前々から学生運動について知りたいと思っていたので、とりあえずこの本を手にとった。
砂川闘争から安保闘争、革マル派・中核派の誕生、安田講堂事件を当時の人のインタビューを交え網羅的に扱っていて、学生運動を知りたいという読者にとって最初の一冊にふさわしいと思う。
学生運動というと血なまぐさいイメージがあるが、安保闘争の段階ではまだこの運動は人間の顔をしていた。少なくともまだ人を傷つけたり、殺すことが目的ではなかった。樺美智子が国会突入の際に圧死すると、北小路敏はマイクを持ってこう言った。
「女子大生が死んだ。亡くなった女子学生のために黙祷を捧げよう。警官も人間なら鉄カブトをとってくれ」
安保闘争により大衆のエネルギーは確かに爆発した。ブント(共産主義者同盟)が望んだ革命的騒乱は実際に生じたが、それを一つの方向に導く革命家はいなかった。30万とも50万とも言われるデモ隊を背中につけながらそのことを悟った生田浩二は叫んだ。
「畜生、畜生、このエネルギーが! このエネルギーが! どうにもできない! ブントも駄目だ!」
その後も東大を始め複数の大学で闘争があったが、大衆のエネルギーが爆発することはなかった。次第に豊かになっていく日本で、社会主義革命への共感は徐々に小さくなっていた。大学においても内ゲバが頻発し、学生運動は退潮していった。そして赤軍を始めとした過激派による血なまぐさい事件がいくつも引き起こされ、大衆の心は完全に離れていった。
実際に学生運動を生きた活動家にとって、この過去は一時代の象徴であり、ノスタルジーの対象であったと作者は言う。そして、彼ら自身に総括することは決してできないのだろうと。老いた活動家が肩を組み隣同士体をゆすりながら歌うインターナショナルは、どこまでも虚しい響きを伴っていただろう。
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全学連と全共闘 (平凡社新書) 新書 – 2010/10/16
伴野 準一
(著)
安保改正から50年──熱狂的な革命運動の中、学生達はどんな社会を目指したのか? インタビューと資料から熱い時代を再現する。
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2010/10/16
- ISBN-104582855520
- ISBN-13978-4582855524
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2010/10/16)
- 発売日 : 2010/10/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 264ページ
- ISBN-10 : 4582855520
- ISBN-13 : 978-4582855524
- Amazon 売れ筋ランキング: - 379,022位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 353位平凡社新書
- - 29,899位教育・学参・受験 (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2020年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2011年1月16日に日本でレビュー済み
人間にとって、過去はかけがえのないものです。それを否定することは、その中から生まれ育ってきた現在の自分を殆ど全て否定してしまうことと思えます。けれども、人間には、それでもなお、過去を否定しなければならない時がある。そうしなければ、未来を失ってしまうことがあるとは、お考えになりませんか。(柴田翔『 されどわれらが日々ー 』第六の章「節子の手紙」から)
昨年(2010年)、革共同(革命的共産主義者同盟)の両派(全国委−中核派・革マル派)における労働戦線の象徴的指導者が相次いで死去した。一人は中野洋・動労千葉前委員長、他の一人は松崎明・JR東労組元委員長であった。さらに、もう一人、当書にも登場する60年安保闘争のシンボル的な中核派幹部も息を引き取っていた。それは北小路敏で、彼は安保闘争を担った第一次ブント(共産主義者同盟)分裂後、清水丈夫らと共に革共同に移行している。この頃、「姫岡玲治」のペンネームで「ブント最大の論理的支柱」(本書)だった青木昌彦や西部邁らは、清水らと袂を分かったのだった。
