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マルクスは生きている (平凡社新書 461) 新書 – 2009/5/16
不破 哲三
(著)
知の巨人マルクスを「唯物論の思想家」「資本主義の病理学者」「未来社会の開拓者」の側面から捉え、混迷する21世紀の今、彼が的確に予見したものを問い直す画期的なマルクス入門書。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2009/5/16
- ISBN-104582854613
- ISBN-13978-4582854619
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商品の説明
著者について
不破哲三(ふわ てつぞう)
1930年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。鉄鋼労連をへて、64年から日本共産党中央で活動。70年以後書記局長・委員長・議長を歴任。2006年、議長を退任し、党付属社会科学研究所所長。1969~2003年衆議院議員11期。著書に、『「資本論」全三部を読む』(全7冊)『古典への招待』(全3巻、以上、新日本出版社)、『私の南アルプス』(山と渓谷社)、『一滴の力水』(水上勉氏との対談、光文社)、『私の戦後六〇年』(新潮社)などがある。
1930年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。鉄鋼労連をへて、64年から日本共産党中央で活動。70年以後書記局長・委員長・議長を歴任。2006年、議長を退任し、党付属社会科学研究所所長。1969~2003年衆議院議員11期。著書に、『「資本論」全三部を読む』(全7冊)『古典への招待』(全3巻、以上、新日本出版社)、『私の南アルプス』(山と渓谷社)、『一滴の力水』(水上勉氏との対談、光文社)、『私の戦後六〇年』(新潮社)などがある。
登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2009/5/16)
- 発売日 : 2009/5/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4582854613
- ISBN-13 : 978-4582854619
- Amazon 売れ筋ランキング: - 403,278位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年6月8日に日本でレビュー済み
今の共産党にとって、都合の悪い所は隠蔽するという不破さんの本の悪いところがかなり目につく。例えば、環境問題を資本主義の破滅性と言いながら、巨大排出国の一つである中国を無視していたり、ソ連の壮大な実験を、社会主義の逸脱という言葉で言い逃れしているところなど。かつて「歴史の必然」と喧伝された社会主義国家がどうして逸脱したかを述べないと読者は納得しないだろう。
哲学の解説の最初にはがっかりだ。せめて、フッサールの現象学に至る哲学論争は踏まえて欲しい。今時「観念論」と「唯物論」の勝敗もないだろう。
不破氏の言説の欺瞞については、最近出た本ならば「マルクス『資本論』」の白井聡氏、田崎英明氏の文章を参考にして欲しい。
初心者が入門書として読むのはいいけど、真面目にマルクス主義と付き合っている人には、何らの指針も与えてくれないだろう。
本当の問題は、書物を超え、自分たちの党派以外(他者)とはマトモな知的交流を行い得ない共産党にあるのだろう。田口−不破論争で論理的には田口氏が勝利したし、その後の日本共産党の規約改定も、田口氏の主張を密輸入する形でなされているが、その田口氏が党からたたき出された(形式上は離党届提出)という事実を、読者は踏まえておいたほうがいい。
哲学の解説の最初にはがっかりだ。せめて、フッサールの現象学に至る哲学論争は踏まえて欲しい。今時「観念論」と「唯物論」の勝敗もないだろう。
不破氏の言説の欺瞞については、最近出た本ならば「マルクス『資本論』」の白井聡氏、田崎英明氏の文章を参考にして欲しい。
初心者が入門書として読むのはいいけど、真面目にマルクス主義と付き合っている人には、何らの指針も与えてくれないだろう。
本当の問題は、書物を超え、自分たちの党派以外(他者)とはマトモな知的交流を行い得ない共産党にあるのだろう。田口−不破論争で論理的には田口氏が勝利したし、その後の日本共産党の規約改定も、田口氏の主張を密輸入する形でなされているが、その田口氏が党からたたき出された(形式上は離党届提出)という事実を、読者は踏まえておいたほうがいい。
