2人とも私の尊敬する学者。
2人の組み合わせは、それだけで、興味深いものだ。
ああ、やはり、当方は現実を理論的に把握してない、
と自覚させられた。
いくつも、新たな解釈を教えられた。
ワールドカップを素材にした、普通の日本人の性癖、
プライバシーの2面体な性質、
憲法意思と憲法の条文の関係、
天皇制のこと、
国家と社会の違いのこと、
そのほか歴史的な事実の紹介と解釈、などなど。
宮台氏がどうして天皇主義者なのかの解説。
新書版には収まらないほどの多数で深刻な論点の
提出。
その他宮台氏の勉強の仕方、交流などが書いてあって、
面白い。
なんども読める本。
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憲法対論: 転換期を生きぬく力 (平凡社新書 164) 新書 – 2002/12/1
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- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2002/12/1
- ISBN-104582851649
- ISBN-13978-4582851649
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2002/12/1)
- 発売日 : 2002/12/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 262ページ
- ISBN-10 : 4582851649
- ISBN-13 : 978-4582851649
- Amazon 売れ筋ランキング: - 590,001位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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1959年、宮城県生まれ。
社会学者、評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『中学生からの愛の授業』(コアマガジン)『<世界>はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)、『制服少女たちの選択』(朝日文庫)、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)など多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2006年8月12日に日本でレビュー済み
単著ではなく二人の空間での対談ということも
あり、読者無視の空中戦といった感じでした。
宮台、奥平両者の考えを他の本でまず把握して
おかないと読むのは厳しいと思います。憲法と
フェミニズム批判、女帝論の関係を考えるとい
う試みとしてはとても面白いのでその点はいい
と思いますし、宮台氏の「国粋は愛国の体をな
さない」という考えは「なるほどな」とも思い
ました。奥平氏の日本国憲法、特に9条に対す
る愛情はいいのですが、9条の会に入ってるの
は個人的感情かよっ!と首を傾げてしまいまし
た。
あり、読者無視の空中戦といった感じでした。
宮台、奥平両者の考えを他の本でまず把握して
おかないと読むのは厳しいと思います。憲法と
フェミニズム批判、女帝論の関係を考えるとい
う試みとしてはとても面白いのでその点はいい
と思いますし、宮台氏の「国粋は愛国の体をな
さない」という考えは「なるほどな」とも思い
ました。奥平氏の日本国憲法、特に9条に対す
る愛情はいいのですが、9条の会に入ってるの
は個人的感情かよっ!と首を傾げてしまいまし
た。
2003年7月26日に日本でレビュー済み
奥平氏は、戦後の「左翼的」憲法観を代表しているが、宮台氏はそれとは大きくことなった「アジア主義的」な憲法観を披瀝している。天皇について、憲法へのコミットメントなど、多くの点で二人の考えは食い違い、にもかかわらずあえて論争を避けているという、ちょっと不思議な「対論」である。
しかし私は、この本を面白く読んだ。憲法を題材に、日本のあり方の可能性について、色々と考えるべき素材を与えてくれている気がする。
しかし私は、この本を面白く読んだ。憲法を題材に、日本のあり方の可能性について、色々と考えるべき素材を与えてくれている気がする。
2002年12月21日に日本でレビュー済み
最近の時事問題を中心にして、憲法学的な観点、社会学的な観点から、分析が進められる。対話と銘打っているが、量的には宮台氏の発言の量が多い。
内容的にも、社会学的な分析の方が多い。抽象的な憲法理念を肉付けするためには、自明ではない社会状況をまず提示する必要があるのだろう。そして、憲法的評価(リベラリズムの観点)が与えられる。
内容に立ち入って、何点か紹介しよう。
まず、ポルノ規制を主張するアメリカの法律学者マッキノンは、「あえて」憲法学説(リベラリズム)に抗してポルノ表現そのものが悪であると主張した。日本の輸入者は、この「あえて」の文脈を気づいていないとする。
