大きな事件や衝撃的事件を映すときに、メディアの目はまず加害者へと焦点
を絞り込む、悲惨な事件の裏にはそれによって傷つけられた被害者がいるの
だが、被害にあったという事実を知るだけで、すぐさま我々は加害者は何処
に逃げたのか、加害者の刑罰はどうなるのかなどに関心を向けている事が一
般的であろう。
我々はどこかで、犯人が捕まれば、賠償によってあるいは国家の何らかの補
償によって被害者は一定の保護を得ているはずだという思い違いをあたりま
えのように考えていたようである。現実には、被害にあって傷ついている被
害者をさらに苦しめるような社会システムがこの国ではまかり通っている。
我々は、メディアの発達によって事件を効率良くしる事ができるようになっ
たが被害者がその後どうなったかについて、どうしてこれほどまでに無関
心であったのか?刑罰の在り方、更正のあり方を論じる前に、まず被害者を
保護する視点、そこから議論に入るべきだろう。そうした現実を描いた本書
は、被害に会った人の体験から我が国の犯罪被害者保護の観点を問いただす
よい機会となるのではないだろうか。理不尽なシステムを理解し、議論を深
めて行くのには最適な一冊だろう。犯罪の被害者になる可能性は、我々も皆
無ではないのだから。
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新書021犯罪被害者 (平凡社新書 21) 新書 – 1999/11/5
河原 理子
(著)
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何故、被害者の問題は見すごされ置き去りにされてきたのか。まず被害者の言葉に耳を傾けてほしい。暴力に満ちた現実を変えるために、報道現場から発信された待望のレポート。
- ISBN-104582850219
- ISBN-13978-4582850215
- 出版社平凡社
- 発売日1999/11/5
- 言語日本語
- 本の長さ214ページ
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (1999/11/5)
- 発売日 : 1999/11/5
- 言語 : 日本語
- 新書 : 214ページ
- ISBN-10 : 4582850219
- ISBN-13 : 978-4582850215
- Amazon 売れ筋ランキング: - 461,182位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年8月20日に日本でレビュー済み
99年の池袋通り魔事件では、遺体が司法解剖に付され、「解剖した病院から自宅までの遺体搬送費数万円が、遺族に請求されていた」のだという(P.205)。とんでもない話である。
こういう被害者の立場を、「まったく知らなかったわけではないのに、……気がつかなかった」(P.199)、と著者は慚愧忸怩の念にかれてみせる。
しかし、自ら蒔いた種の実を刈り取っているだけのことだろう。司直が被害者を「証拠」の一つとしてしか見ないように(P.86)、マスメディアにとって被害者は「取材対象」、要するにメシの種でしかない(P.200)。「犯罪被害者のおかれた理不尽な構造的問題」は(P.200)、司直だけでなく、マスメディアも荷担して支えているのであり、二人の共犯である。それこそ「構造的」に、人間誰しもがもっている自己中心性や攻撃性を発露させるチャネルになっている。NHKのディレクターが書いた『加害者家族』(幻冬舎)を読むと、報道という正義の前で全てを正当化させるマスメディアの生態が、よく分かる。ちなみに、加害者家族も、ある意味で犯罪被害者だ。
だから、81年から「犯罪被害給付制度」、99年から「被害者等通知制度」、06年から「犯罪被害者等基本法」が施行されるようになり、お金や情報など、犯罪被害者が得て当然の権利が保障され、国が与えて当然の義務が課せられるようになったことは、嘉すべきである。これまでなかったのを責めてみても、せんないことである。
犯罪被害者に、一人で立ち直れというのは、ムリだ。犯罪被害者は、事件直後が最も状態が悪く、その後徐々に回復していくと思ったら大間違いで、その後、徐々に悪くなっていくらしい(P.76)。犯人が捕まらない、事実と異なる報道、周囲の無理解(いつまで落ち込んでるの?、もう元気になった?)、捜査機関や司法機関から無視されるなどなど、人間や社会への信頼を失い、孤立していく(P.76-77)。刑事事件がダメなら民事訴訟があるとは言っても、その時点ですでに被害者は、治療費などを自腹で支払っている。働けなくなっているかもしれない。引っ越していることもある(P.88)。弁護士費用を捻出できるわけがない(P.48)。損害賠償請求訴訟に勝訴しても、強制的に支払わせることはできない(P.45)。
