?突如として、憲法17条が出てきますが、その後には何の痕跡(17条に関連した律令という意味です)もありません。しかも一門は全ていなくなっています。その後、出来すぎというかやり過ぎというか、様々な聖徳太子に関する書物が出て、太子を美化しています。何か変だ?と思わないと歴史は究明できないのではと思いますが、如何でしょう。
大山誠一さんは、学者として、聖徳太子がいない根拠を挙げています。そして、反対ならその反証を示すように言っています。小説家が勝手なことを言っているのではありません。実績のある学者が根拠を挙げて聖徳太子はいないと言っているのですから、反対する学者はその根拠を崩すべきではないでしょうか?是非生産的な議論をして欲しいと思います。
先ず、日本書紀が正しいことを書いていると思わないことがスタートです。ここが最初の関門でしょう。時の為政者が正しいことを書いているのだろうか?自分たちの都合の良いことばかり書いてはいないだろうか?と疑うことが大事だと、昔坂口安吾が指摘していましたね。さすがに坂口安吾はするどいと思います。
例えば、冷静に日本書紀を読むと、聖徳太子のところは何か違うと思いませんか?突如として、憲法17条が出てきますが、その後には何の痕跡(17条に関連した律令という意味です)もありません。しかも一門は全ていなくなっています。その後、出来すぎというかやり過ぎというか、様々な聖徳太子に関する書物が出て、太子を美化しています。何か変だ?と思わないと歴史は究明できないのではと思いますが、如何でしょう。
大山誠一さんは、学者として、聖徳太子がいない根拠を挙げています。そして、反対ならその反証を示すように言っています。小説家が勝手なことを言っているのではありません。実績のある学者が根拠を挙げて聖徳太子はいないと言っているのですから、反対する学者はその根拠を崩すべきではないでしょうか?是非生産的な議論をして欲しいと思います。
2022年1月22日に日本でレビュー済み
ささいな端つこをつついて全体を否定しようとする姿勢である。その文章は回りくどく、バラバラの寄木であるため非常に読みにくい、納得しがたい。
なにかこう日本人の感性と相容れない論理形式だ。はじめから聖徳太子を否定しようとときめてかかった記述である。
当然、星は一つ。
なにかこう日本人の感性と相容れない論理形式だ。はじめから聖徳太子を否定しようとときめてかかった記述である。
当然、星は一つ。
2019年12月12日に日本でレビュー済み
なぜ、わざわざ聖徳太子はいなかったと教科書でも騒ぐのか?
現在の天皇が山口県の偽物だからだ。
東大京大が聖徳太子末裔陥れを
やっていた。
現在の天皇が山口県の偽物だからだ。
東大京大が聖徳太子末裔陥れを
やっていた。