2018年4月6日に日本でレビュー済み
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マルクスの理論を解説し、おおくはマルクス自身の言葉によって、歴史的事件や現代社会の経済・資本主義を読み解いていく本。これでマルクスの理論のすべてを体系的に理解できる堅い本ではなく、多様な過去・現代の事象がこういう仕組みで成り立っているのかというようなことが理解できる肩の力を抜いて読めるエッセー風の本。2日あれば通読可能。
“第1章唯物論の思想家・マルクス”では、東京大学理学部物理学科卒業の著者らしく、宇宙の話など自然科学の話をかなり深いところまで例示しながら唯物論とは何かといったあたりを中心に解説。このあたりの書き方は、エンゲルスが「反デューリング論 」「フォイエルバッハ論 」などで、自然科学について議論していたことを思い出させるような書き方である。本書でもエンゲルス自身「私は頭からきめてかかるまえに、むしろ根本的に事に通じることのほうを選びますp71」と書いていることを引用しているが、著者自身の姿勢もエンゲルスに近いのではということがわかる。唯物論の説明としては、「唯物論と観念論の分岐点は、世界の根源をなすものを、自然、すなわち物質に求めるか、それとも意識や精神に求めるか、という点にありますp12。」と明快に説明。これを以下のような例えをひいて更に読者の理解を助ける。「脳はたいへん複雑な構造をもっていますが、それはやはり高度に組織された物質にほかなりません。その物質が精神活動の基礎にあると認められたら、意識が世界の根源をなすという観念論の立場が成り立たなくなるのですp14。」。ここから「マルクスは唯物論の道を選んだ時に、現実の世界―自然および歴史―を、“現れるままの姿”で、とらえようという“決心”をおこなったのだp30」と解説し、“弁証法”を次のように説明。「弁証法では、自然と社会のすべての現象を、不動な固定的なものとしてとらえる立場をしりぞけ、それらをたえまない変化と運動、なかでも前進的な発展の流れのなかでとらえる。すべての事物、すべての現象を、全般的な連関の網の目のなかでとらえるp31。」「弁証法は、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、その経過的な側面からとらえ、その本質上批判的であり革命的であるp34。」。
“第2章 資本主義の病理学者・マルクス”では、マルクスの明らかにした資本主義の搾取のしくみなどの考え方から、現代の社会におこった社会の病理像を解説していく。なるほどと思わせる次のような洞察は鋭い。「日本経済を支配している大企業の経営者たちは「日本経済団体連合会」という組織に公然と結集しているp60」「現実に時間外労働をさせながら賃金が支払われない“サービス残業”(もちろん違法)p91」「労働者階級は、“資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織され”て、“反抗”も増大する:利潤第一主義の攻撃のなかで訓練と結合と組織の過程を歩む階級的発展の姿=資本論の労働者像p99。」「1918年のロシアの働く人民の権利宣言の影響は他のヨーロッパ諸国に次第に広がり、働く者の権利を守る“社会的ルール”をめざす流れを大きくしたp104。」「EUでは、社会的ルールを各国の内政問題のままにせず、それをヨーロッパ共通の社会的ルールとする仕事を担うようになったp108。」「日本の“過労死”などは、世界にない現象だから訳語は存在しないp110」「ソニーの森田会長の論文では、マルクスの資本家論を当事者がそのままくりかえしたもの。利潤の追求が外的な強制法則として押し付けられているのだから、自分たちでは解決できない。頼むから社会による強制で解決してくれという悲鳴p112。」「住宅販売は2004年ごろから急増し、アメリカの好況の最大の推進力となった。しかしその消費者は支払い能力の乏しい相手で架空の需要。この架空の需要から始まった住宅産業の拡大再生産は、最初から現実の需要から独立した架空の軌道を走ったわけで、それが破局に終わるのは、まさにマルクスが解明したバブルの法則どおり。この住宅バブルの足場の上にあらたな金融バブルが組織p129。」「テキサス州は、化学や石油などの産業が集中して、アメリカでも排ガスの量の最も多い州の一つで、この州が吐き出す二酸化炭素の量はイギリス一国の排出量よりも多いp142。」「発展途上国の人口一人あたりの二酸化炭素排出量は、先進国よりずっと少ないp145」。