ところで、清水は運動面で、青木は理論面で、それぞれブントが領導する全学連を牽引したわけだが、事実か否か判らぬけれど、この二人に関しては面白いエピソードを仄聞したことがある。二人は、革命を夢見て「レーニン全集」を読破するに当たり、清水は全集の前から、青木は後から、それぞれ分担して読み始め(あるいは、逆かも…?)、その結果が今日の二人の状況を示している、というものである。それはともかく、本書のタイトルは厳密には「安保全学連と東大全共闘」といった感じにはなるであろうが、小熊英二とは違って、著者は関係者への取材・採録も行っており、好感が持てる。
最後に、著者は「戦後学生運動の歴史は、希望が潰えていく道程だった」とか「新左翼運動とは、若者の正義感を狂気とテロリズムへと追い込む悪魔の道だったのではないか」などと辛辣な評価を当著で下している。この論評については、読者個々の判断に委ねたい。[文中敬称略]
Amazonで購入
人間にとって、過去はかけがえのないものです。それを否定することは、その中から生まれ育ってきた現在の自分を殆ど全て否定してしまうことと思えます。けれども、人間には、それでもなお、過去を否定しなければならない時がある。そうしなければ、未来を失ってしまうことがあるとは、お考えになりませんか。(柴田翔『 されどわれらが日々ー 』第六の章「節子の手紙」から)
昨年(2010年)、革共同(革命的共産主義者同盟)の両派(全国委−中核派・革マル派)における労働戦線の象徴的指導者が相次いで死去した。一人は中野洋・動労千葉前委員長、他の一人は松崎明・JR東労組元委員長であった。さらに、もう一人、当書にも登場する60年安保闘争のシンボル的な中核派幹部も息を引き取っていた。それは北小路敏で、彼は安保闘争を担った第一次ブント(共産主義者同盟)分裂後、清水丈夫らと共に革共同に移行している。この頃、「姫岡玲治」のペンネームで「ブント最大の論理的支柱」(本書)だった青木昌彦や西部邁らは、清水らと袂を分かったのだった。
ところで、清水は運動面で、青木は理論面で、それぞれブントが領導する全学連を牽引したわけだが、事実か否か判らぬけれど、この二人に関しては面白いエピソードを仄聞したことがある。二人は、革命を夢見て「レーニン全集」を読破するに当たり、清水は全集の前から、青木は後から、それぞれ分担して読み始め(あるいは、逆かも…?)、その結果が今日の二人の状況を示している、というものである。それはともかく、本書のタイトルは厳密には「安保全学連と東大全共闘」といった感じにはなるであろうが、小熊英二とは違って、著者は関係者への取材・採録も行っており、好感が持てる。
最後に、著者は「戦後学生運動の歴史は、希望が潰えていく道程だった」とか「新左翼運動とは、若者の正義感を狂気とテロリズムへと追い込む悪魔の道だったのではないか」などと辛辣な評価を当著で下している。この論評については、読者個々の判断に委ねたい。[文中敬称略]
2017年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
普通の説明かなあ、と思いますね。新書ゆえの紙面に限りがあるので、その時代の空気感(運動に携わった人達の重さも含めて)まではなかなか捉えられないのは仕方がないのでしょう。
2021年3月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
60年安保の時代、私のよく知る人物が実名で登場していた。一昨日その先輩とこの本を肴に飲みました。
2011年6月20日に日本でレビュー済み
60年代の全学連の話を取り上げ、唐牛健太郎や清水丈夫、
島成郎を中心に当時の逸話を挿入し、60年安保以後、革共
同、黒田寛一のもとへと理論を求めて合流して行く、その後、
社学同ブントとして島たちは分派し、清水・北大路らは革共
同に残り、やがて、革共同自身が分派して行く。唐牛は、大
学を追われ、ノンポリ化して行く。やがて、東大において、
医学部を中心に、大学紛争が始まり、山本義隆が現れ、全国
的な大学紛争となり、全共闘が組織されて行く。この時代に
は、べ平連など市民運動の台頭もあったが、本書は、あくま
で「全学連」「全共闘」に焦点を置いたぶれない本であった。
東大民青で、のちに共産党から除名される川上徹も出てき
