下の方がおっしゃるように「ちょっと違うかも」という印象を受けました。
映画そのものより、そこから広がった、影響を受けたものの話なのです。
とくに後半にはその傾向が顕著でした。
後半は、たしかに、薀蓄披露かも・・・。
そういうのが嫌いな人ニガテな人は「未来映画術」とかそっちを見たほうがよいかと。
ストーリーや分析などを読みたい方は別の本をお読みになるといいでしょう。
前半は好きなノリもあったんだけどなあ。
どんどん話が違うほうへ行ってしまうように思えました。
ちょっとこじつけすぎwと思った箇所もなくはないですし、
くすっと笑うネタでは無いかなと思いました。
いろんなところが中途半端です。
私も前半にだけ星を挙げたいと思います。
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『2001年宇宙の旅』講義 (平凡社新書 92) 新書 – 2001/5/1
巽 孝之
(著)
30年前、この一本の映画で人類は未来へと旅立った!その舞台たる2001年の今、HAL9000の夢、モノリスのヴィジョンとは何かを問い直す。クラーク=キューブリック論の決定版。
- 本の長さ205ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2001/5/1
- ISBN-104582850928
- ISBN-13978-4582850925
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2001/5/1)
- 発売日 : 2001/5/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 205ページ
- ISBN-10 : 4582850928
- ISBN-13 : 978-4582850925
- Amazon 売れ筋ランキング: - 714,064位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 717位平凡社新書
- - 7,012位英米文学研究
- - 64,614位エンターテイメント (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2005年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2001年宇宙の旅の映画版と原作との相違点を巡る考察や後世の映像。小説に与えた影響について記述されています。
でも、ニューロマンサーの電脳空間に直方体のオブジェが描写されているからといってモノリスの影響を語られたり、ピカソがどこかの民族の彫刻を自作に取り入れたことを帝国主義者としての振る舞いと断定されても私の頭ではついていけませんでした。
少なくとも気軽に読むには敷居が高い本だと思います。2001年宇宙の旅やSFの歴史についていろいろと考えを持っている方なら楽しめるのかもしれません。
でも、ニューロマンサーの電脳空間に直方体のオブジェが描写されているからといってモノリスの影響を語られたり、ピカソがどこかの民族の彫刻を自作に取り入れたことを帝国主義者としての振る舞いと断定されても私の頭ではついていけませんでした。
少なくとも気軽に読むには敷居が高い本だと思います。2001年宇宙の旅やSFの歴史についていろいろと考えを持っている方なら楽しめるのかもしれません。
2012年12月3日に日本でレビュー済み
何故SFは描かれなくなったか。冷戦終了、大型プロジェクトの衰退など。
キューブリックの名作映画、2001年宇宙の旅を中心に、SF小説の歴史をザっとみる本。映画化に成功したSFは他にはあまりないとか。
最近のSF映画はビデオカメラやIT等による需要感覚の変化が大きいようです。例えば人がコンピューターにのっとられる、みたいな話は、ITが実用化された今はほどんとないとか。ブレアウィッチ、クローバーフィールドなど、ハンディカメラによる記録、人の記憶操作などのポイントもあります。
ホーキングとかの宇宙論の研究をうけて、ストーリーにも変化が出てくるとか。科学史との絡みがあります。
宇宙と植民地との関係みたいなテーマもあります。
SFにはサイエンスフィクションのみならず、人の精神的なものや哲学を扱うものが含まれます。欧米のSFでは聖書を下敷きにしないのと比べて、日本のSFには仏教的なものが多いようです、日本のSF小説はあまり映画化されないのでよくわからないのですが。欧米の科学史も、キリスト教とかその前のルネッサンスみたいなのから綿々とあり、精神性とからむと、21世紀の新興国SFはかなり新しい潮流になりそう?