“第3章 未来社会の開拓者・マルクス”ではマルクスの理論が、現代、未来社会および革命論にどう影響したかなどを次のようないくつかの興味深い説明がなされる。「社会の変化とともに生産活動の目的が、社会の生活の維持・発展から、支配者の富を増やすことに変わってしまったp155。」「貧困や格差が広く存在している現実は、経済力の貧しさの結果ではなく、社会が大きな経済力を持ちながら、それがつくりだす富を合理的に配分する手段をもっていないという社会的な欠陥がもたらした結果ですp160。」「資本主義社会では、資本の利潤欲、搾取欲が経済発展の推進力でした。そのために、本来人間社会の発展に役立つべき経済力、生産力の発展が、一方では恐慌や自然破壊を、他方では、生産を担う人たちの労働苦、生活苦を生み出したp166。」「動物が歴史に関与したとしても、それは彼らの認識も意欲もなしに起こっていることである。これに反して人間は自分たちの歴史を自分たちで意識して作り上げるようになった。歴史の結果は設定された目的にそれだけ対応するようになったが、予期せぬ作用が支配的であり、統御されない力の方が計画的に発動させた力よりもずっと強大であることを我々は見出す。計画的に生産され分配されるような社会的生産の意識的な組織だけが、人間を社会的関係においても他の動物世界から抜け出させることができるp167。」「将来の一定の時点で何をすべきか、直接に何をなすべきかは、いうまでもなく行動がとられるその時の事情のいかんにまったくかっかています。その問題にいつどこでも通用する答えを出そう、とするのは、“解のない方程式を解け”というようなものですp170。」「新しい経済体制をつくりあげてゆくところでは、旧体制から残された古い既得の権利や各種の階級的利己心からの抵抗とぶつかる。やがて、新しい体制が、国家などの経済の外部からの介入がなくても、経済法則それ自身の作用で、古い体制の経済法則にうちかって、自分の道を開いてゆく174。」「マルクスはリンカーンにメッセージを送った“(アメリカは)一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地、そこから最初の人権宣言(=独立宣言)が発せられた”p180」「ロシア革命は数年間ではあったが反対党をふくむ複数政党が合法的に論争しあう時期があった。日本共産党の党綱領では“社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受け継がれ、いっそう発展させられる。さまざまな思想・信条の自由・反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される”としているp183。」。この章で特に優れているのはスターリンに対する批判で、また本当の意味での社会主義国家はまだ誕生していないとしており、次のように解説。「スターリンは、農業の協同組合化は農民の自発的な合意を原則とするというマルクス、レーニン以来の原則をふみにじったp199。」「1930年代のある時期まではソ連はファシズムと軍国主義(日本の中国東北部への侵略など)の流れに反対する立場に立ったが、1939年にこの方針を転換させ独ソ不可侵条約をヒトラーと結んだ。スターリンは1940年には日本・ドイツ・イタリアの三国軍事同盟へのソ連の加盟に参加する決断をしていたp202。」「経済面で中国とベトナムが進めている“市場経済を通じて社会主義へ”という路線は、レーニン時代に最初の試みがあったが、社会主義にいたる道を歩き通した国はまだないp214。」。
なお、各章にはコラム的な短い「補論」が設けられている。たとえば「マルクスは抜粋ノートをこうして活用した」では、「マルクスは資本論執筆の準備のために抜粋ノートを作ったが、これの「引用ノート」も作った。ところがこれが90ページをこえる膨大なものになったので、これの索引(7ページ)も作ったp149。」といった珍しい逸話もを紹介。「マルクスを、マルクス自身の歴史のなかで読む」では、“マルクスの理論を全面的に研究しようと思ったら、研究する側も、ある時点でのマルクスの到達点を切り取って、それがマルクスの見解だといってすませるわけにはいかない”としている。
以下は抜粋。
マルクスの「史的唯物論」では、社会観が、人間の精神活動ではなく、社会が必要とする物資とサービスを生産する物資的生産の活動を、社会の歴史の土台として位置付けているp53。
大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!―ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人p101
