モースは、封建的な‘政治’勢力からも、‘宗教’的な教会権力からも独立した「社会」という公共圏を研究対象とした(p.215)。それは西欧社会とは違うものを見ることであった。そして、『贈与論』に示された「全体的社会事象」という概念によって考察することでもあった。
そのことで、人の生き方の可能性の幅を確かめたうえで、自らが生きる場を変えていくこと、それがモースにとってのフィールドだった。モースは文献を読むことで、フィールドワークを行ったといわれるので(p.90)、具体的な実践の場は都市における協同組合活動であったといえよう(p.70)。
「全体的社会事象」とは、諸部分の合計としての全体とは異なった統合である。『贈与論』にはより具体的に、社会とその制度の総体(ポトラッチ、対抗しあう氏族、相互に訪問しあう部族、等々)を、別の場合――とりわけそうした交換や契約がむしろ個人間で行われる場合――には諸制度の大部分を巻きこむ事象であるとある(p.220)。有名なポトラッチやクラの発見があったからといって、それらを西欧の都市に持ち込むということではない。これらを起点として、西欧の理解のカテゴリーを見直そうとしたのである(p.65)。
見直しの実例の一つは、1899年に「供犠の本性と機能についての試論」を著したことである。これにより、叔父デュルケムが率いる『社会学年報』派は、西欧の言葉と信仰が重視される宗教観に対し、物と行為を重視し、呪術の研究を深めた(p.146)。宗教社会学の誕生である(p.134)。
もう一つの実践は『贈与論』である。モースは熱心な社会主義者だった(p.134)。社会主義は、新しい見方、思考、行動を生み出す、未来の社会の新たな形態を生み出す「意識」なのだと主張した(p.136)。『贈与論』は、市場という交換像と、私的所有像という自明視されている像をくつがえす、自由主義ともマルクス主義とも異なる経済体制を展望するものであった(p.182)。
素人ながら本書をもとに、モースの業績を以上のようにまとめてみた。参考になれば幸いである。素人にも分かるように書かれた本書の存在はありがたい。
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マルセル・モースの世界 (平凡社新書) 新書 – 2011/5/14
モース研究会
(著)
レヴィ=ストロースや岡本太郎の師であった人類学者マルセル・モース。功利追求の経済学から多文化共生の贈与論へ、宗教的な深みを帯びた多面的な思想を提示する。本邦初の入門書!
- 本の長さ283ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2011/5/14
- ISBN-104582855784
- ISBN-13978-4582855784
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2011/5/14)
- 発売日 : 2011/5/14
- 言語 : 日本語
- 新書 : 283ページ
- ISBN-10 : 4582855784
- ISBN-13 : 978-4582855784
- Amazon 売れ筋ランキング: - 57,298位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年6月11日に日本でレビュー済み
本書は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所での共同研究「マルセル・モース研究―社会・交換・組合」の成果の出版である。
第一部「快活な社会主義人類学者の肖像」は、モースの生涯と思想について。
第1章「民俗誌―知の魔法使いとその弟子」では、岡本太郎との関係に触れつつ、モースの民俗誌学について述べる。
第2章「社会―モース人類学あるいは幸福への意志」では、モースの経歴を辿りつつ、彼の人類学の形成について述べる。
第二部「起点としてのモース」は、多岐にわたるモースの関心とその影響について。
第1章「フィールド―レヴィ=ストロースからさかのぼる」では、人類学者レヴィ=ストロースとの関係に触れつつ、モースの人類学的フィールドとして、「協同組合」を位置づける。