「事件は、なかったことにはできない。元通りに戻ることも難しい。でも、そこから自分で歩き出すことはできる。そのためには、感情を体の外に吐き出す場や、現実を見据えるための情報、手助けが必要なのではないだろうか」(P.94)。
「被害者はどこに行ったら救われるのですか」という訴えには、実直に耳を傾けなければならない(P.22)。加害者の更正よりも、被害者の復帰が先だ。
こういう被害者の立場を、「まったく知らなかったわけではないのに、……気がつかなかった」(P.199)、と著者は慚愧忸怩の念にかれてみせる。
しかし、自ら蒔いた種の実を刈り取っているだけのことだろう。司直が被害者を「証拠」の一つとしてしか見ないように(P.86)、マスメディアにとって被害者は「取材対象」、要するにメシの種でしかない(P.200)。「犯罪被害者のおかれた理不尽な構造的問題」は(P.200)、司直だけでなく、マスメディアも荷担して支えているのであり、二人の共犯である。それこそ「構造的」に、人間誰しもがもっている自己中心性や攻撃性を発露させるチャネルになっている。NHKのディレクターが書いた『加害者家族』(幻冬舎)を読むと、報道という正義の前で全てを正当化させるマスメディアの生態が、よく分かる。ちなみに、加害者家族も、ある意味で犯罪被害者だ。
だから、81年から「犯罪被害給付制度」、99年から「被害者等通知制度」、06年から「犯罪被害者等基本法」が施行されるようになり、お金や情報など、犯罪被害者が得て当然の権利が保障され、国が与えて当然の義務が課せられるようになったことは、嘉すべきである。これまでなかったのを責めてみても、せんないことである。
犯罪被害者に、一人で立ち直れというのは、ムリだ。犯罪被害者は、事件直後が最も状態が悪く、その後徐々に回復していくと思ったら大間違いで、その後、徐々に悪くなっていくらしい(P.76)。犯人が捕まらない、事実と異なる報道、周囲の無理解(いつまで落ち込んでるの?、もう元気になった?)、捜査機関や司法機関から無視されるなどなど、人間や社会への信頼を失い、孤立していく(P.76-77)。刑事事件がダメなら民事訴訟があるとは言っても、その時点ですでに被害者は、治療費などを自腹で支払っている。働けなくなっているかもしれない。引っ越していることもある(P.88)。弁護士費用を捻出できるわけがない(P.48)。損害賠償請求訴訟に勝訴しても、強制的に支払わせることはできない(P.45)。
「事件は、なかったことにはできない。元通りに戻ることも難しい。でも、そこから自分で歩き出すことはできる。そのためには、感情を体の外に吐き出す場や、現実を見据えるための情報、手助けが必要なのではないだろうか」(P.94)。
「被害者はどこに行ったら救われるのですか」という訴えには、実直に耳を傾けなければならない(P.22)。加害者の更正よりも、被害者の復帰が先だ。
2015年4月12日に日本でレビュー済み
想像力欠如が遅らせた「被害者」の発見。だが性犯罪の暗数やそこさえ辿り着けない者もいる件にまでは及ばず。
2012年3月10日に日本でレビュー済み
わが国のマスコミや学界は、1990年代後半になって初めて「犯罪被害者」を「発見」したと、よく評される。
犯罪があれば、そこには被害者や被害者遺族がいるのだから、司法手続きや行政は、彼らのためを思って設計されているはず……と、だれしも素朴に思う。が、意外にも、従来のわが国の制度はそうではなかった。2000年3月にかの有名な本村洋さんの「司法に絶望しました。……私がこの手で殺します」発言があって以来、マスコミが「被害者」に言及することが多くなったなと思って、ふと題名に目が行って、買ってみたのがこの本だった。そのとき、類書はまだなかった。わずかに小西聖子著『犯罪被害者の心の傷』という本が、トラウマのケアの観点から被害者問題を扱っているのが、目に止まるぐらいだった。
何と、被害者は存在していたのに、社会はそれを「発見」していなかったのだ。指摘されてみれば当たり前のことなのに、言われるまで気がつかないとは、まさに「コロンブスの卵」であり、私も本書によって初めて被害者を「発見」した。
その後著者は、地下鉄サリン事件被害者遺族の高橋シズヱとの共著『〈犯罪被害者〉が報道を変える』を2005年に岩波書店から出すことになるが、人権や平和といった戦後的価値を大切にする岩波書店は、本書が出た1999年の段階では、被害者問題を取り上げることにはまだ及び腰だったように思われる。
同じ年、岩波書店からは坂上香著『癒しと和解への旅――犯罪被害者と死刑囚の家族たち』という本が刊行されている。死刑廃止運動家がしばしば称揚するアメリカの「ジャーニー・オブ・ホープ」を体験ルポした本だ。私はけっして、その本の価値を貶めるつもりはないが、被害者や被害者遺族への法的・行政的手当てを考える以前に「赦し」の精神のようなものを説くのでは、ものごとの順番が違うだろう。
