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近代部落史-明治から現代まで (平凡社新書) 新書 – 2011/2/16
黒川 みどり
(著)
部落問題は、封建制やケガレ意識といった過去の遺物ではなく、今でも形を変えて存在し続けている。近代国家の成立以来、時代ごとに再編・強化されてきた差別構造を解き明かす。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2011/2/16
- ISBN-104582855695
- ISBN-13978-4582855692
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2011/2/16)
- 発売日 : 2011/2/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 272ページ
- ISBN-10 : 4582855695
- ISBN-13 : 978-4582855692
- Amazon 売れ筋ランキング: - 511,858位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 496位平凡社新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
部落差別について、知識を、持っていないので、非常に勉強に、なりました。著者の方、出版社の方ありがとうございます。
2016年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分が子供の頃の1970年代で有名な事件が「部落地方総鑑」で、住友商事やトヨタなどの大企業をはじめとする多くの企業が購入し、採用の判断につかったとされる出来事だった。
自分は阪急西宮北口の近くで幼少期を過ごしたが、あるとき友人達と一緒に御手洗川を西に歩いていき、友人の友人と出会った。確かそばには屠殺場があったと思う。小柄だけれど浅黒く頑丈な体つきで小学校ではサッカー部だったと思う。そのころは「部落」なんて言葉も知らなかったので、ただの「新しい友人」だと思って近づこうとすると、彼は厳しい顔で初対面の自分の半パンからでている太ももに、小粒の石をひたすら何度も何度もぶつけた。腕力があるので非常に痛かったが、それより、何故こんなことをするのかまったく理解ができず、「怖い」という感情があった。
家に帰ってから父にその話をすると、大変驚き、二度とその場所には近づくなと言われた。
今調べてみるとそれは昔「芝村」と言われた場所で、今のJR西ノ宮駅の北の御手洗川沿いの地区だった。今ではその面影もないが、昔は川沿いにバラックのような家というか小屋が立ち並ぶ、見るからに異なる地区だったと思い出す。
そういう思い出があるので「部落」というものには常に興味があり、この本を読んでその歴史について学ぶことができた。
「えた」という身分は明治維新の時点で廃止されたことになっているが、実際は身分制度のせいで軍などの組織の機能が複雑になるからというのが本当の理由で、決して「えた」の人権を守ろうといういものではなかった。例えば、1902年の広島の判例で、旧えたであることを偽って結婚した夫が妻から結婚詐欺で訴えたことを正式に認めたという事実はそれに矛盾する。また、その後1918年の米騒動事件では、ロシア革命の前例で騒動の広がりを恐れ、暴徒の多くは特殊部落民であり、そうでない一般の暴徒は特殊部落民に利用されたという旨の見解を発表している。こういったことから、明治維新の身分制の廃止はあくまで形だけで、人々の間に根強く残る差別意識は公的機関も認めるものだし、また逆にそれを利用していた事実がわかる。
1930年代になると水平社による組織的な反差別闘争が活発になるが、どうやら問題は後を絶たなかったようだ。1933年に高松で、仕事帰りの船中で女性が知り合って結婚した男性が部落民であったことから、なんと高松地方裁判所は「誘拐罪」の判決を下している。最初から部落民は悪人であることを決めつけているようだ。
自分の体験もあわせて、こうして歴史を見てみると、部落への差別意識というのは決して法律や公式告知でなくなるものではなかったし、水平社のような活動を行っても以前として継続していたわけで、現実的に「特殊な場所」に教育の受けていない貧しい人々が集まっていたという現象そのものを無くさないと解決にはならなかったのだと感じる。今でこそ、西宮の御手洗川沿いを歩いても全く違和感はないし、誰も部落出身だからどうだなどとは言わなくなったわけで、差別問題の解決というのは本当に時間がかかるものだなと感じた。
自分は阪急西宮北口の近くで幼少期を過ごしたが、あるとき友人達と一緒に御手洗川を西に歩いていき、友人の友人と出会った。確かそばには屠殺場があったと思う。小柄だけれど浅黒く頑丈な体つきで小学校ではサッカー部だったと思う。そのころは「部落」なんて言葉も知らなかったので、ただの「新しい友人」だと思って近づこうとすると、彼は厳しい顔で初対面の自分の半パンからでている太ももに、小粒の石をひたすら何度も何度もぶつけた。腕力があるので非常に痛かったが、それより、何故こんなことをするのかまったく理解ができず、「怖い」という感情があった。
家に帰ってから父にその話をすると、大変驚き、二度とその場所には近づくなと言われた。
今調べてみるとそれは昔「芝村」と言われた場所で、今のJR西ノ宮駅の北の御手洗川沿いの地区だった。今ではその面影もないが、昔は川沿いにバラックのような家というか小屋が立ち並ぶ、見るからに異なる地区だったと思い出す。
そういう思い出があるので「部落」というものには常に興味があり、この本を読んでその歴史について学ぶことができた。
「えた」という身分は明治維新の時点で廃止されたことになっているが、実際は身分制度のせいで軍などの組織の機能が複雑になるからというのが本当の理由で、決して「えた」の人権を守ろうといういものではなかった。例えば、1902年の広島の判例で、旧えたであることを偽って結婚した夫が妻から結婚詐欺で訴えたことを正式に認めたという事実はそれに矛盾する。また、その後1918年の米騒動事件では、ロシア革命の前例で騒動の広がりを恐れ、暴徒の多くは特殊部落民であり、そうでない一般の暴徒は特殊部落民に利用されたという旨の見解を発表している。こういったことから、明治維新の身分制の廃止はあくまで形だけで、人々の間に根強く残る差別意識は公的機関も認めるものだし、また逆にそれを利用していた事実がわかる。