第2章「文献学―『供犠論』とインド学」では、インド学者シルヴァン・レヴィとの関係に触れつつ、モースの『供犠論』の成立について述べる。
第3章「呪術―1899年のモース」では、社会学者エミール・デュルケームとの関係に触れつつ、フランス社会学派が供犠論的転換を迎えた年として、また、モースにおける宗教研究と社会主義論との並行関係が始まった起点として、1899年を位置づける。
第4章「宗教―コトバとモノ」では、モースの宗教研究について述べる。
第5章「政治―未完のナシオン論」では、モースの未完の著作『ナシオン』を取り上げ、彼の政治思想について述べる。
第6章「経済―交換、所有、生産」では、モースの『贈与論』を取り上げ、彼の経済思想を「生産」の視点から読み直す。
第7章「芸術―全体的な芸術は社会事象である」では、音楽学者アンドレ・シェフネルとの関係に触れつつ、モースの「全体的社会事象」の概念について述べる。
以上のように、本書は、フランス現代人類学の基礎を築き、エミール・デュルケームの甥として有名なマルセル・モースに関して、様々な観点から論じている。モースの関連名鑑、関連略年表も付されており、彼の入門書として非常に有用である。以下、私自身の感想を簡単にまとめる。
1) 「『贈与論』のモースというあまりに固まってしまったイメージを打破し、多岐にわたるモースの関心とその業績を、同時代の世界に対する問いと洞察の深さを、読者に伝えたい」という本書の目的は果たされていると思う。しかしその結果、カール・ポランニーといった経済人類学への影響に関してほとんど触れられていないのが残念に思えた。
2) モース人類学を植民地支配の暴力に対する強い批判と位置づけているが、植民地支配に対するモース自身の態度について考察されていない。
3) 「モデルではなくエグザンプル」としてモースを取り上げているためか、その再評価の一応の結論がない。つまり本書は、モースを通じて多角的に「社会とは何か」を考察しようとしているが、それらを包括する全体的な視点に欠けている。
第一部「快活な社会主義人類学者の肖像」は、モースの生涯と思想について。
第1章「民俗誌―知の魔法使いとその弟子」では、岡本太郎との関係に触れつつ、モースの民俗誌学について述べる。
第2章「社会―モース人類学あるいは幸福への意志」では、モースの経歴を辿りつつ、彼の人類学の形成について述べる。
第二部「起点としてのモース」は、多岐にわたるモースの関心とその影響について。
第1章「フィールド―レヴィ=ストロースからさかのぼる」では、人類学者レヴィ=ストロースとの関係に触れつつ、モースの人類学的フィールドとして、「協同組合」を位置づける。
第2章「文献学―『供犠論』とインド学」では、インド学者シルヴァン・レヴィとの関係に触れつつ、モースの『供犠論』の成立について述べる。
第3章「呪術―1899年のモース」では、社会学者エミール・デュルケームとの関係に触れつつ、フランス社会学派が供犠論的転換を迎えた年として、また、モースにおける宗教研究と社会主義論との並行関係が始まった起点として、1899年を位置づける。
第4章「宗教―コトバとモノ」では、モースの宗教研究について述べる。
第5章「政治―未完のナシオン論」では、モースの未完の著作『ナシオン』を取り上げ、彼の政治思想について述べる。
第6章「経済―交換、所有、生産」では、モースの『贈与論』を取り上げ、彼の経済思想を「生産」の視点から読み直す。
第7章「芸術―全体的な芸術は社会事象である」では、音楽学者アンドレ・シェフネルとの関係に触れつつ、モースの「全体的社会事象」の概念について述べる。
以上のように、本書は、フランス現代人類学の基礎を築き、エミール・デュルケームの甥として有名なマルセル・モースに関して、様々な観点から論じている。モースの関連名鑑、関連略年表も付されており、彼の入門書として非常に有用である。以下、私自身の感想を簡単にまとめる。
1) 「『贈与論』のモースというあまりに固まってしまったイメージを打破し、多岐にわたるモースの関心とその業績を、同時代の世界に対する問いと洞察の深さを、読者に伝えたい」という本書の目的は果たされていると思う。しかしその結果、カール・ポランニーといった経済人類学への影響に関してほとんど触れられていないのが残念に思えた。