かかる分析は、宮台氏に70年代のサブカルチャーと80年代のサブカルチャーの受容のあり方の違いの分析(「あえての自覚/無自覚」)と並行している。そして、この図式は、本書では他に、戦後の占領期と現在のアメリカへの意識の違いの説明にも応用されている。
この「あえて」の意識の有無が何を意味するのか。この「あえて」の意識の違いは、センの意味での「豊かさ」(これも本書で説明されている)とも関係するものであることは容易に読みとることができる。
また、奥平氏が自伝と憲法史を重ねて語られる部分は、きわめて味わい深い豊かさがある(要約するにはもったいないので、直に味わって欲しい部分である)。
さらに、両者の立場は若干の違いがあり、奥平氏は日本国憲法にアイデンティティーを有しているが、宮台氏は有していないということである。とはいえ、宮台氏は、奥平氏とそのスピリッツにおいて、共有する部分は多である。
最後に、象牙の塔からでて、社会へむけて積極的に表現しつづける両学者の対談を十分味うことができ、他の人にも読んで貰いたいと思い、ここにレビューを書いた次第である。
内容的にも、社会学的な分析の方が多い。抽象的な憲法理念を肉付けするためには、自明ではない社会状況をまず提示する必要があるのだろう。そして、憲法的評価(リベラリズムの観点)が与えられる。
内容に立ち入って、何点か紹介しよう。
まず、ポルノ規制を主張するアメリカの法律学者マッキノンは、「あえて」憲法学説(リベラリズム)に抗してポルノ表現そのものが悪であると主張した。日本の輸入者は、この「あえて」の文脈を気づいていないとする。
かかる分析は、宮台氏に70年代のサブカルチャーと80年代のサブカルチャーの受容のあり方の違いの分析(「あえての自覚/無自覚」)と並行している。そして、この図式は、本書では他に、戦後の占領期と現在のアメリカへの意識の違いの説明にも応用されている。
この「あえて」の意識の有無が何を意味するのか。この「あえて」の意識の違いは、センの意味での「豊かさ」(これも本書で説明されている)とも関係するものであることは容易に読みとることができる。
また、奥平氏が自伝と憲法史を重ねて語られる部分は、きわめて味わい深い豊かさがある(要約するにはもったいないので、直に味わって欲しい部分である)。
さらに、両者の立場は若干の違いがあり、奥平氏は日本国憲法にアイデンティティーを有しているが、宮台氏は有していないということである。とはいえ、宮台氏は、奥平氏とそのスピリッツにおいて、共有する部分は多である。
最後に、象牙の塔からでて、社会へむけて積極的に表現しつづける両学者の対談を十分味うことができ、他の人にも読んで貰いたいと思い、ここにレビューを書いた次第である。
2003年1月3日に日本でレビュー済み
本書は失敗した対論である。
対談を読むときの快楽とは、話が噛みあい、かつ「意外」な展開があることだ。本書には残念ながらそれが全く無い。
しかし内容は極めて重要な論点を含む。
ネット選挙運動の当否の問題、フェミニズムと言論の自由、女帝問題等々。
亜細亜主義を語る宮台氏に対し、全くといっていいほど感応しない奥平氏のスタンスに「世代」の差を感じるのは私だけか。
日本の憲法学界の問題、個別の「判例」に即した問題提起といった方向性で更なる論議―続編が出されることを期待したい。
対談を読むときの快楽とは、話が噛みあい、かつ「意外」な展開があることだ。本書には残念ながらそれが全く無い。
しかし内容は極めて重要な論点を含む。
ネット選挙運動の当否の問題、フェミニズムと言論の自由、女帝問題等々。
亜細亜主義を語る宮台氏に対し、全くといっていいほど感応しない奥平氏のスタンスに「世代」の差を感じるのは私だけか。
日本の憲法学界の問題、個別の「判例」に即した問題提起といった方向性で更なる論議―続編が出されることを期待したい。
2005年8月24日に日本でレビュー済み
他のレビュアーも述べているように①かみあってない②宮台の自己肥大が鼻につく③宮台が憲法をほぼ理解していない。
だが奥平さんも問題だ。
宮台氏は奥平さんの権威を自己肥大に活用している、その一方で奥平さんも宮台を若者世界に取り入る入り口として利用しているふしがある。でもそうしうことは、もはや失うものもない宮台氏の方にメリットがあるだけだし、やめたほうがいいとおもう。
もうひとつはフェミニズム批判。確かに奥平さんは前から「フェミニズム憲法などありえない」と挑発的にいっていたが、今、宮台をはじめとするリベラルからフェミニストが攻撃されている状況で、一緒になって攻撃するのは相当にどうかと思う。奥平さんのフェミニズム批判は今の若手リベラルのそれとは内容が違うはずだ。そういうものが一緒くたにされてしまう懸念が本書にはあり、憂鬱になった。
だが奥平さんも問題だ。
宮台氏は奥平さんの権威を自己肥大に活用している、その一方で奥平さんも宮台を若者世界に取り入る入り口として利用しているふしがある。でもそうしうことは、もはや失うものもない宮台氏の方にメリットがあるだけだし、やめたほうがいいとおもう。
もうひとつはフェミニズム批判。確かに奥平さんは前から「フェミニズム憲法などありえない」と挑発的にいっていたが、今、宮台をはじめとするリベラルからフェミニストが攻撃されている状況で、一緒になって攻撃するのは相当にどうかと思う。奥平さんのフェミニズム批判は今の若手リベラルのそれとは内容が違うはずだ。そういうものが一緒くたにされてしまう懸念が本書にはあり、憂鬱になった。
