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市民社会とは何か-基本概念の系譜 (平凡社新書) 新書 – 2010/12/16
植村 邦彦
(著)
新聞・雑誌で幅広く使われてきた「市民社会」という概念の変遷を、西洋の古今の思想と日本の社会評論において捉え直した概説書。言葉の歴史から社会のあり方が見えてくる。
- ISBN-104582855598
- ISBN-13978-4582855593
- 出版社平凡社
- 発売日2010/12/16
- 言語日本語
- 本の長さ352ページ
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2010/12/16)
- 発売日 : 2010/12/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 352ページ
- ISBN-10 : 4582855598
- ISBN-13 : 978-4582855593
- Amazon 売れ筋ランキング: - 501,332位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 472位平凡社新書
- - 32,438位投資・金融・会社経営 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年7月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
市民社会については諸説があり、自分はそれらの相互関係をいままで理解できていませんでした。本書はいろんな説を分かりやすく位置づけて説明しており、自分の頭の中でもつれていた糸を解いてもらいました。すっきりとした気分になりました。
2012年7月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
市民社会という言葉の意味あるいは持ちうる範囲が、使用者に異なっているということを史学を通じて明らかにしようとする本で、前半は歴史的に最低限ヘーゲルにおいて断絶があるという見方をしています。
しかし、内容的には日本において市民社会ということばがどのように受け止められて、どのように解釈されて、どのように翻訳されてきたかを明らかにするというということが大半を占めます。ヘーゲルの翻訳がなされないままにマルクスが研究されたために、その路線の理解のまま日本の研究者は来てしまったという経緯の紹介とともに批判しております。というように、大半はこういう日本の学説紹介なので、単純に理論や意味を知りたい向きの方には面白くないかも知れません。
なるほどとは思いましたが、語源や翻訳に対するこだわりは凄まじく、個人的興味の方向からすると若干退屈でした(これは言いがかりですけど)。また、多くの学者の名前が登場し、資料は非常に豊富です。しかし、引用が多いのは結構なのですが、ある程度は事前に入門書なりを読んでおかないと理解しにくい個所もありました。考えるに、数行の引用でその学者の考えを示すことができていると考えている節があり、もう少し説明があってもよかったのかもしれません。知らなくても理解は可能ですが、深く理解したいと考えるならば、スミス、ヘーゲル、マルクスあたりは押さえておいたほうが面白く読めると思います。
しかし、内容的には日本において市民社会ということばがどのように受け止められて、どのように解釈されて、どのように翻訳されてきたかを明らかにするというということが大半を占めます。ヘーゲルの翻訳がなされないままにマルクスが研究されたために、その路線の理解のまま日本の研究者は来てしまったという経緯の紹介とともに批判しております。というように、大半はこういう日本の学説紹介なので、単純に理論や意味を知りたい向きの方には面白くないかも知れません。
なるほどとは思いましたが、語源や翻訳に対するこだわりは凄まじく、個人的興味の方向からすると若干退屈でした(これは言いがかりですけど)。また、多くの学者の名前が登場し、資料は非常に豊富です。しかし、引用が多いのは結構なのですが、ある程度は事前に入門書なりを読んでおかないと理解しにくい個所もありました。考えるに、数行の引用でその学者の考えを示すことができていると考えている節があり、もう少し説明があってもよかったのかもしれません。知らなくても理解は可能ですが、深く理解したいと考えるならば、スミス、ヘーゲル、マルクスあたりは押さえておいたほうが面白く読めると思います。
2011年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サンデル教授に関する本を買おうとしたら同時にレコメンドされたので、買って読んでみました。
最初は、他のレビュアーの方も書かれているように「市民社会」という言葉の由来、
主要な文献における翻訳の差異など、正直、重箱の隅とも感じられる記述が続くのですが、読み進めていく中で、同じ言葉であっても、それを受用する社会の変遷を踏まえると、非常に奥深く感じられます。
柄谷行人とかが「アソシエーション」という概念を呈示しておりますが、本書に記述されている歴史の流れを踏まえると特段新しいことでもないように思われてきます。
#私の主旨の理解が浅いのかも知れませんが…
いずれにしても、ネット書店の興隆などで幅広く書物が入手できるような環境になったとはいえ、戦前や戦後間もなくの頃の文献は大学の図書館等でもなければ、なかなか閲覧することは困難であろうから、同時代の書物だけを横並びで判断のベースに据えるのは危ういことだということがよくわかりました。