“第1章唯物論の思想家・マルクス”では、東京大学理学部物理学科卒業の著者らしく、宇宙の話など自然科学の話をかなり深いところまで例示しながら唯物論とは何かといったあたりを中心に解説。このあたりの書き方は、エンゲルスが「反デューリング論 」「フォイエルバッハ論 」などで、自然科学について議論していたことを思い出させるような書き方である。本書でもエンゲルス自身「私は頭からきめてかかるまえに、むしろ根本的に事に通じることのほうを選びますp71」と書いていることを引用しているが、著者自身の姿勢もエンゲルスに近いのではということがわかる。唯物論の説明としては、「唯物論と観念論の分岐点は、世界の根源をなすものを、自然、すなわち物質に求めるか、それとも意識や精神に求めるか、という点にありますp12。」と明快に説明。これを以下のような例えをひいて更に読者の理解を助ける。「脳はたいへん複雑な構造をもっていますが、それはやはり高度に組織された物質にほかなりません。その物質が精神活動の基礎にあると認められたら、意識が世界の根源をなすという観念論の立場が成り立たなくなるのですp14。」。ここから「マルクスは唯物論の道を選んだ時に、現実の世界―自然および歴史―を、“現れるままの姿”で、とらえようという“決心”をおこなったのだp30」と解説し、“弁証法”を次のように説明。「弁証法では、自然と社会のすべての現象を、不動な固定的なものとしてとらえる立場をしりぞけ、それらをたえまない変化と運動、なかでも前進的な発展の流れのなかでとらえる。すべての事物、すべての現象を、全般的な連関の網の目のなかでとらえるp31。」「弁証法は、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、その経過的な側面からとらえ、その本質上批判的であり革命的であるp34。」。
“第2章 資本主義の病理学者・マルクス”では、マルクスの明らかにした資本主義の搾取のしくみなどの考え方から、現代の社会におこった社会の病理像を解説していく。なるほどと思わせる次のような洞察は鋭い。「日本経済を支配している大企業の経営者たちは「日本経済団体連合会」という組織に公然と結集しているp60」「現実に時間外労働をさせながら賃金が支払われない“サービス残業”(もちろん違法)p91」「労働者階級は、“資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織され”て、“反抗”も増大する:利潤第一主義の攻撃のなかで訓練と結合と組織の過程を歩む階級的発展の姿=資本論の労働者像p99。」「1918年のロシアの働く人民の権利宣言の影響は他のヨーロッパ諸国に次第に広がり、働く者の権利を守る“社会的ルール”をめざす流れを大きくしたp104。」「EUでは、社会的ルールを各国の内政問題のままにせず、それをヨーロッパ共通の社会的ルールとする仕事を担うようになったp108。」「日本の“過労死”などは、世界にない現象だから訳語は存在しないp110」「ソニーの森田会長の論文では、マルクスの資本家論を当事者がそのままくりかえしたもの。利潤の追求が外的な強制法則として押し付けられているのだから、自分たちでは解決できない。頼むから社会による強制で解決してくれという悲鳴p112。」「住宅販売は2004年ごろから急増し、アメリカの好況の最大の推進力となった。しかしその消費者は支払い能力の乏しい相手で架空の需要。この架空の需要から始まった住宅産業の拡大再生産は、最初から現実の需要から独立した架空の軌道を走ったわけで、それが破局に終わるのは、まさにマルクスが解明したバブルの法則どおり。この住宅バブルの足場の上にあらたな金融バブルが組織p129。」「テキサス州は、化学や石油などの産業が集中して、アメリカでも排ガスの量の最も多い州の一つで、この州が吐き出す二酸化炭素の量はイギリス一国の排出量よりも多いp142。」「発展途上国の人口一人あたりの二酸化炭素排出量は、先進国よりずっと少ないp145」。
“第3章 未来社会の開拓者・マルクス”ではマルクスの理論が、現代、未来社会および革命論にどう影響したかなどを次のようないくつかの興味深い説明がなされる。「社会の変化とともに生産活動の目的が、社会の生活の維持・発展から、支配者の富を増やすことに変わってしまったp155。」「貧困や格差が広く存在している現実は、経済力の貧しさの結果ではなく、社会が大きな経済力を持ちながら、それがつくりだす富を合理的に配分する手段をもっていないという社会的な欠陥がもたらした結果ですp160。」「資本主義社会では、資本の利潤欲、搾取欲が経済発展の推進力でした。そのために、本来人間社会の発展に役立つべき経済力、生産力の発展が、一方では恐慌や自然破壊を、他方では、生産を担う人たちの労働苦、生活苦を生み出したp166。」「動物が歴史に関与したとしても、それは彼らの認識も意欲もなしに起こっていることである。