してみると20世紀のSF映画は本当に人類の遺産です。最近の科学は割と停滞していて、最近のSF映画が単なるCGに堕してるのと並行してるような気もします。
キューブリックの名作映画、2001年宇宙の旅を中心に、SF小説の歴史をザっとみる本。映画化に成功したSFは他にはあまりないとか。
最近のSF映画はビデオカメラやIT等による需要感覚の変化が大きいようです。例えば人がコンピューターにのっとられる、みたいな話は、ITが実用化された今はほどんとないとか。ブレアウィッチ、クローバーフィールドなど、ハンディカメラによる記録、人の記憶操作などのポイントもあります。
ホーキングとかの宇宙論の研究をうけて、ストーリーにも変化が出てくるとか。科学史との絡みがあります。
宇宙と植民地との関係みたいなテーマもあります。
SFにはサイエンスフィクションのみならず、人の精神的なものや哲学を扱うものが含まれます。欧米のSFでは聖書を下敷きにしないのと比べて、日本のSFには仏教的なものが多いようです、日本のSF小説はあまり映画化されないのでよくわからないのですが。欧米の科学史も、キリスト教とかその前のルネッサンスみたいなのから綿々とあり、精神性とからむと、21世紀の新興国SFはかなり新しい潮流になりそう?
してみると20世紀のSF映画は本当に人類の遺産です。最近の科学は割と停滞していて、最近のSF映画が単なるCGに堕してるのと並行してるような気もします。
2008年2月11日に日本でレビュー済み
映画『2001年宇宙の旅』について読みたくて手にしたが、同作品をキッカケに映像作品・文学作品とりまぜたSF談義が繰り返されるだけで『2001年』ファンにはあまり価値がない本です。
オリジナルの『エイリアン』をジョン・カーペンター監督作品と記述しているあたり (p.17) 「マジですか?」と叫びたくなりました。
多少、白人の家父長制についての議論がありながら、どうしてあの時代の作品なのにあえて白人男性ばっかりなのか、というツッコミは避けているようだし、コーネル大で博士号を取得した経歴の著者が、アメリカにおけるあの作品の当時の評価などをきちんと引用していないのは納得がいかない。家父長制でいうならば、父親が不在の某少年映画で少年達が『2001年』のビデオを何度も繰り返し見ている、という場面があるのだが、そういうことに触れられるほど著者は映画通でもなさそう。『ローズマリーの赤ちゃん』つながりで『エクシスト』に言及している割には映画の歴史や系統論的には中途半端だし、『2001年』初公開時に小松左京がキネマ旬報誌でどういうコメントをしたかといったどうでもいい周辺論は紙数の無駄。時代背景からいえば、ソ連の作家がどう思ったか、といった引用や秘話などがよっぽど知りたいところ。
教授という立場で独自の(独りよがりの)持論を繰り返し展開するならば救いもあろうが、『2001年』ヲタではなく、同作品の解釈論ヲタのよもやま話という内容では、いくら新書というメディアでも納得できる読者は少ないだろうと思う。
オリジナルの『エイリアン』をジョン・カーペンター監督作品と記述しているあたり (p.17) 「マジですか?」と叫びたくなりました。
多少、白人の家父長制についての議論がありながら、どうしてあの時代の作品なのにあえて白人男性ばっかりなのか、というツッコミは避けているようだし、コーネル大で博士号を取得した経歴の著者が、アメリカにおけるあの作品の当時の評価などをきちんと引用していないのは納得がいかない。家父長制でいうならば、父親が不在の某少年映画で少年達が『2001年』のビデオを何度も繰り返し見ている、という場面があるのだが、そういうことに触れられるほど著者は映画通でもなさそう。『ローズマリーの赤ちゃん』つながりで『エクシスト』に言及している割には映画の歴史や系統論的には中途半端だし、『2001年』初公開時に小松左京がキネマ旬報誌でどういうコメントをしたかといったどうでもいい周辺論は紙数の無駄。時代背景からいえば、ソ連の作家がどう思ったか、といった引用や秘話などがよっぽど知りたいところ。