これまで一度も目にしたことのないような学者の方々の引用が随所に引かれており、
自分の不明を思い知ることになりました。
新たな気づきを与えてもらえたということで五つ星です。
最初は、他のレビュアーの方も書かれているように「市民社会」という言葉の由来、
主要な文献における翻訳の差異など、正直、重箱の隅とも感じられる記述が続くのですが、読み進めていく中で、同じ言葉であっても、それを受用する社会の変遷を踏まえると、非常に奥深く感じられます。
柄谷行人とかが「アソシエーション」という概念を呈示しておりますが、本書に記述されている歴史の流れを踏まえると特段新しいことでもないように思われてきます。
#私の主旨の理解が浅いのかも知れませんが…
いずれにしても、ネット書店の興隆などで幅広く書物が入手できるような環境になったとはいえ、戦前や戦後間もなくの頃の文献は大学の図書館等でもなければ、なかなか閲覧することは困難であろうから、同時代の書物だけを横並びで判断のベースに据えるのは危ういことだということがよくわかりました。
これまで一度も目にしたことのないような学者の方々の引用が随所に引かれており、
自分の不明を思い知ることになりました。
新たな気づきを与えてもらえたということで五つ星です。
2010年12月28日に日本でレビュー済み
市民社会は,本来的に資本主義社会である。ここから「解放」の論理は導かれない。しかし日本では32テーゼに規定され,ブルジョワ革命が当面の課題とされてきたために「本当の市民社会」を作り出すことが重要だと考えられてきた。
この思考方法が小泉改革に際して資本側からの自由な労働市場という規制緩和攻撃に,「市民」は「社畜」にならずに自立した個人であるべきだという考え方から,手もなくだまされ,派遣はフリーター問題を生み出した。
市民主義は革命を回避する口実に過ぎない。この偽りの市民主義こそが戦前期における普通選挙施行と無産政党の勃興を等閑視し,あたかも市民的自由が無かったからファシズムに陥ったという妄想を育ててきた。
市民社会が何であるかは,この本のようにアリストテレスからホッブズ,ロック,さらにヘーゲルにいたるアクロバティックな意味転換を展望した上で考える必要がある。我々に染みついた32テーゼの呪縛を解き放つ必要があることを説く重要な本だと考える。
この思考方法が小泉改革に際して資本側からの自由な労働市場という規制緩和攻撃に,「市民」は「社畜」にならずに自立した個人であるべきだという考え方から,手もなくだまされ,派遣はフリーター問題を生み出した。
市民主義は革命を回避する口実に過ぎない。この偽りの市民主義こそが戦前期における普通選挙施行と無産政党の勃興を等閑視し,あたかも市民的自由が無かったからファシズムに陥ったという妄想を育ててきた。
市民社会が何であるかは,この本のようにアリストテレスからホッブズ,ロック,さらにヘーゲルにいたるアクロバティックな意味転換を展望した上で考える必要がある。我々に染みついた32テーゼの呪縛を解き放つ必要があることを説く重要な本だと考える。
2023年4月5日に日本でレビュー済み
序章 市民社会とは何か
第一章 国家共同体としての市民社会
1 civil societyの本来の意味
2 societas civilisからcivil societyへ
3 伝統的政治哲学の継承と切断
4 市民社会=国家の歴史的相対化
第二章 市民社会と文明社会
1 ルソーにおける市民社会と文明人
2 ファーガスンの市民社会概念
3 ファーガスンの洗練された社会と文明
4 洗練された社会から文明化した商業社会へ
第三章 市民社会概念の転換
1 ファーガスンとヘーゲル
2 ガルヴェ訳『国富論』と市民社会
3 スミスとヘーゲル
4 新しい市民社会概念の成立
第四章 市民社会から資本主義社会へ
1 ヘーゲルの市民社会と国家
2 初期マルクスの市民社会と国家
3 市民社会から資本主義社会へ
4 資本主義社会から協同組合的社会へ
第五章 市民社会という日本語の成立
1 翻訳語としての市民社会
2 日本の市民社会の特殊性
3 高島善哉の市民社会論
4 戦後の高島善哉と市民社会論の成立
第六章 市民社会派マルクス主義
1 内田義彦
2 内田義彦の市民社会論
3 平田清明の市民社会論
4 市民社会派マルクス主義の成立
第七章 市民社会論の終焉
1 市民社会と大衆社会
2 市民社会主義とその挫折
3 市民社会派マルクス主義の終焉とグラムシ受容
4 市民社会論の成立根拠とその消滅
第八章 現代の市民社会論
1 東欧革命と市民社会の再定義
2 市民社会と社会関係資本
3 第三の道とグローバル市民社会
4 日本型新自由主義と市民社会
終章 市民社会とは何だったのか
あとがき
参照文献
人名索引
第一章 国家共同体としての市民社会
1 civil societyの本来の意味
2 societas civilisからcivil societyへ
3 伝統的政治哲学の継承と切断
4 市民社会=国家の歴史的相対化
第二章 市民社会と文明社会
1 ルソーにおける市民社会と文明人
2 ファーガスンの市民社会概念
3 ファーガスンの洗練された社会と文明
4 洗練された社会から文明化した商業社会へ
第三章 市民社会概念の転換
1 ファーガスンとヘーゲル
2 ガルヴェ訳『国富論』と市民社会
3 スミスとヘーゲル
4 新しい市民社会概念の成立
第四章 市民社会から資本主義社会へ
1 ヘーゲルの市民社会と国家