1930年代になると水平社による組織的な反差別闘争が活発になるが、どうやら問題は後を絶たなかったようだ。1933年に高松で、仕事帰りの船中で女性が知り合って結婚した男性が部落民であったことから、なんと高松地方裁判所は「誘拐罪」の判決を下している。最初から部落民は悪人であることを決めつけているようだ。
自分の体験もあわせて、こうして歴史を見てみると、部落への差別意識というのは決して法律や公式告知でなくなるものではなかったし、水平社のような活動を行っても以前として継続していたわけで、現実的に「特殊な場所」に教育の受けていない貧しい人々が集まっていたという現象そのものを無くさないと解決にはならなかったのだと感じる。今でこそ、西宮の御手洗川沿いを歩いても全く違和感はないし、誰も部落出身だからどうだなどとは言わなくなったわけで、差別問題の解決というのは本当に時間がかかるものだなと感じた。
2013年10月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ただ、いろんな本を読んでもそうですが、部落問題の根幹は、結局わからないですね。
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2014年10月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知り合いから進められました。勉強になります。また、誰かにすすめます
2012年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
部落差別の解消に取り組んだ「自分史」をお持ちの方へ。もう一度学んだことを振り返るのに適した書です。明治のいわゆる「解放令」以降の「社会が被差別部落と部落外の間にどのような線引きをつくり出し、あるいはどのような理由付けによってその境界を補強し、部落差別を保持してきたか・・」(本書「はじめに」より)を核にした考察のため、具体的事例の量も内容も精選されている。この書により「部落差別とは何か」ということよりも「差別の存在をなぜ解消する必要に迫られた」かを学ぶことが出来る。読者自身の部落問題の理解度を再検討してみてはいかがであろうか。過ぎ去ったことの中に知っていなければならない事象を見いだすことに驚いた一人である。「部落問題とは」を学ぶには他書にも適切なものがあるが、いくつか事例として取り上げられているだけでも参考になる。
最終章の、“人権”のなかの部落問題ーそのゆくえ『'部落問題が他の人権問題との関わりのなかで考えるという“開かれた”視野をもつに至ったことを意味しており、それ自体は重要なことである。しかし、同時にそれは、部落問題の“人権一般”への解消として、正当化の方便になるとしたら重大な問題を含んでいる』'という著者の思いは貴重である。身近な被差別部落に対する部落外の認識はさほど変わってはいないし、見えにくくなっているだけである。まさに「部落問題の〈いま〉」とはこのことであろう。
最終章の、“人権”のなかの部落問題ーそのゆくえ『'部落問題が他の人権問題との関わりのなかで考えるという“開かれた”視野をもつに至ったことを意味しており、それ自体は重要なことである。しかし、同時にそれは、部落問題の“人権一般”への解消として、正当化の方便になるとしたら重大な問題を含んでいる』'という著者の思いは貴重である。身近な被差別部落に対する部落外の認識はさほど変わってはいないし、見えにくくなっているだけである。まさに「部落問題の〈いま〉」とはこのことであろう。
2011年11月6日に日本でレビュー済み
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ドキュメンタリーとか、政治的意図が見える物は、
悲惨さを特別に演出(やらせともいう)したり、
一元的な物の見方で、人を洗脳しようとする。
そのようなことがなく普通に読めます。
明治以降の部落解放のあり方が、淡々と語られており、
押しつけでなく、自分で考えることを要求されます。
特に最後の数ページのアンケート結果は、差別が
21世紀の今の日本に深く根を張っていることを思い知らされます。
差別の本質的なものは、’ご自分の中で理解してください。’
そんなメッセージを受けた本でした。
悲惨さを特別に演出(やらせともいう)したり、
一元的な物の見方で、人を洗脳しようとする。
そのようなことがなく普通に読めます。
明治以降の部落解放のあり方が、淡々と語られており、
押しつけでなく、自分で考えることを要求されます。
特に最後の数ページのアンケート結果は、差別が
21世紀の今の日本に深く根を張っていることを思い知らされます。
差別の本質的なものは、’ご自分の中で理解してください。’
そんなメッセージを受けた本でした。
2011年2月21日に日本でレビュー済み
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明治初頭の「解放令」から現代における部落イメージの変容に至るまで、近現代史における部落問題にかかわる出来事や制度や運動をコンパクトにまとめた通史である。痛々しい差別をめぐるエピソードの紹介や「人種主義」が際立つその差別の構造の解説はむろんのこと、差別を助長したり批判したりするメディアや学術や芸術作品(小説・映画)の役割にも適宜ふれ、情報の充実感がたっぷりである。イデオロギー的な主張や政治的提言は極力なくし、あくまでも事実の明瞭な提示に徹しているのが、このテーマに関心はあるのだが何から読んでよいのかわからない素人にはなにより親しみやすくてよい。値段もページ数も手にとりやすい新書でこうした本が出されたことは、大きな意義があるだろうと思う。
2012年12月3日に日本でレビュー済み
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被差別民に対する我々の差別および差別意識の問題とは、おそらく世間一般の人たちが考えるとこのそれと、歴史的事実とはかなり食い違っていることだろう。多くの人たちは多分、それに気付くことはなかなかないかもしれない。なぜなら自ら積極的に学ばない限り、それまでの認識を改めたり、思い込みを訂正する機会というのは人生でそうはないからである。実は同和問題というのはそれが一番問題なんだと思われるが。
そして現代の同和問題の多くが、近代からというのもわからせてくれるのが本書。もちろん、歴史的な流れがあるので、中世・近世と関連書を読んで、本書を読めば、もっと理解しやすくなるだろう。
そして現代の同和問題の多くが、近代からというのもわからせてくれるのが本書。もちろん、歴史的な流れがあるので、中世・近世と関連書を読んで、本書を読めば、もっと理解しやすくなるだろう。