これに反して人間は自分たちの歴史を自分たちで意識して作り上げるようになった。歴史の結果は設定された目的にそれだけ対応するようになったが、予期せぬ作用が支配的であり、統御されない力の方が計画的に発動させた力よりもずっと強大であることを我々は見出す。計画的に生産され分配されるような社会的生産の意識的な組織だけが、人間を社会的関係においても他の動物世界から抜け出させることができるp167。」「将来の一定の時点で何をすべきか、直接に何をなすべきかは、いうまでもなく行動がとられるその時の事情のいかんにまったくかっかています。その問題にいつどこでも通用する答えを出そう、とするのは、“解のない方程式を解け”というようなものですp170。」「新しい経済体制をつくりあげてゆくところでは、旧体制から残された古い既得の権利や各種の階級的利己心からの抵抗とぶつかる。やがて、新しい体制が、国家などの経済の外部からの介入がなくても、経済法則それ自身の作用で、古い体制の経済法則にうちかって、自分の道を開いてゆく174。」「マルクスはリンカーンにメッセージを送った“(アメリカは)一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地、そこから最初の人権宣言(=独立宣言)が発せられた”p180」「ロシア革命は数年間ではあったが反対党をふくむ複数政党が合法的に論争しあう時期があった。日本共産党の党綱領では“社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受け継がれ、いっそう発展させられる。さまざまな思想・信条の自由・反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される”としているp183。」。この章で特に優れているのはスターリンに対する批判で、また本当の意味での社会主義国家はまだ誕生していないとしており、次のように解説。「スターリンは、農業の協同組合化は農民の自発的な合意を原則とするというマルクス、レーニン以来の原則をふみにじったp199。」「1930年代のある時期まではソ連はファシズムと軍国主義(日本の中国東北部への侵略など)の流れに反対する立場に立ったが、1939年にこの方針を転換させ独ソ不可侵条約をヒトラーと結んだ。スターリンは1940年には日本・ドイツ・イタリアの三国軍事同盟へのソ連の加盟に参加する決断をしていたp202。」「経済面で中国とベトナムが進めている“市場経済を通じて社会主義へ”という路線は、レーニン時代に最初の試みがあったが、社会主義にいたる道を歩き通した国はまだないp214。」。
なお、各章にはコラム的な短い「補論」が設けられている。たとえば「マルクスは抜粋ノートをこうして活用した」では、「マルクスは資本論執筆の準備のために抜粋ノートを作ったが、これの「引用ノート」も作った。ところがこれが90ページをこえる膨大なものになったので、これの索引(7ページ)も作ったp149。」といった珍しい逸話もを紹介。「マルクスを、マルクス自身の歴史のなかで読む」では、“マルクスの理論を全面的に研究しようと思ったら、研究する側も、ある時点でのマルクスの到達点を切り取って、それがマルクスの見解だといってすませるわけにはいかない”としている。
以下は抜粋。
マルクスの「史的唯物論」では、社会観が、人間の精神活動ではなく、社会が必要とする物資とサービスを生産する物資的生産の活動を、社会の歴史の土台として位置付けているp53。
大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!―ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人p101
2010年12月20日に日本でレビュー済み
19世紀に「資本論」が預言した事柄を現実の社会と比較した良書。執筆者が日本共産党員なだけに、共産党(特に日本と中国の)が現実に行ったことへの記述に甘さはあるが、それを差し引いても充分に読む価値がある。19世紀以降、資本主義は一見大きな発展を遂げたようにも見えるが、実際には複雑になっているだけで、世界規模で見れば、資本主義は今でも、資本論で預言された通りの弊害を世界にもたらし続けていることが良く分かる。もちろん、だからと言って、現実に存在した社会主義(共産主義)国が資本主義の弊害を解決した訳でもない。現存した社会主義(共産主義)体制が、マルクスの預言した「革命(後世の議会制民主主義を預言したとも受け取れる)」とは全く異なっていた事も、マルクス、エンゲルス共に、19世紀後半に起こった暴力的な革命運動には生涯批判的だった点も、本書ではかなりのページを割いて解説されている。エンゲルスは生前、「勝利を得たプロレタリアートは、ほかの民族に対し、どんな「恩恵」をも押し付けることはできない。そんな押し付けをやれば、自分自身が台無しになってしまう」と預言したが、「プロレタリアート」を「自由競争」に置き換えれば、それはそのまま現代の世界に当てはまるかも知れない。