た。後半の、赤軍の塩見孝也らの話は若干週刊誌ネタ風であ
ったが、全共闘のその後の変遷と最終章につながることなの
かもしれない。
実名が出て、コンパクトに整理された良書である。
島成郎を中心に当時の逸話を挿入し、60年安保以後、革共
同、黒田寛一のもとへと理論を求めて合流して行く、その後、
社学同ブントとして島たちは分派し、清水・北大路らは革共
同に残り、やがて、革共同自身が分派して行く。唐牛は、大
学を追われ、ノンポリ化して行く。やがて、東大において、
医学部を中心に、大学紛争が始まり、山本義隆が現れ、全国
的な大学紛争となり、全共闘が組織されて行く。この時代に
は、べ平連など市民運動の台頭もあったが、本書は、あくま
で「全学連」「全共闘」に焦点を置いたぶれない本であった。
東大民青で、のちに共産党から除名される川上徹も出てき
た。後半の、赤軍の塩見孝也らの話は若干週刊誌ネタ風であ
ったが、全共闘のその後の変遷と最終章につながることなの
かもしれない。
実名が出て、コンパクトに整理された良書である。
2011年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全学連と全共闘の違いを知りたかったが、期待したほどはっきり理解できなかった。
子供のころに強く印象された東大闘争や浅間山荘事件へ発展した学生運動がどのような形であったのかは、なんとなく感じることはできたが、タイトルに期待していたほどではなかった。残念。
子供のころに強く印象された東大闘争や浅間山荘事件へ発展した学生運動がどのような形であったのかは、なんとなく感じることはできたが、タイトルに期待していたほどではなかった。残念。
2010年11月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は1950年代から1970年へとつながる学生運動の流れをとてもよく捉えている。60年世代が70歳を越えたことで,さまざまな証言がなされていて,それらを咀嚼して簡便な通史としてまとめたもので,ここまで整理された書物はほかにない。註の付け方や引用もきわめて的確であるし、塩川喜信が山西英一の生徒であったというようなことは、これまでの類書には書かれていない。革共同の影響力が塩川、星山にあったのか黒田にあったのかで混乱しているところがあるが、もう少し整理したい。
著者が反戦=反米闘争である砂川事件から説き起こしたことも良い着眼点である。砂川事件では闘争の際に米軍基地に突入し逮捕された農民学生の被告を無罪とした伊達判決の重要性を考える必要がある。憲法九条は反米闘争の武器であった。ここに国民の支持が集まったという体験がつまり今にいたるまで受け継がれていると言うことである
次に,大衆運動重視と行動の急進化の発端に学生の先駆性を主張する武井昭夫の「層としての学生運動論」があり,「耳目を集める」ことを基本においていたことがある。この発想が島に受け継がれた。急進主義に理論的根拠を与えたの山口論文である。日本はすでに成熟しつつある資本主義国でただちに革命を行なえる条件を持っている。なぜなら官僚が有効に資本主義をコントロールしている国家独占資本主義にあるわけだからクーデターで革命が可能となる。
60年闘争の敗北で大衆運動至上主義や急進主義批判がなされて,黒田等の組織論が追求されたが,その組織論は階級形成を主張しつつ陰謀の党を組織するに過ぎず、ロシア正教分離派に現実的根拠を持つ「ソヴィエト」のような共同体論のパースペクティブを持っていなかった。要するに革命後を見通し得ないと内容であったために、実際には常に戦術的急進主義が状況をリードした。ブント再建大会で共同体論を視野に入れた綱領の必要性が痛感されたのだが、実際には中島、薬師寺らが手をつけたに過ぎなかった。それも7・6事件以後は忘れ去られた。そして戦術的急進主義が赤軍を生み出すことになった。
実は、この戦術的急進主義は1960年6月に破産した方針とつながっている。違っていたのは71年世代と言われる年少組が本気で爆弾銃撃戦を始めたことであった。赤軍は安保ブント夢の実現である。憲法九条の平和主義と爆弾銃撃戦は、そう遠くないのである。だからこそ赤軍議長氏は今も元気で平和運動に邁進し、インターを歌うのだ。
70年が違っているとすれば山本義隆の自己否定論と共同体論のつながりにあるだろう。それは当然に党の革命を必要としたからだ。