2004年10月26日に日本でレビュー済み
奥平氏はシャープで説得的な議論を展開し、理性的情熱家とも言うべき信頼性を見せる。さすがである。
戦犯は宮台氏であった。頼まれてもいないのになにかにつけて自分を語る語る。日頃他人の自意識を云々する宮台氏の自意識肥大ぶりに(今さらだが)辟易させられる。すぐに話を自分のフィールドに持ってきて奥平氏置いてけぼりの長広舌。それがひたすら目障りでうざいだけ。宮台氏は、思想表現の手法について「sexy」だの「cool」だのを云々するのをやめたほうがいいだろう。説得力ないから。独演会の脈絡のなさを見るに「喋りすぎ」というよりあとで書き足したものと思われるが、追記が大して有意義でないとはどういうことだ。
対談が生かされない対談本。憲法原理と社会事象との対応も、個々のお題は重要だし面白いのに議論がフットワークに欠けて面白くない。800円以上とる本でこりゃないよ。新書としての意義を失ってる。これに手を出すくらいなら専門書を読んだほうがよいでしょう。重要で読ませる本は他にいくらでもある。
本当ならマイナス五つ星のところ、奥平氏の頑張りで挽回。星二つ。
戦犯は宮台氏であった。頼まれてもいないのになにかにつけて自分を語る語る。日頃他人の自意識を云々する宮台氏の自意識肥大ぶりに(今さらだが)辟易させられる。すぐに話を自分のフィールドに持ってきて奥平氏置いてけぼりの長広舌。それがひたすら目障りでうざいだけ。宮台氏は、思想表現の手法について「sexy」だの「cool」だのを云々するのをやめたほうがいいだろう。説得力ないから。独演会の脈絡のなさを見るに「喋りすぎ」というよりあとで書き足したものと思われるが、追記が大して有意義でないとはどういうことだ。
対談が生かされない対談本。憲法原理と社会事象との対応も、個々のお題は重要だし面白いのに議論がフットワークに欠けて面白くない。800円以上とる本でこりゃないよ。新書としての意義を失ってる。これに手を出すくらいなら専門書を読んだほうがよいでしょう。重要で読ませる本は他にいくらでもある。
本当ならマイナス五つ星のところ、奥平氏の頑張りで挽回。星二つ。
2004年2月15日に日本でレビュー済み
奥平康弘先生は戦後を代表する憲法学者で、特にここ十年ほどの憲法学における理論の変化を追う上で、樋口先生、長谷部先生等とともに非常に重要な方であると言えると思います。一方、宮台真司先生は社会学と心理学の時代であった90年代に活躍された(そして今もご活躍されている)代表的な方で、初期のサブカル中心の発言から、最近はより公共政策、公共哲学・思想に軸足をおいた発言をされています。
さて両先生の憲法観を見比べてみますと宮台先生がここ10年の学説の動揺を経る前から一般的であった(そして今も判例のとっている)考え方と非常に近いのに対し、奥平先生の学説はここ10年の変化を先取りしたとも言えるものであるように思われます。例を挙げれば、宮台先生は憲法の直接の私人間効力を否定し、一元的内在制約説を採るのに対し、奥平先生は憲法の私人間直接適用を肯定し、「切り札」としての人権論を採っておられます。宮台先生のような立場は現在大きく動揺しているものであるといえると思います。
本書の内容についてなのですが、書名にふさわしく、憲法論が主軸となっています。論点は多岐にわたっており非常に興味深いものであると思います。しかし両先生の立場の相違が明示されていないがゆえに一般向けの新書である割には、また語り口の平易さの割には、理解することが困難であるかもしれません。議論がかみ合っていないと思われる部分の多くは、上記の相違点(および対談であることからくる遠慮)によるものと思われますが、前提となる知識を欠いていては両先生のこのような基本的な立場の相違に気づくことが困難かもしれません。語られている内容は非常に興味深いのですが、正確な理解のためには憲法学の基本的な理論枠組みだけでなく、ここ最近の新しい学説の理解も必要になってくるのではないかと思われます。
さて両先生の憲法観を見比べてみますと宮台先生がここ10年の学説の動揺を経る前から一般的であった(そして今も判例のとっている)考え方と非常に近いのに対し、奥平先生の学説はここ10年の変化を先取りしたとも言えるものであるように思われます。例を挙げれば、宮台先生は憲法の直接の私人間効力を否定し、一元的内在制約説を採るのに対し、奥平先生は憲法の私人間直接適用を肯定し、「切り札」としての人権論を採っておられます。宮台先生のような立場は現在大きく動揺しているものであるといえると思います。
本書の内容についてなのですが、書名にふさわしく、憲法論が主軸となっています。論点は多岐にわたっており非常に興味深いものであると思います。しかし両先生の立場の相違が明示されていないがゆえに一般向けの新書である割には、また語り口の平易さの割には、理解することが困難であるかもしれません。議論がかみ合っていないと思われる部分の多くは、上記の相違点(および対談であることからくる遠慮)によるものと思われますが、前提となる知識を欠いていては両先生のこのような基本的な立場の相違に気づくことが困難かもしれません。語られている内容は非常に興味深いのですが、正確な理解のためには憲法学の基本的な理論枠組みだけでなく、ここ最近の新しい学説の理解も必要になってくるのではないかと思われます。