本書はタイトルに「マルクス」という名前が入っているため、学術的(思想論的?)なマルクス論や資本論の立場からの批判的書評も少なくない。それらは学術的には正しいのかも知れないが、本書の主題を踏まえた上での批評なのか?疑問は残る。
本書はタイトルに「マルクス」という名前が入っているため、学術的(思想論的?)なマルクス論や資本論の立場からの批判的書評も少なくない。それらは学術的には正しいのかも知れないが、本書の主題を踏まえた上での批評なのか?疑問は残る。
2009年7月4日に日本でレビュー済み
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市場原理主義の構造的欠陥が明らかになったことにより、再び脚光を浴びつつあるマルクスですが、素人にはなかなか難しいのも事実です。しかし、著者は難解なマルクスの思想を決して皮相的ではなく、その基礎となっている唯物論哲学から解き明かし、最後には現代の資本主義の問題や、マルクスの未来社会のビジョンにまで筆を進めています。
唯物論というと、何やら私たち凡人には無関係な思想のように考えがちですが、現代の自然科学の前提が観念論ではなく、唯物論であるということが分かり、非常にスッキリしました。結局、マルクスが言いたかったのは、自然や歴史は単なる偶然や無秩序ではないということです。だからこそ、今どんなに苦難の中にあっても、未来への希望を持って生きることができるのです。
難解なマルクスの思想を、分かりやすく、しかし奥深く紹介している本書は、まさに現代人にとって必読書だと感じました。
唯物論というと、何やら私たち凡人には無関係な思想のように考えがちですが、現代の自然科学の前提が観念論ではなく、唯物論であるということが分かり、非常にスッキリしました。結局、マルクスが言いたかったのは、自然や歴史は単なる偶然や無秩序ではないということです。だからこそ、今どんなに苦難の中にあっても、未来への希望を持って生きることができるのです。
難解なマルクスの思想を、分かりやすく、しかし奥深く紹介している本書は、まさに現代人にとって必読書だと感じました。
2009年11月2日に日本でレビュー済み
私は共産主義者(が本当のところ何を指すのか?も読み終えた今でさえ今ひとつはっきりしない)でも社会主義者でもありません。ただ、そういう人たちが何を言い出したのか?ということや、さらにその熱の感染の強さとかに興味があるわけです。で、その親玉マルクスさんはどのような方なのか?を知るにはアウトラインとしてですが、本書はなかなか面白かったです。
導入からして少し不思議な感じだったのは、それが化学の話しから入ったからです。それも唯物論を絡めて。個人的には哲学的疑問を挟めないでもないのですが、マルクスがどう考えていたか?ということについては理解できたと思います。そしてそこから今度は歴史的なものへの考え方や捉え方、そして経済学者、また思想家としてのマルクスがどういう考え方であったのか?を不破さんによる解説とともにみることが出来ましたし、とてもいろいろなことを考えた方なのだ、ということも浅くですが(それは私の読解力の無さです)理解できたと思います。
何も知らないよりは、確かに良かったですし、経済学に対する考え方も面白かったです、私は経済学者だったことさえ知らなかったです。しかし中でも特に面白いと思ったのは、未来のことを考え予想するにあたり『縛らない』ということです。普通思想家としてはこれからこのような世界の動きや考え方があってこのような仕組みや考え方になると考えているなら、その道筋立てを行いそうなものですが、あえてそれを愚策とするマルクス(とエンゲルス)の考え方、つまりその時になってみないと分からないことや理解できない物事に対しての先入観を持たないで置くことの重要性を認識して尊重することに、とてもびっくりしました。
ただ、ちょっと残念だったのは、最後の方は日本共産党のソ連への対応がいかに仕方が無かったか?に重点を置かれていて、そこは実はマルクスとはあまり関係が無く、不破さんの個人的弁解に感じられてしまいました。マルクスのことをもっと知った方が良いのは理解できますが、そのために共産党という組織が正しさだったり、清廉潔白であったりする必要はないはずですし、そうでなかったとしてもマルクスに興味のある人にとってはマルクスへの関心は薄れないのではないか?とも考えました。もちろんマルクスに関することではかなりの自負もあって当然でしょうし、またそうであるべきなのでしょうけれど、マルクスの言う未来を縛らないというスタンスで考えうるならば、来るべき資本主義社会の先にある社会主義の世界を構築するのは共産党ではない可能性も捨ててはいけないでしょうし。