このような見取り図をイメージさせるだけの強靭な取材と思考が小さな本におさめられているということに驚異を感じるとともに、膨大な二巻本費やして「僕って何」を40年遅れで書いた大学教授との鮮やかな対比に快哉を覚える。必要なのは志である。
そして赤軍を生み出した学生運動家は70歳を過ぎた今でも9条擁護と急進主義の夢を捨てられないでいる。
それに比べれば山本義隆の自己否定論の方が新しい共同体論の必要性を感じさせていたという意味で意義は大きいのだと思う。
本書を自分なりに読んだまとめだが,この本の視野が非常に広いということを強調しておきたい。全共闘世代の一部から,全学連と全共闘は切り離れた存在であるという批判がされているが,全学連を受け継いだ新左翼党派が全共闘の孵卵器であることは論を待たないし,また党派の末路と大学教授氏や全共闘氏らが言ってのける赤軍派にしても,メンバーは非常に若い。アレンと風に言えば69年から70年の過程において「言ったことを守る,約束したこと裏切らない」という人間の最高の能力を簡単に捨て去る人々が多かったから,年少世代は,よりよき共同体を求めて,あえて党派に加わり雪の山中に分け入ったのだということを付け加えておく。
著者が反戦=反米闘争である砂川事件から説き起こしたことも良い着眼点である。砂川事件では闘争の際に米軍基地に突入し逮捕された農民学生の被告を無罪とした伊達判決の重要性を考える必要がある。憲法九条は反米闘争の武器であった。ここに国民の支持が集まったという体験がつまり今にいたるまで受け継がれていると言うことである
次に,大衆運動重視と行動の急進化の発端に学生の先駆性を主張する武井昭夫の「層としての学生運動論」があり,「耳目を集める」ことを基本においていたことがある。この発想が島に受け継がれた。急進主義に理論的根拠を与えたの山口論文である。日本はすでに成熟しつつある資本主義国でただちに革命を行なえる条件を持っている。なぜなら官僚が有効に資本主義をコントロールしている国家独占資本主義にあるわけだからクーデターで革命が可能となる。
60年闘争の敗北で大衆運動至上主義や急進主義批判がなされて,黒田等の組織論が追求されたが,その組織論は階級形成を主張しつつ陰謀の党を組織するに過ぎず、ロシア正教分離派に現実的根拠を持つ「ソヴィエト」のような共同体論のパースペクティブを持っていなかった。要するに革命後を見通し得ないと内容であったために、実際には常に戦術的急進主義が状況をリードした。ブント再建大会で共同体論を視野に入れた綱領の必要性が痛感されたのだが、実際には中島、薬師寺らが手をつけたに過ぎなかった。それも7・6事件以後は忘れ去られた。そして戦術的急進主義が赤軍を生み出すことになった。
実は、この戦術的急進主義は1960年6月に破産した方針とつながっている。違っていたのは71年世代と言われる年少組が本気で爆弾銃撃戦を始めたことであった。赤軍は安保ブント夢の実現である。憲法九条の平和主義と爆弾銃撃戦は、そう遠くないのである。だからこそ赤軍議長氏は今も元気で平和運動に邁進し、インターを歌うのだ。
70年が違っているとすれば山本義隆の自己否定論と共同体論のつながりにあるだろう。それは当然に党の革命を必要としたからだ。
このような見取り図をイメージさせるだけの強靭な取材と思考が小さな本におさめられているということに驚異を感じるとともに、膨大な二巻本費やして「僕って何」を40年遅れで書いた大学教授との鮮やかな対比に快哉を覚える。必要なのは志である。
そして赤軍を生み出した学生運動家は70歳を過ぎた今でも9条擁護と急進主義の夢を捨てられないでいる。
それに比べれば山本義隆の自己否定論の方が新しい共同体論の必要性を感じさせていたという意味で意義は大きいのだと思う。
本書を自分なりに読んだまとめだが,この本の視野が非常に広いということを強調しておきたい。全共闘世代の一部から,全学連と全共闘は切り離れた存在であるという批判がされているが,全学連を受け継いだ新左翼党派が全共闘の孵卵器であることは論を待たないし,また党派の末路と大学教授氏や全共闘氏らが言ってのける赤軍派にしても,メンバーは非常に若い。アレンと風に言えば69年から70年の過程において「言ったことを守る,約束したこと裏切らない」という人間の最高の能力を簡単に捨て去る人々が多かったから,年少世代は,よりよき共同体を求めて,あえて党派に加わり雪の山中に分け入ったのだということを付け加えておく。