私自身も、実は、死刑は廃止したほうがよいと思っている点では人後に落ちないつもりだが、その前にやるべきことがいっぱいある。そのことを教えてくれた河原理子には、いくら感謝しても感謝しすぎることはない。
なお、本書で二箇所「一般の人は刑事裁判と民事裁判の違いもよくわかっていない」ということが報告されているが(25ページ、198ページ)、私が教鞭を執っている理科系大学の1〜2年生もまさにそうだ。彼らに予備知識を与えないまま、殺人事件について論じさせると、死刑肯定派は「犯人は被害者や遺族に多大な損害を与えた。その損害の大きさに鑑み、命で償うべきだ」と答える。「損害の償い(民事責任)」と「罪の償い(刑事責任)」を混同したまま立論するのだ。
加害者に相応な罰が下って、その処罰過程についての情報が被害者にもしっかり開示されるべきことは、当然であるが、そのことと「損害が償われるべきである」こととは、厳密に言えば、区別しないといけない。このあたりの啓蒙活動を含め、著者の今後ともの健筆を期待したい。
犯罪があれば、そこには被害者や被害者遺族がいるのだから、司法手続きや行政は、彼らのためを思って設計されているはず……と、だれしも素朴に思う。が、意外にも、従来のわが国の制度はそうではなかった。2000年3月にかの有名な本村洋さんの「司法に絶望しました。……私がこの手で殺します」発言があって以来、マスコミが「被害者」に言及することが多くなったなと思って、ふと題名に目が行って、買ってみたのがこの本だった。そのとき、類書はまだなかった。わずかに小西聖子著『犯罪被害者の心の傷』という本が、トラウマのケアの観点から被害者問題を扱っているのが、目に止まるぐらいだった。
何と、被害者は存在していたのに、社会はそれを「発見」していなかったのだ。指摘されてみれば当たり前のことなのに、言われるまで気がつかないとは、まさに「コロンブスの卵」であり、私も本書によって初めて被害者を「発見」した。
その後著者は、地下鉄サリン事件被害者遺族の高橋シズヱとの共著『〈犯罪被害者〉が報道を変える』を2005年に岩波書店から出すことになるが、人権や平和といった戦後的価値を大切にする岩波書店は、本書が出た1999年の段階では、被害者問題を取り上げることにはまだ及び腰だったように思われる。
同じ年、岩波書店からは坂上香著『癒しと和解への旅――犯罪被害者と死刑囚の家族たち』という本が刊行されている。死刑廃止運動家がしばしば称揚するアメリカの「ジャーニー・オブ・ホープ」を体験ルポした本だ。私はけっして、その本の価値を貶めるつもりはないが、被害者や被害者遺族への法的・行政的手当てを考える以前に「赦し」の精神のようなものを説くのでは、ものごとの順番が違うだろう。
私自身も、実は、死刑は廃止したほうがよいと思っている点では人後に落ちないつもりだが、その前にやるべきことがいっぱいある。そのことを教えてくれた河原理子には、いくら感謝しても感謝しすぎることはない。
なお、本書で二箇所「一般の人は刑事裁判と民事裁判の違いもよくわかっていない」ということが報告されているが(25ページ、198ページ)、私が教鞭を執っている理科系大学の1〜2年生もまさにそうだ。彼らに予備知識を与えないまま、殺人事件について論じさせると、死刑肯定派は「犯人は被害者や遺族に多大な損害を与えた。その損害の大きさに鑑み、命で償うべきだ」と答える。「損害の償い(民事責任)」と「罪の償い(刑事責任)」を混同したまま立論するのだ。
加害者に相応な罰が下って、その処罰過程についての情報が被害者にもしっかり開示されるべきことは、当然であるが、そのことと「損害が償われるべきである」こととは、厳密に言えば、区別しないといけない。このあたりの啓蒙活動を含め、著者の今後ともの健筆を期待したい。
2005年3月18日に日本でレビュー済み
河原さんには、私が扱った犯罪被害者支援の事件で取材を受けたことがありますし、調査の関係で、協力いただいたこともあります。
彼女は、この当時はまだ新しい問題であった犯罪被害者支援に付き、本当に被害者の視線から、ものを見、しかも、情緒に流されず、冷静に各国の調査をし、あるべき姿を模索していました。
その集大成です。
その後も、地下鉄サリン事件の被害者の方との共著を出しておられますが、一応この分野の専門家として仕事をしている弁護士としては極めて信頼にたる著作であると思います。
彼女は、この当時はまだ新しい問題であった犯罪被害者支援に付き、本当に被害者の視線から、ものを見、しかも、情緒に流されず、冷静に各国の調査をし、あるべき姿を模索していました。
その集大成です。
その後も、地下鉄サリン事件の被害者の方との共著を出しておられますが、一応この分野の専門家として仕事をしている弁護士としては極めて信頼にたる著作であると思います。