2) モース人類学を植民地支配の暴力に対する強い批判と位置づけているが、植民地支配に対するモース自身の態度について考察されていない。
3) 「モデルではなくエグザンプル」としてモースを取り上げているためか、その再評価の一応の結論がない。つまり本書は、モースを通じて多角的に「社会とは何か」を考察しようとしているが、それらを包括する全体的な視点に欠けている。
2017年3月19日に日本でレビュー済み
マルセル・モース自身に不満はないが、本書の錚々たる著者のわりには何ともまとまりのない本という印象はぬぐえない。モースの人物像を書きたかったのか、理論・思想を書きたかったのかはっきりしない。
おそらく後者だと思うが、それにしても何ともまとまりがない。こういうレベルの物は私家版でやればいい。
おそらく後者だと思うが、それにしても何ともまとまりがない。こういうレベルの物は私家版でやればいい。
2013年5月8日に日本でレビュー済み
研究会の成果をまとめたという事で、「贈与論のモース」という凝り固まったイメージにとらわれず、多視点的にモースに迫っています。それだけに、本書を読むにあたって必要とされる事前知識もまた、多分野にわたっています。本来的には新書という入門書色の強い書物において、あまり事前知識を要求するようなものは好ましくないのではないでしょうか。しかし、本書は事前知識なしではまったく理解できないというわけではないですし、一人物に焦点を当てている以上は、ある程度はその分野の入門書なりを読んでいる前提でというのも、割とみられることなので仕方がないことなのでしょう。まあ、この一冊で基本から全てというのも不可能ですからね。
内容的にはそれほど難解ではありませんが、デュルケム、レヴィ=ストロース、メルロ=ポンティ、バタイユ、マリノフスキーらについても語られるため、各々の基本的な知識が全くない場合にかなり読みにくいのではないかと思います。とはいえ、私は哲学、文化人類学、社会学の入門書を過去に読んでいますが、要求されるのはその程度の知識です。ただ、私はインド学についてはあまりにも知識が不足していたため、その分野の論考についての部分は、その内容の大半を理解することができませんでした。非常に残念です。
さらに、モースの社会学者・人類学者としての顔の他に、レヴィ=ストロース同様に社会主義者としての姿も描かれています。しかし、当該部分の論考を読む上では、社会主義の歴史といいますか、社会主義自体がマルクス主義の系統だけではないということ等について、ある程度は自覚的である必要があるのではないでしょうか。
さて、本書はその構成から察するに、「モースとはどのような人物であったのか」という素朴な疑問を抱いている人には向いていないでしょう。確かに多分野的に活躍した事は確かにそうで、その全てがモースであることもまた確かでしょう。しかし、本書は初学者にはややハードルが高い。内容は素晴らしいので、関連分野の本を読みなれてから、挑戦してみるといった道筋をたどるほうが良いのではないかと思います。
内容的にはそれほど難解ではありませんが、デュルケム、レヴィ=ストロース、メルロ=ポンティ、バタイユ、マリノフスキーらについても語られるため、各々の基本的な知識が全くない場合にかなり読みにくいのではないかと思います。とはいえ、私は哲学、文化人類学、社会学の入門書を過去に読んでいますが、要求されるのはその程度の知識です。ただ、私はインド学についてはあまりにも知識が不足していたため、その分野の論考についての部分は、その内容の大半を理解することができませんでした。非常に残念です。
さらに、モースの社会学者・人類学者としての顔の他に、レヴィ=ストロース同様に社会主義者としての姿も描かれています。しかし、当該部分の論考を読む上では、社会主義の歴史といいますか、社会主義自体がマルクス主義の系統だけではないということ等について、ある程度は自覚的である必要があるのではないでしょうか。
さて、本書はその構成から察するに、「モースとはどのような人物であったのか」という素朴な疑問を抱いている人には向いていないでしょう。確かに多分野的に活躍した事は確かにそうで、その全てがモースであることもまた確かでしょう。しかし、本書は初学者にはややハードルが高い。内容は素晴らしいので、関連分野の本を読みなれてから、挑戦してみるといった道筋をたどるほうが良いのではないかと思います。