教授という立場で独自の(独りよがりの)持論を繰り返し展開するならば救いもあろうが、『2001年』ヲタではなく、同作品の解釈論ヲタのよもやま話という内容では、いくら新書というメディアでも納得できる読者は少ないだろうと思う。
2004年5月7日に日本でレビュー済み
面白い本です。
しかし、書名と内容とが一致していないような気がします。
この書名から読者が期待するのは「2001年」それ自体への深刻な分析でしょう。
でも著者が注力しているのは、「2001年」が後世に残した影響の方面です。
内容に即して言えば「『2001年宇宙の旅』の周辺に関する講義」とすべきなのではないでしょうか。
しかし、書名と内容とが一致していないような気がします。
この書名から読者が期待するのは「2001年」それ自体への深刻な分析でしょう。
でも著者が注力しているのは、「2001年」が後世に残した影響の方面です。
内容に即して言えば「『2001年宇宙の旅』の周辺に関する講義」とすべきなのではないでしょうか。
2011年4月12日に日本でレビュー済み
『2001年宇宙の旅』(映画版、小説版とも)を切り口に、日本/世界のSF小説の歴史を描こうと試みた怪作である。
まず、『2001年』がもった歴史的な意味が分析され、さらにそれをウェルズと比較することで文学史的な位置づけを試みる。さらに、『2001年』が日本のSFに与えた影響を、小松左京や田中光二、大江健三郎などを取り上げながら論じていく。
英文学史研究の手法を、SFに持ち込んだものといえよう。
著者自身がどっぷりと浸かってきた日本のSFの世界を、改めて整理してみるという意味もあったのだと思う。なかなかの力作だ。
まず、『2001年』がもった歴史的な意味が分析され、さらにそれをウェルズと比較することで文学史的な位置づけを試みる。さらに、『2001年』が日本のSFに与えた影響を、小松左京や田中光二、大江健三郎などを取り上げながら論じていく。
英文学史研究の手法を、SFに持ち込んだものといえよう。
著者自身がどっぷりと浸かってきた日本のSFの世界を、改めて整理してみるという意味もあったのだと思う。なかなかの力作だ。
2006年10月23日に日本でレビュー済み
「2001年...」に特に思い入れがあるわけではないが、旅行中、時間つぶしに購入。レビューを書くにあたり、もう一度目を通してみた。「2001年...」に関する本というよりは、中途半端なSF論の本であるといったほうが良いだろう。
全体が悪いわけでは決して無い。主にモノリスに関する話題から話の展開する第1章はやや軽めに、第2章でやや掘り下げて書かれており、なかなか興味深い。
しかし3章以降はどこかで読んだことのあるような内容の繰り返しであり、退屈そのもの。新書であるから内容が浅くなるのは仕方ないにしても、あまりにも話題があちこちに飛びすぎていて、そのわりには平凡な内容。著者はいったいどんな本を書きたかったのだろうか?素人相手に薀蓄の披露?
というわけで前半の2章にだけ、星をあげることにた。
全体が悪いわけでは決して無い。主にモノリスに関する話題から話の展開する第1章はやや軽めに、第2章でやや掘り下げて書かれており、なかなか興味深い。
しかし3章以降はどこかで読んだことのあるような内容の繰り返しであり、退屈そのもの。新書であるから内容が浅くなるのは仕方ないにしても、あまりにも話題があちこちに飛びすぎていて、そのわりには平凡な内容。著者はいったいどんな本を書きたかったのだろうか?素人相手に薀蓄の披露?
というわけで前半の2章にだけ、星をあげることにた。
2006年1月13日に日本でレビュー済み
たいした内容ではなかったからでしょう。
「2001年」の解釈で一番秀逸だったのは、「決定版2001年宇宙の旅」のあとがき(訳者伊藤典夫)。
本書は、あれに遠く及ばない。
「2001年」の解釈で一番秀逸だったのは、「決定版2001年宇宙の旅」のあとがき(訳者伊藤典夫)。
本書は、あれに遠く及ばない。