2 初期マルクスの市民社会と国家
3 市民社会から資本主義社会へ
4 資本主義社会から協同組合的社会へ
第五章 市民社会という日本語の成立
1 翻訳語としての市民社会
2 日本の市民社会の特殊性
3 高島善哉の市民社会論
4 戦後の高島善哉と市民社会論の成立
第六章 市民社会派マルクス主義
1 内田義彦
2 内田義彦の市民社会論
3 平田清明の市民社会論
4 市民社会派マルクス主義の成立
第七章 市民社会論の終焉
1 市民社会と大衆社会
2 市民社会主義とその挫折
3 市民社会派マルクス主義の終焉とグラムシ受容
4 市民社会論の成立根拠とその消滅
第八章 現代の市民社会論
1 東欧革命と市民社会の再定義
2 市民社会と社会関係資本
3 第三の道とグローバル市民社会
4 日本型新自由主義と市民社会
終章 市民社会とは何だったのか
あとがき
参照文献
人名索引
2011年1月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書において著者がしていることは「市民社会」の意味を定義することではない。「市民社会」という言葉がいかに時代や地域によって違う意味が与えられ、受容され、また新たな意味が与えられたか。という現在まで続く繰り返しの歴史を振り返っているのだ。
西洋の概念を日本に輸入する際には、訳語を与える必要がある。今まで存在しなかったものに、名前をつけるという作業は非常に困難なことである。そこには必ずある一定の齟齬が生じることは必然だからだ。だからこそ西周や中江兆民ら翻訳者の功績は賞賛されるし、「誤訳」という批判にさらされることもある。私たちはまずそのことを認識しなければならない。
さて、では著者は日本における「市民社会」をどう客観的に評価したのか。現代でも多様な語られ方がされていると言及した上で、「市民社会=市民団体」という理解が一定の市民権を得ていると指摘している。そしてこの「市民社会=市民団体」という捉え方には両義性が存在するのだという。著者によればそれは政府への不信、そしてもうひとつは「新自由主義」への労働者階級の諦め、言い換えればそれは「革命」の不可能性の自覚だという(!)。300ページにわたる、イギリス・フランス・ドイツを経た言葉をめぐる長い歴史の旅。その終着点(通過点)がマルクス主義の安易な遵守精神であったので、爆笑してしまった。
結論の台無し感は否めないですが、「市民社会」についてとても良く分析されたされた本なので、興味のある方は読んで損することはないと思います。
西洋の概念を日本に輸入する際には、訳語を与える必要がある。今まで存在しなかったものに、名前をつけるという作業は非常に困難なことである。そこには必ずある一定の齟齬が生じることは必然だからだ。だからこそ西周や中江兆民ら翻訳者の功績は賞賛されるし、「誤訳」という批判にさらされることもある。私たちはまずそのことを認識しなければならない。
さて、では著者は日本における「市民社会」をどう客観的に評価したのか。現代でも多様な語られ方がされていると言及した上で、「市民社会=市民団体」という理解が一定の市民権を得ていると指摘している。そしてこの「市民社会=市民団体」という捉え方には両義性が存在するのだという。著者によればそれは政府への不信、そしてもうひとつは「新自由主義」への労働者階級の諦め、言い換えればそれは「革命」の不可能性の自覚だという(!)。300ページにわたる、イギリス・フランス・ドイツを経た言葉をめぐる長い歴史の旅。その終着点(通過点)がマルクス主義の安易な遵守精神であったので、爆笑してしまった。
結論の台無し感は否めないですが、「市民社会」についてとても良く分析されたされた本なので、興味のある方は読んで損することはないと思います。
2011年1月1日に日本でレビュー済み
1952年生まれの社会思想史研究者が2010年に刊行した本。市民社会=シビル・ソサイアティという英語は、本来は国家共同体を意味するアリストテレス用語の訳語として使われていたが、次第に文明化された近代社会という概念と結びつく。この語はさらに、ファーガスンやスミスによって分業に基づく商品交換社会という意味合いを帯びた後、ガルヴェ訳国富論とルソーの影響を受けたと思しきヘーゲルによって、初めて国家と区別される欲求の体系として再定義された。その用語法をそのまま継承したマルクスは、市民社会の解剖学を構築していく中で、この語を資本主義社会という語に置き換えた上で、それを協同組合的社会へと組み替えてゆく方向性を目指した。この意味での用語法が講座派によって戦前日本に紹介され、軍国主義の下で日本の後進性意識と結び付いた後、敗戦後の<市民社会論>を生みだすことになるが、この過程でこの語は「典型的な西欧社会」を理想化する独特の規範的な意味合いを帯びる。しかし高度成長を経て、この語はイデオロギー面での階級闘争の場というグラムシ的な意味で再定義されるものの、日本では結局概念上の混乱を招いている。他方、この語は同時期の東欧では、社会主義的国家権力に対して守られるべき自由な私生活の領域として再定義され、西欧社会でも資本主義と法治国家を自明の前提とした、政治的公共圏への制度化された市民参加を意味する語となっている。ただしその際に重視される市民団体は、実際には民主的市民参加と結びつく必然性が無く、また新自由主義的国家に補完的な役割をも果たす。本書はこうした状況を踏まえ、新自由主義によって活性化を強いられた「市民社会=市民団体」の両義性を明確に認識し、社会国家を再構築し、政策決定に民意を反映する制度的な回路を具体的に構築する必要性を説く。