また、貧困や格差の話しも理想としてよく分かりますが(私の理解もかなり甘いとは思いますが、そのベクトルの先にある正しさは理解出来ます)、人の感情、矛盾に満ち、猜疑心強く、妬みある存在であり、同時に慈愛ある、譲り合える動物でもあり、清いものと、汚濁したものの混在である人という存在のことを考えると、仕組みだけでなく、その考え方まで変えていける仕組みでなければ難しいと思います。「瞰制高地(主要な部分や重要な部分を社会主義者が占有すること)」というのは皆が納得できれば可能性もありますが、そこを妬む輩が必ずと言って良いほど(それが正しければ正しいほど!)出現してくるわけで、何かドラスティックな変化がなければ難しいのかな?とも思いました。
マルクス、に興味のある方にオススメ致します。
導入からして少し不思議な感じだったのは、それが化学の話しから入ったからです。それも唯物論を絡めて。個人的には哲学的疑問を挟めないでもないのですが、マルクスがどう考えていたか?ということについては理解できたと思います。そしてそこから今度は歴史的なものへの考え方や捉え方、そして経済学者、また思想家としてのマルクスがどういう考え方であったのか?を不破さんによる解説とともにみることが出来ましたし、とてもいろいろなことを考えた方なのだ、ということも浅くですが(それは私の読解力の無さです)理解できたと思います。
何も知らないよりは、確かに良かったですし、経済学に対する考え方も面白かったです、私は経済学者だったことさえ知らなかったです。しかし中でも特に面白いと思ったのは、未来のことを考え予想するにあたり『縛らない』ということです。普通思想家としてはこれからこのような世界の動きや考え方があってこのような仕組みや考え方になると考えているなら、その道筋立てを行いそうなものですが、あえてそれを愚策とするマルクス(とエンゲルス)の考え方、つまりその時になってみないと分からないことや理解できない物事に対しての先入観を持たないで置くことの重要性を認識して尊重することに、とてもびっくりしました。
ただ、ちょっと残念だったのは、最後の方は日本共産党のソ連への対応がいかに仕方が無かったか?に重点を置かれていて、そこは実はマルクスとはあまり関係が無く、不破さんの個人的弁解に感じられてしまいました。マルクスのことをもっと知った方が良いのは理解できますが、そのために共産党という組織が正しさだったり、清廉潔白であったりする必要はないはずですし、そうでなかったとしてもマルクスに興味のある人にとってはマルクスへの関心は薄れないのではないか?とも考えました。もちろんマルクスに関することではかなりの自負もあって当然でしょうし、またそうであるべきなのでしょうけれど、マルクスの言う未来を縛らないというスタンスで考えうるならば、来るべき資本主義社会の先にある社会主義の世界を構築するのは共産党ではない可能性も捨ててはいけないでしょうし。
また、貧困や格差の話しも理想としてよく分かりますが(私の理解もかなり甘いとは思いますが、そのベクトルの先にある正しさは理解出来ます)、人の感情、矛盾に満ち、猜疑心強く、妬みある存在であり、同時に慈愛ある、譲り合える動物でもあり、清いものと、汚濁したものの混在である人という存在のことを考えると、仕組みだけでなく、その考え方まで変えていける仕組みでなければ難しいと思います。「瞰制高地(主要な部分や重要な部分を社会主義者が占有すること)」というのは皆が納得できれば可能性もありますが、そこを妬む輩が必ずと言って良いほど(それが正しければ正しいほど!)出現してくるわけで、何かドラスティックな変化がなければ難しいのかな?とも思いました。
マルクス、に興味のある方にオススメ致します。
2009年7月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マルクスに興味があってこの本を読む前に別のマルクスの入門書を買って読んだんですが
入門書という割に内容が難しすぎて途中で読むのを止めてしまっていたんですけど、
この本はとても分かりやすくて読みやすかったです。
僕のようにマルクスについては初心者で軽くマルクスが知りたいという人にはお勧めです。
入門書という割に内容が難しすぎて途中で読むのを止めてしまっていたんですけど、
この本はとても分かりやすくて読みやすかったです。
僕のようにマルクスについては初心者で軽くマルクスが知りたいという人にはお勧めです。