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日本の文化ナショナリズム (平凡社新書 303) 新書 – 2005/12/1
鈴木 貞美
(著)
- 本の長さ277ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2005/12/1
- ISBN-10458285303X
- ISBN-13978-4582853032
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登録情報
- 出版社 : 平凡社; 初版第一冊版 (2005/12/1)
- 発売日 : 2005/12/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 277ページ
- ISBN-10 : 458285303X
- ISBN-13 : 978-4582853032
- Amazon 売れ筋ランキング: - 608,614位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 604位平凡社新書
- - 817位東洋哲学入門
- - 823位日本の思想(一般)関連書籍
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年6月14日に日本でレビュー済み
4章「帝国」の思想を著者は総括してこう述べる。当時『中央公論』の座談会ほど「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」「近代の超克」などを一貫した「論理」におさめたものはなかった。それ以降もこれ以上の見事な「合理化」「理想化」はなされなかった。西洋(←西欧)列強からのアジアの解放とアジアの支配というふたつの戦略をジグザグしてきた日本、政府と軍部、官僚、政財界の思惑が交錯し、つねに国際戦略を決めかね「場当たり的に戦争と侵略に突き進んで来た日本、その現実を糊塗し、積極的に理想化することは」「時局便乗」というより「思想の犯罪に等しいのではないだろうか」ここだけ読めば月並みの印象を受けるかもしれない。しかし、「1932年(昭和7)は、まさに歴史の転換点だった」で始まり、「43年2月に日本はガダルカナル島から撤収、戦局はすでに敗退局面に入っていた」と局を結ぶ4章3節は「満洲」の建国以降の基本的史実を押さえながら、文化相対主義の影響を受けた「満洲国」の文化政策を朝鮮語教育と使用を禁じた植民地を対比する手並みは鮮やか。「朝鮮語教育を打ち切り、彼らの母国語を奪う政策に出ておきながら」40年に「内地」で「朝鮮語の文芸作品が、多数、翻訳、刊行されたことは明らかな矛盾だ」はじめにに記された「1940年ころには」「外地」の作家が「中国語や朝鮮語で書いた作品が翻訳され、多数、出回っていた」という左翼も右翼も口にしたがらない史実から目をそむけない著者の姿勢が共感を呼ぶ。4章「帝国」の思想のいっそう拡大深化を期待したい。
2007年7月20日に日本でレビュー済み
概念の理論的考察から入って、国民国家の形成過程における「国民文化」の再構築の諸相をあとづけ、戦時下のファナティックな、しかしその後の知識人の文化認識を大きく規定した悠久の「日本文化」本質論を批判的に検討した後、丸山真男など戦後の言説を概観して終える。とりあえず色々と入っている、という感じで、適当に読み飛ばしながら読んでもかなり勉強になると思う。
ただし、著者の専門ということもあり基本的には「文学」関係の情報が多めである。そのため文字表現としての「日本文化」論にばかり焦点があたり、民俗学など実態把握から「日本文化」の本性に光をあてていった知の系譜に関しては、議論が足りないように感じられた。また、著者がこれは「文化ナショナリズム」の生産物であるとみなしたテクストの読解が議論の中心であるため、それがどのように「国民」に受容されたかについては、よくわからない。この点、言説の消費者の意識や価値観に着目した吉野耕作の仕事(『文化ナショナリズムの社会学』1997年)などで補った方がよいだろう。
ただし、著者の専門ということもあり基本的には「文学」関係の情報が多めである。そのため文字表現としての「日本文化」論にばかり焦点があたり、民俗学など実態把握から「日本文化」の本性に光をあてていった知の系譜に関しては、議論が足りないように感じられた。また、著者がこれは「文化ナショナリズム」の生産物であるとみなしたテクストの読解が議論の中心であるため、それがどのように「国民」に受容されたかについては、よくわからない。この点、言説の消費者の意識や価値観に着目した吉野耕作の仕事(『文化ナショナリズムの社会学』1997年)などで補った方がよいだろう。
2005年12月28日に日本でレビュー済み
小冊子にもかかわらずさまざまなテーマが取り扱われています。基本的なアプローチとしては、近代における”伝統”なり”国民”の創造なり想像というアプローチに依拠しているようです。どのテーマも国内の歴史的な文脈での位置づけ、西欧との対比を通して、丁寧に取り扱われており、非常に参考になります。ただあまりにも多岐にわたるケーススタディを断片的に取り上げたためでしょうか、若干、わかりにくい部分が見受けられるのは、残念です。どれも単独で取り扱っても取り扱いきれないテーマが満載の近代日本です。ただ、著者によるナイーヴで一面的な近代史観に基づく講義があまた顔を覗かせるのは、残念です。若い世代向けに、歴史一般の講義もしなければという熱い使命感に燃えたためでしょうか。結果としては、チープでドグマティックな論調が、本題とは関係ないところで、顔を覗かせ、全体の中で奇妙で空虚な位置を占めてしまい、核となる分析のオリジナリティをぼかしてしまう結果となってしまいました。